第十四話 不都合な推理
愛する者達よ。自ら復讐せず、寧ろ神の怒りに任せよ。
何故ならば「主は仰る。復讐するは我にあり。我自身が報復する。」と書いてあるからだ。
――新約聖書『ローマ人への手紙』第十二章十九節より。
真里愛斗が目を覚ますと、つい先日と同じ天井が見えた。
「保健室……。」
「目が覚めたか、良かった。」
保険医の杉原志子が安堵の視線を愛斗に向けた。保健室を抜け出した愛斗が大怪我を負って戻って来たのは二日前、その時の傷が何か悪影響を及ぼして突然倒れたのではないか、と危惧していたのだと言う。
「良い友達を持ったな。」
「友達……。」
「先日君を保健室に連れてきた、目付きの悪い彼。倒れていた君を見付けたのはまたその子だったよ。」
杉原の言葉で、愛斗は凡その事情を察した。彼の記憶に在るのは假藏學園から帰る直前に悍ましい光景を見たのが最後だ。つまり、その時一緒に居た尾咲求と相津諭鬼夫がこっそり此方へ連れて来てくれたのだろう。
そして、華藏學園の敷地で彼を見付けたのは親友の西邑龍太郎だ。確かに、毎度彼には何かと世話になる。
「後で礼を言っておかないと……。」
「そうだね。それが良いだろう。だがまあ私としては、今日はこのまま家に帰って、明日も一日大事を取っておく事をお勧めするね。」
杉原曰く、既に愛斗の家族と担任には連絡済みだという。母親は仕事を早退して車で迎えに来るそうだ。
「有難うございます……。」
「まあ、これに懲りたら元の大人しい少年に戻ると良い。どういう使命感か知らないが、假藏との一件で無茶ばかりするようになったと君の友達から聞いたよ。一度自分を見詰め直してみる事だ。」
愛斗は改めて杉原に礼を言った。そして、帰る前に休み時間を利用して西邑にも一応声を掛けておこうと教室へ戻った。
☾☾
休み時間とはいえ、午後の短い休憩時間にしては妙に教室がざわついている。
「西邑。」
「真里、もう大丈夫なのか?」
「一応、親に迎えに来て貰う事になったよ。多分、明日はちょっと休むと思う。」
「そうか、それが良いだろうな……。」
「有難う。杉原先生に、お前が保健室に連れて行ってくれたって聞いたよ。」
「良いさ、友達だろう。」
西邑は頬から下に何処かほっとした様な、しかし眼には別の憂いが影を落としている様な、そんな相反する二つの感情を顔の上下に湛えていた。
「何かあったのか?」
「そうだな……。真里、君はもう假藏に行かない方が良いだろう。」
当然、西邑は愛斗がこの二日間何かと假藏學園側に言っているというのはお見通しだ。不良達が何処から華藏側にやって来ているのか、その情報を齎したのは他ならぬ彼である。
西邑は眉間に皺を寄せ、唯でさえ鋭い目付きを余計に厳しくして愛斗に告げる。
「君のよく知る者達が假藏學園で死体になって発見された。」
「僕のよく知る……?」
「中等部時代、君を虐めて假藏送りになったという二人だ。」
愛斗は瞠目した。假藏學園の祠で生首にされた無残な姿で発見された伊藤藤之進と則山正行の事がもう華藏側に伝わっているらしい。
「事が事だからな。私達も今日の授業は中止して順次帰宅する事になっている。君も御両親が迎えに来たら何事も無い内に帰ると良い。」
「ああ……そうするよ……。」
どうやら教室が騒然としていたのは假藏側で二人の死者が出た事が理由らしい。しかし、二人が関わっていたと云う噂の覚醒剤の話は未だ表沙汰にはなっていない。
すぐ後に、愛斗の母親が自家用車で迎えに来た為、この日は皆より一足早く帰宅した。
帰りの車の中で、愛斗は尾咲と相津にもメッセージで礼を言っておいた。二人からも安堵の言葉が返って来たので、明日休むことも伝えておいた。
☾☾☾
翌日は保険医の杉原が託した通り愛斗は学校を休んだ。
両親からも部屋で一日安静にしている様よく言い聞かされた。
「憑子會長……。」
『何?』
昼間、両親は仕事で居ないので誰に憚る事も無く愛斗は憑子と会話できる。彼女も例の如く、生前の姿を模った靄として彼の前に顕れていた。
「学校に行かない事、怒っていますか?」
『まあ良いんじゃない? 一度今ある情報を整理しておきましょう。気になる事もあるしね。』
ここまでの捜査、二度の假藏訪問から、憑子には疑問点が浮かんでいる様だった。
『やはり変なのは、あの二人の死体ね。どうしてあの二人に関してはすぐに華藏側にも情報が伝わったのかしら。』
「確かに、未だ行方不明の高等部生徒會役員や尾咲さん相津さんにしか発見されていない中等部生徒會役員と比べて妙ですね。」
『まあ華藏學園の生徒と假藏學園の不良では命の価値が違うから扱いも変わってくるのかも知れないわね。』
「憑子會長……。また当然の様に差別しますね……。」
憑子が假藏學園の不良を必要以上に蔑ろにするのは今に始まった事では無いので、愛斗は唯苦笑いするしかなかった。
『でも抑も、彼等の生首を晒した事の方が変な話よ。不良共の言うように口封じがしたいなら、バラバラにした死体はさっさと処分した方がずっと良いわ。』
「言われてみれば、あれだと凄惨な死体を見せ付けているとしか思えないですね。」
『そう。首を晒すのは普通、見せ付ける為よ。〝こいつらの様にこうなるぞ。〟そのメッセージこそ、あの生首の意味だと考えるのが自然よ。』
憑子の眼が鋭く光り、ベッドに寝る愛斗を見下ろす。
『その相手は恐らく、君よ。』
「え? 僕……なんですか?」
