11 可憐な白い花 (レスター)
レスター視点の過去回です。
バルコニーへとやってきた私は、彼女がここまで逃げてきた理由がわかった。
白いドレスに、真っ赤な染みが出来ていたのだ。
(これは酷い……誰かにやられたのかもしれないな……)
こうした夜会は一見煌びやかだが、一皮むけば醜い側面も持ち合わせている。ましてやこれだけの美しさを誇る彼女だ。社交界の醜い部分の犠牲になってしまったのかもしれない。
小さく肩を震わせる彼女が可哀そうで、私はつい余計な言葉を漏らしてしまった。
「あぁ……ドレスが……可哀そうに」
「っ──」
しかしその言葉は大失敗だった。
目の前の幼気な令嬢は、声を上げて泣き出してしまったのだ。
「うっ……ふぅぐ……ぅ」
「す、すまない……悪気はなかったんだが……そうだな、人に見られたくなかったよな……」
泣いている彼女を慰めなければいけないと思うのに、何もできない。これまで近づいてくる女性を避けることしか考えていなかったから、こんな時の対応など知る由もなかった。
なんだかんだで私は自惚れていたのだ。女性は皆、自分に好意を持つものだと。そして愚かにも、見ず知らずの女性を傷つけてしまったのだ。
情けなくて、思わず俯いた。その時、夜会服の胸元を飾る白い生花のコサージュが目に入った。
(そうだ、これなら……!)
あることを思いついた私は、急いで胸元のコサージュを外し、泣いている彼女の目の前に差し出す。
「私が使っていたもので悪いけど……その……白い花で飾ってみてはどうかな……?」
「……え?」
格好つけてそう言ってはみたが、女性に花を渡すなど初めての経験で、恥ずかしさに手が震えないように、必死で堪える。
(これは彼女のドレスを何とかする為で、別に贈り物とかそういうんじゃない……)
自分の中でよくわからない言い訳をしながら、彼女の反応を待つ。
けれど、彼女はキョトンとした表情のまま、こちらを見つめているだけだった。
中々受け取ってもらえず、焦りだけが加速していく。
このまま受け取ってもらえなかったらどうしようと、情けない不安が頭をよぎり、思わず次の言葉が出た。
「きっとそのドレスにも……いや、君自身にも似合うと思うんだ」
(うわっ……何言ってんだ……恥ずかし……)
自分で発した言葉のあまりの恥ずかしさに、頭を抱えたくなった。
しかし後戻りすることもできず、彼女から顔を背けて、この後どうしようと焦っていると──
「ありがとうございます……とても嬉しいです」
柔らかく弾むような声に顔を向けると、ふわりと花が咲いたような笑顔がそこにあった。媚びるでもない、作るでもない、心の底からの無邪気な笑顔。それを見た瞬間、私は胸を貫かれるような衝撃を受けた。
「っ──、いや、いいんだ」
(なんだ──?どうしたんだ……私は……)
自分の中に生まれた不思議な感覚に驚く。
自分の体が自分でなくなったみたいだ。
頭は酷く混乱しているのに、ふわふわと心が喜びに舞い、鼓動がすぐ耳元で聞こえてくるような。
けれどそれは私にとって心地よいもので、このまま時が止まって欲しいとさえ思った。
(もっと彼女と一緒にいたい──)
女性に対して初めて感じる強い想い。
その事に戸惑いを感じないわけではない。
けれど私はそのまま身を任せることにした。ドレスが汚れてしまった彼女を放ってはおけないし、何よりもっと彼女のことを知りたい。
「誰か女性の使用人を呼ぼう。ここではあれだから……」
「いえ──これ以上お手を煩わせるわけには……」
元々の性格なのだろう。彼女の謙虚さは、私にはとても新鮮に見えた。だが勿論その言葉をそのまま受け取るつもりはない。
「ここまで関わったのなら、最後まで責任を持つのが紳士だと私は思っている。どうか気にしないで」
「でも──」
遠慮しようとする彼女を宥め、休憩室へと連れて行こうとした。すると──
「デイジー!どこへ行っていたんだ!」
「っ──」
彼女の父親だろうか、酷く怒った様子で彼女を呼びつける男がいた。その怒鳴り声に、彼女が怯えているのがわかる。
私は守るように、彼女の背中に腕を回した。
「貴方様は──フラネル子爵ですか。ということはこちらのお嬢様はフラネル子爵家のご令嬢で?」
「そうだが……君は?」
こちらが何者であるのか見定めるような、高圧的な視線。その少しの仕草で、私は目の前の人物がどういうタイプの人間かを見抜いた。そして自分がどう行動すればいいか瞬時に判断する。
「申し遅れました。私はレスター・エスクロスと申します。先ほど私の不注意で、お嬢様のドレスを汚してしまったので」
「エスクロス……まさか貴方は宰相閣下の……!」
案の定のフラネル子爵は、私の家名を聞いて途端に態度を変える。普段ならばこういうタイプの人間は嫌厭するところだが、相手は彼女の父親だ。彼女の立場を守りつつ、私自身も彼に気に入られたほうが都合がいいだろう。そう思い至り、私はにこやかに応対した。
「えぇ、確かに父は現宰相で、エスクロス侯爵ですが」
「あぁ、なんと……。それで、うちの娘が何か貴方に粗相でもしましたか?」
「いえ、先ほど申しましたように、私の不注意で彼女のドレスを汚してしまったので、どこか休憩室にでもお連れしようと思っていた所なのですよ」
権力に弱いタイプの人間は、私の父が宰相であることを知れば、その大体がすぐに媚びてくる。あまり褒められたことではないが、彼女との時間が欲しい私にとっては当然用いるべき手段であった。
「折角のデビュタントのドレスを汚してしまって、本当に申し訳ございません。彼女のことはどうか叱らないであげてください。いずれこのお詫びは改めて──」
「あ、あぁ、そうですな。はは」
「では──」
私はそのまま彼女と共に子爵から離れる。彼女が父親に怯えているのを感じたからだ。
会場の隅まで歩き、父親の姿が見えなくなって、ようやく緊張から解放されたのだろう。それまで腕から伝わってきていた震えが、小さくなっていくのを感じた。
それで横にいる彼女に視線をやったのだが、未だ彼女は不安げな様子をしている。
調子に乗って話を進めたが、それはもしかして間違いだったのだろうかと、私は不安になって訊ねてみた。
「勝手に話を作ってしまったこと、気に入らなかっただろうか?」
「いえっ、滅相もありません。……父に怒られないようにしてくださったんですよね?」
「あぁ……君が怖がっているように見えたから」
「助かりました……本当でしたら物凄く怒られる所でしたのに……なんとお礼を申し上げてよいやら……」
そう言って申し訳なさそうに笑う彼女は、どこか儚げで、守ってやりたい衝動に駆られる。
思わず彼女に手を伸ばしそうになり、慌てて自制した。
「そんなに気にしないでくれ。宰相である親の権力を出す事でしか助ける方法が思いつかなかったなんて、私にとっては情けない話なだけだから」
「でも……」
「いいんだよ、私がしたくてしたことだ」
そう、自分でしたくてしたこと。
けれど所詮は宰相である父の力を使っただけだ。
まだ19歳で爵位を持たない私は、ただの貴族の令息であって、自身には何の力もない。偉そうにフラネル子爵に自分の立場を話したが、親の威光を借りただけの張りぼてだ。
私は自身の情けなさにため息をつきたくなるのを抑えながら、彼女を休憩室に案内した。




