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殺して

「ええ、すみません、昨日の入学式で人が多かったせいか、ちょっと疲れたみたいで」



 おばが申し訳なさそうな表情と声音を作って受話器の向こうの誰かと話すのを、怒りに震えながら舞は聞いていた。


「本当にすみません。授業初日なのに……。ええ。そうですね。よろしくお願いします。今日は休ませますので。ええ、落ち着けば明日には……、はい。はい」



 嘘だ。

 本当は、瑠花が牛乳を舞にわざとかけたからだ。おかげで1枚しかない制服が汚れてしまった。


 掴みかかって嘘だと叫びたい衝動に駆られる。


 けれどそんな事をすれば、『情緒不安定で精神的な障害が疑われる』というおじの言い分をさらに強めてしまうだけ。


 それが分かっているから、舞は無言でキッチンへと向かった。


 この4年間どこへ行くにも必ず誰かが一緒で、そのほとんどがおばの(みやび)とその娘の瑠花だ。

 髪を切りたいと言えば3人で、幼馴染の誕生会には瑠花が。


 もともとあまり出しゃばって話すほうではなかったが、社交的で明るい2人、それもあまり良い関係を築いていない相手が一緒となれば、必然、舞の存在は薄れてあとには暗い印象だけが残る事になる。



 また外出のさいおばや瑠花が一緒に行けないときは、おじか朗司が代わりとなるが、舞にはそれだけは絶対に耐えられなかった。



 初めて朗司に連れられて外出したさいには、ずっと手を握られ、挙げ句抱き上げられたりもした。

 さらに抱き締められた時には、気持ち悪いと大声を上げてしまいさえした。


 そんな事があって以来、朗司は舞のそばに寄らないようにしているようだし、舞もけして2人きりにならないように気をつけている。



 だが1番ひどいのはおじといるときだ。

 おじは一緒に出かけると、会う人に必ず「かわいそうな子で」「ああやって引きこもってばかりなんですよ」とやる。

 いつのまにか周囲は舞を『家族を失って精神的におかしくなってしまった子ども』として見るようになった。



 最初の舞の対応も良くなかった。



 通夜の晩、『これからは一緒に住もう』と言うおじの言葉にヒステリックになって叫んでしまったから。

 そのせいで、その場にいた大人達には「かわいそうな子ども」の烙印を押されてしまった。


 実際には、周囲にはこのときは家族を一度に亡くしたためだと受け取られていたのが、その後のおじのそれとない印象操作により、舞はおかしくなってしまったと思われている。

 あれ以来ずっと回復していない、と。


 常識人の笑顔の下で、親切な一族の長のような顔の下で、おじはさりげなく舞を貶めていた。




 今では、舞はどうしても必要に迫られたのでない限り外へ出ないようにしている。


 月に1、2度、おばに連れられて瑠花と3人で美容院に行ったり、洋服を買いに行ったりすることはあっても。

 もうそれだけで十分だという気がした。



 おじについては以前から嫌いだった事もあるが、何より近くにいるときのこちらへ向けられる気配が攻撃的で刺々しくて耐えられない。

 その上、何かあるとすぐに物を叩いたりして人を脅すような大きな音を立てるので、舞はその度に恐怖で飛び上がった。


 ぶたれたり、つねられたりという事はない。

 ただ延々否定され続ける。なぜそんな事を言うのか、なぜそんな言葉を選んで使うのか、と思うような言葉遣いで。


 それに加えて声音、声色というものもあった。

 脅しをかけるような声の調子、あからさまに拒絶していると言いたげな声の調子、お前と話すのは不愉快だと、価値がないくせにと蔑み、嫌いだと、嫌われて当然なのだと伝えてくる声。



 親戚や近所の人たちは、そんなおじを地元の名士のように扱う。



 不動産をいくつも持ち、アパートやマンションなどの賃貸物件から入る収入のほか、いくつかの会社のオーナーでもある。外面もいい。

 そんな人間を悪く言い、正面から物を言うような人間など誰もいなかった。


 味方はいない。


 敵しかいない。


 神経を尖らせ、周囲を睨みつける舞の姿は、おじが周りにそう見せたい精神を病んだ姿として周りの目に映る。

 けれど舞にはどうしようもなかった。


 ただの子どもが、大人にどう対抗のしようがあるだろう。

 ただの子どもが、世間の仕組みをどうやって知り、利用できるだろう。


 舞は大人の思惑に対抗するにはあまりに普通の子どもであったし、それまであまりに愛され、穏やかに平和に生きすぎていた。


 世の中には悪としか形容のしようがないものが存在する事。

 自身が守るべき相手を利用して貪ることしか考えないものが存在する事。

 そして周囲を味方につけ、善良さの皮を被って他者をいいように使い貶めるものが存在する事など想像もした事がなかったのだ。



 舞の世界には味方などいなかった。


 だから舞は、おばが嘘をついて学校を休む事になってもどうする事もできなかった。


 昨日の入学式はおじが保護者として同行した。

 その帰り、車の中でおじに威圧され続け、言外に『お前は愚かだ』『狂っている』『何の役にも立たない』『仕方がないから面倒を見ている』と脅され続けるうち、気力はすでに尽きてしまっている。


 今はただ、とにかく1人になりたかった。




 キッチンからこっそりパンと飲み物を持って2階の自室に入る。


 汚れた制服を脱いで着替えると、自分がとても惨めに感じられた。

 どうしようもなく1人で、どうしようもなく見放されている、そんな気がした。舞は机にしがみつくようにして座り込んだ。


 時々こうして突然感情が襲いかかってくる事がある。

 舞は無言でしゃがみ込んだまま、自分への嫌悪感に対抗し続けた。


 気持ち悪い、吐き気がする、もう生きている価値がない、世界にわたしなんて必要ない。頭の中に唐突な言葉やまとまりのない言葉がぐるぐると渦巻いて浮かんでくる。



 誰も助けてくれない。



 ただそれだけが事実だった。


 だから言葉にしない。助けて、とも、気持ち悪い、とも。

 泣いたりもしない。どうにもならないから。

 けれど。



 殺して。



 舞は心の中でつぶやく。

 周りの何かに当たり散らしても仕方がない。だからただじっとうずくまり、心の中でつぶやく。


 殺して。


 あいつを。あいつらを。


 殺して。


 殺して。





 ───────あたしを、





 殺して。











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