第二十六話 大立ち回り
Audentem Forsque Venusque iuvat. (運も愛も大胆な者を助ける。)
――プーブリウス・オウィディウス・ナーソー
昨日、下校時のバス停に検問を張り、金銭を徴収しようとして成敗された假藏學園の大物不良・鐵自由は、真里愛斗及び仁観嵐十郎への報復の為か愛斗のクラスメートである女子・戸井宝乃を拉致した。
「早く助けに行かねーと、その戸井ちゃんとかいう女子はあいつらに何されるか分からねえぞ。」
西邑龍太郎の要請で愛斗達の教室へと助けに駆けつけてくれた仁観は腕を組み、バリケードの方へ目を遣る。彼が見ているのはその奥にある假藏學園の教室だろう。
「そうか……抑も二つの學園は空間を捻じ曲げて繋がっているんだから、本来は態々祠まで行かなくても向こうへ行けるんだ……。」
愛斗と、バリケードとして積み上がっている机の奥の不良の目が合った。相手は露骨に敵意を剥き出しにし、愛斗を睨んでくる。
その反応に、愛斗は一抹の不安を覚えないでもなかった。というのも、互いの教室、授業に干渉しない様にと華藏學園側から一方的にバリケードを築き上げておいて、華藏學園側からそれを乗り越えるような真似をすれば、假藏學園に此方の領分を守らせる大義が無くなりはしないか、という懸念があったからだ。
だが、仁観が言う様に事は一刻を争う。この事態に最優先すべきは、戸井の身の安全、その逸早い確保である。
「仁観先輩、一時的にバリケードを撤去しましょう。」
「あ? その必要はねえよ。」
仁観はそう言って愛斗の提案を一蹴すると、愛斗の背後に屈んで彼を抱え上げた。丁度お姫様抱っこの格好になるが、見た目女装している仁観が、小柄で童顔の男子である愛斗を抱える様は少し滑稽にも見える。
「あの、仁観先輩、何を?」
「突っ切るぞ、愛斗君!」
仁観はそう宣言すると、バリケードに向かって勢い良く跳び上がった。そして一番上の机を蹴り飛ばし、假藏學園側の壁にぶつけつつ愛斗と共に強行突破してしまった。
「よっ、と……。」
「仁観先輩……。」
突然の出来事に、愛斗は思わず仁観に強くしがみ付かざるを得なかった。
「どうした、愛斗君? 若しかして、惚れちまったか?」
「莫迦な事言ってないで降ろしてください……。恥ずかしい……。」
「降ろせ、って言われてもそんなにガッ付かれたらなあ……。」
「変な言い方止めてください!」
愛斗は顔を真っ赤にして仁観から手を放して腕を組んだ。そんな愛斗を揶揄う様に仁観は小さく笑うと、宛らお姫様を丁重に扱う様に優しく愛斗を床に立たせて降ろした。その振る舞いは何処か王子様然としており、そう言うタイプの女子にモテる女子を彷彿とさせたが、ややこしい事に仁観嵐十郎は歴とした男である。
そして、茶番を繰り広げている二人だが、忘れてはいけない、彼等は既に敵地に乗り込んでいる。
「仁観ィッ‼」
「てめえら、勝手にこっちの縄張りに入って来て依茶着いてんじゃねえぞ‼」
「このホモ野郎共が‼」
数人の不良が愛斗と仁観を取り囲む。朝の早い時間だったのが幸いし、假藏學園の生徒はまだ余り登校していない。
「正直、停学明け早々暴れるつもりは無かったんだがな……。だが、女の子攫われたんじゃ是非もねえ。愛斗君、下がってな。多対一はコツが要る。」
仁観は愛斗の動きを待たずに彼を背後に隠すが如く前に出で、指の関節を鳴らしながら拳を握り締めた。そして、周囲を取り囲む不良達へ順々に一瞥を巡らせていく。不良達はその突き刺すような視線に怯んでいた。数の利があるとはいえ、仁観嵐十郎は怪物が如き強者であると、不良達は百も承知していた。
