第二十四話 假藏騒然
Force is all-conquering, but its victories are short-lived. (武力は全てを征服するが、その勝利は短命である。)
――エイブラハム・リンカーン
その日、華藏學園以上に假藏學園は騒然となっていた。
本来、華藏學園の生徒である仁観嵐十郎が復学したからといって、假藏學園の不良達には何の関係も無い話である。しかし、二つの學園が繋がってしまっている現状では、彼等にとって目と鼻の先に厄介な強者が登校してきたことを意味する。
「仁観が学校来てるだと⁉」
「今日は華藏に行くの、止めとくか……。」
腕っ節に自身の無い不良や女子は仁観を恐れ、華藏生にちょっかいを出すのを躊躇っていた。しかし、委縮する者許りではないという事が假藏學園の厄介な所である。
「近い内に爆岡の奴も帰って来る……。頂点を獲る為に強い奴等は避けては通れねえ。」
「だったら、寧ろチャンスだ。仁観の野郎で腕試しするにはよぉ……‼」
と、この様に、中には挑戦的な不良も居り、彼等は授業中だろうと構わず華藏學園の敷地内を歩き回り、仁観の事を探し求めた。尤も、彼は授業自体は至って真面目に受けている為、鉢合わせするのは主に休み時間のみだった。
「仁観ぃいッ‼」
「面貸せやァッ‼」
昼休みも終わりに近づいていた頃、丁度食堂から戻ろうとしていた仁観は、建屋から外へ出たところを狙い澄ましたかの如く現れた二人の不良に喧嘩を売られた。何れも標準体型の仁観から見ると見上げる程大きな不良だった。
仁観は心底うんざりした様に溜息を吐くが、不良達は構わず襲い掛かる。一人が先んじて彼の顔面に拳を振るった。
「死ねやあああッッ‼」
その巨拳が仁観の顔面にクリーンヒットした。彼は全く避けようとする素振りを見せなかったのだ。骨が砕ける嫌な軽い音が響いた。
「グ、ぐがあああアッッ⁉」
しかし、苦痛の叫びを上げたのは殴った不良の方だった。
「おーおー、腕が折れちまったみてえだな。ま、俺の石頭殴っちまったんじゃ無理もねえけどな。」
「ひ、仁観……! てンめえ……‼」
怒りに満ちた表情の男は腕を押さえながらも戦意は折れず、今度は仁観に蹴り掛かった。流石にこれには仁観も動きを見せ、腕で蹴りを防いだ。
「ぎゃがっ⁉」
「懲りねえ奴だな……。」
今度は脛の骨が折れたらしく、不良はその場に倒れた。蹴りは丁度仁観の肘に当たり、逆に自爆してしまったのだ。
拳も蹴りも、破壊は仁観が意図的に起こした事である。拳はインパクトに合わせて頭突きを繰り出し、蹴りは肘を合わせた。何れも仁観の方が遥かに強固強靭であった為、攻撃側が敗けて骨折したのだ。
「何もしてねえ相手に暴力振るうのは良くねえぞ? 今なら見逃してやるからてめえはそいつを保健室にでも連れて行きな。」
もう一人の不良に、仁観は冷たく言い放った。その表情も声色も態度も、何もかもが興味の無い相手に構うのが只管に煩わしいという心境を隠しもしていなかった。その様な警告で大人しく引き下がる程、假藏の不良は物分かりが良くはない。
「そ、それで済むと思ってんのか? 俺はてめえのやり口には乗らねえぜ。通りたきゃてめえから掛かって来な!」
「面倒臭えな……。俺に勝てる気かよ。身の程を弁えろ?」
仁観は不快感を表情に滲ませ、凄まじい殺気を周囲に撒き散らす。自分よりも一回り小さな、一見すると背の高い女子にしか見えない格好の男に腕に覚えがある假藏の不良が気圧されていた。
「通るぞ。」
