#21 虚無の正体
闇に飲まれた我々は、脱出を試みる。
が、駆逐艦があの裂け目に取り込まれた途端、今度は急速に裂け目が消えてゆく。
「空間亀裂部、消失!」
光学観測班の一人が報告する。私は叫ぶ。
「状況確認!この空間の把握を最優先!」
「了解!」
窓の外を見る。辺りは真っ暗だ。ここは一体、どこだ?
「……なんだろうな、ここは。既視感のある場所だな。」
「そうですね、艦長。しかし、ここはまさか……」
艦長も私も、直感的にここがどこなのかは理解していた。だが、私も艦長もこの艦の指揮官、より具体的な証拠がないと、迂闊に口にできない。
「大気圧ゼロ、周囲に障害物なし!」
「宇宙空間とよく似た環境と思われます。宇宙線も検出。重力は……」
「どうした!?」
「あ、いえ、再確認中です!まさか、そんなことが……」
「ありのままを報告せよ!」
「はっ!重力源を確認!7時の方向、距離13万キロ!惑星クラス!」
「惑星クラスの重力源だと!?一体、なんだ!?」
「光学観測!物体識別!あれは……どう見ても、地球です!」
「は!?地球だと!?」
突然、放り投げられたこの空間の周囲を調べると、なんと地球が存在した。
外をよく見れば、星が輝いている。ここは間違いなく宇宙だ。
「おい!ここはなんだ!辺り一面、星だらけではないか!」
隣にいたオーガスタ殿が叫ぶ。
「まさか……あの黒い闇の招待は、宇宙だったのか?」
すでに宇宙を経験しているエンリケ殿は、窓の外のこの光景を見て呟く。
「……のようだな。しかも、後方に地球を確認した。今、確認しているところだ。」
と、その直後、通信士が報告する。
「艦長!地球の正体を確認!」
「なんだと!?どこだ!」
「識別ビーコンを捕捉!あれは……地球862です。」
「は!?地球862!?」
「間違いありません!大陸の地形照合!あれは、カンタブリア王国のある第1大陸です!」
なんだって?地球862だと?ということは我々は、あの星の外に放り出されたのか?
艦長が口を開く。
「……それが事実なら、周囲に友軍がいるはずだ。近くを航行する艦隊を確認できるか?」
「はい、距離180万キロのところに友軍艦艇を確認!識別信号から、地球097遠征艦隊所属の駆逐艦5210号艦以下10隻!」
「ここが本当に地球862周辺なのか、確認したい。通信できるか?」
「了解!呼び出してみます!」
通信士が駆逐艦5210号艦を呼び出す。通信士が、あちらの艦の位置や進路などを確認するやり取りが聞こえてくる。
その直後、今度は艦隊司令部から通信が入る。進宙許可を出していない我が艦がなぜ大気圏外に出ているのか、というお叱りの通信だったのだが、そこは艦長が経緯を説明する。
その間に私は、艦を立て直す。
いきなり宇宙に放り込まれた我が艦の、地球862との相対速度はゼロ。つまり、徐々に地球862に向かって落下を続けていた。このままでは、数十時間後に地球862に激突する。このまま大気圏内に戻ってもいいが、もう少し状況を把握したい。そこで一旦、地球862の低軌道に乗ることになった。
「前進強速!秒速8キロまで加速、そのまま高度120キロの円軌道上に乗せる!」
「了解、両舷前進強速!面舵40度!」
艦橋内に機関音が鳴り響く。宇宙に出るのが初めてのあの魔族の王は、あたふたし始める。
「お、おい!どどどどうなっている!なにやら、急にやかましくなったぞ!?」
傍目から見ると、やっぱり二十歳そこそこの娘にしか見えないな。本当にこいつ、300歳オーバーの魔族の王なのか?
「衛星軌道上にのるだけだ。すぐに止む。」
そんな魔族の王に私は一言だけ言うと、そばにある計器類に目を移す。
が、軌道に乗り、窓の外に地球が現れると、オーガスタ殿は再び騒ぎ始める。
「なんだ、この大きく丸いラピスラズリのような球は!?」
ああ、そういえばこの魔族の王に、宇宙やこの星のことを話していなかったな。ちょうどいい、百聞は一見にしかずと言うし、せっかく目の前に実物があるのだ。今のうちにこの世界の成り立ちを教えておこう。
「ちょっとこっちに来い。」
私はオーガスタ殿の手を引き、窓際に連れて行く。
「あそこにある青い球は、我々が地球と呼ぶ人や生命体の住む星だ。」
「星?星とは、あの空に輝く光の粒のことか!」
「まあ、そんなようなものだ。で、この巨大な球の上に、人々が住んでいる。」
「住むって、どこにだ?」
「ほら、あの茶色の部分、あそこは陸であり、その陸の上に人々や魔獣が存在する。」
「ほお……ではあの青い部分は……海か?」
「その通りだ。飲み込みがいいな。地球の大部分は海であり、それゆえに宇宙から見ると、青い球に見えるんだ。」
「おい、その宇宙とはなんだ?その地球とやらは、他にもあるのか?」
「見ての通り、宇宙とはほぼ無限と言ってもいい広大で真っ暗な空間。その空間の中に地球は今、全部で860個以上確認されている。あなた方が住むこの地球は、862番目の地球ということで、地球862と呼ばれており……」
オーガスタ殿は熱心に私の話を聞く。が、背後からただならぬ気配を感じる。
「……なんだ、どうした、ノエリア?」
「ど、どうもしないよ!でも、私にもこんなに優しく教えてくれなかったのに、オーガスタさんには親切なのね!」
「はあ?そうだったか?お前にも同じように教えただろう?」
「そ、そんなことないわよ!」
「ならば今、一緒に教えてやろう。せっかくの機会だ。」
「いいわよ!もう!」
なにやら妙に不機嫌だな。ノエリアのやつ、何を怒っているんだ?
