第二十三話 記憶と空
屹度私は、真の花となる前に枯れてしまうから。
――西邑龍太郎著『美醜の彼岸』より。
仁観嵐十郎が突如告げた、二人の生徒會役員の登校に真里愛斗は驚きを隠せなかった。
「本当に……基浪副會長と砂社先輩が……?」
「何だよ愛斗君、心外だなあ。俺が嘘を吐く理由が何かあるのかよ?」
仁観は機嫌を悪くした様で、戸井宝乃から半ば強引に奪った椅子の背凭れを掴んで寄り掛かり、眉間に皺を寄せて口先を尖らせる。
「しかしまあ、確かに妙なんだよな。以前の基浪と言えば何かと俺に突っ掛かってきたもんだったんだが……。」
「ほう、初耳ですね。基浪副會長と仁観先輩がその様な関係だったとは……。」
「あいつは成績万年三位だからな。會長は兎も角、この俺にまで負けてるのが気に食わねえんだろうよ。」
両足をバタつかせる仁観の様子、女装は兎も角として校則を守る気の無い派手な髪色とゴテゴテの化粧、華美なピアスに、愛斗はこの人物に負けて納得の行かない高等部生徒會副會長・基浪計の気持ちを少し理解した。
しかし、その仁観は何か困惑した様にあちこちへ視線を向け、何やら考え込むように俯いた。どうやら自分の言葉に引っ掛かりを覚えたらしい。
「どうしたんですか?」
愛斗が尋ねると、仁観は少し唸った後に答えた。
「いや、そういえばもう一つ妙なんだよ。先刻からずっとずっとそうなんだが、実は『會長』の事がさっぱり思い出せんえんだ。」
「え? バスで同席した時から度々話題に出されてますけど……?」
「いや、何となく記憶にはあるんだ。だが、肝心の顔と名前が出て来ねえんだよな……。」
顔を顰めて首を傾げる仁観の様子から、嘘を吐いている様には見えない。憑子から聞く所によると、彼は生徒會長・華藏月子とは幼馴染であるという。
「何つーか、嫌な気分だぜ。自分の中から自分を構成する過去の一部がごっそり抜けちまった様な感覚っつーかさ……。」
「成程、確かに……。」
西邑龍太郎も仁観の言葉に頷き、愛斗の方へ顔を向けた。
「私も、君が生徒會役員だった事を今日登校してから思い出した。先週は君の事を狂人呼ばわりしてしまったが、どうやら私の方がおかしかったらしい。これは詫びないといけないな。」
「いや、それは別に良いけど……。」
愛斗はこれについて西邑が悪い訳ではないと解っていたので、態々謝って貰う程の事では無いと本気で思っていた。寧ろ問題は、何故自分たち生徒會に関する記憶が消えたり戻ったりしたのか、という事である。
(これは何か、「學園の闇」や「悪魔」、「闇の逝徒會」の動きに関わる話かもしれないな……。)
人気が無い時に憑子と話してみようと思った丁度そのタイミングで仁観が立ち上がった。
「ま、変な事許り起こっているがよ、だからと言って立ち止まっちゃいられねえ。青春は短いし、命だって長い保証は何処にもねえんだ。人生ってのは、何時突然終わるか分かんねえ。だから俺達は毎日を最期の日だと思って、全ての作品を遺作だと思って、今持ってる全てを懸けて、思いつく限りの手を尽くして、やれるだけの事をやらなきゃいけねえのさ。仮令不器用でも必死に生きなきゃいけねえんだ。数日の命でも、これが俺の人生だと言えるように個性を燃やし尽くさなきゃなんねえ。」
仁観の言葉に、愛斗が思い浮かべたのは華藏月子の顔だった。彼女は一週間前、突然死体に変わって自分と共に生きる憑依霊の様な存在になってしまった。確かに、明日が来るかわからないから後悔の内容に日々生きろというのは、一定の正しさを含んでいる主張なのかもしれない。
勿論、月子の事を忘れている仁観が彼女の事を意図した筈も無いだろう。しかし、愛斗は彼の言葉から、彼女の心残りをどうにかやり遂げさせたいという思いを抱いた。
