#34 新たな街
三ヶ月が過ぎた。
季節は巡り、王都サンタンデールの周囲には、鮮やかな緑が萌え出していた。
だが、変わったのは季節だけではない。
王都の西側、かつては何もない荒野だった場所に、今やひとつの「未来」が出現していた。
地球097より派遣された大型建設船により、驚異的な速度で宇宙港と街が建設される。
そこは「サンタンデール港」と呼ばれ、そこに併設される街は30メートルもの壁で囲われる。この壁はすなわち、地球097と王都サンタンデールとを区切る役目を果たす。
区切る理由は単純だ。あまりに文化の違い過ぎる両者はしばらくの間、交わりようがない。法律も通貨も、そして常識もあまりに違い過ぎる。例えば王都では貴族の馬車の前を平民が通り過ぎただけで、護衛の騎士に斬り捨てられるのが当たり前とされている。宇宙から来た我々が、いきなりそんな法制下の土地で暮らすことなど不可能だ。
このため、十年ほどかけて我々の「常識」が根付くまでの間、宇宙から来た我々のような者はこの壁の中で過ごすことになる。壁の中は我々の法律が適用されている。いわば、治外法権が認められた場所ということでもある。
宇宙港を中心として、我々地球097の駐留部隊や技術者、そしてその家族が暮らすための居住区画がある程度、形になりつつあった。コンビニや公園、そして近々、ショッピングモールが開店することになっているらしい。
だが、そこは単なる駐留基地ではない。王都の人々との交流、交易の拠点として限定的ながらも開放された街でもある。
「今日は晴れか。このところ雨が続いたが、休みには相応しい天気になりそうだ」
休日の朝。
遮光カーテンを開け放つと、眩しい陽光がリビングに差し込んできた。私は目を細めながら、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。コポコポという音と共に、芳醇な香りが漂い始める。
ここはそんな街の中に最初に建てられた佐官用集合住宅の一室。すでにノエリアと私は、そこで暮らしている。
「おはよう、アードルフ……」
寝室から、眠気眼のノエリアがふらふらと出てきた。
着ているのは、先日の定期便で取り寄せた、大きめのTシャツ一枚。下は……まあ、見なかったことにしよう。
彼女の寝起きの悪さは相変わらずだが、この無防備な姿を見るのも、今では私の日常となっていた。
「ようやく起きたか、ノエリア。眠れたか?」
「うん……私はこの通り、上級魔術師だよ」
ノエリアのやつ、まだ寝ぼけてやがるな。おかしな行動をしなきゃいいが……と思ったのもつかの間。その身体を覆い隠す一枚きりのTシャツをガバッと捲りあげ、その中身をこちらに晒してきやがった。朝っぱらから、何をやっているんだ。見慣れているとはいえ、私の理性の壁をぶっ壊しかねないこの所業に戸惑いの顔を見せたあたりで、ようやくノエリアは目が覚めた。
「あ、いや、今日も全身に、魔力がみなぎってるなぁと見せたくてね……」
どういう言い訳だ。みなぎってるのは魔力ではなく、別のものじゃないのか。などと思う私の前にそそくさと座り、置いてあるトーストに手を伸ばした。
「いやあ、美味しいよねぇ、トースト」
などと誤魔化すが、まだ動揺がおさまらないようだ。挙句に、なぜかジト目でこちらを睨みつけてくる。が、さっきから私は何もしていないぞ。なぜそこで睨む?
