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#22 不安

 ノエリアは、左舷側の休憩所に向かったと聞いた。私は今、その休憩所に向かっている。

 思えば、この作戦をスムーズに立案できたのは、ノエリアの助言のおかげだ。ならば今、ノエリアの抱える心の傷を、私が治さなければならない。


 休憩所に着くと、ノエリアが一人、テーブルの上で伏せっている。


「あ~っ……あ~っ……」


 何をしとるんだ、この娘は。まるで猛獣の寝言のような変な声を上げている。


「おい、どうした?」

「……どうもこうもないわよ……あたしったらあんなことでついカッとなって怒鳴っちゃってさ……みっともないったらありゃしな……って、アードルフ!?」


 私の声を聞き、ガバッと起きるノエリア。


「……さっきのこと、悔やんでたのか、お前」

「なななななんだって、ここにあんたがいるのよ!」

「なんでって、いや、ノエリアのやつが機嫌を損ねているから、責任とって治してこいと、艦橋内でそういう雰囲気にのまれてだな……」

「何よそれ?あんた、あの場にいた皆から、何言われたの?」

「ダメだとか、嫉妬とか、人の心を理解しろとか散々言われたぞ」

「はあ、そうなんだ……」

「で、お前は今、何を後悔し、落ち込んでいたんだ?」

「何って、今言っちゃったでしょう!つまんないことで怒鳴って飛び出しちゃったから、それでちょっと後悔してたのよ!」

「そうか」

「そうかじゃないわよ!なんだってこうなっちゃったのか、少しは考えてよね!」

「ああ、すまない」


 顔を真っ赤にして怒鳴るノエリアに、謝る私。だがノエリアのやつ、再び落ち込む。


「あ~あ、またやっちゃってる……あたしってどうしてこうなんだろう……」

「何がだ」

「何がって……ほら、相手のことを考えないで、すぐ怒鳴っちゃうのよ。それで昔から私、口うるさいって言われるのよね」

「そうか?私としては、これくらいよくしゃべる方が、何を考えているのかが分かりやすくて助かるが」

「……なんだかちょっと、引っかかる言い方ね」


 私はそばにある自販機に向かう。ノエリアに尋ねる。


「おい、何か飲むか?」

「ああ、じゃあ……ブドウのやつ、ちょうだい」

「グレープか、ちょっと待て」


 私はグレープジュースを買うと、ノエリアに渡す。それを受け取り、怪訝な顔つきでそれを飲み始める。


「あのさ、あんたって何考えて、私の左手薬指に指輪をはめてくれたわけ?」


 突然、ノエリアがこんなことを言い出す。


「いや、お前が装飾品を欲しいと言ったから……」

「そりゃそうだけど、いきなり薬指だよ、左手の。なのにあれから、何にもないよね、私達」


 なにやら意味深な言い回しだな。もしかして、指輪をはめる指に、何か意味があるのか?


「すまない、もしかして指輪を左手薬指にはめる行為は、特別な意味があるのか?」

「大ありよ!あんたんとこじゃ、そういう習慣ってないわけ!?」


 缶を握り、真っ赤な顔で私を睨みつけるノエリアの表情からは、なにやらただならぬものを感じる。私はスマホを取り出し、その意味を検索してみる。


 とてつもなく特別な意味が、そこには書かれていた。


「……おい、もしかしてこの行為は、婚約を意味することだったのか?」


 私はささやくように、ノエリアに尋ねる。ノエリアは、黙って頷く。

 この左手薬指に指輪をはめる意味については、地球(アース)097では婚約および結婚指輪をはめるところだと書かれている。どうやらこの王国でも、それは同じらしい。

 なんということだ。私としたことが、そんなこととは知らずノエリアの左手の薬指に、あの銀の指輪をはめてしまったというのか?


