5 やがて来る運命の日
引き続き過去回です。
ドレスの染み抜きをして白い花のコサージュで飾りをつけた後、レスターは再び部屋に戻ってきて、本当に私との時間を作った。私はそのことに正直驚きを隠せなかったけれど、彼はとても楽しそうに過ごしていた。
「え?君もあの作家の本が好きなのかい?女性では珍しいのではないかな」
「まぁ!本の好みに男も女もございませんわ。レスター様は、ヘンリクの新作はお読みになりました?」
「あぁ読んだよ!他に読んでいる人間がいないから、私も話したくて仕方がなかったんだ!」
「ふふふ、私もです」
趣味や最近読んだ本のこと、好きな食べ物や嫌いな物。私たちは様々なことを喋った。本当に些細な他愛のない話題でも、レスターは嬉しそうにそれを聞いてくれた。
彼の一つ一つの言葉が
微笑む優しい眼差しが
彼の全てが、私の心を躍らせた。
それが恋だと気づくのに、さほど時間はかからなかった。
…………でもいくら世間知らずな私でさえ、その恋は叶わないものだと最初からわかっていた。
彼はこの国の宰相を親に持つ侯爵令息。一方の私はただの子爵令嬢。身分が違いすぎる。ましてやこんな素敵な人が、私みたいな垢ぬけない女のことなど、相手にするはずがない。
笑顔で彼と会話しながら、心の中はそんな切ない想いでいっぱいだった。私はこの夜の素敵な思い出を、一生の宝物にするつもりで彼と接し、帰路についた。
*********
けれど夢物語は、それだけでは終わらなかった。夜会の翌々日、レスターが屋敷を訪れたのだ。
驚く私とは対照的に、喜ぶ父。
どうして?という私の表情に応えるように、彼はおどけるようにこう言った。
「お詫びは改めてって言ったと思うけど?」
首を傾げて、悪戯が成功したと言わんばかりの不敵な笑みを見せる。
その様子が可笑しくて、私は思わず声を上げて笑ってしまった。つられてレスターも笑う。
──それはまるで神様がもたらしてくれた、奇跡のようだった。
そしてあの再会の日からは、本当にあっという間だったと思う。
レスターは私のことが好きだと言ってくれて、私も自分の想いを彼に伝えた。
母が言っていた”心から愛する人”というのは、レスターのことなのだと私は確信した。
身分の差があるから反対の声もあったのだけれど、それは父やレスターが何とかしてくれた。
──私たちは運命のように出会って、恋をし、やがて婚約した──
私たちの婚約が決まってからは、父はとても機嫌が良く、義母のクレアや妹のサビーナもレスターとの婚約を祝福してくれた。
父には私たち姉妹しか子供がおらず、子爵家を継ぐのは私かサビーナのどちらかが婿を取らなければならなかった。けれど私がレスターの下に嫁ぐことになって、次期子爵家夫人はサビーナの役目になった。
義母であるクレアにとっては、目障りな私がこの家からいなくなるのは歓迎すべきことだったし、サビーナも以前から私が子爵家を継ぐことを良く思っていなかった。
この時の私は、自分がレスターと一緒になることで、ようやく父たちと本当の家族になれたような気がしていた。
…………けれど、それはただの幻想に過ぎなかった。
あの残酷な運命の日──私は家族も、愛する人も、祖国も、全てを失ったのだから。
*********
「お姉様、お義兄様、この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとう、サビーナ」
「これからは義理の兄としてよろしく頼むよ、サビーナ」
その日、婚約を披露するパーティーが、エスクロス侯爵家で開かれていた。
美しく着飾らせてもらった私は、レスターの横で幸せいっぱいの笑顔で皆に祝福されていた。広間には豪華な料理が並び、たくさんの招待客で溢れていた。
レスターの父親が宰相であったこともあり、招かれた人々は高位の貴族が多く、遠方から泊まりできている方々も中にはいた。そういった泊まりのお客様をもてなす為に、屋敷の裏方は慌ただしさを増していた。
私も一通りの挨拶を終えて、一旦身だしなみを直すために裏へと下がった。その時だ──
「サビーナ?」
「っ──」
何故か泊り客でもない妹のサビーナが、屋敷の奥の人気の無い廊下にいた。しかも来客用の部屋から出てきたように見える。
私に見咎められて、サビーナはサッと顔を青ざめさせた。その様子を見て、私は彼女が何をしていたのか気が付いてしまった。
「貴女まさか……っ」
「お姉様には関係ないでしょ!」
「サビーナ!」
私はサビーナに近づくと、彼女が隠すように後ろに回した腕を掴む。
