第二十話 平穏の終わり
Si vis pacem para bellum. (汝平和を欲さば、戦へ備えよ。)
翌日、日曜日。真里愛斗は二日連続で友人と街へ繰り出していた。と言っても、この日の遊び相手は假藏學園の不良ではない。
「西邑、お待たせ。」
「いや、寧ろもう少し遅れて来てくれた方が良かったかな……。」
愛斗が登校時に降りる駅の改札で、彼の親友、文学部長・西邑龍太郎は柱に凭れ掛かったまま愛斗の方には目もくれず本の頁を捲っていた。
「相変わらず読書優先かよ。」
「切りが良い所まで後もう少しだから待ってい給え。」
毎度毎度、この西邑という男は愛斗そっちのけで隙あらば持参した本を読む。華藏月子とは別種のマイペースな勝手さが彼にはあった。愛斗は愛斗で、最早親友のこういう所には慣れっこなので、適当にスマートフォンをいじって暇を潰している。
『昨日今日と別な男とデートだなんて、節操の無い男ね。』
そんな愛斗の脳内で憑子が揶揄う。
『屹度、紫風呂君が知ったら悲しむわね。この尻軽男。』
「どっちとも付き合ってないですよ。」
愛斗は溜息を吐いたが、その瞬間、読んでいた本の裏、眼鏡の奥で西邑の鋭い目が光り、彼は勢いよく本を閉じた。
「待たせたな、真里。」
「あ、もう行くのか?」
「丁度章が終わった。最初の目的地へ向かおう。」
「最初の目的地、ねえ……。」
西邑と出掛ける時、大抵いの一番に向かう場所は決まっている。愛斗は行き先を尋ねることなく、西邑に続いて歩き始めた。
☾☾
やって来たのは大型の書店だった。
「お前本当に毎回此処だな。」
呆れる愛斗を尻目に、西邑は染み染みと感慨に耽りつつ目を輝かせて立ち並ぶ本棚を眺めている。
「本は宝、書店はその山だ。昨今何でもネットで読むのも買うのも可能になっているが、この実物に囲まれる感覚というものはやはり得難いものがあるのだ!」
西邑は毎度毎度この大型書店に訪れる。そして全てのコーナーを一通り巡り、一冊か二冊の本を買って行く。
更に、彼が向かう本屋は此処だけではない。
「良し、次行くぞ真里。」
「はいはい……。」
二人は次の目的地へと向かった。
☾☾
其処は先程とは打って変わって小ぢんまりとした古本屋だった。
棚に敷き詰められた本は一様に年季から黄ばんでいて、独特の臭いを発している。
「大型書店が財宝を蓄えた城なら、古本屋は秘宝が眠る洞穴といった所か……!」
此処でも、西邑は目を輝かせている。
中にはとうに著作権の切れた著書もあり、単に読むことが目的ならばこんな所で買わずともインターネットで読む手段はある。西邑もその事は重々承知だが、そういう問題では無いのだという。
「ここへ来れば、本を実際に手に取れば、その著書が間違いなく嘗てこの世に真新しい出版物として送り出され、誰かの手に取られ読まれ続けたのだと肌で実感できるのだ! 私の様な本好きにとって、何よりも得難いスキンケアだ!」
西邑は興奮を抑えられないといった様子で三冊ほど購入した。毎度、彼のリュックサックは予定の序盤から書籍で重くなる。
「もう本は良い?」
「何を言う。」
愛斗は西邑の答えを大方予想していた。
「じゃあ、今日も行くんだな。」
「うむ、次の目的地は図書館だ。」
鋭い目を幼子の様に輝かせ肌を艶めかせる西邑とは対照的に、愛斗は早くもげんなりとしていた。
☾☾
図書館への道中、良い時間帯になったので二人は昼食にイタリア料理を食べることにした。
「食欲は戻ったようだな。」
「御蔭様でな。」
この一週間、色々な事があったが、齷齪駆け回っている内にトラウマを頭の片隅へと追いやる事に成功したのは不幸中の幸いだった。そんな愛斗を見て、西邑は安心した様に微笑む。
「まだ暫くは、君の狂気に付き合ってやれそうだな。」
「狂気って……。」
「假藏學園の不良の間で噂になっているそうじゃないか。人を殺す事も厭わない狂人だと。まあ十中八九何かの間違いだと思っているが、妄想癖がある分言い切れない所はあるからな。」