「……あの、ノエリアさん?私は、ご覧の通り軍人だ。いつ戦死するか分からない身の上でもある。こんなやつと一緒になどなれば、後悔することになるかもしれないぞ」

「ふーん、じゃあ聞くけど、その軍人ってさ、みんな結婚してないわけ!?」

「いや……そんなことはない」

「いつ死ぬかなんてさ、別に軍人でなくったって分からないことだよ。それに命賭けてるって意味じゃ、魔獣と戦う王都の城兵や上級、中級の魔術師だって同じだけど、城兵や魔術師でも結婚してる人はたくさんいるよ」


 私のこの問いかけに、ノエリアのやつ、至極正論で返してくる。


「てことは、あんたもしかして、ずーっと妻を娶るつもりはなかったってことなの!?」

「ああ、いや、そういうわけではない。ただ、そういう話は自分には無縁だと思っていた」

「ええーっ!そうなの!?いや、なんでよ?」

「この通りの男だ、どこをどう見ても、好かれる要素がないだろう」

「そうかなぁ……なんていうかその、アードルフって扱い易いなぁと思ってるよ。ほら、あの戦艦の街とか言うところに行った時も、私が無理に付き合わせたのに文句も言わず構ってくれて、おまけにスイーツにスマホに、映画のことまで私に教えてくれたしさ」

「なんだ、暇つぶしに付き合ったことが、気に入った理由だというのか?」

「いや!それもあるけど、それだけじゃないよ!私さ、男の人と話すって、結構苦手で……」

「そんなことはないだろう。私は男の中でも、最も話しづらい人格だと自覚している。こうして私と話せるくらいなら、他の男でも大丈夫じゃないのか?」

「そうかな?遠慮なくずけずけと話してくるから、私にとっては他の男よりもずっと話し易いよ。だからこっちも、気兼ねなく話せるんだよねぇ」


 今のノエリアの話を総合すると、買い物に便利で、ごり押しすれば付き合ってくれる、遠慮なく話せる相手、そんなところか。


「……つまりだ。お前は私と、結ばれてもいい相手だと思っていると、そう言うことなのか?」


 何気なく発したこの一言に、急にノエリアのやつ、話をやめる。顔は赤くなり、握っているグレープフルーツジュースの缶が、何やらバキバキと音を立てている。


「な、なんてこと言うのよ!?あんたさ、もうちょっと遠回しの言い方ってできないの!?」

「いや、無理だ。だが、今のノエリアの話を総合的に判断して出した結論だ。私に指輪の意味を確認してきた上に、一緒にいるのが嫌だと言う意見は出ていない。おまけに、命をかけた兵士や魔術師でも結婚する者はいるという発言。これらを総括すれば、自ずとそう言う結論しか導けないのだが」


 私のこの言葉に、ジュースの缶はさらにバキバキと音を立てている。そろそろ中身が飛び出てきそうだ。


「いや、その……っていうか、なんであんたってそういつも策略家のように筋道立てた話し方しかしないのよ!」

「それは、現に私は策略家だからだ。仕方がない」

「そうじゃないでしょう!筋道とか総括とか、そういうんじゃなくてさ、私に対して、どう思っているとか……そ、そういうの、ないの!?」

「もちろんある」

「じゃあ、言ってごらんなさいよ!」

「私もノエリアと一緒になれたら、いいと思っている」


 ジュースの缶のバキバキ音がピタッと止まる。ノエリアのやつ、まるで身体中の血液を凍らされたかのように、ピクリとも動かなくなった。

 と同時に、私も何か突拍子もない言葉を発してしまったようだと気づく。だが、今さら発言の撤回もできまい。いや、撤回する必要もない。


「いや、なんだ、私もお前に気兼ねなく話せる相手だと思っている。波長があうというか、分かり易いと言うか、そんな感じだ」

「……はあ!?たった、それだけ!?それだけのことで、一緒になりたいって言うの!?」

「お前だって、似たようなものじゃないか。だが、私にとってはこのことは極めて無視できない要素だ」

「な、なんでよ!」

「これまで私に同調できる女性など、周囲にはいなかった。ノエリア、お前が初めてだ」


 再び、顔が赤くなるノエリア。私は、ノエリアの前に立つ。


「ノエリア!」

「は、はい!」


 ノエリアのやつ、極度の緊張状態にあるようだ。大丈夫か、こいつは?


