9 後悔と再燃 (レスター)
今回からレスター視点で話が進んでいきます。
私はレスター・エスクロス。侯爵家の嫡男として生を受けた。数年前に父が亡くなり、今は侯爵の身分だ。
既に歳は四十を少しばかり越え、世の中の酸いも甘いも経験してきた。しかし今日ほどの衝撃を受けたのは初めてだった──いや、初めてというのは正確ではないかもしれない。
私にとって、彼女──デイジー・フラネルと過ごす時は、いつだって平常心ではいられなかったのだから。
かつて私の婚約者だったデイジー。別れてもう二十数年の月日が経っている。
もう二度と会うことが叶わないと思っていた彼女だったが、驚くことに国王陛下主催の茶会で再会したのだ。
初めはまさか彼女だとは思わなかった。
ただ茶会の席から離れた庭園の端で、独り佇んでいる女性のことが気になったのだ。
しかし今思えば、その髪色や纏う空気に、かつての彼女の面影を見つけていたのかもしれない。
私はあれからずっと、彼女を忘れることが出来なかったのだから──
視線の先には、気分が悪くなったと言ってこの場を離れるデイジーの後姿。
──エスクロス様──
明らかに彼女は私を拒絶していた。
優雅に微笑んでいたが、あの春の陽だまりのように笑っていた彼女が、あんな仮面のような笑顔をするなんて──
過ぎ去ってしまった時を想い、虚しさと後悔が心に渦巻いていく。けれど同時に、例えようのない喜びが溢れるのも感じる。
デイジーは歳を重ねても、その美しさは変わらなかった。そして大人の女性としての魅力と、凛とした強さも併せ持っていた。
あの頃と同じように、心が震えるのを感じる──彼女が欲しいと──
けれど私と相対した彼女の姿は、目を逸らしたくなるようなものだった。恐怖に青ざめた小さく震えるその姿は、今にも消えてしまいそうなほど頼りなげで、野獣に怯える少女のようですらあった。
「私の存在が、君を怯えさせているのか……」
その事実に、まるで肺が潰されたかのように息が苦しくなる。
視線の先には、デイジーを支えながら歩く一人の老紳士の姿。
人に好かれるであろう容姿と、上品な佇まい。そしてデイジーを慈しみ愛しているのがわかる言動。
デイジーにとって、彼がどういう存在であるのか。
…………考えたくなくて頭を振る。今更ながらに自分が失ったものの大きさを、思い知らされた気がした。
「デイジー……」
声が届く距離ではないとわかっていても、その背中に呼びかける。
その可愛らしい名を呟く時に、悲しい響きが混じるようになったのは、いつの頃からだったろう?
次第にその笑顔を思い出せなくなって、どれだけ経っただろう?
気が付けば口の中に血の味がした…………唇を強く噛みすぎたようだ。
「彼女がこの国に戻ってきている──それだけは事実だ」
仄暗い感情を押し殺し呟く。ようやく訪れたこの機会を逃すつもりはない。
デイジーを取り戻すために──
お読みいただきありがとうございました。
次回からレスター視点の過去編突入です。過去の事件をレスターの視点から見ていくと、謎が解けてくるはず。お楽しみに。