啖呵を切ったノエリアは、艦橋を出て行く。それを見たカルメラさんが、私のそばに来る。
「あーあ、ノエリア、怒って行っちゃったわよ。」
「……私は、何かしたか?」
「そうね、したといえばしたし、そうでないといえば、そうね。」
そんな曖昧なことを言われても、なんのことだか分からない。だが、私の周りにはローゼリンデ中尉にエンリケ殿、それに、バレンシアさんまでやってくる。
「ダメだな。」
「ええ、ダメですね。」
「……うん、私でさえ、ダメだと分かる……」
ダメ出しを斉射された私は、彼らに聞き返す。
「おい!なんのことだ!」
「いや、なんだと言われてもな。」
「そうですね、副長、もうちょっと女心、いえ、人の心を理解できるよう努力した方がいいですよ?」
エンリケ殿とローゼリンデ中尉から、曖昧で難解な指摘を受ける。
「嫉妬だな。」
そこにオーガスタ殿が一言、こう発する。
「は?嫉妬?誰が誰に?」
「ノエリア殿が、妾と汝とのやりとりを見て、妾に嫉妬したのであろう。そんなもの、見れば分かるではないか。」
「いや、見ればって……私はただあなたに、に宇宙というものの話をしただけであって……」
「些細なことでも、女子の目には、ただならぬものを感じ取ることもあるぞ。しかし、ノエリア殿と汝がそういう仲であったとはな……まあよい、それよりも、すぐにノエリア殿を追ったほうがいい。」
「いや、今は非常事態の最中、私がこの場を抜けるわけにはいかない。」
そう、私は反論する。が、そこで艦長が一言。
「いや、アードルフ少佐、貴官は直ちにノエリア君の後を追うべきだろうな。」
「は?艦長、あの……それはどういう……」
「ああ、いや……貴官の任務は、空の魔族と交戦し、これを降伏に追い込むことである。現在、我々は空の魔族の存在しない宇宙空間にいる。調査が終わり次第、大気圏内に降下し、再び作戦行動を行うまでしばらく間がある。その間に貴官は休息を取り、後の作戦行動に備えるべきと考える。」
「はっ!」
「当面は、私だけで対処できる。よって現時刻をもって、貴官は別命あるまで休息、待機せよ。」
「はっ!承知致しました!アードルフ少佐、次の作戦行動に備え、休息、待機致します!」
「うむ。貴官の健闘を祈る。」
艦長は、休憩に入る私に向かって敬礼する。それに呼応し、この艦橋内の20人ほどの乗員まで、一斉に敬礼する。私は彼らに返礼で応え、艦橋を出る。
つまりこれは、ノエリアのことをどうにかしておけという、乗員の総意の現れであろうな。こうなると私は、是が非でもノエリアの元に向かい、このわだかまりを解消せねばならない……
◇◇◇◇◇
「なんだ、魔族でも『嫉妬』という言葉を知っているのだな。」
私はオーガスタに話しかける。すると齢321歳にもなるこの娘は、私のこの言葉に応える。
「300年ほど前に、父と母のそういうやり取りを見てきたからな。父は他の魔獣のメスに優しかったゆえ、母がしょっちゅう父に叫んでおった。そのような感情を『嫉妬』と教えてくれたのは、父だった。まさに先ほどのノエリア殿もそうであったな。」
「なんだ……やはり人の知恵が介在していたのか。」
そうだよな、魔獣同士が嫉妬という感情を抱くとは、到底考えられない。しかしだ、それにしても半人半獣の母親が、他の魔獣のメスと関わるその人族の男の姿を見て嫉妬するなどという状況は、全く想像がつかない。だが、人並みの知性を持つ魔獣が嫉妬するほどに、魔獣のメスと関わったというその父親は一体、どういう感性、いや、性癖の持ち主であったのか?私ならば、そもそも半人半獣の者ですら交わろうとは思わないが。
いや、そんな話はどうでもいい。魔獣らが恐れていたという闇に、我々はあっさりと飲まれてしまった。その結果、我々は宇宙へ放り出された。この宇宙を旅する船に乗っていたから良かったが、生身のままであれば、我々は確実に死んでいた。
「なあ、魔獣の王よ。見失ったガルグイユの群れも、もしかしてあの闇に飲まれたのではあるまいか?」
「妾も左様に思う。この船を飲み込んだあの闇の裂け目は、魔力を放った時に現れやすいことを我らは知っている。一角狼、ヘルハウンド、トゥルッフ・トゥルウィスの群れにつけられたあの魔導を避けるために、ガルグイユの群れは全力で逃げていたに違いない。その魔力に誘われて、やつらは闇に飲まれてしまった。いくら逃げたガルグイユを探しても見つからないのは、それゆえではないのか?」
