ともだち
本日は2話投稿しております。こちらは2話目です。
土曜日、今日は寒くなるからと、おばに昼間のうちに石油ストーブを出しておくように言われた。
舞は先月仕舞ったばかりのストーブを出してきて火をつける。
石油ストーブは暖かくなるのが早い。
しばらくぼんやりと温まっていると、おばが台所で呼ぶ声がした。行ってみると、食事の支度を手伝うように言われる。
おばは悪い人ではないのだろうが、とにかくものの言い方がきつく、しじゅうイライラしていた。
あのおじの妻なのだと思えば気を許せるはずもなく、そして気を許すほど好意的になれる相手でもない。
小言の多い人で、できるならあまり近くにはいたくない人物であった。
台所でおばを手伝っていると瑠花が帰ってきた。
舞は、着替えてきて瑠花と一緒に買い物に行ってくるよう言われる。
本当は朝から家事を手伝い続けたため、少し休みたかった。おばのそばにいるだけで神経をすり減らし、だいぶ疲れている。
だがそんな事を言おうものならまた嫌な思いをするのは分かりきっていたため、舞は大人しく従った。
瑠花は校則で休日でも制服と学校指定のコートを着ており、今日もとても可愛らしい。
舞は地味な制服をその隣で着ずに済んだ事にホッとしながら、少しでもきちんとして見えるよう、温かいワンピースとコートを羽織って外へ出た。
買い物の品は牛乳と明日のパンだ。
牛乳はどこにでも売っている有名メーカーのものだが、パンは商店街にあるパン屋のものといつも決まっている。
そこは舞の幼馴染の家で、おばは山門に越してきてからパンは必ずここのものを買うようになった。
友人や親戚たちにも美味しいと褒めちぎって勧めるため、固定客が増えたらしい。
おばと一緒に立ち寄ると、幼馴染の両親が出てきて立ち話が始まる事も多く、大人たちのその楽しげな様子や笑い声が、舞にはどうしようもなく不快だった。
おばの隣でうつむいて黙り込んでいると、それもまた舞の不利になるのだ。
「こんにちはーー」
瑠花と一緒にパン屋の中に入ると、瑠花は明るく笑いながら店の奥に声をかけた。
「瑠花ちゃんか。いらっしゃい、よく来たね。今日もいつもの?」
「はい、いつもの食パンと、あと明日の朝食べるクロワッサンをお願いします」
「了解、ちょっと待ってな。ああ舞ちゃんも、いらっしゃい」
そして2階に呼びかける。
「おおい、麦穂ーー、瑠花ちゃんたち来てるぞーー」
パタパタパタ、と軽い足音が聞こえて、階段から丸顔で優しげな顔立ちの少女が顔を覗かせる。
「瑠花ちゃん? あ、舞ちゃんも」
「久しぶり、麦ちゃん。卒業式以来だよね。元気だった? 新しい学校どう?」
「うん、元気元気。あのね、聞いて実はね、すっごくカッコいい子がいたの、うちの学校。写真撮ったから見せたげる。ちょっと待ってて!」
そう言うと2階に引っ込んで、またすぐ戻ってきた。手にはスマホがある。
「これこれ、この子。双子なんだって。一緒のクラスなの」
「うっそ、すっごいカッコいい。誰? 名前なんていうの?」
「扇修くん。隣のキレイな子が双子の妹で紗羅ちゃん。紗羅ちゃんは別のクラスなんだ」
「いいなあ、あたし女子校だから、男の子がいないんだよね。ねえ、紹介して?」
「うーーん、難しいかも。最近は3年の生徒会の人とよく一緒にいて、このまま生徒会入りするんじゃないかって話だし、そうすると忙しくなっちゃうでしょ?」
けして、人嫌いで誰も友達になれないからだとは口にしない。
瑠花は派手なタイプの美人で愛想も良く人気もある。対して麦穂はごく普通だ。
それなりに友達も多いし、可愛いと言ってはもらえるが、瑠花のようによそのクラスの子からも人気があったわけではない。そんな彼女に自慢できる事が1つくらいあってもいい、そんなふうに感じてついごまかした。
「生徒会? ますますカッコいいなあ。ねえねえ麦ちゃん、どうにかならない?」
