60 宿命の対決
「……フラネル子爵……」
レスターが私を庇うように前へ立つ。その大きな背中に守られているおかげで、子爵を前にしてもそこまで恐ろしさは感じない。
「彼女に何か用でも?」
レスターが厳しい声で問い正した。私が子爵から逃げる為にこの場所に隠れていたのだと気が付いたのだろう。普段穏やかな彼が、今は子爵に対する敵愾心を少しも隠していない。
一方の子爵もそんなレスターの態度に少しも怯むことなく、歪んだ笑みを浮かべたまま尊大な態度を崩さないでいた。
「えぇ、デイジーに話があるのですよ。……ですが侯爵、これは家族の会話であって貴方には関係のないことだ。席を外していただきましょう」
「……家族……ね……」
子爵の言いように、腹の底からどす黒い怒りが巻き起こるのを感じる。家族だなんて言葉を、この男に使って欲しくはなかった。
「それはおかしいですね、フラネル子爵。貴方はかつて私に言ったはずだ。娘は一人しかいないのだと……デイジーとは、もう親子の縁を切ったのだと」
レスターの言葉に私は驚いた。娘が一人しかいないとはいかにもあの男らしい物言いだが、そんな会話をレスターとの間でしていたのだとは知らなかった。そして改めてレスターが、そこまでして私を探してくれていたのだと実感する。
「……そうでしたかな。だが、こうしてデイジーはこの国に戻ってきているのです。久しぶりに会った娘に、家族水入らずで話したいと思ってもおかしくはないでしょう」
あくまでもフラネル子爵は、レスターをこの場から遠ざけたい考えのようだ。だがエルのことがあるから、レスターが私一人を残して離れるわけがなかった。
「……それはあなた方が本当に親子であればの話です。フラネル子爵──」
「っ──!」
低く脅すような声音で含みを持たせてそう告げれば、流石の子爵もレスターがどこまで知っているのか気が付いたのだろう。僅かに目を剥いて言葉を失う。
私自身、レスターがその事実を知っていることに驚いた。
「貴方が犯した罪は、彼女を傷つけただけではない──それは貴方が一番わかっているのではないですか?」
「……何をおっしゃっているのかわかりませんな」
先ほどまでよりも警戒の色を滲ませて、子爵はレスターを見据える。
子爵が犯した罪は到底許されるものではない。だが、まだ貴族である自分に分があると思っているのだろう。訝しむ表情の奥に、こちらを嘲るような余裕が透けて見える。
「デイジーの母親の件ですよ。貴方の最初の妻だと言われている方のね──」
「っ──レスター!」
私はレスターが全てを承知であの男にその罪をぶつけるつもりなのだと知り、酷く焦った。下手をすればエルの側が罪に問われるかもしれないからだ。
腐ってもセフィーロ・フラネルはこの国の貴族。一方の私とエルは平民である。いくら母ディアナがエルと本当の夫婦で、フラネルに誘拐されて無理やり結婚させられただけなのだと訴えても、あの男がその事実を捻じ曲げる可能性は十分にあるのだ。
「何が言いたい──」
含みを持たせたレスターの言い方に、子爵の声が低く怒気を帯びた。
「何十年も前のことだからと安心しきっているのでしょうが、そうはいかない。誘拐は重大な罪だ。貴方が胡坐をかいているその地位は、もはや盤石ではないのですよ」
「っ──生意気な!」
「レスター!!」
レスターの言葉に激高したフラネル子爵が拳を振りかぶった。そしてレスターへと振り下ろす。しかし──
──パシッ!!──
「ぐっ!」
レスターは難なく子爵の腕を取ると、そのまま捻り上げるようにして取り押さえた。
「城の者たちが彼女のことを探している。その中には騎士もいるから、貴方の所業は問われるだろう。覚悟するといい」
「はっ!私は子爵でデイジーは只の平民だ!何とでもなるさ!それに私を傷つけようとしているのは侯爵、貴方の方ではないかね?」
レスターに取り押さえられながらも、フラネル子爵は悪態をつくのを止めない。このまま身分差を使って私やエル、そして母にしたことを有耶無耶にするつもりなのだろう。
「貴方がその侯爵という地位を使って、この私を痛めつけようとしていると証言すればどうなりますかな?警邏の屯所で、罪人を無理やり牢屋から出した事実もある。世論がそれをどう見るのか……言わなくてもわかるでしょう?」
「……」
子爵の浅ましい言い分に、レスターは一瞬厳しい表情のまま口を噤んだ。レスターの様子に、彼は自らの優勢を感じたのだろう。尚も言い募る。
「今や私も貴族街に屋敷を持つ身分だ。今後、工場建設の件で子爵家が貢献したとなれば、今よりもっと上に行くかもしれない。そんな私を相手に、この女やあの忌々しい商人は無礼を働いたのだ。それを罰するのを邪魔すれば、それこそ罪に値するとは思わんのかね?」
レスターを貶める言葉を聞いて、耐えがたい怒りが沸き起こる。どこまでも身勝手で浅ましい欲望に塗れた男──こんな人間をかつて父と呼んでいたなど、信じられない。
もはやこれ以上は黙ってなどいられない。レスターは、私の為に戦ってくれているのだ。
「レスターを侮辱する権利など貴方にはないわ!」
「……はっ!何を……」
一歩前へ出て睨みつけると、子爵は目を剥いて動揺を見せた。昔から反抗的な態度などしたことがないから、そんな私の言動にとても驚いているようだ。
「レスターは侯爵という身分ではなく、彼自身の努力によって、人々に認められている。それは彼がこれまで真摯に仕事や人々に対して接してきたからだわ。彼は優しくて、誠実で素晴らしい人よ。貴方なんかとは違う!」
「生意気なっ!育ててやった恩を忘れたのか!!」
私の言葉に激高した子爵が、レスターの腕の中で暴れ出す。激しいその動きに、子爵を押さえていたレスターの腕が外れる。
「デイジー!!」
腕から抜け出した子爵を捕まえようと、レスターが手を伸ばす。しかしその手は届かず宙をかいた。子爵はこちらへと迫ってくる。
憤怒の形相で拳を振りかざす男。その後ろではレスターが顔を青ざめさせ必死に手を伸ばし叫んだ。
「デイジー!逃げろ!」




