7 幸せからの転落
過去回です。
暴力的な表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
それからは何がどうなっていたのか、自分でもよく覚えてはいない。
レスターに婚約破棄を告げられ呆然としていたら、父たちがやってきて私を罵倒し、酷く殴られた所までは覚えている。加減など何もされずに思い切り殴られて、口の中に血の味が広がった。
わぁわぁとうるさく喚く騒音に、私は反応する気力も体力も無くなって、ただ言われるがままの人形と化した。
そうして心を閉ざしてしまえば楽だった。
レスターを生涯ただ一人の人と、そう思って心の全てを捧げたのだ。そんな彼に、拒絶され、蔑まれるのは死ぬよりも辛いことかもしれない。
私は全ての痛みと引き換えに、心を手放すことを選んだ。
やがてどのように話をつけたのか、私たちの婚約は無事、解消されることになった。
フラネル家としても、エスクロス家としても、このとんでもない醜聞を世間につまびらかにすることもできず、ただ互いの家の都合ということで収めたのだと、だいぶ後から知った。
けれどそんなことは、もはや私にはどうでもいいことだった。
愛する人を失った私は、それまで被っていた偽りの家族として役目も放棄して、ただの木偶人形と化していたのだから。
そんな私に父は、言葉と拳を持って怒りをぶつけた。
かつて母のディアナが追いやられた部屋よりも、もっと狭くて暗い部屋に押し込められ、最低限の食事だけを与えられ、父親から殴られる日々。
彼にとっては、私のせいで宰相の家とつながる絶好の機会を潰されたわけだから、仕方が無かったのかもしれない。
何より事情をどう世間に説明しようとも、婚約が無しになった事実は、様々な憶測をもたらす。そしてその憶測は大概身分の低い、しかも女の側に不利に働くものだ。
「お前が余計なことをしなければ……!!」
「っ──……」
いくら心が麻痺していても、身体を傷つけられれば恐怖を感じる。しかしそれに抵抗する力は残されていない。私が生きていたのは、本当に小さな世界だったのだから。
いつ死ぬのだろうか。その方が楽になれるかもしれない。そんな事をぼんやりと感じていた時、私の小さな世界に一つの光が差した。
「お前の嫁ぎ先が決まった」
いつも殴る為だけにこの部屋にやってくる父親が、そう言った。けれどまともに思考できないほどに衰弱していた私には、彼の意味するところが理解できなかった。
だがそんなことは父にとってどうでもいいようで、使用人に指示をして私をそこから連れ出すと、以前と同じように世話をさせた。かつて子爵家令嬢として恥ずかしくないようにと振舞っていたあの頃のように。
「相手は商人だそうだが、お前のようなものを高値で買ってくれると言うんだからな。かなり年上だが感謝するんだぞ。お前のような出来損ないの娘には、その身を売るしかこの家に貢献できないのだからな!」
そうして歪んだ笑みを向ける父は、およそ娘の結婚を喜ぶ父親には見えなかった。己の欲望を満たすことだけに執着する、醜悪な人間。
けれど彼は、私の身柄を自由にできる父親としてそこに存在していた。
私は肉屋に売り飛ばされる家畜のように、親子ほども歳の離れた商人に、高値で売られるしかないのだ。
心から愛する人と共に歩むはずだった人生。
けれど私が手にしたのは、愛する人との永遠の別れだった──
お読みいただきありがとうございました。
父親がかなりのクズでしたね。暴力ダメ絶対!
次回ようやく現在に戻ります。
そのあとすぐにレスター視点の過去編に突入する予定です。