一人の、一番体格のある不良が僅かに動いた、その瞬間だった。仁観の平手打ちがその不良の顎先を掠め、有無を言わせず昏倒させてしまった。二人を取り囲んでいた不良達は出鼻を挫かれ、動揺から腰が引けていた。それを見逃さず、仁観は目にも留まらぬ速さで残りの不良も同じ様に気絶させていった。
「は、早っ……。」
「数が揃うとどうしても自分で戦う意思ってのは多かれ少なかれ低くなるからな。その中でもまだやる気がある奴を速攻で潰しちまえば後は総崩れになる。」
仁観は手巾を取り出して不良達を昏倒させた手を拭き、愛斗に解説しながら周囲に睨みを利かせる。残っているのは女子生徒ばかりで、流石に二人の邪魔をしようという者は居そうにない。皆二人を避けるように壁に貼り付いていた。
「じゃ、行こうか愛斗君。」
「ええ……。」
愛斗は怖がらせてしまった女子生徒達に対して申し訳無さから軽く一礼して仁観の後に続いて教室から出た。襲ってきた男子は兎も角、如何に不良とはいえ女子達に罪は無いだろう。
だが、ふと愛斗は仁観の歩みに一切の迷いが無い事が気に掛かった。
「あの、仁観先輩?」
「ん、何だ?」
「その、行くって何処へ? 判っているのは戸井が恐らく鐵の一味に攫われたってことだけですよね?」
「ああ、大体目星は付いてる。」
仁観は言葉通り、確信した様に落書きに染められた假藏學園の廊下を走って行く。
「『逝徒會』とは良く言ったもんだ。余り興味を持たれていないが、鐵の奴には假藏學園でもう一つの顔を持っている。」
二人は角を曲がり、階段を降りていく。假藏學園の校舎は三つ、中等部の校舎、高等部一年及び二年の校舎、そして高等部三年及び理科室等の特別授業や音楽室等の文化教室が入っている校舎だ。
そして、三年の校舎には様々な課外活動の為の教室も入っている。仁観は愛斗をそこへ案内しようとしているらしい。
「もう一つの顔……。あ、若しかして。」
「そう、鐵自由は名目上、假藏學園の生徒會長という事になっている。尤も、假藏の連中からは単に生徒會室をグループの根城にしているとしか思われてねえがな。なるほど、『逝徒會』とは面白えネーミングだ。」
どうやら仁観は置手紙の差出人に『弥勒狭野』と共に名を連ねていた『逝徒會』についても鐵自由のグループだと認識している様だった。
「ひょっとすると、あの野郎は爆岡に取って代わる腹積もりでいるのかもな。だとしたら身の程知らずも良い所だがな。ま、どうでもいいか。」
仁観の言う通りだ、と愛斗は頷いた。『逝徒會』の意味を彼が勘違いしている事など、今は大した問題ではない。それよりも、一刻も早く戸井を助け出さなくてはならない。
「仁観ィィッッ‼」
後者の下駄箱で、昨日検問を布いていた二人の不良が待ち構えていた。指名された仁観は軽く振り払うように腕を振るい、一撃で二人を弾き飛ばしてあっさりと処理した。
「口程にもねえ。所詮は金魚の糞共だな。」
「仁観先輩が強過ぎるんですよ……。」
既に見せられていた超人的な身体能力を考えれば当然だが、この特異な先輩には有象無象の不良など物の数では無く、鎧袖一触にもならないらしい。
『全くね。今回許りは仁観君の事も褒めてあげないといけないわ。』
二人が高等部一・二年の校舎から出た所で憑子が愛斗に語り掛けてきた。
『真里君、仁観君にも伝えておきなさい。この緊急事態、假藏の塵共の事は仮令殺してしまっても不問にするわ。華藏學園生徒會長として、栄えある華藏生の一人を蛆虫が如き假藏の不良から救出する事を何よりもまず最優先にし、何人血祭りに上げてでもこれを達成しなさい。』