「いっっ……」
「貴女あれほど言ったのにまたっ……」
隠されていたサビーナの手の中には、煌びやかな宝石が握られていた。屋敷に泊まるお客様のものだろう。以前から懸念していたことだが、彼女、サビーナは非常に手癖が悪かった。
「どうしてこんなことをするの?これが知られたら、貴女だけでなく子爵家が危ういのよ?」
「……っ」
咎める私の言葉に、思いっきり不満気な顔をするサビーナ。彼女は父の前では大人しい娘を演じていたが、一皮むけばおよそ貴族令嬢とは思えないような悪癖を持ち合わせていた。
政略の道具としてしか娘に興味の無い父にとって、彼女の本当の性格などどうでもいい事なのだろう。貴族令嬢としての振る舞いさえしっかりしていれば、父はそれ以上娘に干渉しない人間だった。
そしてサビーナは、それをよくわかっている狡猾な娘だった。誰にもばれないように、時には他の人間に罪を着せるように、自分の欲望を満たすのだ。しかも彼女は物欲が非常に強い人間で、人の物ほど欲しがるという厄介な性格だった。
幼い時は、よく私の物を欲しがり、母親のクレアに泣きついては、私の物を取り上げるのがいつものことだったのだ。
しかし実の母のディアナを失ったばかりの幼い私は、家族に見捨てられることをとても恐れていたので、なんでもかんでも欲しがるサビーナと、彼女が欲しいと言った物を渡すよう強要してくる義母の言われるがままにしていた。
誰にも咎められず、何でも私の物を取り上げることに慣れてしまったサビーナ。そしてそれは次第にエスカレートしていき、彼女が10歳を過ぎる頃には、勝手に私の物を盗むまでになってしまっていた。
気が付けば無くなっていた小物やドレス。私が彼女に盗んだことを問い詰めると「だってお姉様が私にくれたでしょう?」と嘘をつくのだ。その嘘を覆そうとすれば、必ずと言っていいほど義母がしゃしゃり出てくる。それでもと私が言い募れば、父の耳に入ることが目に見えていたので、大ごとにしたく無い私は、いつも苦汁を飲まされていた。
だから私は本当に大切なものや盗られたく無い物は、サビーナの目には留まらないように隠すようにしていた。けれどそうした努力も所詮は付け焼刃。家族だからという甘えもあったのだろう。私が社交デビューして、妹とともに色んな席に招かれるようになってからは、何故もっと彼女に厳しくしなかったのだろうと痛感した。
始めはサビーナと一緒に招かれたとある令嬢の茶会。サビーナは美しく着飾った令嬢を羨み、彼女の持ち物の一つに手を付けた。その時は落ちていたのだと、何とかその場を取り繕ったが、サビーナは反省することが無かった。
その後もそうした出来事がしばしばあり、彼女の行動が心配でならなかった私は、常にそのフォローに入っていた。
時には見咎められることもあり、そういう場合、サビーナは姉である私がやったと言い張った。勿論そんな事実は無いし、私が間違いを犯すような人間ではないという信用もあったおかげで、これまで事なきを得ていたが、いつか大変な事になるのではないか──そんな予感がしていた。
そしてついにサビーナは私の嫁ぎ先となるエスクロス侯爵家でも、このような間違いを犯してしまったのだ。
私はサビーナのあまりの考えの無さに眩暈がしたが、それでも自分の家とレスターの家の為、何とかしなければと気持ちを奮い立たせた。
「とにかくこれはお返ししなければいけません。さぁ!サビーナ!」
「……ふんっ!」
サビーナは怒りのままに持っていた宝石を床に投げつけると、そのまま行ってしまった。
「もう……どうしようもない子……」
私は廊下に散らばってしまった宝石類、イヤリングやネックレスなどを丁寧に集める。傷がついていたら大変だから、一つ一つ無事かどうか光に充てて確かめていた。
その時──
「何をしていらっしゃるの?」
「っ──」
突然廊下の奥から声を掛けられた。私はこの状況にまずいと思ったけれど、今更どうしようもできない。
恐る恐る声を掛けてきた人物に顔を向けると、そこには怒りを燃やしたような表情の令嬢が立っていた。
「何故私のアクセサリーを持っているのかしら?」
「その……これは……」
何と説明すればいいか困惑していると、更に別の人物がやってきて声が掛かる。
「一体どうしたんだ?」
私は思わずビクリと肩を揺らした。一番見られたくない人が、この場に来てしまったのだから。
「レスター……」
お読みいただきありがとうございました。
ヒロインの切ない過去がどんどん明らかになっていきます。




