俺はずっと気になっていた。
そういえばアッシュ君は生死に関わらなければ自分だけの事になるとあまり頓着しなくなります。
最初からと言う訳ではなく、クランでのブラックな扱いが原因で歪まされているんです。
とはいえカールマンが居たからまだ矯正可能な程度に収まってますけどね。
手を握った俺は、それだけで背筋に先程とは違う寒気を走らせた。
(何だよこれ? 本当に人の手の感触なのか?)
あまりにも細やかで気持ち良い手触りは、メリッサから洗濯をやっておけと押し付けられた高級シルクの下着(変な真似したら殺すと脅され済み)やアンジェリカの神官のものとは考え付かないだろう扇情的という言葉でも余るこれまた高級シルクの下着(思い出したくも無い卑猥な煽り文句付き)が安物の襤褸麻だったのではないかと思わせるぐらい気持ちいいものであり、下世話な事だがこの感触だけで娼婦の世話になる必要はなくなりそうだとさえ思えた。
いや、俺は別に女の手が特別好きな訳ではないぞ?
触るなら胸とか尻とかそっちの方が…って、そんな事を考えている場合じゃねえだろ。
沸きかけた思考を叩き直していると、エリシールは気付いた様子もなく静かに告げる。
「参ります。
貴方に『貸付』られた『回復』を『払戻』ます」
そう告げた直後、久しぶりに頭の中を警告が過る。
『対象にはまだ『利息』が発生していません。
『払戻』を受け入れますか?』
その警告にあの記憶が幻覚の類では無かったのだと理解しつつ、同時に自分でも知らない『スキル』の使い方をどうして彼女が知っているのか疑念が湧き上がる。
だが今それを問える状況ではないと思い直し、俺は承認の意志を示す。
「『払戻』を受け入れる」
すると、『譲渡』の頃と同じ様に欠けていた何かがカチリと嵌るような独特の感覚が胸を過ぎった。
「これで納得出来ましたね?」
「ああ」
握った手を離すエリシールに首肯し、ふと横のブリギッド王女の見る目が変わっていることに気付く。
「本当に…?」
表情にこそ変化は殆どないが、その目には何故か隠し切れない期待が見えた。
「…あの?」
「っ!?」
意を決して呼び掛けるとブリギッド王女はビクリと肩を震わせ、コホンと咳払いして「失礼」と口にした。
「私に構う必要は無い」
「…分かりました」
王族の言葉に逆らうだけ痛い目を見ると、言葉に納得した態度を取りエリシールに向き直る。
「それで、この先についてですが、貴方が誤って覚えている事がいくつかあると思いますので、自身の記憶と違いがあっても異論は控えるようお願いします」
「はい」
つまり、自分に都合の良いよう捏造を含ませるが納得しろということか。
本当ならエリシール本人の為にも止めてもらうべきなんだろうが、相手が捏造を重ねている以上正道だけで立ち向かうのは無謀だと自分にだって分かる。
「では、他に質問はありますか?」
「…いや、今は大丈夫だと思う」
どうしてあの場所に居たのかとかライル達と関係あるのか等と聞きたい事は結構あるものの、聞いて藪蛇になる可能性もあるし、そもにして裁判には関係ない筈。
そう言うとエリシールは「分かりました」と頷き、弁護人として席に戻ろうとする。
「宜しいかな?」
と、一歩下がったタイミングで反対側に居た筈のバルベルトが俺達に呼び掛けた。
「なんでしょう?
貴方等とは話し合う事は思いつきませんが」
グフッ、とバルベルトが吐血を堪えるように噎せ、改めて咳払いを払ってから喋りだした。
「コホンッ。
我々は『勇者法』第4項の特例処置の実施の必要があるとの懸念が浮かびましてな、それについて貴女方にも同意を頂きたいと思うのです」
「特例処置?」
そんなものがあるのか?
流石に概要以上の内容までは覚えていないため困惑する俺にブリギッド王女が答えをくれた。
「つまり、悪意ある第三者の手により二人は嵌められていると?」
「ええ」
ブリギッド王女の言葉にバルベルトは媚びるような笑みで頷く。
「トール殿も嘗ての仲間を厳罰に処することには胸をお痛めになられておいででしたので、可能ならば再調査の時間を取るべきとお考えなのです」
バルベルトの言葉にチラリとトールを見上げると、怒りをこらえ切れないといった様子でぶるぶると震えているのがここからでも見えた。
それだけを切り取れば仲間割れを引き起こした犯人に怒りを募らせていると見えなくもないが、多分、エリシールと顔見知りという事実が認められないのと、この提案に乗っかるしか無い状況の悪さが気に入らないってのが理由だろう。
要するに、エリシールの介入という予想外の事態に最悪ペンドラゴン辺境伯までが動くのではと恐れて有耶無耶にしようって事か?
「如何なさいますかアッシュ様?
アッシュ様が納得されるというのであれば、私はこの提案を受けても問題無いと考えておりますが…」
「……」
此方を伺いながらそう告げるエリシールに、俺は自分がどうしたいのかと問い直す。
提案を受けなくてもエリシールの協力があれば無罪にならなくても証拠不十分で釈放ぐらいはもぎ取れるだろう。
俺自身の事ならそれで構わない。
だが、裁判の前にどうしても納得出来ないことが一つだけ出来てしまった。
それを追及する機会はおそらくここしかない。
「提案を受け入れる」
「それはそれは」
一瞬だけ馬鹿な奴めと言うように嘲笑を俺に向けるバルベルト。
しかし俺は「ただし、一つ条件がある」と付け加えた。
「なんでしょう?
賠償に関してでしたら後日改めていただ「そんなものはどうでもいい」」
言葉を遮り俺は要求を口にする。
「トールに聞きたい事がある。
今すぐ降りてこい」
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