と、そんなハチャメチャな態度のノエリアは、リビングの床を這い回る「あるもの」に視線を落とした。
ロボット掃除機だ。ノエリアはこれを「ポチ」と呼んでいる。
「あ、ポチがお仕事してる。えらいえらい」
「おい、それはただの機械だ。褒めても何も変わらんぞ」
「いいじゃない。ポチは家族みたいなもんでしょ? ほら、私の足の周り、くるくる回ってるよ。可愛いなぁ」
ノエリアが足を上げると、「ポチ」はその下を器用に通り抜けていく。単にセンサーがノエリアの足を感知してすり抜けているに過ぎないのだが、それが面白いらしい。
魔術師である彼女が科学の産物と戯れている光景は、どこか馬鹿馬鹿しくも微笑ましいものに感じる。彼女の持つ、喜怒哀楽の激しい性格が醸し出す空気感ゆえだろうか。
「さて、今日は休みだ。久しぶりに天気もいい。街へ出るか?」
「えっ、行く行く! そういえば今日は、ショッピングモールが開店なんでしょ? カルメラから聞いたんだけど、すごいお店がいっぱい入ってるって!」
ノエリアの目が、一瞬で覚めたようだ。あれ、ショッピングモールは今日、開店だったのか。
彼女はこの三ヶ月ですっかりこちらの文化に馴染み、今や私よりもこの街の流行に詳しい。
特に「スイーツ」と「ファッション」に関しては、貪欲なまでの知識欲を見せている。
もっとも、今はそのファッションの知識がまるで活かされていない姿格好だが。
「分かった。準備ができ次第、出発しよう。と、その前に、まずは服を着ろ」
「あ、そうだった。えへ」
で、ようやくまともな服に着替えたノエリアと共に、外に出る。この街のメインストリートは、多くの人々で賑わっていた。
軍服姿の我々地球097の人間と、チュニックやローブを纏った王都の人々が、当たり前のように行き交っている。道端にある自動販売機の前で飲料の買い方に悩む騎士に、通りがかりの住人が教える姿が見られる。
空を見上げれば、音もなく離着陸する連絡艇の向こうを、定期便を運ぶワイバーンの編隊が飛んでいく。
科学と魔法、人と魔獣が混ざり合う、混沌としつつも活気に満ちた光景。
我々が目指した共存の形が、ここにはあった。
「ねえアードルフ! 見て、あの服!」
ショッピングモールのショーウィンドウの前で、ノエリアが足を止める。
そこには、こちらの世界の素材を使いつつ、地球097のデザインを取り入れた、両文化折衷のドレスが飾られていた。
「綺麗だな。試着してみるか?」
「うーん……でも、ちょっと高いなぁ。100ユニバーサルドルだって。大銀貨なら5枚分だよ」
「気にするな。今月は危険手当も入った。その程度、たいした金額ではない」
「えっ、本当に!? やったぁ! アードルフ優しい!」
人目も憚らず私に抱き着くノエリア。周囲の視線が痛いが、悪い気はしない。
彼女の笑顔を見ていると、あの殺伐とした魔獣との戦いの日々が、嘘のように思えてくる。この三か月の間、そんなことがあったことすら忘れさせるほど穏やかな日々が続く。
やっとこの星も、平穏を得た。
買い物を済ませた私たちは、モールの最上階にあるレストラン街へと向かった。選んだのは、イタリアンの店だ。
もちろん、食材はこの星のものを使っているが、その食材の中でも小麦や調味料などの種子は、連合側の農業専門の会社がもたらしたものであり、それを近くの荒れ地を開拓して短期間で育成したものを用いている。なお調理法は、地球001という星が広めたものだ。
「はい、お待たせしました。『ドーリア海産魚介のペスカトーレ』と『王都高原牛のボロネーゼ』です」
ウェイターロボットが、湯気の立つ皿を運んでくる。それを見たノエリアの目が輝く。
「うわぁ、これがパスタ……麺がツルツルしてる。王都の食堂で出る、ボソボソした麺とは全然違う」
「当然だろう。小麦の品種と、製粉技術の違いが大きい」
「言い方! もうちょっとさぁ、シェフが丹精込めて作ったとか、そういう心の通ったしゃべり方ができないのかなぁ」
「どうせそのシェフだって、ロボットだろう。それよりも冷めないうちに食べよう」
呆れた顔をしながらもフォークを器用に使い、パスタを口に運ぶノエリア。次の瞬間、彼女の瞳が見開かれた。
「んんっ! おいしぃぃぃぃ!」
「おい、声が大きい」