「無理だよ、体育のとき見てたけど、運動神経もすごいの。生徒会に入らないなら運動部が取り合いになると思う。だから他の学校の子に紹介するのは難しいんじゃないかな」
「ええーー残念」
残念、と口にする瑠花に、強引な理屈を適当に言った自覚のある麦穂はそばにいた舞に話しかける。
そもそも、瑠花もそこまで本気で言っているわけではない事は麦穂も分かっていた。彼女が会いたいのは別の人物なのだ。
「舞ちゃんも久しぶり、元気だった? 新しいクラスどう? 違っちゃったせいか全然会わないよね」
「麦ちゃん、麦ちゃん」
「え?」
瑠花は麦穂の腕を掴んで顔を寄せ、声をひそめる。
「……舞ちゃん、入学式しか行ってないの……」
「え!? そうなの!?」
「うん……でね、今日は麦ちゃんが前に教えてくれた、舞ちゃんが好きないちごデニッシュ買って行こうと思って。家に帰る前にこっそり食べるから、あたしと舞ちゃんの分、特別美味しそうなの麦ちゃん選んで?」
少し悲し気な表情で瑠花に頼まれて、麦穂は舞い上がりそうなほど嬉しくなった。
顔を紅潮させて張り切って答える。
「任せて!」
「ありがとう、麦ちゃん」
話している内容は舞には聞こえない。けれど笑い合う2人に、舞は吐き気がするほど腹が立った。
ねえ麦ちゃん、麦ちゃんはあたしの友達じゃなかったの?
ずっと一緒に音楽教室行ってたじゃない。
その子、すっごく嫌な子なんだよ、あたしの味方になってくれないの?
休みたくて休んでるんじゃないの。制服に牛乳かけられたの。朝、おばさんに具合が悪そうだって言われて休むしかなくなるの。
ずっと言いたくて仕方がない言葉が胸の中でぐるぐる渦巻く。
けれど言ってもどうしようもない事は分かっていた。ずっとそうだったから。誰も信じてくれないから。
悔しくて涙が滲んでくるのをぐっとこらえた。
麦穂が楽しげにパンの代金を計算する。
いちごデニッシュは別会計だ。
袋も別にして、麦穂は温かいペットボトルの紅茶を2つ、親に頼んでサービスでつけてもらった。
瑠花がお礼を言って支払いを済ませ、品物を受け取ると、麦穂の両親がやってきた。
「瑠花ちゃん、いつもありがとうね。お母さんにもよろしく伝えて」
「はい、おばさん」
「うちのは瑠花ちゃんみたいに頭が良くないからな、私立なんて入れないけどこれからも仲良くしてやってな」
「そんな、おじさん。麦ちゃんって可愛いし、頼りになるんですよ。すっごくしっかりしてるし」
「そうかい?」
あははは、とひとしきり笑ったあと、麦穂の父の視線が舞に向けられる。
「舞ちゃんも早く元気になってな。こうやってみんな心配してるんだから」
舞はうつむいて答えない。答えたのは瑠花だ。
「大丈夫ですよ、おじさん。おじさんのパン、美味しくて元気でるから!」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるねえ」
続く笑い声に、舞の中で限界がきた。
「嘘ばっかり! 嘘ばっかり、嘘ばっかり、嘘ばっかり!」
客も含めたその場の全員がギョッとして舞を見る。だがもう止まらなかった。
「学校行けないようにしたくせに! あんた達みんな最低! 大っ嫌い!」
言葉がうまく出てこない。
言ってやりたい事はたくさんあるのに、もっとうまく言えるはずなのに、舞の口から出るのは混乱した言葉ばかりだ。
どうして助けてくれないのか。
どうして瑠花のような嫌な子やその家族が人気があって受け入れられているのか。
苦しくて苦しくて仕方がないのに、みんな舞から離れていくのだ。
言うべきではなかった。けれどもう遅い。
気がつくと、店内は静まりかえって誰もが怖しい、厭わしいものを見る目で舞を見つめていた。
『かわいそうな子ども』
『弱い子ども』
『いつまでも甘えた子ども』
『こんなに良い人たちなのに』
『こんなに良くしてもらっているのに』
向けられる視線の中にそんな声が聞こえてきそうで、舞は唇を噛んで店を飛び出した。