勢い良く踏み出した仁観に対し、不良は腕を交差させて完全に防御の態勢を取った。假藏最強の不良である爆岡義裕と渡り合った男の攻撃が来ると、実力のある不良程警戒の態勢を取るのは当然である。しかし、仁観の攻撃は来なかった。
「や、野郎……‼」
不良は怒りに歯噛みした。仁観の姿は目の前の足場、煉瓦のタイルに罅を残して忽然と消えていたのだ。
後ろを振り向くと、仁観はスカートを翻して高々と飛び上がっていた。
「こ、虚仮にしやがって……‼」
不良は全身をわなわなと震わせていた。だが、それは怒りよりも恐怖から来る反応だった。
飛蝗の様に自分の身長の何倍もの高さを跳躍し、その勢いで後者の壁に指を減り込ませてしがみ付き、片腕でさらに上の階へと飛び上がって窓から硝子を割って校舎に入る。そんな人間離れした芸当をいとも容易く成し遂げる異常な身体能力に、戦慄せざるを得なかったのだ。
仁観嵐十郎は、持って産まれた身体能力が特別中の特別だった。
敢えて女子制服を着用し、事も無げに常識外れの振る舞いをし、それでいて学業も優秀で芸能活動に至っては世界的に評価されている。そんな規格外の男は底辺校の不良など基本的に相手にしていないらしい。
「許さねえ……許さねえからな……!」
「うぐぅうううッ……‼」
二人の不良は夫々屈辱と苦痛に塗れ、その場に立ち尽くしていた。
その様子を、陰から三つの人影が窺っていた。
「あいつら程度じゃ仁観の首は捕れねえよ。分かり切ってた事だ。」
三人の内の一人は、それほど仁観と背丈の変わらない不良だった。
緑色に染めた髪を短く刈り込み、顔中に幾何学模様の刺青をした見るからに危険そうな容貌の男である。
「あの野郎の事はこの俺がグロテスクに殺してやる。爆岡さんが戻ってくる前に、あの人の右腕であるこの俺、鐵自由がなァ……!」
舌なめずりする鐵の背後で、華藏學園の男子と女子が不気味な笑みを浮かべていた。
☾☾☾
假藏の不良が厄介なのは、彼らが授業時間を無視して動き回っている事だ。
華藏の生徒からすると、それは授業中に机のバリケードを隔てたすぐ向こう側、或いは壁を隔てた廊下を骸鬼や小鬼、屍喰鬼が徘徊している様なものである。酷い偏見ではあるが、そう感じさせるに足る体験を華藏生は一週間前の両學園融合初日に多かれ少なかれ経ているので、無理からぬ事であった。
実際、真里愛斗の様に一部の假藏生と友好的な関係を築いている華藏生は彼以外居ない、という事になっている。
だが、そんな彼にとって困った事が放課後に起こった。正確には、彼を含む授業終了と共にバスで帰宅しようとする生徒たちに厄災が降りかかったのである。
華藏學園はバス停から創立者・華藏鬼三郎の銅像までの道は全学年の後者に向かうまでの順路として共通している。即ち、ここを塞がれてしまうと華藏生は誰も下校出来ないのだ。
そして、假藏學園の不良グループには日常的にそう言う事をしてきた集団がある。
「はーい、並んで並んでー。」
「これからこの道は俺らが通行料取る事にしたから。」
二人の不良がヘラヘラと口で笑いながら目で脅し、華藏學園の生徒達を並ばせていた。この二人、假藏學園最強の不良である爆岡義裕の舎弟であり、毎朝假藏の校門で通行料を集めていた者達である。
「通行料は一日一万円ね。」
「今日の所は明日に付けでも許してやるけど、その代わり払えない奴は顔の写真撮っとくから。」
「明日払えなかったら、一日毎にこうなるから、宜しくね。」
「こいつでイケメンになって貰って、正の字が完成したら呼び出してケジメになるから気を付けてね。」