そんな想いなど露知らぬであろう仁観は、愛斗と西邑に笑顔を向け、親指を立てる。
「取り敢えず、假藏の連中と揉めて困ってる時は遠慮なく俺を呼べ。龍君は勿論、愛斗君ももう俺の友達だからよ。お前等が必死に生きる青春を邪魔しようって奴は俺が纏めてぶっ壊してやるよ。」
仁観の体格は今までに愛斗が出会った假藏の有力不良と比べて、余りにも標準的でお世辞にも大きいとは言えない。しかし、自信に溢れる姿が愛斗には途轍もなく頼もしく見えた。わざとらしく個性を主張する立ち姿が、今までに出会った誰よりも大きく感じられたのだ。
休憩時間が終わりに近づいていた為か、仁観は颯爽と愛斗達の教室を後にした。
「色々……凄い人だな……。」
「それはそうさ。何だかんだ言って、私も彼の事は興味深く思っているから交友関係を続けているのだ。人間の面倒さを補って余りある程、彼と付き合って得る物は大きい。」
西邑は何処か嬉しそうに仁観の背中を見送っていた。彼が學園に来られるようになったのも満更では無いのだろうか。
一方で、明らかに面白くなさそうな人物も居る。
「面倒と言うより迷惑な人だよ‼ やっと私の席が戻って来た‼」
ずっと仁観に椅子を奪われていた戸井が露骨に憤慨し、勢い良く自席に腰掛けた。
「何か御免ね、戸井……。」
「真里は悪くないよ! あの天上天下唯我独尊男が悪いんだよ!」
「戸井、天上天下唯我独尊と言うのは自己中ナルシストの精神性を指す言葉ではない。天上天下、つまり全ての世界に生きとし生ける者は皆等しく、唯我、つまりただ一人の存在であり、独尊、つまりただそれだけで尊いという意味だ。他人の横柄な態度を揶揄して使うのは誤用だぞ?」
「知ってますー! そんなこと西邑に言われる迄も無く百も承知ですー‼」
空気の読めない西邑の指摘に、成績の良い戸井はプライドを傷付けられたのか益々機嫌を悪くして腕を組んで踏ん反り返った。
「ぼ、僕は知らなかったな。二人とも、物知りだねえ。」
「真里が単に不勉強なだけだよ! 元はと言えば中高一貫コースから學園に通って、生徒會役員にまでなった癖に今まで何をやってきたのさ‼」
愛斗としては戸井をフォローしたつもりが、何の効果も無かった様だ。
『戸井さんの言う通りね。普段使っている言葉、触れてきた概念に疑問を感じ、自分で調べてみる幅広い知的好奇心と真摯な学習の姿勢こそが教養を育むのよ。君はもう少し、仁観君や西邑君を見習って生きる上での意識を高めた方が良いわね。』
それどころか、憑子から面倒な小言まで頂戴してしまった。
『これから學園の闇や闇の逝徒會と戦う上で、そう言った注意深さは必ず必要になるわ。この機会に意識を切り替えていきなさい。』
愛斗の首が意思に反して動き、教室の前の扉の方を見せられた。恐らく憑子が軽く愛斗の身体を操ったのだろう。
そしてそこには、瞳ではなく別の三年生の姿が在った。忘れる筈もない、その男女は間違いなく生徒會副會長・基浪計と会計・砂社日和だった。
二人は愛斗に認められたと察したのか、教室に背を向けてその場から立ち去って行った。
その後、愛斗は我関せずを決め込む西邑の分まで戸井を宥めることに腐心し、チャイムが鳴るまでの残り時間を過ごした。
☾☾
昼休み、食堂から戻る途中で愛斗は西邑に別れを告げ、合宿場付近へと移動した。人気の無い場所で憑子と話をする為だ。
『仁観君が生徒會役員の事を覚えていただけでなく、西邑君や戸井さんも真里君や基浪君の事を思い出している。つまり、その線から考えられる事は、生徒會役員についての記憶が生徒に戻っているけれど、依然として華藏月子に関しては忘れられている、という事……。』
