第十七話 罪と罰
人は何時か罰せられる為に罪を犯す。
――ミーナの手記より。
国語教師・海山富士雄は項垂れる事しか出来なかった。
準備室の窓からは陽が差し、床に散らばった白い粉の入った小袋を煌めかせている。
「海山先生、全てを話してくれますか?」
真里愛斗は海山の前に屈み、静かに諭す様に彼へ改めて問いかけた。
彼は海山が凶行に奔る事を前以て予測し、假藏の生徒を介入させることを考えていたのだ。但し、連絡先の分かる尾咲求と相津諭鬼夫は怒りの儘に何をするか分からないので、代替案として白羽の矢が立ったのが鞄を投げ捨てて腕を組み壁に凭れ掛かっている紫風呂来羽だった。
「尾咲や相津から話が来た時は驚いたよ。揶揄っているのかと思って矛火着いた。だが、愛斗君と冷静に話がしたかったのもあったからな。だが、まさかこんな事になっているとは……。シャブについて調べているとは聞いていたが……。」
紫風呂に軽蔑の目で見下され、海山は頭を抱えた。
「教師が生徒に薬を売らせるか? 外道にも程があるだろ。」
「か、假藏の屑が知った風な口を……! 普段は蔑ろにしている癖に、教師にだけ聖人君子の振る舞いを求めやがって……!」
「何だとてめえ‼」
海山は紫風呂に無理矢理立たされ、今度は彼が胸倉を掴まれて首を絞められる破目になった。
「人をシャブ漬けにして金毟り取るなんてヤクザ同然の真似しといてどの口で人を屑呼ばわり出来るんだ、ああ⁉」
「く、苦し……‼」
「おい愛斗君‼ 証拠は上がってるんだから今更話なんて聞く必要なんかねえだろ‼ こんな奴、とっととぶちのめしちまおう‼」
紫風呂は更に襟首を締めあげる。それはまるで、先程愛斗が海山にされた事に対する報復の様だった。
「駄目だよ。紫風呂君、先生を放して。」
「けどよぉ……。」
「言う事聞いてくれないと二人で遊びに行く約束も無しにするからね!」
愛斗に強く言われ、紫風呂は舌打ちしつつ渋々海山の身体を床に放り投げた。紫風呂が愛斗の話に乗った理由、それは休日一日愛斗と一二人きりで緒に過ごすという餌に釣られたからだった。そう言い包めれば、最悪の無茶だけは歯止めが効くだろうという目論見だった。
『真里君、君って誑しなのね。』
憑子は愛斗が紫風呂の好意に付け込む様な取引をした事を茶化す。
『余り思わせ振りな態度ばかり取って、刃傷沙汰になっても庇い切れないわよ?』
「別に遊びに行くくらい普通でしょ……。」
愛斗は尾咲や相津と同様、紫風呂とも友達になったと考えていた。時折、彼は自分がどういう目で見られているか無自覚なまま他人の心を惑わす悪癖がある。それが憑子を呆れさせているのだ。
そのような事など露知らず、愛斗は改めて屈み込んで海山と向き合った。
「先生、一つ一つ質問していきます。言っておきますが、この光景は記録してもらっていますから、もう言い逃れは出来ませんよ。正直に洗い浚い話してくれることを願います。」
愛斗は準備室の入口に視線を送る。この言葉と振る舞いは発足だが、既に部外者である紫風呂を介入させている為海山にとって説得力のある物だったのだろう。海山は溜息を吐いて無言のまま頷いた。
「先生、まずあの白い粉は覚醒剤ですね?」
「ああ、その通りだ。」
小さな声だが、確かに海山は己の罪を認めた。
「假藏學園の生徒で、先日死体で発見された伊藤藤之進と則山正行を仲介人にして売り広めていた、というのは事実ですか?」
「ああ、俺がやった。」
「それ以前は華藏學園で覚醒剤を売っていた?」
「そうだ。」
海山は全てを諦め切った様な、感情の無い茫然とした表情で淡々と愛斗の質問に答える。
「華藏學園でも誰かを仲介役にしていたんですか?」
「……死んだと言っていたな。なら良いか。中等部生徒會長だった忌位千尋だ。死者の名誉をどう扱うかは任せる。」
紫風呂は益々海山に対する嫌悪の表情を強めた。生徒を薬物の売人に仕立て上げていただけでも酷いが、それが中学生となるとその反応も当然だろう。唾棄する様に紫風呂は海山を罵倒した。
「見下げ果てた野郎だ。この世に存在する教員の中でもこいつ以下の奴は居ねえだろうよ。ま、嘗ての生徒を殺して生首晒すような豚野郎だからな。」
「違う‼」
海山は紫風呂の言葉を大声で否定した。
「確かに俺は焦ってあの二人を、伊藤と則山を殺した‼ でも、首を切ったり況してや晒し物にしたりなんかしていない‼」
