特別なアンパン
本日は2話投稿しております。こちらは2話目です。
朗司には5才下の妹と、同じ5才下の妹みたいな女の子が1人ずついる。
妹は派手目な美人の母親似ですでに美少女だし、妹みたいな子のほうは、ちっちゃくて可愛らしい美少女……ちょっと小さめだが間違いなく美少女だ。
しかもこの美少女、めちゃくちゃ大人しくてめちゃくちゃ保護欲をそそる愛らしさなのである。
そんな美少女に嫌われたのは、それなりに痛手ではあった。
あんまり可愛いので、誘拐されたりしないようずっと手を握り、話しかけたときの返答の健気さに感動して抱っこしてギュッとしたら、『気持ち悪い!』と叫ばれてしまったのだ。
そのときからひどく嫌われている自覚はある。
悲しくはあるが仕方がない事でもあるので、母と妹に事情を話して『自分が一緒だと負担になるかもしれない』と伝えたところ、母には呆れられ、妹には何発も殴られた。
舞の可愛さに感動してしまったのは、絶対この凶暴な妹のせいだと朗司は考えている。
なにしろ、記憶のある限り1度も実の妹を可愛いと感じた事がない。
赤ん坊の頃はサルのような見た目で、顔のつくりがしっかりして可愛らしい見た目になってきた頃には、すでにあの性格の片鱗を見せていた。
母が瑠花を怒鳴ったりぶったりして躾けているのを見るたび、もっと厳しくしたほうがいいといつも思う。
なぜ自分までぶたれるのかは分からないが。
母に言わせれば、朗司も瑠花も、人の話をきかないという点ではとてもよく似ているらしい。
そして母方の祖母に言わせれば、2人とも母の子どもの頃に非常によく似ているそうだ。
正直、母に似ていると言われても何も感じない。
そういうものか、と思うだけだ。親子だしな、と。
だが、父に似ていると言われない事だけは心の底から嬉しいと感じる。
朗司には小学校入学前からの親友がいた。
朗司は私立の小学校を受験し、同じ学校に通う事はできなかったが、学校から帰ったあとや習い事のあとは毎日夕方までいつもの仲間と一緒に遊んで過ごした。
ある日、突然いなくなってしまうまでは。
理由は父親の店が上手くいかなくなったから。
その店舗の跡地を、周辺の土地とともに朗司の父が手に入れた後、一帯が新興住宅地として開発され始めたのを知り、なぜ上手くいかなかったのか、誰が邪魔をしたのか、朗司には分かった気がした。
当時は子どもだったため、知ることができる範囲は限られていたが、今ではほぼ間違いがないと考えている。
自分と父は、とてもよく似ていると朗司は思う。
違っているのは、父が自分の利益を得る事が何より最優先で、法に触れなければいいとばかりに犯罪スレスレのこともするのに対し、朗司は『自分』に含めるものの定義が広いこと、そして守るべき基準が法律だけではないことだ。
それは母の雅のおかげであると思う。
朗司の母はキツい性格と物言いをするが、けして悪人ではない。むしろ、独りよがりではあるが正義感が強いほうだと言っていいだろう。
山門家に舞が1人残されたとき、引っ越しをしてでも一緒に暮らすと言ったのは母だ。
親戚とはいえ、母と舞に血のつながりはない。
舞を引き取って畠中の家で暮らすつもりだった父親は反対した。
子どもの我儘で生活のスタイルが変わるのをよしとしなかったためだろう。
だが母は、父の言葉を聞かず瑠花の転校手続きを済ませ、朗司も一緒に山門へと引っ越す。
父は激怒し、今では半ば別居状態となってしまったが、父と一緒に暮らしていた頃からすると、母はいくらか落ち着いた。母方の親族も、『最近なんだか落ち着いたようだ』と笑っていた。
2人は見合い結婚だが、祖母は『あんな男に嫁がせてしまった』とよく口にする。
昔は、『子どもの前でそんな事を言わないで』と母とよく口げんかになっていたが、最近では母もそれを言われると考え込むようになった。
離れて暮らす事で冷静になれたのだろうと祖母は言う。
だが朗司はそれだけではない気がしていた。
父のあの脅して威圧するような、支配的な空気。知らず、母も自分たちも萎縮し、洗脳されていたのかもしれないと思う。