白い靄の華藏月子となって姿を顕した憑子が十五分休憩での一連の会話から状況を推測していく。
『これは恐らく、基浪君と砂社さんが登校した事に関係している。問題は何故こんな風に、私達の事を生徒が忘れたり思い出したりしているのか、という事よ。』
「僕達の敵となる聖護院先生たち『闇の逝徒會』が意図的にやっている事なのか、それとも意図せず起きてしまっている現象なのか、それもまだ判りませんしね。」
『もし意図的にやっている事なら、そこに何か狙いがある筈。それを調べる為、一寸根回しをしておいた方が良いわね……。』
「根回し……ですか?」
愛斗は少し嫌な記憶を思い出した。年度の初頭に提出した企画書は彼にとって生徒への聞き込みを充分に行って制作したつもりだったが、一つ欠けていた視点があった。それが、実現に向けた根回しである。
『事が大きくなればなる程、実行するには多くの人たちの協力が必要不可欠になる。君が提出した企画にはそれが無かった。全ては机上の空論で、お話にならなかった。でも、今の君にはこの件に関して協力者になり得る人脈があるわ。』
人脈、と言われて愛斗の脳裏に何人かの顔が浮かんだ。と、同時に思わず渋い顔をせざるを得なかった。
(真面な人間が殆ど居ない……。)
辛うじて真面枠に入るのは人間観察が趣味の様な偏屈な男・西邑龍太郎と人の噂が三度の飯より好きな女・戸井宝乃くらいで、残りは仁観嵐十郎、紫風呂来羽の二人は先ず論外に狂人であるし、尾咲求と相津諭鬼夫の二人とは未だ問題を起こしてはいないものの倫理観がずれた不良であることは度々露呈している。
しかし、確かに一人で動くにも限界が在るのは事実なので、先ずは身近且つ比較的無害な西邑と戸井に相談してみようと、愛斗は教室に戻ったのだった。
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しかし、愛斗も憑子も気付いていなかったが、第二合宿所の陰から愛斗の様子を窺う二つの人影があった。
「真里と彼女は我々と敵対し、戦う為に周りを巻き込むつもりらしい……。」
長身筋肉質な体格で端正だが気難しそうな顔立ちの男子生徒、副會長・基浪計は憎々し気に去り際の愛斗の背中を遠巻きに見詰めていた。
「今となっては無謀と言う外無いけど、敵に回すと厄介な連中も何人かいるよねー。」
痩せ型でツインテールの女子生徒、会計・砂社日和は底意地の悪い笑みを浮かべている。二人して何やら良からぬことを企んでいる様だった。
「こちらにも海山に次ぐ協力者が欲しい所だ。出来れば彼の様な時間稼ぎではなく、本当の意味で我々に手を貸してくれる協力者が……。」
「その為の、両學園融合でしょ?」
二人は祠へと続く立ち入り禁止の山道の方へ目を遣った。
「確かに、二つの學園は何方も問題だらけ。即ち、心に闇を抱えた者も大勢居る。つまり、我々が手駒に出来る者も……。」
「ねえ、基浪君。どうせやるなら手っ取り早く派手に行きましょうよ。」
砂社は邪悪な笑みを浮かべる。
「総てはあの御方の為。學園を統べるあの御方の、何にも増して崇高な目的の為……。」
「確かにな……。」
一方、基浪は冷酷に双眸を光らせる。
「我々、華藏學園の生徒は例外無くそれに殉じる義務が有る。無論、基を同じくする假藏學園の生徒にもな。ここは遠慮なく、大々的に助力願おうか。」
「流石基浪君、話が分かるじゃん。」
昼休み終了の鐘はまだ当分鳴らない。二人は山道へと入って行ったが、祠まで行って戻って来ても充分次の授業に間に合うだろう。
新たな展開を迎えた學園に、早くも不穏な影が迫っていた。




