第二十一話 或る少年の異端的な肖像
百年後の貴方へ、この歌を遺したい。
貴方が聴いてくれるなら、この歌は永遠である。
――音楽家・仁観嵐十郎
その少年は幼い頃、天使の様に純朴で朗らかな美少年だったという。幼稚園では華藏月子と並ぶ神秘性を備えており、大人たちの視線を二分していた。その頃は真面目で大人しく、そして様々な芸術に早くから通じた神童であった。誰もが彼の将来を嘱望していた。
転機が訪れたのは、小学生の頃。父親の原因不明の自殺である。
彼の文化的素養へ惜しみなく投資し、育んでくれた愛すべき父親。その喪失は、彼の中に何らかの黒い影を落とした。初七日が終わるまで彼は塞ぎ込んで学校も休み、その後も四十九日が終わる迄は沈んだ表情を浮かべていた。
だが、その後はすっかりと人が変わってしまった。何を思ったのか、以前とは別人物の様に弾けた異常行動が目立つようになったのだ。
髪を脱色するなど小学生の頃から序の口で、校舎の壁を攀じ登って教室に入る、運動会の徒競走で竹馬を持ち出して一等を掻っ攫ってしまう、家庭科の授業に中華鍋を持ち込み、ガス管を弄って本格焼飯を作ってしまうなど、群を抜いた非常識さで周囲の大人を大いに悩ませた。
だが芸術の才能に関しては一層開花した。特に音楽発表会で自作の吹奏楽曲をクラスの出し物として演奏させた事、その際に披露したピアノの腕前は母校で今でも語り草となっている。
そんな彼は中学卒業の際、その音楽的才能を買われて華藏學園に推薦入学をした。しかし、高校生になってからも彼の奇行、問題行動が完全に鳴りを潜める事は無かった。何より、教師が頭を悩ませたのはその奇抜な格好、服装であった。
「全く、彼には困ったもんですよ。」
彼が二年生へ進級しようという頃、即ち假藏學園との融合騒動が起こる一年余り前の事、国語教師・海山富士雄は職員室の窓から登校してくる生徒達の列を見下ろし、頭を掻きながら悪態を吐く。
「あんなルールをルールと思わんような悪餓鬼、さっさと退学にすればいいんだ。」
「しかし、彼の言う様に彼は厳密に言うと服装規定は破っていないんですなあ……。」
「屁理屈でしょう、あんなの‼」
同僚の数学教師・黒沢春好に宥められるも、海山の苛立ちは収まらない。
「あんな男に大きな顔をされては、我が學園の恥を宣伝する事になる‼」
「いやあ、それがですね。逆に彼は學園の宣伝に役立っているんですよ。それで、學園長も余り強く言えないし、例のお嬢様も何も言って来ない訳ですな。」
「お嬢様はあの男の事をよく知っていた筈でしょうに、何故推薦入学など許したんだ……。」
面倒な事に、彼は既に動画サイトを通じた音楽活動によってインターネット上では有名人なのだ。そんな彼が華藏學園に通っているという事実は學園としても宣伝効果の方が大きかった。
「認めんぞ……俺は……! 学生の本文は勉強だ……! いくら芸能活動が優れていたからと言って……‼」
「しかしですね、海山先生。御存じの通り、彼は成績も學園上位でして……。」
「全く、忌々しい‼」
海山は苛立ちから壁を殴った。そんな彼を見るに見かねてか、自分の席に坐って静観していた別の教師も椅子を回して話に入って来た。
「海山先生、少し落ち着いては如何ですか?」
「聖護院先生……。」
普段、この手の話には関わろうとしない数学教師・聖護院嘉久の珍しい態度に深山も黒沢も驚いてたじろいでいた。
「現状、彼を処分する根拠が何も無いのは事実なのです。確かに小学校の頃は今より酷かったとは聞きますが、それは過去の話。彼は今、成長し非常に狡猾になっている。」
「し、しかし……。」
「どうせあんな生徒、然う然う入學してくるものではありませんよ。ならば後二年の辛抱です。その後は、彼の奇行も一種の武勇伝、美談となって學園の評判に寄与するだけでしょう。」
聖護院は楽観的な予測を述べてコーヒーカップに口を付けた。
「一人一人の生徒の個性、多様性を長い目で見て育めば良いではないですか。」
それは華藏學園の教育方針でもあった。伝統と革新の両立、広く世界で活躍出来る人材の育成、個性と多様性の尊重。それ故に、華藏學園はその生徒の奇行をある程度黙認せざるを得なかった。