「うぐ……!」
西邑だけでなく、華藏學園の殆どの人間が愛斗の事を生徒會役員だと覚えていない。そんな中で、彼の行動に付き合ってくれる分西邑はまだ彼に歩み寄っている方なのだ。尤も、別の目的も在りそうだが。
「君は実に魅力的な友だ。狂人の造形、その取材対象として。」
「お前はそういう奴だよ……。」
愛斗は呆れ返る他無かった。しかし、ふと或ることが気に掛かった。
「西邑、お前假藏の不良と付き合いあったっけ?」
「ああ、無いと言えば無いが、あると言えばあるな……。」
「何だよ、はっきりしないな。」
「あると言っても、相当間接的な接点だからな。因みに君の評判の情報源は戸井だからその詮索は全くの的外れだぞ。」
愛斗の脳裏に噂好きの女子・戸井宝乃の得意気な笑みが浮かんだ。確かに、謎の情報網を持っている彼女なら假藏から愛斗の評判を聞きつけていても不思議ではない。
と、その時西邑は何かを見付けたように目を瞠ると、すぐさま顔を伏せた。まるで誰かに見つかりたくない様に自らを隠している様だった。
「おい、どうしたんだよ?」
「いや一寸……。真里、良いと言うまで私の名前を呼ぶなよ?」
「何だよ、一体?」
「面倒臭い奴が居たのだよ……。」
どうやら西邑は知り合いを発見し、その人物と顔を合わせたくない様だ。如何にも変人に興味がありそうな西邑に関わり合いになりたくない人物が居る、というのは俄かには信じ難いほど意外だった。
愛斗は背後で足音が近付いて来るのを聞いた。西邑は頭を抱えている。
「見付かってしまった……。」
「誰に?」
「君は知らなくても良い先輩だよ。」
愛斗は不思議に思って後ろを振り向き、近付いてくる人物の姿を見ようとした。歩み寄って来るのは、化粧の濃い顔に脱色してパーマを当ててウェー掛かった長い髪、服装は学生服の女子制服を改造し、スカートを伸ばして如何にもスケバンといった出で立ちをした人物だった。背丈は丁度愛斗と西邑の中間程度だ。
「龍君じゃねえか、久しぶりだなー。」
「どうも……。」
スケバン風の人物は中性的な声で西邑に声を掛けてきた。
「そいつは友達?」
「初めまして、真里愛斗です。」
愛斗は西邑の知り合いだというその人物に軽く頭を下げた。姿は怖そうだが、表情は明るく人当たりの良さそうな人物だ。
「折角だからよ、龍君。このまま三人で遊ばねえ?」
「すみません、これから結構予定が立て込んでまして……。」
「何だそうか……。」
西邑の知り合いはスカートのウェストベルトに肘を立てた両手を当て、残念そうに溜息を吐いた。
「わかったよ、じゃあまた今度な。明日登校したらそっちの教室行くからよ。」
「か、勘弁してくださいませんか?」
「行くからよ。」
西邑の意向を無視した強引さに、普段の彼からは想像も出来ないほどタジタジとなっていた。珍しい光景に少しだけ可笑しみを感じていた愛斗だったが、すぐに彼の方にも白羽の矢が立った。
「ところで、お前が噂の愛斗君か……。」
濃いアイシャドウを施された目蓋の裏、強調された太く長い睫毛の奥から視線が愛斗の眼に注がれる。しかも、顔の距離もやたらと近い。愛斗は化粧品特有の甘い匂いに眩暈がする思いだった。
「聞いていた通り可愛い男じゃん。結構モテるだろ、愛斗君?」
「え? いや全然……そんな事無いです……けど……。」
「ええー、そうか? お前みたいな男と付き合いたいって奴、多いと思うけどなー……。」
派手な紫の口紅を塗った口角を揶揄う様に引っ張り上げるその笑顔は無邪気さと蠱惑的な魅力を兼ね備えている。しかし、そんな中愛斗は何処か得体の知れない違和感を抱いてもいた。
そんな愛斗の心境など一顧だにせず、相手はその唇を愛斗の耳元へ近付けてきた。脱色したウェーブの長い髪が愛斗の頬を掠める。
「明日、龍君の後でお前も相手してやるよ。楽しみにしてな?」
ぐいぐいと距離を詰められ、耳元で囁かれ、愛斗はこの人物に強い苦手意識を抱いた。
(化粧品の匂い、凄……。西邑、本当にこの人誰なんだよ?)
