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#36 序曲

 しばらく落ち着いたかと思いきや、再びバリバリバリバリッと、耳をつんざくような轟音が王都サンタンデールの空を震わせる。

 それは雷鳴ではない。もっと根源的な、空間そのものが悲鳴を上げているかのような不吉な響きだった。

 王都の遥か上空、高層の雲と地上とのど真ん中に、巨大な亀裂が走っていた。昨晩よりも広がっている。

 まるで、世界の天井ガラスにひびが入ったかのように。その裂け目の奥には、吸い込まれそうなほどの漆黒と、時折明滅する赤黒い稲妻が見え隠れしている。


「あ、ああ……なんということじゃ……」


 急ぎ王都に召喚したオーガスタ殿が、その光景を見てガタガタと震えている。つい先日の反乱鎮圧時の時に見せたように、顔面は蒼白で、その瞳には底知れぬ恐怖が宿っていた。


「このままではフォルトンが、崩れ落ちる。まだ、あそこには多くの魔獣、そして魔族が残っておるのに……」

「オーガスタ殿よ、状況を説明してくれ。あれは、以前我々が迷い込んだあの世界が、崩壊しているということか?」


 私は人型重機のコックピットから降り、彼女の肩を掴んで問いただした。

 彼女は縋るように私の腕を握り返してきた。その手は氷のように冷たかった。


「そうじゃ……以前、そなたらが迷い込んだ時は、まだ崩壊は端の方じゃった。だが、見てみよ、あの亀裂の大きさを。このままではフォルトンの存在そのものが砕け、『虚無』と化す予兆じゃ」

「だが、何で今ごろ崩壊が始まったというんだ」

「分からぬ。もしかすると、我ら魔獣がこちら側に集まったことが原因かもしれぬ。あるいは、そなたら星の者が集結したことが原因かも……」

「おい待て、我々が集結したことが原因なら、もう数か月も前からここにいるぞ。にもかかわらず、あんなものは発生しなかった。タイミング的に考えて、お前らの反乱こそが原因では?」


 といったところで、僕はふと思い出す。そういえば、とてつもない質量兵器を使ったよな。まさかあれが原因だとは言うまいな、と。

 と思いつつも、私の言を聞いたオーガスタ殿は、涙を流しながら必死に訴えてきた。


「アードルフ殿よ! た、頼む、助けてくれ! あそこには、移動能力を持たぬ老いた魔獣や、魔族たちがまだ多く取り残されておる!」

「魔獣はともかく、他に魔族がいるのか?」

「魔族の多くは、人族の住む世界を好まぬ。新たな世界に来ることを拒んだ連中がわずかながら、あそこには残っておる。やつらは、人族の世界で暮らすくらいなら死を選ぶと言うておった。が、(わらわ)は彼らを見捨てることはできぬ! 事が事じゃ、頼む、そなたらの持つ『船』の力で、彼らを救い出してくれぬか!」


 魔族の王が、なりふり構わず額を地面に擦り付ける。

 つい先日、我々に牙を剥いていた者が、今や助けを求める弱者としてそこにいた。


「アードルフさ……あの、私からもね……」


 隣に立つノエリアが、私の服の袖を引く。

 彼女の目もまた、懇願していた。オーガスタ殿を見捨てないで、と。


「分かっている。我々、軍属の本懐は、民間人の守護だ。この星では、それが魔族や魔獣とて、人族と共に暮らせる者であれば、同様の行動をとる」


 私は短く答え、通信機を取り出した。これは、単なる人助け、いや、魔族助けではない。

 ここで彼らに恩を売れば、我々と魔族との共存関係は、より盤石なものとなるだろう。反乱など起こそうとは思うまい。

 私はそこまで考慮した上で覚悟を決め、艦隊司令部への回線を開いた。


 一時間後。

 駆逐艦2130号艦のブリーフィング・ルームには、重苦しい空気が漂っていた。

 この場には艦長と私が、そしてモニター越しには艦隊司令長官、そして司令部幕僚たちが顔を揃えている。


『……つまり、貴官はこう言うのだな。あの亀裂の向こう側へ突入し、崩壊する世界から難民を救出したい、と』


 司令長官の声は渋かった。当然だろう。

 つい先日、反乱を起こしていた敵対勢力のために、貴重な戦力を危険に晒せというのだから。


「はい。それには三つ、理由があります」


 私は努めて冷静に、用意していた論理を展開した。


「第一に、人道的見地。彼らは侵略者ではなく、故郷を失った避難民です。我々連合憲章の理念に照らし合わせれば、救助は義務であります」

『ふむ』

「第二に、安全保障上の理由。あの亀裂を放置すれば、崩壊エネルギーの余波がこの星系に及ぶ懸念があります。内部から亀裂を観測し、必要であれば閉鎖措置を講じる必要があります」