そんな彼を停学処分にせざるを得なくなったのは、一年後の彼が三年に進級した四月の事だった。
☾☾☾
海山の覚醒剤関与を暴いた翌週の月曜日、真里愛斗はいつもの様にいつもの通学用送迎バスに乗って窓の外を眺めていた。
『今日からは色々大変な事になるわよ。覚悟しておきなさい。』
例の如く、窓には華藏月子の横顔が映っている。彼女に言われるまでも無く、愛斗は朝から気が重かった。
「『學園の闇』『闇の逝徒會』が本格的に動くって話ですか?」
『そうね。それもあるし、面倒な奴と関わる事になるでしょう?』
憑子の言葉に、愛斗は昨日出会った西邑龍太郎の奇妙な知り合いの事を思い出した。親友の西邑が、あの人当たりの良くない陰気な西邑にあの様な人物との伝手があったのは意外だった。
「西邑とあの人、どういう関係なんでしょうね……。」
『そりゃ、西邑君も文化芸能面で活躍する學園の有名人の一人でしょ? 多分、そのコネクションよ。』
「え? あの人って有名人なんですか?」
『十七歳にして既に世界的な名声を手にしているわね。假藏の不良共が言う伝説とは次元の違う領域に居るわ。』
関係の無い所で言及された假藏學園の不良達の言うスケールの小さい伝説に、愛斗は思わず苦笑いを浮かべた。一高校に過ぎない假藏學園の伝説と、世界的な名声とでは、確かに次元が違い過ぎる。
「でもそんな有名人なら僕も知っていると思いますが……。」
『有名と言ってもインターネット上だからね。確か、顔は明かしていなかった筈だし本人の素顔を知らないのは無理ないわ。』
「素顔と言っても化粧でゴッテゴテでしたけどね……。」
と、愛斗は近くでじっと顔を見詰められた時に抱いた奇妙な違和感を思い出した。何か、自分の見ている視界が一箇所だけ認識違いを起こしている様な、間違った世界を観ている様な、そんな奇妙な感覚だった。
「憑子會長、あの人が何者なのかは今日判るって仰いましたけど……。」
『知りたい?』
「ええ、まあ……。ここまで引っ張られると名前くらいは……。」
窓に映った華藏月子は眉間に皺を寄せ、溜息を吐いた。
『全く、あの男は……。』
「え?」
『窓の外、後ろを見て御覧なさい。』
憑子はうんざりとした様子で自らの後方に頭を動かし、愛斗の視線を動かす。何事かと思い、憑子に示されたバスの後方へ目を遣ると、彼は信じられない光景を目撃した。
「何だ⁉ あの人、走って追いかけて……!」
『多分、久々の登校な上に慣れないバス通学だから勝手がわからず発車時刻に間に合わなかったのね……。』
「いや、それにしても……!」
愛斗を驚愕させたのは、昨日出会ったスケバン風の女子制服を着た生徒が猛スピードで走ってバスを追い掛けていた事だった。走り難い長いスカートを靡かせながら、人間とは思えない速度で車道を猛追するスケバンという、シュールな絵に愛斗だけでなくバスに乗った他の生徒も何人か気が付いた様だ。
「何だ? ありゃ?」
「見間違えかしら?」
「バス何キロ出してんだ? 馬並みの足の速さじゃねえか……。」
猛然と追い掛けるその表情は真顔だが必死さは見せておらず、化粧も全く乱れていない。
これだけでも十分超常的なのだが、驚くべきことにそこから更にスカートを靡かせて跳躍した。
「おいおい、何したんだ⁉」
「いなくなった……いや、跳んだのか⁉」
「まさか、嘘でしょ⁉」
次の瞬間、バスの屋根から何か人の大きさと重量の物が落ちて当たったような衝撃音が鳴り響いた。誰もが、先程の怪人がバスの屋根に飛び乗ったのだと察した。
「し、信じられない人だな……。」
愛斗もまた、天井を見上げて驚愕する他無かった。
しかし、ここでふと憑子の言葉の中に気掛かりなフレーズがあった事を思い出す。
「あの、一寸待ってくださいよ、會長……。」
『どうしたの?』
「いや、會長、先刻妙な事を言いませんでした?」
愛斗は蟀谷に人差し指を当てて記憶を確かめた。
「記憶違いがあったら御免なさい。確か會長、先刻あの人の事、『男』って言いませんでした?」
『ええ、男よ。』
愛斗の疑問に憑子はあっさりと答えた。
「でも、格好は昨日も今日も女子の制服ですよね?」
