聖夜の約束
珍しく、雪が降った日のこと。それは丁度、恋人たちの日だった。
夏場に鬱陶しくて切った髪の毛は、全然伸びずに、私の首を晒し続けている。おかげでマフラーは手放せない。いつも苦手で付けない手袋でさえ、久しぶりの出番と息巻くように、私の手のひらを温めてくれている。まさかこの東京で、クリスマスに雪が降るなんて。
午後五時、駅前の広場で、私は人を待っている。とても大事な人。寒さと高揚で、じっとしていられない。足踏みをしながら、喫茶店にでも入ろうかと考えたけれども、いかんせん、あと十分もあればつくというのだ。滞在時間十分じゃコーヒーの一杯も飲めやしない。
「ふふっ」
今日までのやり取りを思い出して、にやりとする。お互いに忙しかったせいか、あんなにメールが続いたのも、こんなに細かく予定を立てたのも、なんだかすごく久しぶりな気がして。早く来ないかな、改札の向こうを、何度も見つめてしまう。
そんなことを繰り返していると、コートの中、携帯が震える。慌てて開くと、メッセージが来ていた。遅くなりそう、ごめん。
「あら、なんかあったかな」
独り言を言いながら、大丈夫だよと返す。駅の方からは、運転見合わせのアナウンスが聞こえてきた。これはしばらく来ないな。そう思い、私は喫茶店に入ることにした。
近くの喫茶店は、思ったよりも空いている。私はわかりやすい様に、入口付近、窓際の席に腰掛けた。その席はソファ席で、うっかりしたら寝てしまいそうな心地良さだった。
「どうしようかな」
君からの返事は、既読のみ。カバンを漁ると、今日の為に準備した、プレゼントが顔を出した。またにやける。喜んでくれたら嬉しいなぁ。プレゼントをそっと避けて、こんな時に助かるなぁと、本を一冊取り出した。大好きな作家さんの、大好きな話。もう何回も読み返しているけど、全く飽きない。丁度最初から読み返していたところだ。三十分くらいは潰せるだろう。いつの間にか届いたカフェモカを片手に、私は本を開いた。
本を閉じたのは、ジャスト三十分後。最初のひとくちから全く手をつけず、カフェモカは冷めていた。とりあえず飲み干して、窓の外を見つめる。雪は少し強くなった気がするし、メールも届いてはいなかった。少しだけ動揺する。元からマメな方ではないから、またついた頃に教えてくれるだろうけれど。さっきまでの高揚は消え、募るのは不安ばかりだった。店内を照らすオレンジが落ち着かない。静かに流れる音が私を急かす。携帯を開いては閉じて、今どこ? 打とうとしてはやめた。それを何回も何回も繰り返していた時、私の電話が鳴った。
「もしもし!」
『もしもし? 今どこにいる?』
耳元から響く君の声に、私は安堵した。何事も無かったことと、すっぽかされたのではないかという不安がなくなったこと、うっかりしたらこぼれ出す涙を堪えて、私は喫茶店の場所を伝えた。
『了解、遅くなってごめんね。 そっち向かうから、もう少しだけ待ってて』
「うん、わかった」
電話を切ってほっとする。ふと、窓の外に目を向けると、雪はやんでいた。いつもの街が、真っ白に飾られている。
カフェモカのおかわりと、君が好きなカプチーノを頼んで、テーブルの上に置きっぱなしにしていた本を、カバンの中にしまう。暫くすると、からん、喫茶店の扉が開いた。
「つかさくん」
午後六時過ぎ、現れた君に手を振ると、少し足早に、私の元へくる。両手を顔の前であわせると、頭を下げた。
「まりあさんごめん! 急に電車止まっちゃって……」
申し訳なさそうにこちらを見つめる君。来てくれてよかった、とは言えずに、大丈夫だよ気にしないで、君に笑った。