そしてこの数年はその矛先が舞1人に向かい、あの弱々しい小さな体で盾になっていたのかもしれない、と。
朗司の舞に対する感情は、同情だけでは言い表せない複雑なものがある。
そしてその中には、確かに尊敬に近い思いがあった。
朗司の周囲には善良な人物がたくさんいる。
いなくなった親友もその中の1人だった。
そんな彼らが今の朗司を形作っている。
彼の世界を彩り、回しているたくさんの大切。
母の不器用な良心。
それらを幸せにしたいと思う。
そしてそれらをおそらく愛することができない父と埋められない距離ができ、心がずっと冷えたままでいることを、朗司はどうにかしたいとすら感じないのだった。
「ちょっとお兄ちゃん、これ持ってよ」
「ダメだ。そのくらい自分で持て」
「ケチ。あ、次のお店でお米買ったら、お兄ちゃんそれ持って先帰っていいよ」
「何言ってるんだ?」
「あたしと舞ちゃんは麦ちゃんのとこ寄って帰るから」
「ダメに決まってるだろう」
「ダメじゃないよ、邪魔だから帰っていいって」
「一緒に帰るんだよ。それとも俺がいるとまずいのか?」
「舞ちゃんといちごデニッシュ食べて帰るの」
「いちごデニッシュか。そういえばそろそろ腹が減ったな」
「いいから先帰ってよ!」
「ダメだ」
「帰ってってば! もう!」
舞は2人の会話を聞きながら、兄と妹ってこんな感じなのかな、と考えていた。
今日は朗司は荷物を両手に持っているため、2人のどちらとも手を繋ごうとしない。
代わりに、舞と瑠花に手を繋ぐよう口うるさく言い、さらに自分のそばから離れないよう命じている。
気がつくと些細なことで言い争っている瑠花と朗司と一緒にいるのは、意外なことに舞にとってそれほど嫌なことではなかった。
パン屋に入ると、麦穂の父がまず声を上げた。
「瑠花ちゃん! 舞ちゃん! 大丈夫だったのか!? おい、佐奈江、2人が来たぞ!」
2階からバタバタと降りてきたのは麦穂の母だ。
「2人とも無事だったの!?」
「はい、おかげで元気です!」
「良かったわ。舞ちゃんも、怪我はない?」
「はい。ありがとうございます……」
「良かった。本当に良かったわ、2人とも無事で……。麦穂は習い事に行ってるけど、上がっていってちょうだい」
「ありがとう、おばさん。でも今日はお兄ちゃんも一緒だし、荷物も多いから。今度、麦ちゃんのいるときに来ますね」
「そう。必ず来てね。麦穂も喜ぶわ」
「はい!」
麦穂の母と瑠花がそんな会話をしているそばで、朗司は目当ての食パンをトレイに乗せる。
それを見ていた麦穂の父が朗司に声をかけた。
「君も大変だったな。今日は店のおごりだよ、いくつかパン持っていきな」
「いえ、それは申し訳ないです」
「いいんだよ。いつも買ってもらってるしな。君は何か好きなのあるかな?」
「……じゃあ、アンパンを」
「アンパンね。うちのは餡がたっぷりで、中にホイップクリームも一緒に入っててね、ちょっと変わってるんだよ。食べたことあるかい?」
「はい、ここのもありますけど、昔、畠中のほうにあったパン屋さんで……」
「畠中……ああ、そっか……」
麦穂の父は若い頃、隣の市の大きなホテルの製パン部門で修行していた。
その頃の仲間が先に独立して畠中でパン屋をやり始めたが、妻に出て行かれ、その後経営に失敗、逃げるように町を出て行ってしまい、今ではどこでどうしているのかも分からない。
一度しか行った事がないが、確かあの店でもこのホイップクリームの入ったアンパンを作っていた。
「母が、こっちに引っ越してきてすぐ買ってきてくれたんです。僕が、このアンパン好きだったのを覚えてて」
「そうか……。君のお母さんに紹介してもらったって言ってくるお客さんがね、本当によく買いに来てくれるんだよ。そっかあ……。みんな、あいつのこと覚えててくれたのかなあ……」
そう言って麦穂の父は小さく笑う。
その後ろで話を聞いていた佐奈江は、何も言わず、ただ黙っていちごデニッシュ3つとアンパン3つをトレイに乗せた。




