第十五話 秘められた真実
法の穴を突く事に慣れてはいけない。
人は自分が賢いと思っている時程盲目なものだ。
それ故、逸れてはならぬ道も見失いがちになる。
――私立探偵・セオ=レイフォード
翌日、真里愛斗は普段より早めに登校した。前日一日よく休み、十分な休養が採れた事も幸いだった。
目的は、再び噂好きのクラスメートにして覚醒剤情報の出所、戸井宝乃にじっくり話を聴くことだ。しかし、それは最後の確認という意味合いが強い。愛斗は憑子との会話、それから假藏の不良二人、尾咲求と相津諭鬼夫から得た情報により、八割方事の真相に辿り着いていた。
いつもより二本早いバスで登校した教室は、生徒も疎らだった。しかしその中に、この日の授業で使用する教科書を確認する戸井の小さな姿があった。優等生の戸井は生徒會役員の愛斗より遥かに授業に臨む態度が真摯なのだ。
「戸井、おはよう。」
「あ、真里。おはよう。体はもう大丈夫?」
「御蔭様で。」
「今日は早いね、どうしたの?」
「実は戸井に改めて訊きたい事があって。」
愛斗は昨日、憑子と共に纏めた内容を確かめるべく、声を潜めて戸井に尋ねる。
「覚醒剤の件なんだけどさ、元華藏の假藏生が関わってるって話、何処から聞いたの?」
戸井は一瞬瞠目したが、すぐに呆れたように目を細めて溜息を吐いた。
「まだ探るつもりなの? ていうか、今更それ訊く?」
「まあ確かに、一昨日までに訊いとくべきだったとは思うけどさ……。」
「そういうおっちょこちょいな所も真里らしいと言えば真里らしいね……。」
愛斗の失敗にボーイッシュな少女の様に悪戯っぽく白い歯を出して笑みを見せる戸井だったが、やはり話をする事自体は満更でも無いらしい。何も包み隠す事無く、彼女は愛斗に情報源を教えてくれた。
「有難う、戸井。とても参考になったよ。」
「そう? 別に助けたくて話すわけじゃないけどね。」
「今度、何か奢るね。」
「それはデートの御誘いかな? まあ期待しておくよ。」
丁度話が終わる頃、西邑龍太郎が教室に入って来た。
「おはよう、真里君。もう体は良いのか?」
「心配掛けたな。もう大丈夫。」
「早速覚醒剤調査も再開するみたいだよー。」
戸井の告げ口に、西邑は渋い表情を浮かべる。
「まさか、また假藏に行くつもりか?」
「いや……。」
愛斗は小さく首を振る。
「多分、もうその必要は無いよ。」
首を傾げる西邑と戸井だったが、愛斗には確信があった。昨日の憑子との会話から、粗黒幕の目星は付いた。
後は充分な時間的余裕を持って、その人物に迫れば良い。
但し、良い逃れの出来ない決定的な証拠が欲しい所ではあるが。
☾☾☾
放課後、愛斗は或る場所へ足早に向かう。
憑子の考えはこうだ。
『私達は前提から間違えていたのよ。覚醒剤は假藏から華藏に入って来た訳じゃない。あの二人、伊藤君と則山君が覚醒剤を華藏に齎した訳じゃない。』
つまり逆。それは憑子にとって余りにも許し難い事実だった。
『覚醒剤が元々流通していたのは華藏學園側。伊藤君と則山君は、二つの學園が繋がった事を切欠に假藏學園側の売人に仕立て上げられたに過ぎない。』
これは愛斗に尾咲求と相津諭鬼夫を通して確認させた一つの時系列から導き出された結論である。
伊藤藤之進と則山正行は假藏學園側で覚醒剤を密売していた。だが、蔓延させるには至っていなかったのだ。飽くまで、彼等が所属していたグループが覚醒剤によって勢力を拡大しようと企んでいた、それだけである。
『恐らく假藏學園でのヒエラルキーの低さから悲惨な目に遭わされていた二人にとって、薬の力に拠る立身は魅力的だったのでしょう。そこに、我が學園の不届き者がつけ込んだという訳ね。』
尤も、これだけではまだ犯人には辿り着けない。そこで、戸井の情報が重要になって来るのだ。
『何故、假藏學園のあの二人から覚醒剤が渡って来たと私達が誤認したのか。それは偏に、戸井さんが齎した情報から推測した結果よ。でも、その情報の出所を確認しなかったのは落ち度だったわね、真里君。』
「貴女だって気付いていなかったでしょう?」
『確かに不覚だったわ。脳の働きが生前と違う所為か、劫々上手く行かなくて困るわね。』
憑子曰く、今彼女は愛斗と脳を共有している。つまりこれは、彼女の愛斗への責任転嫁である。腹を立て呆れを覚えた愛斗であったが、憑子は構わず続ける。
『まあ、確かに情報の出所は二重三重にカモフラージュされていた、その様ね。でも、犯人は戸井さんの耳聡さを甘く見ていた。』
「彼女、ああいう噂好きな人のイメージと違って普通に頭良くて優秀ですからね。そういう人間が居る事まで想定出来なかったんじゃないですか?」
『そういう事ね。重要な情報を抜け目なく裏を取っておいてくれて良かったわ。生徒會にも欲しかった人材ね、脳味噌の小さな誰かさんと違って。』
先程突っ込みを受けた当て付けだろうか。愛斗は眉を顰めたが、何も言わずに受け流す。
『つまり、華藏學園で覚醒剤を使用したのは誰だったのか。その核心的な情報。勿論憶測の域を出ないけれど、それらの人物と交友のあった生徒。そしてその生徒と陰で頻繁に会っていたという教師。そしてその人物は、思い返せばこの事態を利用する事を誰よりも早く思い付いていて不思議ではない。事態が発覚したその日の内に假藏側で覚醒剤の売買が発覚したスピードも、こう考えれば納得が行く。』
