1話 診察室
「では、立花さん、予定通り抜歯しますので隣りの処置室にどうぞ」
と案内された。ようやくこれで右臀部に再発と寛解を繰り返す嚢腫とはおさらばだ。
この嚢腫に私は10年近く悩まされた。初めて出来たのは中学生2年の頃である。まだ、このあたりの時期では痛みも無く出来ても直ぐに消失してしまう程度のものであり、そこまで気にならなかった。しかし、時が進むに連れ嚢腫はその本性を剥き出してくるのであった。高校生の頃にはまず痛みが本格的に出て来て座りにくくなる。これには柔らかいクッションにて対策をとってなんとか過ごしていた。高校卒業後の無職時代(働く気はあったのでニートではない)には腫れと痛みが酷くなり歩くことが難しくなった。外科の外来にて嚢腫の中身を切開し中にある膿汁を出すという治療を受けたが、時間が経てば再発の繰り返しであった。しかし、そのレベルになると嚢腫が裂けて圧迫している原因の膿汁が出てしまうことにより圧が下り痛みも無くなってしまうので再発とは言っても症状は比較的穏やかなものであった。となると通院する事もおざなりになることや何回も病院を受診するとなると親からの小言や親の扶養の保険証を渡してもらう手間を考えると面倒だったので放置していた。
だが、専門学校の3年生辺りからは歩くのはおろか立つことも難しくなり全身麻酔による摘出手術を受けなければならなかった。幸いにも夏休みだったことや実習で失敗して留年していることや既に単位を取得している授業もあったことからかなり時間に余裕を持って手術に望めたのである。
処置室にあるベットの前でズボンを下ろしてから臀部を露わにしうつ伏せになる。この段になるともう先生や看護師さんの前で下半身を晒すことに何ら躊躇しなくなっていた。
「では、失礼しますね…」
と創部に貼っているガーゼをとり抜歯に掛かる。
このような創部が見えないところの処置はなかなかの恐怖である。看護師さんが用意する医療器具のカチャカチャ音や袋の開ける音などは小心者の私には余計に恐怖を煽るかたちとなってしまう。が、数々の『現場』を経験した私はなんとか耐え凌ぐ事ができるスキルを自然と身に着けていた。
「光あてて、そっちから…」
と先生が指示を出す
「じゃあ、切っていきますよ〜」
ぷち…ぷち…ぷち…
と糸を切っていく音や糸からくる振動が伝わってくる。
「糸抜きますね〜」
と和やかな口調で伝えてくる。
ズリ…ズリ…ズリ…
と組織を擦りながら糸を引き抜いていく感覚はなかなか慣れるものではない。
「全部、抜けましたよ。消毒してガーゼ貼っておきますね。」
やっと私は病から開放された。
ガーゼを貼って貰ったあと、また診察室に案内され先生から説明を受けた。
「この病気なる方は再発することが非常に多いんです。治すには嚢腫を全部取らないとまた再発してしまうんです。厄介なことにこの嚢腫はトンネルみたいな根っこみたいな感じに広がるんですよ。なので、全身麻酔で徹底的に摘出しました。今は特殊な染料がありましてね。これを嚢腫に注ぐと取らないといけない部分が染まるんですよ。トンネルみたいになってますからね。」
この話は術前の説明でも聞いたことがあるが、先生も確認の為にやっていることであるし、わざわざ説明をしてくれているのを断るのもおかしな話であるし何よりもこの先生の話を聞くのは好きなタチであるので集中して傾聴に務める。インフォームド・コンセントと言うやつだ。
「今回は、幸いなことに肛門と開通してなくて良かったです。開通してると肛門科の先生とも相談しないといけないのでちょっと大変になるです。まぁそれは立花さんとは関係ありませんが、やり方がちょっと変わってしまうんです。」
先生がひと呼吸置いて、パソコンの電子カルテをちらりと見たあと
「徹底的にとりましたがそれでも再発する事もあるんです。正直に言いまして立花さんは再発しやすい体質だと思うんです。ですから、また調子が悪くなればすぐに受診して下さい。」
再発だとか徹底的とかをやたら強調することが若干の引っかかるものを感じたが、そこはあえて飲み込んでおく。歩けなくなるが死ぬわけではない。再発したらまた、受診すればいい。外科の先生は縫い方が下手らしく傷口は裂けるは治らないはで散々だった。皮膚科に変えて正解である。
「ありがとうございました。外科じゃあ全然治らなかったんですよ。再発ばっかりしてて…本当に助かります。先生がやってくれましたからたぶんこれが最後ですよ。」
ちょっと、笑顔になる先生の表情を私は見逃さない。
「まぁ一応、抗生物質も何日か出しときますね〜」
「わかりました。それでは、失礼します」
やはり、皮膚科の先生だ。頼りになるなぁと思い診察室を出た。
異世界に行くまで主人公の哀れな日常をお楽しみください。