12 祖国への帰還
祖国を出てから二年ほど経った頃、シネンが立ち上げた商会は既に大きくなり、ついにアムカイラにも拠点を作る話になった。
その頃には、王となったグスマンに後継ぎの王子が誕生しており、もはや僕とディアナの存在は、祖国にとっては既に過去のものとなっていた。そうしてようやく僕らは祖国へと戻ることができたのだった。
僕はシネンの助けを借りて、王都からほど近い街に商会の拠点を作り、そこで商売を始めた。既にシネンから商売のいろはを叩きこまれた僕だ。領主代理としての経験もあったから、商会はすぐに軌道に乗り始めた。
「行ってくるよ、ディー」
「行ってらっしゃい、エル。無理をしないでね?」
商会の仕事へと向かう僕に、ディアナが笑顔を向けてくれる。僕は妻の可愛らしい見送りに感激して、彼女に口づけを返した。毎回繰り返される、朝のささやかな楽しみだ。
僕とディアナは、商会の近くに小さな家を借り、二人だけで暮らし始めていた。
義理の父であるシネンは、アムカイラでの商会の仕事を僕に任せると、自分は本拠地としている隣国の商会へと戻っていった。いずれは各国に商会の拠点を築いて物の流れを作り、人々の暮らしを豊かにしたいというのがシネンの考えだ。僕とディアナもその考えに賛同し、その一助となる為に、アムカイラ王国での商会の仕事を引き受けたのだ。
せっかく家族となったシネンと離れるのは少し寂しかったが、ようやく始まった夫婦二人だけの生活に、僕らは心を躍らせていた。使用人などいない、自分たちの力だけで暮らしていく生活。大変なことも多いが、それでも僕らにとっては幸せに満ちたものだった。
思えば子供の頃に想像していた愛する人との生活は、今のようなものだったかもしれない。使用人にかしずかれ、全ての生活を他の人の手によってしてもらうのではなく、汗水を垂らして働き、自分で作った料理を食べ、二人だけの家で寝る。そうした大変さの中に得られるのは、かけがえのない喜びだ。自らの手で幸せを作っていくということが、その時の僕とディアナには、まるで宝物のように感じられた。
そうして祖国アムカイラで、商人としての生活を始めて一年ほどが経った頃だ。街中で気になる噂を耳にすることが多くなっていた。
「エルロンドさんの所も気を付けた方がいいよ。最近何やら税の取り締まりがきつくなってきてるからさ。後ろ暗い所が無くても、役人が無体を働くってのがあるらしいよ。こないだそれで、隣町の大きな店が潰されたって話だから」
教えてくれたのは懇意にしているパン屋のご主人で、うちが卸している商品も使ってくれている。
「そうなんですか。ありがとうございます。私の方も気をつけます」
ありがたい情報を教えてくれたパン屋のご主人にお礼を言うと、僕はここ最近の街の様子を思い出して眉を顰めた。
確かに役人だけでなく、街の人々の様子がどことなくピリピリとしているのだ。税金も上がってきているし、取り立ても以前よりも厳しい。
アムカイラの市井で暮らして直に平民の生活を感じるのは今回が初めてだが、前の国王陛下の治世ではここまでではなかったように思う。おかげで平民たちの王侯貴族に対する感情は、悪化の一途を辿っていた。
「……それに、あの事があったから余計に人々の感情は良くないのだろうな」
僕は思わず、心の声を口にしていた。あの事というのは、一年半前に僕やディアナが絡んだ王位争いの件だ。
反勢力の力を削ぐ為に行われた、王太子一派による麦の買い占め。国境沿いの僕の領地が真っ先に狙われ、その影響はやがて他の領地にまで及んでしまった。
その後、僕とディアナは自分たちの地位を捨て出奔したのだが、王位争いの火種が無くなったとはいえ、簡単にその影響を元に戻すことは出来なかったようだ。
人づてに聞いた話では、新国王になったグスマンが、国庫を開くと言う形で各領地に麦を提供したということだが、その時には既に季節は冬に入っており、対応が遅かった為に多くの死者が出てしまっていた。
僕が治めていた国境沿いの領地でも、出奔前の対策と父や他の者達の尽力で何とか切り抜けたらしいが、それでも被害は大きく、少ないながらも死者が出てしまったようだ。
そうした不満が未だ色濃く残っている中での増税。王家に対する人々の不満は更に増大し、あらぬ噂が飛び交うようになる。そしてそれは、時に真実と重なる形となって人々に口に上がっていった。
「何でもこないだの麦の高騰、あれは王家がわざとやったらしい」
「それ本当か?!だったとしたら許せないな」
「国王の代替わりで、民に恩を着せようとしたようだ。国庫を開いて麦をバラまいただろう?あれは元々アイツらが、先に麦を買い占めていたからできたことなんだぜ」
「だとしたら今回の増税も、王家がわざと俺たち平民を苦しめようとしてやっているかもしれないな。わざと麦を買い占めたりするような奴らだ。民のことなど考えたこともないのだろうよ」
度重なる増税と、取り締まりの厳しさの鬱憤を晴らすように、どこからともなく聞こえてくる王家に対する不満の声。いつしかそれは、国全体へと広がっていった。
僕はその怒りの矛先がどこへ向かっていくのか不安に感じながら、それでも商人として自分ができる事をして日々を過ごしていくしかなかった。