一人はスマホの画面に表示された、顔を傷付けられた假藏生の写真を見せ付け、もう一人は剃刀の刃を見せ付けている。並ばされる華藏生達は完全に竦み上がっていた。
尚、この状況を華藏學園の教師達が放置する筈も無かったが、既に不良達の毒牙に掛かりその場に伸されていた。体育教師にして生活指導担当の畑山晃は柔道で国内有数の選手だった過去を持つが、その間違いなく華藏學園教師陣最強の彼ですら無様に寝そべっていた。
「助けが来るなんて希望は持たない事だ。この俺が居るから皆こうなる。」
華藏生達の背後では鐵が不敵に笑いながら何度も拳を握っては開き、指の関節を鳴らしていた。教師達を叩き伏せたのはこの男である。爆岡の右腕を自称するだけの事はあり、かなりの強さを誇っているらしい。
尤も、鐵の狙いは単に華藏で検問をやって金を巻き上げる事ではない。假藏の不良相手ならいざ知らず、大半は品行方正な華藏の生徒を相手に乱暴を働けば国家権力、警察が動くリスクが高い。その様な事は鐵も承知していた。
「まあ、唯一人希望があるとすればあの野郎だけだろうなぁ……。」
鐵は蛇を思わせる不気味な笑みを浮かべ、獲物を待ち伏せる様な舌なめずりを見せた。
彼の狙いは自らの大将・爆岡義裕に対抗し得る華藏學園の怪物・仁観嵐十郎を誘き出す事にあった。鐵は仁観が爆岡に喧嘩を仕掛けたのは元華藏生に対する爆岡一派の様々な仕打ちに理由があると看破しており、それ故に更に近い身内である華藏生そのものに手を出せば決して彼が黙っていないであろうと考えていたのだ。
しかし、そんな鐵にとって一つの誤算が起きた。
「何をやっているんだ‼」
横暴の現場を目の当たりにした真里愛斗は怒りの声を上げた。顔中に入れ墨をした男が愛斗の方へ振り向き、猛禽類の様な眼で睨み付けた。
「何だ、仁観じゃねえな……。誰だ、華藏の餓鬼か? 気の毒だがここは今日から有料になったんだ。命が惜しかったらてめえも列に並べ。」
じりじりと、鐵は愛斗に殺意を剥き出しにして迫って来る。しかし、愛斗は一切怯まない。
「こんな莫迦な事は今すぐ止めろ! 華藏の生徒に手を出す事は僕が許さない! 生徒會役員として‼」
「あぁ⁉ 何だって? よく聞こえなかったなあ‼」
大声を出し、拳を握り締める鐵は暗に最後通牒を突き付けていた。次に愛斗の口から出る言葉が従順な物でなかった場合、容赦なく暴力を振り翳すとその表情と仕草が露骨に告げていた。
「會長。」
「ああ⁉ 何だぁオイ‼」
『やりなさい。我が學園の生徒に対する理不尽な横暴、決して許される事じゃない。三人纏めて今の君の怪物的膂力で懲らしめてやりなさい!』
憑子の許可を得た愛斗は鐵を真直ぐ睨み上げた。
「鐵さん、どうします?」
「手筈通りにやりますか?」
「莫迦が! 仁観ならいざ知らず、こんなチビ餓鬼相手に人質なんか要らねえよ! この教員共と一緒に、身の程知らずにはとっとと眠って貰う!」
鐵はそう舎弟を制すると、愛斗に向けて拳を振り上げた。
「じゃあな、坊主‼」
恐らく一発でも喰らえば大怪我は免れない巨拳が愛斗の顔面に振り下ろされる。しかし愛斗はこれを冷静に躱し、鐵の手首を掴んだ。
「それでどうする気だよ?」
攻撃一発止められたところで次の一撃を見舞えばいい。――鐵はそう確信した様に余裕の笑みを見せていた。
だが、愛斗が体の向きを変え、腕を両手で掴んで背負い投げの態勢に入ると、鐵の表情は一気に曇った。
「ま、待て⁉ 何だこれは⁉ 何処にこんな莫迦力が……。」