『理屈は通っているな』

「そして第三に、これが最も重要ですが……この作戦が成功すれば、我々は魔族に対し、恒久的な『貸し』を作ることができます」


 私はモニターを見据え、言葉に力を込めた。


「彼らは力による支配には反発しましたが、恩義には厚い種族のようです。魔族の王の懇願を聞き入れ、同胞を救えば、彼らは心から我々に服従し、この星の強力な戦力となりえるかもしれません。これは、将来的な連盟軍との戦いを見据えても、むしろ安い投資です」


 あちらの会議室がざわめくのが、リモート越しでも分かる。

 幕僚たちが顔を見合わせ、ひそひそと議論を交わしている。おそらく大半は、反対意見なのだろう。

 が、そんな風潮にくぎを刺すように、艦長が口を開いた。


「長官。私は副長、アードルフ少佐の案を支持します。彼の判断は、少なくともこれまで間違ったことはありませんでした。現場の判断として、尊重したいと存じます」

『そうか……艦長がそう言うならば、司令部としても信頼することにしよう』


 司令長官が重々しく頷いた。


『よろしい。アードルフ少佐、貴官の指揮下にある第21小隊、駆逐艦10隻の使用を許可する。ただし、深追いはするな。艦の安全を最優先とし、少しでも危険と判断したら即座に撤退せよ』

「了解しました! ではこれより、作戦を実行します」


 私は敬礼し、通信を切る。

 振り返ると、部屋の隅で待機していたオーガスタ殿が、涙を浮かべて崩れ落ちていた。


「ありがとう……ありがとう、アードルフ殿……! この恩は、末代まで忘れぬ……!」

「礼を言うのはまだ早い。まだ出撃の許可を受けただけだ。そういうのは、成功してからにしてくれ」


 私は彼女を立たせ、次の準備に取り掛かる。

 次は、もっと厄介な相手――エンリケ殿の説得だ。


 ◇◇◇◇◇


 宇宙港のドックでは、すでに出撃準備が始まっていた。物資の搬入、人型重機の換装、そして救助用ポッドの搭載。

 その喧噪の中、アードルフのやつが魔術師隊の詰め所を訪れた。


「……正気か、アードルフ」


 開口一番、私は呆れたように言った。

 私の周りには、カルメラや他の上級魔術師たちが集まっている。無論、アードルフと一心同体ともいえるノエリアもいる。


「つい先日、我々に牙を剥いていた連中のために、あえて死地に飛び込めというのか? お前、お人好しにも程があるぞ」

「お人好しではない。これは戦略だ」

「戦略?」

「エンリケ殿。あなた方は、自分たちのルーツを知ったはずだ。魔術師の祖先は、あのフォルトンからやってきたと」


 私の言葉に、エンリケ殿の眉がピクリと動く。


「……ああ、そうだな。我々の先祖は、あの世界を捨ててこちらへ逃げてきたらしいな。だが、それは先祖が決断したこと。我々には関係ない」

「とはいえ、これから向かう場所は、あなた方の『故郷』の成れの果てだ。そして、そこに残されているのは、かつてあなた方の祖先と(たもと)を分かった者たちの子孫だ。それを見殺しにできるのか?」


 私は、沈黙する。心の中で、いくつかのことが葛藤している。

 魔術師としての誇り、魔獣への敵対心。一方で、私には「長」としての責任感と、隠しきれない情の深さがある。それは、アードルフも承知している。


「……それに、今回の作戦には魔術師の力が不可欠だ」


 アードルフが、畳みかけるように言う。


「崩壊する世界では、物理法則が乱れている。となれば、我々の科学技術だけでは対処できない事態が起こるかもしれない。そんな時、エーテルを直接操る貴殿らの魔術が、唯一の頼みの綱になる」


