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【都麦】内定

 都麦(つむぎ)の心臓は十メートルほど飛び上がり、前方三回転して、ひねりまで加えて着地した。観客は盛大なスタンディングオベーション。声に熱を帯びる実況者、感動のため息を漏らす解説者、歴史的瞬間。


「ええと、それはつまり、内定をいただけたということでしょうか?」

 金メダル。表彰台のいちばん高いところ。国歌斉唱。


「もちろんです。ああ、もっともまだ四月ですので、十月度になるまでは内々定という言い方になりますが」

「で、でも私」都麦は震える声で言う。「最終面接で役員の三島様のご質問にまったく答えられなくて――その、とても緊張してしまって。ええと、つまり私なんかが」


 田宮は砕けた笑い声を出した。「そうですね。人前で話すことについては、これから島牧さんが伸ばしていかなければならない部分でしょう。しかし、新卒採用というのはなにも完璧な人間を求めているわけではありません。配属後すぐに、なにもしなくても即戦力になるような方など期待しておりません。その辺りは、島牧さんはおわかりになりますか?」

「ええ、わかると思います」


 田宮は続ける。

「選考の中で、島牧さんには一生懸命さと、社会人になるにあたって不安を抱えながらもなんとか前向きに捉えようとする姿勢が感じられました。人事部でも、ちょっとした話題でしたよ」

「その――恐縮です」都麦は(はな)を啜った。

「それに今、弊社役員の名前を覚えていましたね。意外といないんですよ、そういう方」


 都麦は意表を突かれたような気持ちになり、とても奇妙な音声の相槌をひとつ打った。

 少しずつ、実感が伴ってくる。震えていた手が落ち着きを取り戻す。

 彼女は大きく息を吸って、静かに吐いた。


 内定だ。


 昨年の秋から、たくさんのセミナーや説明会に参加して、自己分析やらSPIやらの本を読み漁り、必死に頭に詰め込んだ。エントリーシートの添削を何度も先輩にお願いした。乱立する選考スケジュールを手帳に書き込み、止むを得ずアルバイト先の店長に事情を話し、シフトを土曜の夕方だけの週一に減らした。


 エントリーシートすら通らないことが三社立て続けに起こり、もしかして私は日本語が不自由なのではないかと本気で疑った。WEBテストに悪戦苦闘し、自分のIQの低さを呪った。TOEICのスコアを伸ばしていなかったことを、今更になって後悔した。


 四月の上旬から、内々定を獲得する同期が一気に増えた。中には複数内定をひけらかす学生もいて、とても見ていられなくなり、SNSをアンイストールした。手帳に書かれたたくさんの企業名と時刻が突然意味のないものに見え、涙が出た。芽衣(めい)は「金融業界は選考が早いからだよ。食品や飲料はこれからだから、焦らずやろうよ」と言ってくれた。


 気を取り直して、一回の面接をどこの誰よりも大切にしようと思った。面接が終わった後、その日のうちにお礼のメールを送るようにした。面接担当者の名前を忘れないようにしていたのはそのためだ。そんな小手先のテクニックなんて意味ないよという学生も、山ほどいた。


 意味なくなんてなかったんだ。


「内定式等、今後の日程に関しての詳細はまたメールにてお伝えいたします」人事の田宮は言う。「それと、募集要項にも記載があるとおり『総合職』となります。四月から最初の一ヶ月は東京で研修ですが、その後は全国の支社どこにでも配属の可能性があります。希望は伺いますが、当然そのとおりになるとは限りません。ご留意いただけますか?」


 都麦は「はい。問題ありません」と返した。

 もともと就職を期に北海道からは出るつもりだった。


 人事との電話が切れると、都麦は廊下の壁に寄りかかってしばらく放心していた。

 ショルダーバッグから小さな水色のハンカチを取り出して、目頭に当てた。マスカラがとれて黒いしみをつくる。好きなだけ汚してしまおうと思った。


 地に足がついていないような気持ちで図書館に戻る。入り口で学生証を通し直すとき、受付の女性が「おめでとう」と言ってくれた。廊下での会話が丸聞こえだったらしい。都麦は泣き腫らして赤くなった顔をさらに赤くして、お礼を言った。


 自習机を片付けながら、窓の外から紛れ込む春の風のにおいを嗅ぐ。さっきよりも心なしか華やかな香りが混じっているように思える。これも内定の副作用かなと、こっそり笑う。


 すぐ芽衣に知らせなきゃ。

 都麦は髪留めをとってポニーテールを解き、図書館を後にした。

★ ★ ★


都麦「内定の通知電話って、非通知で架電してくるの本当にやめてほしいよね」


田宮「ですので当社では、必ず東京本社の人事部の電話番号でご連絡しております」


都麦「た、田宮人事部長?!」


田宮人事部長「島牧さん。改めて内定おめでとうございます」


都麦「後書きにまで現れて、どうしたんですか?」


田宮人事部長「どうしてでしょう? 先ほどまでオフィスにいたはずなのですが、不思議ですね」


都麦「もっと驚いてください!」


田宮人事部長「なにはともあれ、学生最後の一年間、悔いの残らないようにしてください」


都麦「はい、ありがとうございます! ちょうどこの作品、たくさんお酒が出てくるみたいで、今から楽しみなんですよ!」


田宮人事部長「それはなにより。でも昔、内定後に飲酒事件で問題を起こして取り消しになった方もいますので、ハメの外しすぎにはじゅうぶん注意してくださいね」


都麦「それは笑えない――気をつけます……!」


★ ★ ★


気に入っていただけましたら、評価やブックマークなどしていただけると嬉しいです。

また、お好きなビールがあればどんどん作中に登場させていきますので、ぜひご連絡ください^^


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