鐵の焦りは当然だ。畳等の上ならいざ知らず、煉瓦のタイルの地面に投げられ叩きつけられたとしたら、唯では済まない。
そして、愛斗はそれを躊躇うような人間ではなかった。
「お前、お前はまさか真里ッ……‼」
鐵が言い終える前に、愛斗は鐵を投げて地面に激しく打ち付けていた。余りにも容赦が無かった為か、華藏生も假藏の不良も、その場の誰もが絶句していた。
そんなバス停に、一際長いスカートを靡かせて一人の生徒が歩いてきた。
「知り合いに『バス停が豪い事になっている。』と聞いて来てみれば……。」
「仁観先輩。」
女装の男子生徒・仁観嵐十郎が仰向けで伸びている鐵の顔を覗き込んだ。
「愛斗君、えげつねえな。こいつは鐵自由っていう假藏でも屈指の悪だからこの程度じゃ大した事になんねえだろうが、下手すりゃ半身不随や死ぬこともあり得るぞこんなやり方……。」
仁観の口から出た名前に、鐵の舎弟の不良達は慌てふためく。
「愛斗……ってことはこいつが真里愛斗か……‼」
「しかも仁観まで現れたんじゃ、俺達だけじゃどうにもならねえ‼」
恐れを成した不良達に、仁観は足早に迫った。
「おい、お前等。」
「は、はい……。」
「まず、華藏生に何するつもりだったか言え。」
「つ、通行料を取る為に……。」
不良達は悪事を白状し、制裁に怯えて仁観の顔色を窺っていた。
「そうか。じゃまず、お前等のスマホで撮った写真、今すぐ全部消せ。」
「は、はい!」
「それから、鐵連れてとっとと帰れ。」
「も、勿論!」
「明日俺は朝一のバスで登校する。もし余計な事してたらお前らの事もぶっ飛ばすからそのつもりでいろ。」
「わ、解りましたぁ~‼」
仁観の脅しにより、不良達は慌ててデータを消去して退散していった。一先ず、事態は解決し一安心といった所だろう。
愛斗は緊張が解けて腰を抜かし、その場に坐り込んだ。
「おいおい大丈夫か、愛斗君? 怪我してねえか?」
「ま、まあ何とか……。でも安心して力が抜けちゃって……。」
「しょうがねえなあ……。バスまで俺が肩貸してやるよ。」
波乱だらけの月曜日だったが、どうにか愛斗は無事一日を終えることが出来た。
☾☾
假藏學園の校舎裏、祠の前で肩を担がれた鐵は目を覚ました。
「く、鐵さん! 気が付きましたか‼」
「俺は……。」
「真里です、鐵さん! 噂のイカれた真里愛斗に投げ飛ばされたんですよ、鐵さん!」
舎弟達の言葉で事態を理解した鐵は眉間に皺を寄せ、怒りと屈辱に歯噛みして震えた。
「この俺が……あんなチビに……‼」
鐵は当たり散らす様に舎弟達の介助を払い除け、地団太を踏んだ。仁観の見込み通り、大した怪我も無いらしい。
そこへ、人二人分の黒い靄が祠から噴き出した。
「だから言わんこっちゃない。」
「最強の男の右腕も、これじゃ形無しね。」
華藏學園の制服を着た男女、基浪計と砂社日和だった。
「てめえらの口出す事じゃねえよ。」
鐵は不快感の滲んだ目付きで二人を睨む。
「別に、どうしても貴方達に肩入れしたいわけじゃないけど?」
「しかし、それはそうとして何か手はあるのか?」
「黙って見てろって言うんだよ!」
今度は華藏の二人に対し、鐵は苛立ちをぶつけた。しかし彼の眼はまだ関係の腹案があるとでも言わん許りに妖しく光る。
「応、お前等。」
「は、はい!」
「何でしょう、鐵さん?」
鐵は二人の舎弟に次なる策を伝える。どうやらまだ一件落着とはいかない様だ。
鐵の魔の手は思わぬ方向で愛斗と仁観に襲い掛かろうとしていた。