 つまり、王族魔術師隊の役目があると言いたいらしい。私は深く息を吐き、天井を仰いだ。

 そして、カルメラの方を向く。


「カルメラは、どう思う?」

「決まってるじゃない。行きましょう、エンリケ。あまり時間も無いようだし、それに、ご先祖様が見ていた景色、最後くらい看取ってあげないとね」

「ふん……お前なら、そう言うと思ったよ」


 私は思わず口元を歪め、ニヤリと笑った。


「よし、分かった。アードルフ、我々、王国魔術師隊も同行する。ただし、勘違いするなよ。魔族のためではない。我々のルーツへの、最後の挨拶。これが我らの目的だ」

「それで構わない。ともかく、協力に感謝する、エンリケ殿」


 そこへ、ノエリアが駆け寄ってきた。

 彼女はすでに、魔術師のローブをまとっていた。


「私もいくからね。置いてったら承知しないわよ!」

「ああ、当然だ。私は『王国魔導師隊』に出動依頼をした。その一因であるお前がいないのは、おかしいだろう」

「あのさぁ、相変わらず素直じゃないなぁ。私に来て欲しい、来てちょうだい、って素直に一言いえばいいのに……」


 相変わらず、不器用な男だ。だが、そんな男の説得に応じて、私は出撃を決めた。心がないわけではない。こうして、役者は揃った。

 駆逐艦が10隻、それらに搭載される人型重機部隊と哨戒機隊、そして王国最強の魔術師隊が5人。オーガスタも同行するという。

 かつて敵対していた者たちが、今ひとつの目的のために集結した。


 ◇◇◇◇◇


「機関始動! 重力子エンジン、出力上昇! 両舷微速上昇!」

「両舷、微速上昇、ヨーソロー!」


 艦橋に、艦長の号令と航海士の復唱が響く。

 私は副長席で、各艦の状況をモニターしていた。


「第21小隊、全艦、突入位置に集結完了!」

「進路クリア。目標、王都上空、高度2000の次元亀裂内!」


 地響きと共に、10隻の3、400メートルの駆逐艦が前進を開始する。

 王都の人々が、不安と期待の入り混じった表情で空を見上げているのが見える。その中には、一角狼のウォーレンやイノシシのバイロンたちの姿もある。彼らは空に向かって、主の無事を祈るように遠吠えを上げていた。


「全艦、突入せよ。そこは天国か、それとも地獄の一丁目か。まあおそらくは、後者だろうな」


 つい柄にもない物言いをしてしまったな。そんな私の一言を合図に、駆逐艦2130号艦を先頭に、10隻の艦隊は加速する。

 青空を引き裂く黒い傷跡。その不気味な口が、我々を待ち受けている。

 近づくにつれ、計器が異常な数値を示し始めた。


「重力波、増大! 空間湾曲率、計測不能!」

「構わん! バリアを展開しつつ、突入せよ!」


 ズズズズズと、艦が不気味な音を立てて激しく振動する。まるで、巨大な生物の体内にでも入り込むような感覚だ。正面窓の外の視界が歪み、光と闇が混ざり合う。


「出入口、通過します!」


 一瞬の暗転の後、視界が開けた。そして、我々は息を呑んだ。


「これは……」


 そこは、まさに終わりかけの世界だった。

 かつて見た、緑豊かだった浮遊大陸の面影はない。空は血のような赤色に染まり、黒い雷雲が渦巻いている。大地は無残に砕け散り、大小様々な岩塊となって、空間に開いた巨大な「穴」へと吸い込まれていた。

