第十三話 嘗ての級友を訪ねて
裏社会とは得てして表社会以上に掟に厳しい。
――或る古い侠客の言葉より。
翌日の昼休み、真里愛斗は再び假藏學園を訪れた。
「よう、真里ちゃん。来ると思っていたぜ。」
「今日こそあの外道二人を型に嵌めようって訳だな? 得物は何が良い? 真里ちゃんの体型で使い易い奴、舎弟に用意させてるから好きなの選んでくれよな。」
予め連絡しておいた尾咲求と相津諭鬼夫が校舎裏は祠の前で愛斗を出迎え、妙なフレンドリーさで接してくる。おまけに当然の如く愛斗の為に凶器を準備している等と物騒な事を告げてきた。どうやら彼等の中で、愛斗は完全に自分の島へ薬物を持ち込んだ不届き者に血の粛清を執行する為に假藏に乗り込んで来た事になっているらしい。
「それより、気掛かりな事が有るんですが……。」
「ん、どうした?」
假藏の校舎へ案内する二人の後に続き、愛斗は疑問を投げ掛けた。
「昨日の貴方達の口振りから察するに、幾ら假藏學園が荒れた学校とはいえ覚醒剤の売買や濫用は決して許される事では無いのでしょう? それが明るみに出ている以上、伊藤と則山は假藏に平気で登校出来るとは思えないんですよ。」
尤も、普通の学校ならば発覚した時点で退学になる事請け合いであり、學園からパージするのが不良達の心証という時点で假藏の治安は完全に崩壊しているとも言える。
「ああ、その事か……。」
相津は苦虫を噛み潰した様な表情で舌打ちした。何やら余程腹に据えかねている事情がある様だ。
「うちも一枚岩じゃねえ。あいつ等の商売を歓迎している奴も居るのさ。」
「頂点を取る為に、勢力を拡大するのに薬漬けにするのは手っ取り早いからな。」
つまり、不良のグループによって考え方が異なり、容認しているグループの中に嘗ての愛斗の級友で元虐めっ子の伊藤藤之進と則山正行は所属しているという事か。
「そんな人達、喧嘩で使い物になるんですか?」
「流石真里ちゃん、その通りだ。」
「なる訳ねえんだよな。だが、唯でさえ頭悪い俺達の中でも莫迦な奴等ってのは本気でヤバくてな。」
尾咲と相津は頭脳面でも假藏の中では上澄みという事だろうか。もしそうだとすると、彼等に愛斗の話が通じるのも頷ける。假藏へ来て真っ先に二人に出会えたのは幸運だったと言うべきか。
「二年の教室はこっちだぜ。」
下駄箱の前で尾咲が案の定落書きだらけの階段を指差した。そして下駄箱といっても、殆どの生徒は上履きに履き替えていない様だ。愛斗は一人、来客用のスリッパに履き替える。
「真面目だねえ……。」
「そんな履物じゃ先を取られちまうぜ?」
「そ、そう……。」
假藏の生徒は皆、突発の喧嘩ありきで物事を考えているらしい。
色々な面で垣間見える別世界に、愛斗はかなり引き気味だった。そこで、逃げるように話題を変える。
「ところで、伊藤と則山の教室は分かりますか?」
「いや、知らねえ。」
「俺らは三年だからな。」
尤もな話ではある。部活で共に過ごしている等、特別関わる事も無ければ他学年の生徒が何組だなどという情報に深入りはしないだろう。
だが、尾咲と相津には有力な不良としての顔の広さがある。
「舎弟に訊いてやるよ。」
「そいつらが武器も用意している筈だ。」
二人には暴力で支配する舎弟が同級生から後輩まで何人も居る。その伝手を頼るらしい。
しかし、ここで愛斗にとって予想外の再会が待ち受けていた。
「おい、てめえら待ちやがれ‼」
