31 彼の隣に立つ人は
エスクロス家の屋敷に入ると、そこはかつてと同じように豪奢な造りだった。途端に私は自分が場違いのような気がして、居心地の悪さに足がすくんでしまう。
けれどレスターはお構いなしに私を連れてどんどん奥へと進んで行く。歩きながら彼は迎えに来た侍従に、昼食の指示を出していた。
「急で悪いが彼女と昼食を取る。準備を頼む」
「畏まりました」
その侍従は、主が突然連れてきた訳の分からない女を見ても、顔色一つ変えずに応対している。流石は侯爵家の使用人だ。それでも私が彼等にとって招かれざる客であることは十分承知している。私はそっとレスターに思っていたことを告げた。
「あの……突然お邪魔して悪いわ。そんなにお気遣いいただかなくても……」
申し訳なくてそう言うと、レスターは驚いたように目を見開いた。
「デイジー、気にしなくていい。どうせ昼食は取るんだから、一人でも二人でも同じことだよ」
レスターは全く気にしてないのか、私を客間へと案内すると、昼食までの時間をそこで過ごそうと言った。
客間に入室するとすぐにメイドがやってきて、お茶の準備が整えられていく。やがて香りの良いティーカップが目の前に置かれて、私はすっかり客人としての体裁を整えられてしまった。
「…………」
「…………」
腰を落ち着けてしまえば、再び気まずい空気が二人の間に漂い、それを誤魔化すようにお茶を飲む。レスターも同じなのか、二人して黙り込んでしまった。
居心地の悪さに視線を彷徨わせれば、懐かしい景色が目に飛び込んでくる。
(あぁ……少し内装は違うけれど、記憶の中にある彼の屋敷だわ……)
レスターの婚約者として過ごした僅かな日々。彼に連れられて初めて屋敷を訪れた日のことが思い出される。あの頃の私は、彼と一生を共にできる喜びと、未来への希望に満ち溢れていた。その気持ちは、まるで煌めく宝石のように輝いていた。
けれど長い時を経て、喜びは悲哀に、希望は諦めへと変貌を遂げてしまった。懐かしいと思ったその景色は、今の私にとっては残酷な時の流れを感じさせるものでしかなかった。
「……ジェームズのことなんだが……」
落ち込んでいると、唐突にレスターが口を開いた。私はそれに酷く驚いて、思わずビクリと肩を揺らしてしまった。そして誤魔化すように、彼が次の言葉を発する前に、ぺらぺらとしゃべり始めた。
「あぁ、彼はとても素敵な青年ね。貴方によく似ているわ。周りからもそう言われるのでしょう?」
「え?あぁ……そうかな?どちらかと言うと彼は母親似なんだが」
「まぁ、そうなの?ではお母様が美人でいらっしゃるのね。とても格好いいもの。さぞかしモテるんでしょうね。そうではなくて?」
「まぁそういう話はチラホラ聞くが……あまり本人からは聞かないかな……」
私はあえて自分からどんどん話しかけた。レスターが切り出そうとする言葉を遮るように、次々と質問をぶつけていく。そして次第にジェームズとは関係の無い話題へと繋いでいった。レスターは何かを言いたそうにしていたけれど、それでも私の質問に一つ一つちゃんと答えてくれた。
「こないだ行ったカフェのメニューは、他にも気になるのがたくさんだったわ。他にも新しいお店があったりするのですか?」
「新しい店……確か異国の料理を出す店が近くにあったようだが……」
「まぁ、どんな料理なのかしら?」
そうして私は、他愛のない話で昼食までの時間を過ごした。私たちの今の関係を現すような会話を避け続けながら。
私はレスターの言葉に怯えていた。
彼から決定的な何かを言われるのが、ただ怖かった。
それがどんな言葉なのかはわからない。
けれど私はそれを彼の口から聞きたくないと、強く思ったのだ。
暫くすると、侍従が客間に呼びにきたので、二人で食堂へと向かう。
「行こうか、デイジー」
「えぇ……」
レスターの後ろについて長い廊下を歩いて行くと、暫くして壁にいくつかの肖像画が掛かっているのが見えた。──それはエスクロス家の一族を描いたものだった。
(これは……前エスクロス侯爵──彼のお父様だわ)
厳しい表情の黒髪の男性。それは記憶にあるよりもずっと若い姿だが、確かにレスターの父親だった。そしてその隣にはレスターの母親の肖像画が飾られている。
その奥には現在の侯爵であるレスターの肖像画。そしてその横には先ほど出会ったジェームズの肖像画。それと対になるように、反対側のレスターの横隣には、ある一人の女性の肖像画が飾られていた。
(この絵は……もしかして……)
少し勝気に見える美しい女性。その濃い灰色の瞳は、ジェームズによく似ている。そしてレスターの隣にあるという事実が指し示すのは──
(……この人がジェームズの母親で、現侯爵夫人……)
思わず足を止めて見入っていると、気が付いたレスターが声を掛けてきた。
「デイジー?」
「あ……ごめんなさい」
呼ばれて彼の下へ駆け寄った。しかし頭の中は先ほど見た肖像画の女性のことでいっぱいだった。
(あの人がレスターの……奥さん……なんだ……)
私は呆然と今見た事実を頭の中で反芻した。まるで現実感の無いそれは、空想の出来事のように思えた。
「あぁ、肖像画か……以前は父の書斎に飾ってあったんだが、場所を移したんだ。書斎もだいぶ模様替えしたから」
レスターは私が何を見ていたのか気が付き、補足してくれる。彼は何でもないことのように流したけれど、私にとってあの肖像画は、頭を強く殴られたような衝撃をもたらした。
肖像画が示すのは、連綿と受け継がれていくエスクロス家の歴史。……もしあの時、あの事件が無ければ、私が代わりにあそこに描かれていたのかもしれない。
けれど今、レスターの隣にいるのは別の女性だ。ジェームズと言う立派な跡取りを生み、エスクロス家の歴史を紡いでいく、れっきとした侯爵夫人である女性が。
その事実は、酷く私を打ちのめした。
(……馬鹿ねデイジー。何で落ち込んでいるの。最初からわかっていたじゃない……)
レスターから明言されなくとも、決定的な事実は、最初からそこに存在していたのだ。それは決して変えられない事実。過去を二度と変えられないように、私たちの関係も決して変わることはない。
私は泣きたくなるのを必死で堪え、食堂へ向かうレスターの後を、重い足取りでついて行った。