「だって、すごいよこれ! トマトの酸味と、魚介の旨味が口の中で爆発してる! まるで、味の空淡蒼爆炎だよ!」
「例えが物騒だが……まあいい、気に入ったならよかった」
私もボロネーゼを口に運ぶ。これはこれで美味い。
駆逐艦の食堂で食べる、味気ない軍用の食材とは雲泥の差だ。ショッピングモールの開店で、やっとこの星でもまともなパスタが食べられるようになった。
この星の、特に海の食材は豊富で、それだけに良いものが入手できる。そこに我々の調理技術が加われば、地球097の本国でも味わえないような絶品料理が生まれる。
食文化の融合。これこそが、平和の象徴であり、礎なのかもしれない。
あの魔獣たちとて、食べ物で釣ったようなものだからな。露骨な言い方をすれば、食が安定していれば、戦いなど起きようがない。
もっとも、宇宙での戦闘はその食を通り越したイデオロギー的なものが発端であるがゆえに、いつまで経っても終わりそうにないのだが。
さて、食事を終えた我々は、腹ごなしに近くの公園を散策することにした。
整備された芝生の上では、地球097の子供たちがサッカーボールを追いかけ、その横で、王都の子供たちが小さな魔術で蝶を追いかけている。
ベンチに座り、私とノエリアはペットボトルのコーラを飲みながら、その光景を眺めていた。
「ねえ、アードルフ」
「なんだ」
「私、今、すっごく幸せ」
「コーラのおかげか?」
「違うでしょ! そのコーラが飲めるようにしてくれた人のおかげ!」
と言いながらノエリアが、私の肩に頭を預けてくる。シャンプーの香りと、彼女の体温が伝わってくる。
「でも、こんな穏やかな日が来るなんて、思わなかったな。魔獣に怯えて、毎日張り詰めていた頃が嘘みたい」
「ああ、そうだな。だが、これはまだ始まりに過ぎない」
「え?」
「我々はまだ、お互いのことを知り始めたばかりだ。これからもっと、色々な問題が起きるだろう。文化の違い、価値観の衝突……。魔族たちだって、いつまでも大人しくしているとは限らない」
「もう、アードルフってば。せっかくいい雰囲気なのに、すぐ悲観的な話をするんだから」
ノエリアが頬を膨らませる。私は苦笑して、彼女の肩を抱き寄せた。
「すまない。軍人だからな、一種の職業病だ。だが、どんな問題が起きても、どうにかなるだろう。今はそういう気分だ」
「うん。それは私も、そう思う」
ノエリアが顔を上げ、私を見つめる。その瞳の奥には、私への信頼と愛情が宿っていた。
私はそっと、彼女の肩を抱きしめた。
軍務一筋だった私が、まさか妻を、それも魔術が使えて喜怒哀楽の激しい女性と一緒に暮らすなどとは、つい数か月前まで考えたことすらなかった。こういうのを、世間では幸福と呼ぶのだろうか。正直言って、まだ実感が薄い。
公園の噴水が、虹色の飛沫を上げている。昨日までは雨が降っていたから、辺りの木々の葉はまだ雨水で濡れているところもある。空には、白い雲がいつもより早く流れていた。
この穏やかな日々が、永遠に続けばいい。少なくとも私は、そう思った。
だが、私の「職業病」による予感は、悲しいかな、的中することになる。
この平和な光景の裏で、新たな、そして今までとは質の違う危機が、静かに進行していた、
私のスマホが不穏な振動を始めたのは、その直後のことだった。私はその通知に応え、通話に応じる。
「……アードルフだ。なんだ、何か起きたのか?」
『副長! 緊急事態です! たった今、エンリケ殿より入電!』
通信士の切羽詰まった声が、私の耳を打つ。
『オーガスタ殿が……魔族の王が、カンタブリア王国に対して突如、王国領土の一部割譲を一方的に宣言しました! これは事実上の宣戦布告です!』
私はスマホ片手に、天を仰いだ。やはり平和とは、かくも脆いものなのか。
隣で不思議そうに私を見るノエリアに、私は努めて冷静に告げた。
「ノエリア、申し訳ないが、デートは中断だ。仕事に戻るぞ」
「えっ? どうしたの?」
「つまりだ、オーガスタ殿が駄々をこね始めたらしい。まったく、何が割譲だ。おとなしくしていれば平和裏に暮らせたものを……これは少しばかり、お灸を据えに行かねばならんようだ」
「ちょっと待って、どういうこと!?」
平和な休日は、唐突に終わりを告げた。やはり私は、戦いの中でしかその存在を知らしめることが叶わないというのか。