階段を上り切った三人の背後から愛斗にとって聞き覚えのある声が掛かった。
振り向くと、そこには二日前に愛斗が揉めた有力不良の一人、紫風呂来羽が息を切らして立っていた。愛斗の攻撃が掠った鼻が折れたのか、顔に包帯を巻き更に鼻を固めている。
「ゲッ……‼」
「真里ちゃん、拙いぞ……。」
尾咲と相津は何故か及び腰だった。それは畏れているというより、面倒な人間に出くわしたといった反応だった。
「真里愛斗……! こんなに早く会えるとは、しかも假藏に自ら乗り込んで来てくれるとは思ってもいなかったぜ……‼」
紫風呂は両目を血走らせ、速い足取りで愛斗に迫って来る。尾咲と相津が一緒とはいえ、今の愛斗自身には何かあった時に自衛の手段が無い。両肩を掴まれた瞬間、愛斗は獰猛な肉食獣に狙いを定められた草食獣の気分が解った気がした。
だが、紫風呂の口から出た言葉は意外な物だった。
「真里よォ……。てめえ、責任取ってくれよ……! てめえに殺され掛けてから俺は……俺は……その女みてえな顔を思い出す度に背筋から股間にゾクゾクしたもんが走り抜けて……! 昨日なんかお前を御菜に十回は抜いちまったんだ……‼」
「え、ええ……?」
余りにも斜め上の、予想外の告白に愛斗の表情は別の意味で強張った。
「昨日から様子がおかしいって話は本当だったらしいな。」
「昼でフケちまったのは千摺ぶっ扱く為だったのか……。」
愛斗はオイルの切れた駆動系の様にぎこちない動きで尾咲と相津の方へ視線を送る。二人は心底からの同情の眼を返す許りで、助けてくれる様子は無い。
「あの、僕をどうするつもり……なの?」
「違えんだよ! 俺はそっちの趣味はねえんだ‼ ねえ筈なんだよ‼ それに、どうこうするのは俺じゃねえ‼」
「は……?」
紫風呂の呼吸はどんどん荒く為っている。傍から見れば完全に愛斗を犯して手籠めにしようとしている様にしか見えないが、彼がその口から発した劣情は更に斜め上だった。
「俺は昨日、いや一昨日からずっと、お前に色んな事をされて弄ばれる妄想が止まんねえんだよ‼ その女みてえな顔で、本気の殺意の籠った眼で睨まれて、俺はもうすっかり狂わされちまった‼ 俺はお前に滅茶苦茶にされたいんだあああああっっ‼」
「ふ、ふざけないで‼」
愛斗は思わず両手で紫風呂の身体を押した。物凄い力で痛い程愛斗の両肩を握っていた筈の紫風呂は驚く程あっさりと勢いよく愛斗に突き飛ばされた。
「あっ、そっち階段……。」
「あっ……。」
「あいつ死んだか?」
「ええっ⁉ ちょっ‼」
『あーあ……。』
紫風呂は階段を踊り場まで転がり落ちて行った。
勿論愛斗に悪意は無く、これは不幸な事故である。
しかし、紫風呂は頭を階段の角にぶつけていた。
「お、お前また俺の事を……殺そうと……‼」
「いや、違う違う違う‼ 逆に何でそんな体してる癖に僕なんかの腕だけで押されたの⁉」
『君、もしかして忘れたの?』
愛斗の脳内で憑子が呆れた様に溜息を響かせた。
『今、君の身体能力は私の分と合わせて二人分になっているのよ。膂力は筋肉の断面積に、体重は体積に比例する。君と私の体重が夫々五十キロで同じ膂力だとすると、君の丁度倍になった膂力は今、体重にすると一四一キロの巨漢に匹敵するの。』
「う、嘘でしょ……?」
『人間二人分の力って結構とんでもないのよ。』
愛斗は忘れていた訳ではない。唯、自分の力が予想を超えていただけだ。
恐る恐る階段の下、踊り場を覗き込んでみると、幸い紫風呂の意識は在る様だ。
