3 デイジーの生い立ち
しばらく過去編となります。
私、デイジー・フラネルは、フィネスト王国に生を受けた。
父はセフィーロ・フラネル子爵。母は異国出身で名をディアナと言った。
両親は異国の地で出会い、恋に落ち、そして私が生まれた。
母は幼い頃に亡くなってしまったけれど、とても綺麗で優しい人だったのを覚えている。ただ彼女は幼い私から見ても、とても不幸な人に見えた。
愛し合って結婚したはずの父は、何故か母にとても冷たくて、私はそんな父が恐ろしかった。
やがて母が病に侵されると、父は愛人を屋敷に住まわせるようになった。既にその愛人には父との間に子供がいて、私には一つ年下の腹違いの妹がいた。
彼等が屋敷にやってきてから、私たち母子は更に冷遇された。病でやせ細った母は、どんどん屋敷の隅に追いやられていった。
そんな母の世話をするのは、ほんの一握りの使用人だけ。それでも彼女は私に笑顔を向けて言うのだ。
「貴女も心から愛する人を見つけてね。そしたらその人を絶対に離してはダメよ」
寂しげに笑う母は、自分が不遇な状況にあっても、心から愛の存在を信じているようだった。
幼い私は、どうしてあんな父のことを……と思っていたけれど、母の愛は最期の時まで変わることはなかった。
「……愛してる……あなたに……会いたいわ……」
そう言って涙を流しながら亡くなった母。
そんな母に、父は最期まで見向きもしなかった。
母が亡くなってすぐに、愛人が父の正妻となり、私の義理の母となった。
相変わらず父は冷たかったけれど、母の美貌を受け継いでいた私に利用価値を感じていたのか、貴族の娘としての教育や生活はさせてくれた。
けれど義理の母であるクレアと、腹違いの妹のサビーナとの間には、見えない壁が常に存在していた。
義母は先妻の子である私のことが嫌いで、何かというと文句をつけてきた。そしてそんな母親に習って妹のサビーナも、私に対して尊大で嫌味な態度をとるのが常だった。
けれど彼等は、父の前では私を大切な家族として扱う。裏では人には言えないような扱いをしているというのに、狡猾にそれを隠して振舞っていた。
父は彼らの上っ面だけの愛情に、同じように上っ面だけの態度をもって接した。そして私も彼らの家族ごっこに付き合う内に、次第にその振りがうまくなっていった。
今思えば、それは偽りの家族。
けれど当時の私にとっては、たった一つの家族だった。
──心から愛する人を見つける──
母のその言葉を片時も忘れることの無かった私は、今は冷たい父も、意地悪な義理の母も、そして嫌味な妹も──いつかきっと愛し合える存在になる──次第にそう思うようになっていた。
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そうして幾年も過ごして、私は16歳になった。子爵家の令嬢として社交界にデビューする歳だ。
鬱屈な日々から、突然煌びやかな世界に羽ばたく機会が訪れた私は、デビュタントの日、とても舞い上がっていた。
父にエスコートされ、真新しい白いドレスに身を包み、ドキドキと胸を高鳴らせながら、会場の敷居を跨いだのを、今でも鮮明に覚えている。
シャンデリアが、輝く星のような光を会場に降らせ、その下では白いドレスの令嬢たちが、ジャスミンの花のようにクルクルと回っていた。
まるで天上の花園に迷い込んだような光景。
はたから見たら、私はとても初々しい少女だっただろう。初めて訪れた社交会は、私にはまるでおとぎ話の世界のようで、醜いものなど何一つ無いように思われたのだから。
拙いながらもダンスを少しだけ踊った後、喉の渇きを癒そうとグラスを手にした時だった。私は一人の令嬢とすれ違いざまにぶつかってしまった。
──バシャン──
水音と共に、赤く広がるシミ。
同時にさざ波のように伝染していく嘲笑。
私は手にしていたグラスを落としはしなかったが、中身が零れてしまい、白いドレスには無様な赤いシミが広がっていた。
ぶつかった令嬢は謝ることもしないで、こちらを見てクスクスと笑っている。どうやら彼女はわざと私にぶつかってきたようだ。
けれど私は、その理由を問い正すことも、急いでドレスを何とかすることも、パニックになっていて思いつかなかった。その時私の頭の中を支配していたのは──
──父になんて言われるだろうか──
ただそれだけ。赤いシミとは対照的に、私の顔は酷く青ざめていたことだろう。
父はこうした失態に、とても厳しい人間だった。私は子爵令嬢として恥ずかしくないように振舞うことをいつも求められていた。
そんな父にこの事を知られたら、どうなってしまうだろう?
がくがくと足が震えるのを感じながら、私は逃げるように会場から飛び出した。
お読みいただきありがとうございました。
デイジーの現状に関わってくる家族や過去の出来事が暫く続きます。彼女がどのようにして愛を得て、どのようにして失ったか。その辺の事情が明かされますので、どうぞお付き合いくださいませ。