憑子は怒りからか、何時にも増して過激な物言いで愛斗を煽る。流石にそこまでは同意出来ないが、危機意識と怒りについては愛斗の気持ちも同じである。
「三年の校舎は此処だ、愛斗君。この最上階に生徒會室がある。」
「解りました。早く行きましょう、先輩!」
二人は鐵の素性を手掛かりに、生徒會室へ向かって三年の校舎に足を踏み入れた。
☾☾
その頃、假藏の生徒會室には二十人の男女が屯していた。一人は爆岡義裕が率いる不良グループ『弥勒狭野』のナンバー2、鐵自由。その舎弟である男子の不良が十六人、女子が一人、そして場違いな華藏學園の生徒が二人、猿轡を嵌められ組伏せられている戸井宝乃を取り囲んでいた。
「鐵君、この子どうする気だ?」
「犯っちまっても良いかなあ?」
下っ端の不良は野蛮で不穏な事を口走る。早く助け出さなければ、戸井の貞操が危ない状況だ。戸井の眼は恐怖と絶望に潤んでいた。しかし、彼等を束ねる鐵は狂気に爛々と双眸を耀わせながらも冷静だった。
「折角だが今はそんな事をやっている余裕ねえよ。」
會長席に腰掛け、鐵はスマホの画面を覗いている。
「たった今、先んじて一・二年の校舎で待ち伏せさせていたの二人からの通信が途絶えた。間違いなく仁観がこっちに来てる。まさかてめえら、俺の城で莫迦正直に迎え撃つ気か?」
鐵の狂気に歪んだ笑みが、周囲に得体の知れない圧を払撒く。
「何の為に態々あの野郎を此処へ誘い込んだと思ってる? 勝手知ったる俺達の根城、その前の廊下……。一寸この部屋と両隣を遮る内扉を通れば、簡単に挟み撃ちに出来るだろうが。」
假藏學園の生徒會室は両隣の教室と内扉で区切られており、鍵を開ければ簡単に普段使われない出入り口を作り出すことが出来る。即ち、愛斗と仁観が生徒會室の扉の前に辿り着いた所で両脇の部屋から数人ずつ廊下に出れば、二人をあっさりと包囲出来るのだ。
「良いか、てめえら? 絶対的な暴力を誇る爆岡君ですら、假藏學園の全てを支配する事は未だに出来ちゃいない。全てを征圧するには知恵が要るのさ。裏を返せば、力の爆岡君と知恵の俺が居れば、『弥勒狭野』は絶対頂点を獲れるんだ。さあ、解ったら行け。ここで仁観を潰しとけば、俺達に逆らおうっていう連中は確実に激減する。頂点は一気に目の前となる。爆岡君も喜ぶぜぇ……。」
鐵の言葉に納得したのか、不良達は生徒會室の両脇の内扉をそれぞれ一枚外して隣の部屋へと移動した。部屋に取り残されたのは主犯の鐵、人質の戸井、假藏の女子が一名、そして、場違いな華藏學園生徒會の基浪計と砂社日和だった。
「君は良いのか、鐵會長?」
「まさか、自分だけ戸井さんを美味しく犯っちゃうつもりぃ?」
真面目に問い質す基浪と、揶揄う様に軽口を叩く砂社を鐵の鋭い眼が睨み付けた。
「取り敢えず、てめえらは一旦散れ。てめえらに働いて貰うのはもう少し後の話だ。」
鐵は心底煩わしそうな口調で二人の華藏生に退室を命じた。基浪と砂社の側も特に歯向かうでもなく、會長席の後ろへ回った。生徒會室の奥には非常階段へ続く扉があるのだ。
「じゃあ、今回俺達は失礼するぞ。」
「私達が協力する要件、暮れ暮れも忘れないでね?」
これで生徒會室に残されたのは鐵と戸井、そして女子が一人となった。
「さて、俺は俺で行かなきゃならん。杏樹、人質はお前が手筈通りに処分しとけ。」
「ああ……。」
鐵に命じられ、戸井の身柄を預けられる事になった不良女子・将屋杏樹は呟くように頷いた。鐵は生徒會室の正面の扉から部屋の外へ出て、愛斗と仁観を待ち構えるつもりらしい。
戸井の脳裡に「処分」という不穏な言葉が躍る。彼女の命運は二人の先兵に依然委ねられていた。