そんな風に思っていると、闖入者は漸く解放してくれる気になった様で、一歩引いて振り向く。そして同時に、愛斗と西邑の席から伝票をかっぱらった。
「じゃあな、龍君に愛斗君。折角だから先輩としてここは払っといてやるよ。」
そう告げて長い髪とスカートを靡かせる後姿を、愛斗も西邑も唖然として見送る他無かった。
そんな様子に、愛斗の脳内で憑子が憎々し気に呟く。
『少しは反省したかと思ったけれど、まるっきり変わっていないわね、あいつは……。』
どうやら彼女も西邑と同じく、嵐の様な人物と知り合いであったらしい。
「何者ですか……?」
『華藏學園で一人を除いて最も関わり合いになってはいけない生徒よ。まあどうやら不幸にも元々関わり合いの素地があったようだけれどね。御愁傷様。』
その関わり合いになる切欠となった親友、西邑は頭を抱えて溜息を吐いていた。
「そう言えばあの人が来るのは明日からか……。頭が痛くなるな……。」
「だから誰なんだよ……?」
『嫌でも判るわよ。明日登校すればね。』
憑子の言葉は即ち、明日間違いなくさっきの見知らぬ人物は愛斗達の教室にやってくるという事だ。「學園の闇」の調査と學園融合の解決というただでさえ重荷を背負い込んだ彼にとって、新たな面倒事が増える悩ましさは堪ったものではなかった。
(半年前の自分の行動を本気で呪うよ……。)
ともあれ、事態の急変から一週間が過ぎ、状況は新たなステージに向けて確実に動いていた。
☾☾☾
機械のモーターとブロアーの音が鳴り響く部屋に、無数のチューブで繋がれたキングサイズの棺桶の様な装置が置かれている。
それを取り囲むように、白衣を着た痩躯な眼鏡の男と華藏學園の男子制服、女子制服を着た若者のそれぞれ三人が立ち、それを見降ろしている。
「一先ず、此処まで邪魔されないまま来れた……。」
白衣の男、聖護院嘉久がほくそ笑んで呟いた。眼鏡の奥に凶器の眼光を宿している。
「基浪君、砂社さん、君達には明日から學園に戻って貰う。」
聖護院と共にこの場に佇んでいる二人は華藏學園高等部生徒會の副会長・基浪計と会計・砂社日和である。二人は共に他の生徒會役員達同様死体として愛斗に発見された筈であったが、その行方を晦まし現在も発見されていなかった。
「真里を消せと、そう仰るのですね?」
長身で筋肉質の美少年・基浪計は不穏な問いを感情の全く籠っていない声で聖護院へ投げ掛けた。
聖護院は歯をのぞかせる不気味な笑みを浮かべ、棺桶の様な装置を摩っている。
そんな彼へ、緑色の縁の眼鏡を掛けた背の高い少女・砂社日和がさも愉快そうに笑い掛けた。
「そっちは順調そうですねー。」
「ああ、何よりも大事な計画の肝だからね。」
「誰にも邪魔させるわけには行かない。それこそ、海山を犠牲にしてでも、という訳ですか。」
装置に繋がれた透明な管を紅い液体が勢いよく流れ始めた。
「ドレンが始まったな。」
「よくこんな状態で保ちますよねー。」
基浪と砂社はその液体の流れを見て眉を顰めた。対して聖護院はその双眸を一層爛々と耀かせ、歓喜の表情を浮かべている。
「これは悲願なのだ! 偉大なる豪商にして教育者・華藏鬼三郎氏が我が国の未来の為に営々と紡ぎ続けた、究極の秘法なのだ‼」
聖護院が装置から手を離すと、棺桶の様な蓋が縦真二つに割れて開いていく。そう、それは宛ら、祠と同じ観音開きだった。
「今此処に、それを完成させる‼ 今此処しかない‼ 絶対的な力によって統率され、世界を征服し支配する『闇の帝国』を築き上げるのだ‼ 華藏鬼三郎氏が恋焦がれたこの力を以て‼」
装置の蓋が開き、中から蒸気が溢れ出す。その白い靄の中に、人形の様に恐いほど美しい少女が一糸纏わぬ姿で眠っていた。長い黒髪に、全てが芸術作品のように美しい少女、そう正に、残る一人の未発見の生徒會役員、生徒會長・華藏月子の姿だった。
「會長、待っていてくださいね。」
「私達がちゃあんと、邪魔者は始末しますから。」
二人の言葉を受け、聖護院が両腕を拡げた。
「その意気や良し‼ では二人とも、栄えある華藏學園の『逝徒會』役員よ! 同名組織を名乗る不届き者を華藏でも假藏でもない完全なる異界、冥府へと誘うのだ‼」
基浪と砂社の姿が明かりを消す様に一瞬にしてその場から見えなくなった。
残された聖護院は、死んだ様に青白い顔で眠っている最後の死体・華藏月子の姿を前に高笑いを上げながら激しく涙を溢していた。
真里愛斗と憑子、聖護院嘉久と基浪計・砂社日和という二つの『逝徒會』が明日からは本格的に激突するようになるだろう。
明日は刻一刻と迫る。
余りにも多くの問題を愛斗に振り掛けるべく、盥を回して来る様に。
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