「嗚呼、頭が昏々する……。まるで夢見心地だぁ……! 堪らねえ……。やっぱお前、堪らねえよぉ……。」
紫風呂は恍惚した眼で困惑する愛斗を見上げていた。そしてそのまま意識を失った様だ。
「やっぱ真里ちゃん、やべー奴だわ。」
「油断してると俺達も殺されたりしてな……。」
「違いますからね‼ どう考えてもヤバいのはあっちでしょ‼」
とは言いつつ、愛斗は階段を駆け下りた。伸びている紫風呂の様子を窺い、息がある事を確認して一先ず安堵したが、このまま放って置く訳にもいかない。
「兎に角、介抱してあげないと……。」
「何? 介錯?」
「怖え、全く容赦がねえぜ……。」
「違うって‼ 僕を何だと思ってるんですか‼」
困り果てた愛斗の叫びに、尾咲と相津は互いの顔を見合わせて、真顔を並べて愛斗に向ける。
「十キロ二メートルのシャフトを人の頭にフルスイングする人殺し上等の狂人。」
「その直前には窓硝子に頭から突っ込んだって聞くぜ。覚悟決まり過ぎだろ。」
「畏怖るよな、流石に。」
「ああ、畏怖る。」
二人に事実のみを列挙された愛斗は反論する言葉を失った。
『確かにあれには私も畏怖ったわね。そこで伸びている彼が錯乱するのも宜なる事じゃないかしら。』
「て言うか、そんな事より早く人を呼んで安静に保健室なりまで運ばないと……。」
意識を失った紫風呂の身体を下手に動かすのは良くないだろう。これは正に緊急事態。
しかし、尾咲も相津も周囲の生徒達も非常に落ち着いている。
彼らの許に、これまた愛斗にとって見覚えのある不良二人が担架を持って駆け寄って来た。
「紫風呂君は?」
「あっちだよ。早く連れて行きな。」
この二人、愛斗と揉め事を起こした紫風呂の舎弟達である。
彼等は慣れた動きで紫風呂を担架に乗せ、階段を降りて行った。
「何だか凄く淡々と処理されましたけど……。」
「假藏じゃこんなの日常茶飯事だからな。」
「舎弟は敗けた大将を保健室へ連れて行く事が多いのさ。」
昨日といい今日といい、愛斗は假藏學園という余りに自分達と違う世界に困惑しっ放しだった。
「僕、あいつ等と上手く話せるか自信無くなってきましたよ……。」
「まあ、大丈夫だろ。真里ちゃんは假藏に交じっても充分ぶっ飛んでる側だしな。」
「人殺しに躊躇いの無い奴なんて假藏でも殆ど居ねえよ。」
完全に頭のおかしな人間扱いされている愛斗は極めて心外に思ったが、事実をベースに話されているので何も言い返せない。
「さ、行こうぜ。」
「真里ちゃんは昼休み終わり迄しかこっちに居れないだろ?」
尾咲と相津の先導で、愛斗は二年の教室がある二階の廊下を歩いて行った。
「うわっ⁉ 紫風呂君夢精してやがる‼」
「マジかよ最悪だぜ‼」
階の下から紫風呂の舎弟の悲鳴が聞こえてきたが、最悪な気分になったのは愛斗の方である。
「あの様子じゃもう紫風呂に假藏の頂点取るのは無理だな。」
「俺達も真里ちゃんに足下掬われねえように気を付けねえとな。」
「いや、あいつがおかしいだけでしょ……?」
まるで紫風呂を再起不能にしたのが全て自分の所為であるかの如き言い草に愛斗は頭に来た。確かにシャフトを振るったのはやり過ぎだったかも知れないが、今日の一件は完全に貰い事故の様な物だ。
『真里君、余り他人の性的な事を変な風に言うのは良くないわ。彼だって色々悩んだ筈よ。』
「どんな事情が有れその気が無い人間に無理矢理迫るのはおかしいでしょ‼」