『我が學園は名目上男子用女子用の制服があるけれど、多様性に配慮して体の性別に依らずどちらの制服も選べる制度になっているわ。』
「じ、じゃああの人、そういう内面的に女性って人なんですか?」
『いいえ、男よ。』
憑子はきっぱりと否定し、そして再び溜息を吐いた。
「じ、じゃあ何で女子用の制服を?」
『解らないわ。あの男は昔から突拍子も無い事ばかりするのよ……。』
言葉から察するに、華藏月子は件の彼と付き合いが長いらしい。その彼女ですら解らないと嘆く事を愛斗に理解出来る筈も無い。詳しい事は考えない方が良さそうだ。
「で、結局何者なんです? あの人……。」
ここまで、尚もスケバン風の格好をした彼の名前は明かされていない。憑子はうんざりとしたような表情で答えた。
「若干十二歳にして自作曲のピアノ演奏と歌唱が動画サイトで世界的流行を起こし、その類稀なる才能に目を付けた華藏學園は彼にスカウトを出した。彼の人間性もろくに調査せずにね……。その杜撰さが華藏學園に於いて近年唯一にして最強最悪の不良を産み出してしまった。その悪名、暴虐さは假藏學園の不良共と何ら遜色無い異常者。でも、校則違反と言えるのは染髪と装飾物くらいのもので、悪質なものは無かった上に成績は優秀だったから処分できなかった。今年の四月まではね……。」
愛斗は憑子の言葉に、記憶が繋がり掛けていた。
「若しかして、その人假藏學園の不良達が噂してたりします?」
『そう、その男よ。彼の名は仁観嵐十郎。一カ月前、假藏學園最強と言われていた不良の中でも最大級の粗大塵と大喧嘩をして互いに病院送りになり、停学処分になった男。私が生徒會長の座に継続して着いていれば間違い無く假藏送りにしたであろう札付きの悪よ。』
その時、愛斗のスマートフォンが振動した。親友の西邑龍太郎からメッセージが入ったのだ。
『今、あの人から連絡が入った。』
西邑が誰の事を言っているのかは明らかだ。
『あの人って、ヒトミ先輩?』
『何だ、知っていたのか。御察しの通り昨日会った仁観嵐十郎先輩だ。今、バスに乗ったらしい。』
『乗ったって、屋根の上だぞ?』
『らしいな。発車していたから追い掛けて飛び乗ったと言っていた。本人は間に合ったつもりらしいぞ。』
どうも西邑に驚いている様子は無い。知り合いだという事は、仁観嵐十郎のこういう破天荒さとそれを可能にする異常な身体能力についても知っているのだろうか。
『どうしよう……?』
『気付かない振りをしてさっさと教室に来い。絡まれたら面倒な事になる。』
確かに、と愛斗は西邑の忠告に納得した。昨日の絡みとたった今の奇行だけでも、なるべく関わらない方が良い人物であることは明らかだ。
しかし、仁観は教室へ会いに来ると宣言しているし、西邑とは既に交流がある。ならば登校時に避けても結局同じではないか。
「月曜から頭が痛くなるなあ……。」
『全くね。今出来ることは、気に入られない様に塩対応を続けなさい、というくらいね。』
「それで、大丈夫なんですかね?」
『分からないわ。何を考えているか解らない男だもの。諦めて興味を無くすかもしれないし、意地でも関りを持とうと余計に絡んで来るかも知れないし、怒らせて暴れるかもしれないし……。』
「向こうの出方次第じゃ詰みじゃないですか……。」
愛斗は頭を抱えた。しかしそんな彼に追い打ちを掛ける出来事が起きた。
愛斗は窓に映った華藏月子の姿を見る為に外へと顔を向けている。そこへ、逆さを向いた長い金髪の女装した男が顔を覗かせたのだ。
「ゲッ……! 噂をすれば仁観先輩……‼」
仁観は愛斗と目が合い、にやりと笑った。目当ての彼を見付けて喜んでいる様だ。この分ではバスを降りた時、間違いなく絡まれる。
逃げ場所を失った愛斗は、目の前が真っ暗になるような気分だった。
『御愁傷様。』
憑子の声からは心なしか珍しく正真正銘の同情を感じた。彼女をそこまで感じさせる程、心底辟易させる様な男に目を付けられたのだと、愛斗は唯絶望する他無かった。
華藏學園に向けて碁盤状の街を北上していたバスは、已む無く一旦路肩に停車した。
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