「……その缶を潰してしまう前に、早く中身を飲んだ方がいいんじゃないか?」

「へ?」


 そのあと、なぜかノエリアから、私は手汚く罵られることになる。


 ◇◇◇◇◇


「両舷減速!赤30!大気圏突入、用意!」

「まもなく、船外温度が200度を超えます!」

「バリア粒子放出開始、大気圏突入モードに移行!」


 窓の外で、徐々に明るい橙色の光が出始める。大気圏という空気の層に突入を始めた証拠だ。

 そんな光景を見るのが初めてなあの魔族の王は、窓際でその様子をじっと見入っている。横には、ローゼリンデが立って外の様子について話しているようだ。


「きれいね……でもあそこは、人も金属も焼き尽くすほどの灼熱の場所だと聞いたわ」

「ああ、見かけには寄らず、あそこは地獄だ。そんな地獄を眺めて美しいと感じるとは、皮肉なものだな」


 カルメラと私は、その灼熱の光を眺めながら話す。カルメラは、私の右腕にそっと抱きつく。


「ねえ、エンリケ」

「なんだ、カルメラ」

「私達、魔術師って、この先どうなるのかしら?」

「何がだ」

「今は魔族の抗争で、辛うじて私達、魔術師も活躍する場があるからいいけれど、この魔族の争いが終わったら、魔術師は何をすればいいの?」


 唐突に、カルメラが不穏なことを言う。


「さあな。だが、魔術師でない者も生活しているんだ。それに魔獣の襲撃がなくなれば、王都と他の街や国との往来も盛んになる。そうなれば、昔のような行商人が増える。街や国との交易が活気付けば、昔のように魔術師に警護を求める者も出るだろう」

「そうかしら、空を飛ぶ船があるのよ?わざわざ地を這って物を運ぼうなんて商人がこの先、いるかしら?」


 私の読みが甘いと言いたげな顔だな。カルメラめ、いつもはもっと楽観的なくせに、珍しく今日は慎重だな。


「案ずるな。聞けばいずれこの星も、多数の駆逐艦を構えねばならぬ時代が来るそうだ。その時は、船乗りに身を投じれば良いではないのか?」

「あなたが船乗りねぇ……魔術一筋のあなたが……本当に、そんなものになれるの?」


 カルメラめ、よほど私のことを信用していないようだな。魔術の鍛錬のため、私はこれまで、さまざまな試練を自らに課して来た。そんな私はこの先世の中がどう変わろうとも、生きる術を見つける自信はある。

 が、正直言って、不安はある。魔術が通用しない時代、上級魔術師であることを誇りにしてきた私が、果たして魔術という支えを失い、今までのように艱難辛苦に耐えてることなど、できるだろうか?


「あーあ、ノエリアはいいわよね。あのアードルフさんさえうまく取り込むことができれば、将来は安泰よね。バレンシアも、エーリクさんとはもう夫婦のような関係だし、セシルは貴族だし。この魔術師団では私達だけね、先の不安を抱えたままなのは」


 言いたい放題だが、カルメラの言うことは至極もっともである。私はカルメラに返す言葉もなく、ただ黙っている。


「でも多分、大丈夫よね。なんとかなるわ。いざとなったら、私だって働くわよ。あなた1人が、不安を全部背負い込むことなんてないのよ」


 右腕にしがみついたまま、カルメラのやつは微笑んで、私にこう言った。私はただ、黙ってカルメラを見つめる。

 すでに大気圏突入は終わり、この駆逐艦は海の上を飛んでいる。思えばこんなに遠くの海の上を往来するなど、ほんの少し前までは考えられないことだった。いや、それどころか、この船は遠く別の星に行くこともできる。我々魔術師でさえも、そんな芸当はできない。

 魔術など、なんの価値もない時代がやってくる。この先、私はどうなってしまうのだろうか?

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