場違いな憑子の忠告に愛斗はうんざりして思わず大声を上げた。
すると尾咲と相津が同時に立ち止まったので、不審に思われたのかと思い愛斗に焦りが込み上げる。
憑子との会話は覚醒剤による幻覚だと誤解の元になると、既に経験していたからだ。
「真里ちゃんは一寸待ってな。この教室に俺の舎弟が居るから訊いて来てやるよ。」
尾咲が愛斗と相津を置いて教室へと我が物顔で入って行った。頂点を狙う有力な不良の登場に教室がどよめいている。
「何⁉ おいおいそりゃマジかよ……。」
何やら尾咲が教室の中で意外な答えを聞いたらしく、困ったといった様子で愛斗達の元へ帰って来た。
「奴等の教室は判ったか、尾咲?」
「いや、判ったんだがよ相津……。此処だってよ。」
「おお、凄い偶然じゃないですか! 手間が省ける!」
思わぬ僥倖に愛斗は声を弾ませたが、尾咲は何やら申し訳なさそうにしている。
「それがよ、伊藤と則山は今日揃って休みだそうだ。」
「え、そんな……?」
「多分、薬の件が何か拙い方向に行ったんじゃねえか?」
愛斗の操作に一気に暗雲が立ち込めた気がした。このまま二人が登校しなければ、覚醒剤の捜査は手掛かりを失ってしまう。
「どうしましょう……?」
『未だ判らないわ。明日また来るのよ。』
「はい……。」
どうやら憑子に諦めるつもりは無いらしい。
しかし、今日はこれ以上長居しても意味は無いので、愛斗は華藏學園に戻る事を尾咲と相津に伝えた。
「一応、寝覚めが悪いので紫風呂君の容態が快復したら教えてください。」
「応、真里ちゃんが心配してたって伝えといてやるよ。」
「紫風呂の奴、喜んでまた漏らすんじゃねえか?」
碌でもない雑談を交わしながら、三人は校舎裏の祠の前までやって来た。
このまままた華藏學園側に戻るだけだ。――愛斗はそう考え油断し切っていた。
しかし、惨劇は再び突然に三人の前でそのヴェールを脱いだ。
「おい‼ あれって‼」
「あの二人……‼」
来た時は無かった筈の、生首が二つ祠の上に置かれていた。
「伊藤……則山……‼」
その二人こそは愛斗が尋ねようとしていた嘗ての級友その人達だった。
嘗ての因縁の相手二人は、今余りにも無残な姿となって再び愛斗の前にその顔を晒した。
「口を……封じられたのか……?」
「それにしちゃやり過ぎだぜ……こんなの……。」
愛斗は目の前が真っ暗になっていくのを感じた。そして平衡感覚を失い、朦朧とした意識の中で自分が倒れた事だけ朧気に記憶に残していた。
☾
愛斗はショックだったのか、その場に倒れてしまった。
尾咲と相津は二人顔を見合わせる。
「どうする?」
「どうって、取り敢えず仕方ねえから、華藏に送り届けてやるしかねだろ。」
「気が乗らねえな、あの祠を使うのか。校舎の前まで運んでやりゃ、後は華藏側で何とかするだろ。」
二人は意見を一致させ、取り敢えず愛斗の身体を担いで祠の観音開きを開放した。
「それにしてもよ、相津……。」
「何だよ、尾咲?」
「いや、こうして真里ちゃんの寝顔見てるとよ……。その、何かさ……。」
「応、俺も多分同じ事考えてるよ。」
二人は闇に包まれる直前まで愛斗の顔を見詰めていた。
「一寸紫風呂の気持ち解るよな?」
「普通にイケる可愛い顔だよな、真里ちゃん。」
どうやら愛斗に危機を齎し得るのは紫風呂だけではなさそうだ。
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