6 虚構の罪
過去回となります。
「これは一体どういうことだ?」
人気の無い廊下で宝石を抱えて困惑する私と、それを問いただすように睨みつける令嬢。
明らかに何かあったと察知したレスターは、その冬空色の瞳を険しくしてこちらへ近づいてきた。
「こちらの婚約者様が、部屋に置いておいた私の宝石を何故か持っていらしたのです。一体どういうことなのでしょう?」
私が何か言葉を発するよりも先に、令嬢がこの状況を説明する。
それを聞いて、レスターの視線が一層険しいものになった。
「デイジー?」
咎めるような口調で名を呼ばれ、私は事実を明らかにするしかないと思った。
「すみません……妹のサビーナが……」
「妹さん?まさか妹さんが盗んだとでも言い訳するのかしら?」
私の言葉を遮るようにして、彼女はさも私が盗んだかのような口ぶりをする。
「待ってくれ。彼女の説明をちゃんと聞きたい」
レスターが怒りをその声に滲ませながらも、冷静に私の話の続きを促した。
「それで、どうしてこうなったんだ?」
「その……妹が勝手にこちらのお部屋から持ち出してしまったようなんです。きっと屋敷の中を迷っているうちに、好奇心で入ってしまったのかと……」
私は妹の犯してしまった事実を話しながらも、彼女に悪意が無かったと伝えようとした。実際のサビーナは反省もしてないだろうが、今この場で何とかしなければ、フラネル家にとっても、エスクロス家にとっても、この醜聞は大変な事態を引き起こしかねないとわかっていたからだ。
「それで妹さんが盗んだから、姉である貴女がそれを返しに来たというの?……そんな見え透いた嘘で言い訳されるなんて、私も舐められたものね」
私の説明に一つも納得していない様子の令嬢は、フンと鼻息を一つ鳴らす。
「他にも何か盗んでいるかもしれないわ。確かめなければ……」
完全に私を黒と決めつけた令嬢はそう言うと、客室の扉を開けて中へ入った。その後ろ姿を眉根を寄せて見ていたレスターは、今度は私に向き直る。
「デイジー……今の話は本当かい?」
いつも優しい色を湛えていたはずの冬空色の瞳は、今は困惑と疑いの色に塗り固められていた。
愛し愛されていると信じていた彼に、そんな疑いの眼差しを向けられて、私は自身の中のなけなしの勇気にひびが入る音を聞いた気がした。
何か言わなければと思うのに、言葉がつかえてうまく形にならない。ただ唇をきつく噛み締めるしかできずにいると、部屋の中から甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあっ!!これはどういうこと!!?」
「どうしました!?」
慌てて部屋へと入るレスターと私。するとそこには──
開け放たれた引き出し、散乱する荷物。綺麗に整えられていたはずの部屋の中は、荒らされて酷い有様だった。
「こんなことをなさるなんて……!」
怒りを滲ませた令嬢が、振り返って私に詰め寄る。
「わ、私じゃありません……!」
言葉ではそう言っていても、内心サビーナがここまでの事をしでかしていたとは、到底信じられなかった。これではまるで盗賊が押し入ったようではないか。
「そんな言い訳が聞きたいのではないわ!他にいくつもあった宝石類が無くなっているじゃない!どこへやったの!?」
「っ……」
令嬢が激しく怒鳴り散らす。そのあまりの剣幕に、私は慄き言葉を失った。
「これは……」
レスターも、部屋の惨状に驚きを隠せないようだ。
「だんまりされていては、埒があきませんわ。盗んだものをどこかに隠しているかもしれませんもの。エスクロス様、婚約者様のお部屋を、調べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ……構わないね?デイジー」
「……えぇ、それは勿論……」
サビーナが落とした宝石以外は持っていないし、勿論部屋にあるはずもない。サビーナがしでかした事は許されるものではないが、私はそれ以上の疑いを受け入れるつもりはなかった。
私は怒りに震える令嬢と、レスターと共に、侯爵家の屋敷で、私に与えられた居室へと向かった。
しかし────
「これでもう言い逃れはできませんわね。私の宝石があなたの部屋にあったのですもの」
鏡台の上に無造作に置かれた、見たこともないアクセサリー。
ありえない光景がそこにはあった──
「……どう……して……」
──誰かが私に罪を擦り付けようとしている──
一体誰が?どうして?と頭の中にぐるぐると疑念が駆け巡る。
サビーナはあの時、落とした宝石しかもってはいなかった。とんでもない悪癖を持ってはいたけれど、彼女ではないと私はその疑念を振り払った。
真実を突き止めようと必死で考えを巡らせる。
──しかし私以外の二人はそうではなかった。
「このままでは済まされないわ。こんな人間を、本当に侯爵家に入れてもいいのですか?レスター様」
「……デイジー……」
凍えるような声音に、一瞬で考えが霧散していく。
恐る恐る振り返れば、熱を失った冬空色の瞳が、こちらを虚ろに見つめていた。
その咎めるような声音が
冷たい眼差しが
私に残酷な事実を告げていた。
──彼が、私の想いとは正反対の答えを導き出したということを──
「とにかく、このような事態を引き起こした婚約者様を、私は祝福することはできませんわ!父にもそう伝えます!」
憤然として部屋から出て行こうとする令嬢を、レスターは引き留めもしない。
バタン!と大きな音を立てて扉が閉まると、まるで世界から隔絶されたかのような錯覚に陥る。
これまでは二人きりの世界でも、その愛を確かめ合うのに何の疑問も不安も感じなかったというのに……今、目の前にいる愛する人は、そうではなかった。
「……君がやったのか?デイジー」
レスターが私に問う。事の真偽を。
けれどその凍てつくような瞳が、感情の消えた声音が──お前がやったのではないかと告げていた。
彼は私がその足に縋りつき、無実を証明する為に言葉を重ねることなど求めてはいない。彼は私に罪の告白と謝罪を求めているのだと──そう感じた。
その残酷な事実に思い至り、涙がせりあがってくるのを感じる。
(違う、私じゃない──私はやっていないわ──)
そう言いたくても、彼が一層疑いの目で見てくるのではないかと想うと、怖くてできなかった。
言葉にならない叫びは、ヒュウヒュウと無様な吐息となって口から漏れるだけ。必死でもがいているのに、波に攫われ溺れる者のように。私の中の小さな勇気は、あっという間にしぼんで、闇の底に沈んでいく。
ただ震えて何も言わない私に、レスターは諦めのため息を一つ落とした。
「君のような盗人を、侯爵家に入れるわけにはいかない」
「っ──」
冷たく言い放たれた言葉が、私の胸に突き刺さる。
「…………この婚約は無しにしてくれ」
愛した人の心が、離れていくことが、こんなにも残酷だなんて。
突き刺さった言葉が、そのまま私の心も凍らせてくれれば良かったのに。深く傷ついた心は、鮮血をまき散らし、二度と元には戻らない。
「父とフラネル子爵を呼んでくる。君はこの部屋から出ないように」
淡々とそれだけを告げて背を向けた彼は、私を一人残して行ってしまった。
膝から崩れ落ちても、抱きとめて慰めてくれる人は、もうそこにはいない。
私はただ、彼の背中に届かぬように、声を殺して泣くことしかできなかった──