私も、この魔族の王の推測に賛同する。つまりガルグイユも、この宇宙に放り投げられた可能性が高いと見るべきだろう。だがこの宇宙というところは息をすることも叶わず、陰陽の寒暖差が極端となる過酷な場所。そんなところでは、さすがの最強魔族も生きてはおられまい。
「にしてもだ、なにゆえにフォルトン、いや魔界には、あんな闇が現れるようになったのだ?ずっと昔からああいう事象は起きていたのか?」
「いや、つい3年前だ。突然、真っ暗な闇の裂け目が現れ、魔族らを襲うようになった。地の魔族もそうだが、あれほど隆盛を誇っていた空の魔族ですらあの闇の前では無力であった。ゆえに我らは、人族の作りし通路を通り、この世界に逃げ込んだ。」
「にしてもだ、なぜお前は空の魔族を屈服させ、それを支配しようと考えたのだ?」
「明らかに空の魔族は支配者を失い、統制が効いておらぬ有様だ。我ら地の魔族のみならず、人族の集落をも襲っていると聞いた。このままでは両者とも滅ぼされてしまい、それどころかこの世界の獣も食い尽くされ、最後には空の魔族も滅ぶ運命。滅びの道をひた走るその様をみて、放っては置けぬであろう。」
もっともらしいことを言う魔族の王だが、つい先日、お前の部下がリバスの街を襲い、またアードルフとノエリアを襲ったことを私は知っている。やはりこいつらは、人間の命などは軽視しているようだ。
「だがどうだ、その地の魔族は空の魔族相手に連戦連敗し、まさに滅びようとしていたではないか。そんな残忍な相手を支配しようなどとは思わず、いっそ空の魔族を殲滅して、ここを人間と地の魔族だけの世界にしようとは思わないのか?」
「それは人族の思考であるな。同じ魔族である妾には、支配者を失い、狼狽し迷走する空の魔族の心が分かる。そんなやつらを救おうと思うは、当然であろう。」
どこまでいっても、こいつはやはり魔族だ。ということはだ、空の魔族を手中に収めたなら、今度は我々に刃を向けるつもりかもしれない。油断はできないな。
「ところで、やはり空の魔族も、地の魔族と同様に、我らの世界のどこかに住処を構えているのか?」
「おそらくはいるはずだ。空を舞うために膨大な魔力を放つやつらは、魔力を糧に現れる闇に飲まれ易い。ただ、支配者が不在ゆえに、種族ごとに散らばって存在しているものと思われる。それぞれの種族が、この世界の目についた人や獣を片っ端から襲っているのであろうな。」
「ならば、その空の魔族の居場所を突き止めて、襲った方が手っ取り早いのではないか?」
「そうは言うが、簡単なことではないぞ。どうやって探すというのじゃ?」
「見ての通り、ここの連中は空の魔族よりもずっと高い場所、宇宙というところにいる。ということは、この空の魔族すらも見下ろせる宇宙から彼らの居場所を探り出せるというわけだ。」
「しかしだ、世界は広い。この船一隻ではさすがに荷が重かろう。」
「一隻では無理だな。だが、やつらは1万隻もの駆逐艦を保有している。それだけいるのだから、空の魔族の住処ぐらい、その気になれば簡単に探し出せるだろうな。」
そう言った矢先、私は魔族の王が顔色を変えて、震えているのを感じる。
「な、なんじゃと……おい、こんなものが、1万もいるというのか!?」
ああ、そうか。そういえばこの魔族の王は、彼らのことをほとんど知らされていないのか。
「そうだ。まさか、この一隻だけだと思ったか?」
「いや、これほどの大きな空中楼閣であるから、これがあやつらの城かと……」
「城というなら、もっと相応しいものを彼らは持っているぞ。戦艦と呼ばれる、長さ、幅共にこの船の10倍以上で、灰色の岩肌を持ち、巨大な口が2つに小さな口が20、そして30もの駆逐艦を抱きかかえることができる、まさに空中の楼閣。そんなものが、30隻もあると聞く。」
「ひええぇぇぇ……なんなのじゃ、その化け物は……」
面白いな、この魔族の王の狼狽ぶりは。私の言葉から、一体どんな魔獣を想像していることか。だがこれで、魔族一統の暁にはこの船を襲い、人間を支配しようなどという浅ましい心があったとしても、それを打ち砕いたことであろう。
さて、あとはやつがノエリアの心をどうにかしてくれればいい。それにしてもアードルフよ、お前に女心を掴むなどという高度な芸当ができる日は、果たして来るのだろうか?せめてそれが、この魔族の王の魔族一統より早いものであって欲しいと願う。