悲劇的な日常
それが最初に始まったのはいつからだろう。なぜか最初からこの欲求のありどころをしっていた気がする。誰にも教わっていないのに野生動物のように悟っていた。おなかが減ったら何か食べる、眠くなったら眠る。そんなありきたりな生理的欲求のようにそれはやってきた。誰かから血を吸いたい。そんな衝動が。
それは彼女に会ってしばらくしてから生まれた衝動で、僕は自分がおかしくなったのだと思った。実際に今でも自分のことはおかしくなってしまっていると思っている。彼女」に見とれて、魅入られていると。何らかの精神の病なのかもしれないと思ったこともある。
しかし僕がおかしくなったのと時同じくして始まった社会の異常のおかげで僕は確信できた。僕は特別ではない。ただ宝くじに当たるような低い確率で選ばれてしまったのだと。
吸血鬼の実在が最初に世間に広まったのは一家虐殺という不幸からだった。引きこもりの少年が両親と弟を殺したのだ。「喉が渇いたので血を飲もうと思った」そう供述した少年の心の闇を暴こうとマスメディアは暴こうと躍起になった。少年の小学校時代の自称友人をテレビで見ない日はないくらいであった。小学校時代の何気ないエピソードを事件の兆しであるとして紹介したりしていた。
また妹が一人生き残っていたこともこの事件の世間の関心を寄せたのだろう。妹は何度も訴えた。「兄はそんなことをする人じゃない。兄は人間ではなくなったのだ。吸血鬼になったのだ」最初そう主張した少女は頭がおかしくなったものとして扱われた。兄に家族が殺された哀れな被害者であると。
しかし彼女の主張はやがて通説となり始める。
「喉が渇いた」
そう言って人を殺したり、人を傷つける事件が頻発したのだ。誰もが次第に思い始めた。吸血鬼が本当にいるのではないだろうか、と。しかしその主張は誰も公にはできないでいた。マスメディアを通して専門家は模倣犯であるとして現代社会の闇を嘆いた。誰もが異常に気がついても政府も沈黙を貫いた。またこの異常は世界各地で起き始めていた。
それでも公の機関は沈黙を続けた。それはひどく不自然で不気味な沈黙だった。
しかし誰が認めなくとも私たちの世界は少しずつ変わっていった。今までの吸血鬼はオカルト扱いされる世界から吸血鬼がいるのが当然の世界へと。