「ああ⁉ 何言ってんだてめえ? シャブの事を探られて、口封じの為に殺したんだろうが!」
拳を握り締めて海山に迫る紫風呂を腕で制し、愛斗は変わらず冷静に語り掛ける。
「僕は信じますよ。だって、先生にとって態々二人を見世物にするメリットが無い。現に、それで華藏に覚醒剤が出回っている事が真実味を帯びたんだ。」
愛斗の言葉を聞いた海山は彼に縋り付く様に手を握ってきた。
「信じてくれるんだな?」
「はい。でも、その為に先生には知っている事を話して貰いたいんです。」
「知って……いる事……?」
愛斗と憑子はこう考えていた。
生徒會役員が死体となった翌日、海山が早々に二つの學園の連結を知ったとしたら、その経緯で二人が追っている「學園の闇」と関わりを持っているかも知れない。
「先生、どうやって假藏學園と繋がったという事を知ったんですか? あの祠は観音開きを解き放って初めて二つの學園の通り道になるんです。貴方はどうして、開いてみようと思ったんですか?」
「聖護院だ……。」
海山にはもう事の経緯を黙っている理由は無かった。それにあの夜に関わり、今も消息を絶っている聖護院嘉久の名前が出たことに愛斗としては驚きを感じなかった。
「聖護院先生が開いたんですか?」
「そうだ。假藏生を新たな商売相手にしようと提案してきたのもあいつだった。」
「ケッ。そんな事言っても元々華藏でシャブ売ってたのはてめえなんだろ?」
紫風呂は海山が別の男に責任転嫁しようとしていると捉えたのだろう。
「その聖護院って奴も滓だが、てめえの罪が消えるかよ。」
「紫風呂君、それは確かにそうなんだけど、もう少し話を訊いてみたいんだ。聖護院先生も関わっているとなると、海山先生を告発して終わりにはならないからね。海山先生とは違い、あの人は今も行方不明だから……。」
愛斗の言葉を理解したのか、紫風呂はそれ以上言葉を紡がなかった。愛斗は続けて問い掛ける。
「海山先生、聖護院先生はその後何処へ?」
「知らない。假藏へ行き、こっちと同じように合宿していた生徒會役員の伊藤と則山を話に乗せて、帰ってきたらそれっきり消えちまった……。」
愛斗は少し考え込み、ここまでの話を整理する。
海山は元々、華藏學園の中等部生徒會長・忌位千尋を介して中等部を中心に覚醒剤を広めて小遣い稼ぎをしていた。注射器を持ち歩いていたことから、自身でも濫用していたのだろう。
連休中、中等部を含む生徒會役員が行方不明になったと偶々愛斗から連絡を受けた海山は、合宿所近くの山道に入り連絡が付かなかった聖護院と遭遇。彼の手引きで誰よりも早く假藏學園を訪れ、あちらで生徒會役員として活動していた伊藤と則山を新たな仲介人として假藏でも覚醒剤の流布を開始した。
「伊藤と則山を選んだのは偶々ですか?」
「いや、二人は假藏で一定の地位を欲しがっていた。薬の売人になればそれも叶うだろうと、聖護院が唆した。」
話を総合すると、真の黒幕は聖護院の様にも思える。愛斗はもう一つ、海山に確認しておきたかった。
「繰り返しますけど、祠で出会ったのは聖護院先生だけですか? 生徒會役員は見ていない?」
「ああ、中等部役員が、忌位が死んだと知ったのもお前から聞かされて初めてだった。」
「抑も、よくあそこを探そうと思いましたね。普通もっと、色々心当たりを探って見るものだと思いますが……。」
「それは……。」
海山は少し考えるように間を置いた後、面倒になって開き直る様にその真意を語る。
「思い出したんだよ。あの山道の奥に祠があって、その近くで行方不明になった生徒が見付かった事があるって聞いたのを。」
「誰からですか?」
「それも……聖護院だ。思えば俺は何から何まであいつに動かされているなあ……。」
今回の一連の事件、裏にはいつも聖護院がいる。これは愈々彼が怪しくなってきた。
「海山先生、他に聖護院先生について何か御存じではありませんか?」
愛斗の問いに、海山はまた少し考え込んだ。しかし、何も出て来はしなかったらしい。
「いや。あいつは元々同僚でも謎が多い男だった。」
「そうですか……。」
どうやら海山からは聖護院の事を聞けるとは期待出来ないようだ。生徒會役員の死体についても本当に何も知らないのだろう。となると、後彼から聞いておかなければならないのは一つだけだ。
「では先生、一番重要な事を訊きます。」
「何だ?」