『だってそうでしょう? 假藏には覚醒剤を御法度と考える者も居れば、反対に利用しようとする輩も居る。つまり秘密とはいえ公然の事。態々隠す必要も、調査を妨害する理由も無いわ。假藏學園の生徒に対しては、ね。』
「成程……。でも外部の僕に対しては話が違う、と……。」
愛斗は肩に怖気を感じ、固唾を飲んだ。心に恐怖が芽生えたのだとはっきりと自覚した。
「明日以降は……慎重に動いた方が良いですね。」
『そうね。それにもう假藏學園に行く必要も無いから、これからは華藏學園側を調査しましょう。』
「どういう事ですか?」
愛斗の問いに、憑子は「そんな事も解らないのか。」と言わんばかりに溜息を吐いた。
『訊くけど、君が覚醒剤の調査をしていると知っているのは誰? 假藏の不良はあの二人と、その舎弟位でしょう。対して、華藏學園側は如何かしら?』
「あ……‼」
流石に此処まで言われれば、愛斗にも察しは付く。しかし、それは信じられない事だった。
「疑ってるんですか? 西邑と戸井の事を……。」
『別に彼等に限った事ではないわ。君が假藏學園側に二日連続で渡ったところを見た人間が他にも居たかもしれないしね。でも、これだけは確実に言えるわ。』
憑子の表情、華藏月子の貌に激しい怒りが滲む。
『この一件、黒幕は華藏學園側の人物よ。言語道断な事にね。』
愛斗の全身に途轍もない怖気が奔る。それは華藏學園内に薬の売人が居るという事実ではなく、それを察した憑子の怒りに対してのものだった。愛斗は嘗て華藏月子に対して今程恐怖を感じた事は無かった。
「もう一度、詳しい話を戸井から聞いた方が良さそうですね。」
『そうね。でも、相手も随分と間抜けな事をした物だわ。口封じに留めて死体を処分してしまえば、事は全て闇の中。假藏學園の問題で完結したでしょうに。』
「確かに、今の段階では抑も華藏に覚醒剤が入って来たというのも戸井からしか伝わっていない話ですし……。」
『昨日迄は未だ戸井さんの与太の可能性もあった。假藏は兎も角、華藏にまで来ているというのはね。でも、態々君に向けてあんな事をした以上は、十中八九華藏も覚醒剤と無関係ではない。それを自白した様な物ね。』
愛斗は憑子と話しながら、昨日見た凄惨な光景、嘗て自分を虐めていた二人の無残な死体を思い出す。そして、必然的に生徒會役員達の死体が転がっていた光景も。
皆、愛斗にとって快くない者達だった。伊藤と則山に至っては罪を犯していた、という話だ。
「でも、命を奪われ人としての尊厳を辱められる、そこまでの謂れが在ったのでしょうか……。」
『君を酷い目に遭わせた男達でしょう? 君が憐れむ義理なんて無いと思うけど?』
それはそうなのだが、愛斗の言葉には生徒會役員達の事も含まれているという事に憑子は気が付いていないのだろうか。
『話を戻すけれども、問題は華藏學園側に覚醒剤に関与している人物が居たとして、どういう形で手を汚しているのか、という事ね。それによって、絞るべき容疑者が変わってくるわ。』
「どういう形……積極的にあの二人を利用していたか、それとも受動的に何らかの理由で仕方無く……といった意味でしょうか?」
『ええ。前者なら假藏生に対しても強い立場で接することが出来る人物、後者なら逆に假藏生に弱みを持って関わった人物、という事になるわ。』
「まあ明日戸井に話を訊いてから絞り込んだ方が良さそうですね。」
現状では、余りにも情報が少な過ぎて推理には限界が在る。
しかし、一方でそうも言っていられない事情も有る。
『真里君、明日は金曜日よ。何かしらの進展が無ければ週末に突入してしまう。つまり、相手に隠蔽の余裕を与えてしまうの。唯でさえ今日休んだのは痛手だったのに、これ以上後手に回るのは避けたいわね。』
「先刻休んだのは良いって言ってたじゃないですか……。」
『仕方無いと云う話よ。それはそうとして、痛手であるというのもまた事実。』
愛斗は憑子が気分によって意見を変えるという事を既に知っていた。抑も、覚醒剤の調査を始めたのも彼女の変心からだった。
(一貫性の無い言葉に振り回される身にもなって欲しいよ……。)
不満はあったが、それを言った所でどうにかなる相手でないという事も承知していた。これまで散々皮肉をぶつけているが、一向に彼女の態度に変化は現れないからだ。
「そういえば會長、もう一つ気になる事が……。」
『何、真里君?』
「覚醒剤の話ですけど、時系列はどうなっているんでしょう? 華藏と假藏が繋がった後に覚醒剤が入って来たのか、それとも以前から出回っていたのか……。」
『どうって、そんなのタイムラグから決まって……。』
続きを言い淀み、憑子は瞠目した。
『覚醒剤は……当然假藏と繋がる前から入って来ていた……。でなければ繋がった翌日に噂になんてなる訳が無い……。でもそんな事はあの二人には不可能……。華藏と假藏は元々七十キロも離れた場所に在ったのだから……。』
憑子は何やら一人で呟いている。どうやら何かが繋がり掛け、考えを纏めている様だ。
『真里君、私達はとんでもない思い違いをしていたのかも知れないわ。』
「どういう事ですか?」
『それを確認する為に、すぐあの二人の不良にメッセージを送りなさい。内容は……。』
憑子から彼女の考えを聴かされた愛斗もまた目を瞠った。二人にとって、覚醒剤の一件は思いも掛けなかった方向に展開しようとしていた。
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