 その「穴」の向こう側には、星一つない、完全な「無」が広がっている。


「あれが、オーガスタ殿の言う『虚無』か」


 ノエリアが震える声で呟く。

 物質だけでなく、光も、時間さえも飲み込む、次元崩壊の特異点。

 あそこに吸い込まれれば、原子レベルまで分解され、存在そのものが消滅するだろう。


「急げ! この世界が死ぬまで、おそらくあと数時間もないぞ!」


 私は叫び、モニターに映る地形データを解析させた。


「オーガスタ殿! 生存者の反応は!?」

「あそこじゃ。あの、今にも崩れそうな岩山の上じゃ。そこに、小さな村がある。そこに魔族の多くが集まっておった」


 彼女が指さすモニターの一角。それは虚無の穴に一番近い、巨大な浮遊岩の上。そこに、微かな熱源反応が確認される。


「熱源、探知。何らかの生命体が存在する模様!」


 センサーを監視するオペレーターの一人が報告する。そこには、激しい嵐に耐えるように、小さな結界の光が瞬いているのが見える。


「距離1500! 全艦、最大戦速!」


 艦隊は、暴風を突き破って進む。

 時折、飛来する巨大な瓦礫が艦に衝突し、閃光を散らす。


左舷(ひだりげん)シールドに、岩石らしきもの衝突! 損傷軽微!」

「構うな! このまま進め!」


 まさに、嵐の中の航海だった。

 だが、我々の艦は、この程度で沈むようには造られていない。

 科学の粋を集めた重力子エンジンが唸りを上げ、この数百年の戦いで改良され続けた装甲がその衝撃を弾く。


「見えた! 集落です!」


 オペレーターが叫ぶ。崩壊寸前の岩山の上、そこには、粗末な石造りの家々が並ぶ、小さな村があった。

 そしてその中心で、必死に結界を維持している数名の魔族たちの姿が見えた。


「……間に合った、のか」


 だが、状況は最悪だ。

 岩山の基部はすでに崩れ始めており、虚無への引力に引かれて、ゆっくりと傾き始めている。

 着陸できる平地はほとんどない。


「アードルフ少佐、どうする? 着陸は不可能だぞ」


 艦長が問う。私は即断した。


「副長、意見具申。このまま強行接舷することを進言します。艦を岩山に押し付け、アンカーで固定し引っ張り上げます。その間、ハッチを開き、重機隊を展開して彼らの救助に向かいます!」

「無茶を言う。下手をすれば、艦が道連れになるぞ」

「その時は全速離脱するだけのことです」


 艦長は一瞬目を閉じ、そして力強く頷いた。


「よし、副長の意見具申、許可する。航海長、腕の見せ所だぞ。岩肌に張り付くつもりで寄せろ!」

「アイサーッ!」


 巨体が、崩れる大地へと迫る。轟音と共に、艦の側面が岩盤に接触した。火花が散り、強烈な衝撃が走る。


「固定アンカー射出! 急げ!」


 ドシュッ! ドシュッ! と、数本の太いワイヤーアンカーが打ち込まれ、艦と大地を強引に繋ぎ止める。


「ハッチ開放! 総員、突入せよ!」


 警報音が鳴り響く中、私はノエリアと共に、哨戒機で格納庫を飛び出した。その脇を、人型重機隊が飛び出していく。

 外は、呼吸すら困難なほどの暴風だった。


「行くぞ! 一人残らず助けるんだ!」


 我々は、崩れゆく大地へと足を踏み入れた。

 そこには、絶望と希望が入り混じった、極限の光景が待っていた。


 前方に、杖を構え、必死の形相で虚無の嵐と対峙する男の姿が見える。

 浅黒い肌に、ねじれた二本の角。

 彼がおそらく、あの魔族の生き残りを束ねる(おさ)なのだろう。


「誰だ!」


 我々の姿に気づき、彼が鋭い視線を向けてくる。その手には、攻撃魔法の光が宿っていた。極限状態ゆえの過敏な反応。敵と味方の区別もつかない混乱。


「おい、待て! 攻撃をやめろ! オーガスタ殿の要請で、助けに来た!」

「なんだと!? オーガスタ様ともあろうお方が、人族に助けなど……」


 私は両手を上げて叫ぶが、相手は聞キレようとしない。そんな彼が杖を振り上げた、その時だ。


『レキアサグ! 早まるでない!』


 オーガスタ殿の声が、拡声器を通して響き渡った。

 魔族の男の動きが止まる。


「お、オーガスタ様、今のは確かに、オーガスタ様の声か!?」


 交渉の余地は生まれた。だが、時間は待ってくれない。足元の地面が、ピシピシと不吉な音を立ててひび割れていく。

 ここからは、時間との勝負だ。

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