「抑も、一介の教師に覚醒剤を入手する手段が有るとは思えないんですよ。一体どういうルートから仕入れていたんですか?」
愛斗の問い掛けに、海山の顔は一瞬にして真っ青になった。それは鞄の中を暴かれた時よりも更に、焦りというより恐怖で血の気が引いている様だった。
「それは言えない! それだけは絶対に‼」
「先生、どうせ取り調べを受ける時に絶対訊かれる事だと思いますよ。」
「それでも駄目なんだ‼ 悪いが薬の出所だけは絶対に話す訳には行かない‼」
余りの動揺振りに、愛斗も様子を後ろから窺っていた紫風呂も首を傾げた。
「何だよ、そんなにやべえヤクザと関わってんのか?」
「いや、ヤクザと繋がりがあるのなら、そんなものは警察の捜査で言わなくともバレるだろう。普通は一教師が関わる相手じゃないし、裏社会と繋がる切欠があったのなら、多分隠し通せない。海山先生が恐れているのは、それとは違う全く別の闇なんじゃないかと思う。」
海山は頭を抱えて震えている。理屈ではない恐怖が彼には刻み付けられているようだ。
ふと、愛斗はその姿に奇妙な符合を覚えた。
理屈ではなく、唯その存在が恐ろしい相手がいる。――何処かで聞いたような話ではないか。
「先生、どうしても話せないんですか?」
「ああ、絶対に駄目だ。」
どうやらこのままでは埒が明かない様だ。尋問は潮時だろう。
「紫風呂君、海山先生を見ていてくれ。僕は警察に連絡する。」
「そうだな。ここから先はもう摩方の出番だろう。」
愛斗がスマートフォンをズボンのポケットから取り出した、その時だった。
不意に、窓から差し込んでいた光が途絶え、部屋は電気を消した様に闇の中へ沈んだ。
「な、何だどうした⁉ これはまるであの時の……!」
「愛斗君、大丈夫か⁉」
愛斗の身体は大柄な男に抱き寄せられた。恐らく紫風呂が彼を守ろうとしたのだろう。そしてその判断は正しかった。
「ギャアアアッッ‼」
闇の中、海山の悲鳴が響き渡った。
愛斗も紫風呂も不穏な空気と共に、その場の人間がもう一人増えたような奇妙な感覚、違和感を覚えていた。
闇が晴れると、二人の目の前では海山が血塗れで倒れていた。そして感じた気配の通り、一人の痩せた眼鏡の男が血に汚れた白衣を纏って海山の傍らに立っていた。
「聖護院……先生……?」
「何⁉ こいつが⁉」
疑惑渦中の人、数学教師・聖護院嘉久だった。その男は邪悪な微笑みを浮かべ、狂気に満ちた目を愛斗と紫風呂の二人に向ける。
「お喋りが過ぎますねえ、海山先生……。まあ、あの日私と出会ってしまったからにはこうなる運命だった訳ですが……。貴方の殺人は普通に死刑もあり得る悪質な重罪ですからね。」
聖護院は海山の背中を踏み付けにし、両手を拡げる。
「真里君、君が誰の指示で動いているのか、大体の想像は付く。しかし、本当にそれで良いのかい? 少し身の振り方を考えてみることをお勧めするね。」
「どういう……事ですか?」
愛斗の問い掛けに、聖護院は不気味に口角を上げる。不穏な気配を感じ取った紫風呂が愛斗を抱えたまま自分の陰に庇う様に隠し、聖護院から遠ざける。
「答え代わりに、君が最後にした海山先生への質問に私が答えてあげよう。それは確かに君にとって、非常に重要な事実だと思うよ?」
「事実……?」
聖護院は海山の身体を抱え上げた。細身の身体からは想像出来ないほど軽々と、まるで成人男性の身体の重さを感じさせない振る舞いだった。
「海山先生に覚醒剤を握らせた真の黒幕、その正体……。それは華藏月子だ。」
紫風呂の陰で衝撃の答えを聞いた愛斗は驚きの余り声が出なかった。
そんな彼の様子に満足したのか、聖護院は可笑し気に小さな声を立てた。
「どうかな? これでもまだ、彼女に言われるが儘に『學園の闇』を調べるかい? 既に死人が何人も出ているというのに……。」
愛斗は答えが出せず、きょろきょろと誰かを探す様に空へ視線を動かす事しか出来なかった。
「考えを改めなければ、君の生首も何時か何処かで晒される事になるかもね。」
「何だと、てめえ愛斗君に何する気だ⁉」
紫風呂の怒りは黙殺され、聖護院は抱えた海山と共にただその場から忽然と姿を消した。
覚醒剤の一件を調べた末に辿り着いた大きな疑念に、愛斗は唯立ち尽くしていた。
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