愈々、話は事件の核心へと迫る。
『その教師は華藏學園と假藏學園が繋がった事を誰よりも早く知り得た人物。』
「僕は最初、あれ以来行方不明に為っている聖護院先生かと思いましたけど……。」
『でも、もう一人居るでしょう? 誰よりも早いタイミングであの祠に行く理由が出来てしまった教師がもう一人。』
愛斗はその教師の城である国語準備室の扉をノックした。中から件の教師の声がする。
「失礼します。」
扉を開けると、中で寛いでいた彼は愛斗の姿を見て瞠目した。
「真里……。お前何の用だ?」
「少し先生に相談したい事がありまして……。」
愛斗は止められない内にずけずけと準備室に足を踏み入れた。
「相談?」
「はい。覚えていますか、海山先生?」
国語教師・海山富士雄。愛斗が生徒會に入り、その活動から授業への態度が等閑になっていると彼を目の敵にしてきた教師である。
又、生徒會役員が行方不明となった当日、宿直としてその一件を愛斗から引き継いだのも彼だった。
「あの一件、結局どうなったのかとずっと気になっていまして……。」
「どうもこうも、あいつ等未だに登校していないだろう。それが全てだよ。」
素っ気無い態度だった。見るからに煩わしそうで、愛斗の相手をしたくないという心情を露骨に表情に出していた。
だが、愛斗は食い下がる。
「つまり、警察からも未だ何も?」
愛斗の問いに、海山の眉間が僅かに動いた。愛斗に理由は判っている。憑子も言っていた事だが、華藏學園は体質としてこの一件を外に漏らしたがらない、即ち警察には最初から通報していないのだ。
そしてもう一つ、海山が警察に頼らないであろうと予測出来る理由もあった。
「あ、すみません先生……。學園がこんな状態になったんじゃ、警察なんて呼べませんよね。」
「あ? ああそうだな。」
「ん? でも、假藏と繋がったのは僕が皆の行方不明を伝えた次の日ですよね?」
海山の表情に険しさが増す。一度相手に逃げ道を与え、警察に連絡していない事を白状させた上でその逃げ道を塞ぐ、というのは憑子の発案だった。
「お前、俺の事をおちょくっているのか?」
「いや、そんなつもりは……。唯僕は、この件で先生しか頼ることが出来ないんですよ。」
「だったら俺の言う事を素直に受け入れて聞き分けろ。俺が判らんと言ったら判らん、繰り返すがそれが全てだ。」
苛立ちを隠そうともしない海山は、強気に出れば愛斗は折れると踏んでいた。彼が知る愛斗は事件が起きる前の気弱な少年でしかない。しかし、今の愛斗には臆さない。更に質問を振り、攻勢に出る。
「でも、どうして警察に連絡しなかったんですか? 流石にうちの経営者一族の令嬢である會長の行方不明は捨て置けない大事件だと思うんですけど。」
「だからそれは…」
「假藏と繋がる事はあの時まだ予想だに出来なかった筈ですけど?」
海山の言葉を遮り、愛斗は事の核心に踏み込む。
「でも僕、思うんですよね……。本当に假藏と繋がったのは休み明け、月曜日の授業中だったんだろうか、って……。」
「どういう事だ?」
「假藏學園と通じているのは立ち入り禁止区域の奥にある祠だって御存じですか? 僕が思うに、その祠は日曜日には既に假藏に通じていたんじゃないかって、そう思うんですよ。」
「な、何を言っているんだ、お前?」
そう、これこそが愛斗弥憑子が犯していた最大の思い違いである。それを解く鍵は假藏學園で起こった一つの不可解な現象にあった。
「気付いていた生徒は少ないですけど、あの日の朝、既に假藏學園の生徒寮が華藏學園から見えていたんです。七十キロも離れているもう一つの學園の寮が、です。それに、假藏學園の生徒から聞きました。実は行方不明になった生徒達の内、中等部の四人は既に見付かっているんです。月曜日の朝、まだ二つの學園が教室で繋がる前の朝、假藏學園側の祠の近くで、死体となって。」
「な、何だと⁉」
愛斗の言葉に深山は慌てふためく。
「どうしてそれを早く言わない‼ 警察に通報しないんだ‼」
「それが、死体も消えてしまった様なんですよ。唯、假藏學園の生徒の証言が事実だとすると、少なくともあの日の朝には既に二つの學園を通じていた事になる。とすると、一つだけ先生が通報しなかった理由で納得の行く推測が立つ。」
海山は顔を蒼くして瞠目した。目の前の生徒が思いの外突っ込んだところまで話をするので驚いている様だ。愛斗は両目を鋭く光らせ、海山に自分の推論を突き付ける。
「先生、ひょっとして知ってたんじゃないですか? 先生は日曜日、御自身で目ぼしい所は行方不明の生徒達を捜索した。その時、合宿所の近くに在る立ち入り禁止の山道を、祠の事を調べたんじゃないですか?」
「し、調べたよ‼ お前先刻から一体何が言いたいんだ⁉」
「先生は華藏學園と假藏學園が繋がった事を前以て知った。その時、或る事を思い付いたのでしょう? 先生にとって、二つの學園が繋がったのは大きな僥倖だった……。」
愛斗は話を本丸に進める。
『さあ真里君、この不届き者を追い詰めるのよ‼』
憑子の声に背中を押され、愈々愛斗は海山の罪を暴き始めようとしていた。
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