後日譚16 侯爵夫人と夜会2
「こんばんは、美しい人」
「え──?」
レスターと参加した夜会で、突然見知らぬ男性が声を掛けてきた。
その人物は私と同じくらいか少し年下だろうか。いかにも貴族といった豪奢ないで立ちで、にこやかな笑みで近づいてきたかと思うと、何の許可も得ずにいきなり私の隣へと座った。
「あの……貴方はどなたでいらっしゃるの?」
そのあまりにも馴れ馴れしい様子に、私は思わず相手を誰何した。マナーとしてはあまり良くないだろうが、そもそも相手の方が先に礼を欠いている。
「これは失礼。私はキチェス・ラング伯爵。あまりに貴女が美しいので、つい声を掛けてしまいました」
ラング伯爵はそう言うと、艶やかな笑みをその顔に浮かべた。僅かに波打つ金色の髪が整った顔にかかり、色っぽい雰囲気を醸し出している。
彼はさぞかし自分に自信があるのだろう。相手から拒絶されるなど少しも思っていないようなその態度に、私は嫌悪感を抱くよりも先に呆れてしまった。
「……ラング伯爵。それで私に何か御用ですの?」
私は相手から距離をとるようにして座り直してから、彼に問いかけた。本当ならすぐにでもこの場を離れたかったが、そうすれば余計にしつこくされそうだと思ったのだ。
「つれないお人ですね。せめてお名前だけでも教えて頂けませんか?私は貴女に非常に興味がある」
「…………」
あからさまな誘惑に、流石の私も彼の目的に気が付いた。妙齢の女が一人でいるからこそ、あえて声を掛けてきたのだろう。一夜の慰めでも提案してやれば、ホイホイついて行くとでも思っているのだろうか。
私はどう返すのが正解か、すぐには判断できなかった。自分には夫がいて、それがエスクロス侯爵であると言えば引き下がってもらえるかもしれない。しかしもし相手が政治的に夫と対立している人物となると、逆に厄介なことになるかもしれなかった。
下手に動いてこの場を離れるよりも、レスターが戻ってくるのを待っている方がいいだろうと判断し黙っていると──
「あぁ……そんなつれない態度もとても素敵ですよ。それにしても色白な肌がしっとりと汗で濡れるほどに上気してて息も荒い。まるでベッドに誘われているようだな……」
「っ──!?」
ラング伯爵は私に身体を寄せると、その首筋に顔を近づけた。
彼の唇が体に触れそうになって、私は慌てて立ち上がる。そしてすぐにその場を離れた。
(何て人なの!?信じられない!!)
マナーの無い人物だとわかってはいたが、まさか直接体に触れてくるとは誰が思うだろう。事を荒立てないようにと我慢していたのがいけなかったのかもしれない。自信過剰なラング伯爵は、余人がいる中でさえ堂々と私に触れようとしてきたのだから。
(……どうしよう……レスターはどこ?)
レスターがどこにいるのかわからないまま、勢いで飛び出してきてしまった。このままだとレスターが私を見失ってしまうかもしれない。そんな風に不安に思って、つい先ほどまで自分がいた場所を振り返ったのだが──
「っ──!」
「黙って行くなんていけない人ですね」
追いかけてきたラング伯爵が、私を後ろから抱きかかえるようにして腕を掴む。その悍ましい感触に、私は悲鳴を上げた。
「や、やめてください!」
「大丈夫、わかっていますよ。二人きりになれる場所に行きましょうか」
本気で嫌がっているのに、まるで通じない。耳元で囁かれる感触に体が震えた。
あまりの恐怖に涙が滲んでくるが、その顔を見てラング伯爵は更に愉悦の笑みを深めた。その悍ましさに、助けを求める声さえ出てこない。
私は恐怖に震えながら、ラング伯爵に引きずられるようにして会場から連れ出されたのだ。