「とりあえず座って、暖まろう」
「ほんとに申し訳ない……」
君がマフラーを外して、向かいのソファに座ると、丁度飲み物がきた。タイミングバッチリ。
「わ、頼んでくれたの?」
「うん、寒かったろうからね」
「ほんとにありがとう」
そこから君と、他愛もない話をする。連絡が途切れたのは、充電が切れたせいらしい。急いでモバイルバッテリーを買ったと、私に話す君は、まだ申し訳なさそうにしていた。そんな君をよそに、これからどうしようか、と狂った予定の修正に入る。すると、その事なんだけど、と、君のおかげで意外にもさくっと決まった。私たちは席を立つ。遅刻したので、君に喫茶店代は出してもらった。「やっぱり!」と、ちゃっかり二杯目を飲み干した私に、君は笑った。
目的地は、大通りのイルミネーションだった。願いが叶う光。そう呼ばれる樅の木の下で、綺麗だね、と笑い合う。
「やっぱり寒いな……」
マフラーに顔を埋めて、君が呟いた。全く、ムードの欠片もないじゃないの。私は全然寒くないよ、隣に君がいるから。なんて言えず、そうだね、と頷いた。
「……まりあさん」
「なに?」
これ、そう言って君が差出したのは、ちいさな紙袋。クリスマスプレゼントだよ。君は照れくさそうに呟いた。
「わあ、ありがとう」
私もあるの、プレゼント。カバンの中に閉まっていた、四角い箱を取り出す。君に似合うと思ったんだ。
「えっ、ありがとう!」
喜ぶ君は、今日はまりあさんにありがとうしか言ってないや、と笑う。まあ、お姉さんですからね、私も笑う。
「……開けていい?」
「もちろん」
君は、ゆっくりと丁寧に包装を外すと、そっと箱を開ける。中身はネクタイ。君は嬉しそうだった。
「まりあさんチョイス??」
「当たり前じゃん。つかさくん、これから就活とかで、スーツを着る機会があるかなって思いました」
まだ大学生の君。二、三個しか年は離れていないけど、学生さんって響き、時々重くのしかかる。
「めっちゃ嬉しい! ネクタイ欲しかったんだよー」
笑顔の君にほっとする。喜んでくれてよかった。
「俺のも開けていいよ」
ネクタイを綺麗にしまったあと、君は紙袋を指差した。
「じゃあ、あける!」
紙袋の中には、ちいさな箱が入っていた。サイズ的にはアクセサリーだろうけど。えー、なにかなー、なんていいながら、ワクワクして箱を開けた。
「わ……! かわいい……!」
箱の中には、私が欲しかったネックレス。ピンクゴールドの装飾が、控えめに、だけどたしかに輝いていた。
「えっ、これ、高かったんじゃない? ほんとにいいの?」
ふっと思い出した値段。学生さんには、なかなか難しい額だと思う。ぱっと君を見ると、君は微笑んでいた。
「それ、欲しいって言ってたでしょ?」
「そうだけど……」
「貰ってくれないと、困るなぁ」
そうやって苦笑いする君。私がぼそっと呟いたのを、せっかく覚えていてくれたのだ。貰わないなんてできない。
「わかった、ありがとう!」
笑ってお礼を言うと、君もありがとう、と笑った。
「ねぇ、まりあさん」
「なに?」
ふと、君が口を開く。
「もし、まりあさんが良ければなんだけど……」
言い淀む君。俯き気味に少しだけ考えたあと、決したように顔を上げる。君は、真剣な眼差しで私を見つめた。
「また、来年も、再来年も、ずっと一緒にいたいんだ。 友達じゃなくって、恋人として……」
その言葉に、私は微笑んだ。無論、答えは決まっている。
「もちろん」
ふたりで笑い合う。その時、イルミネーションの光が揺らめいて表情が変わった。どうやら定期的な演出のようだ。それを見つめたあとに、私たちは手を繋いで歩きだした。
聖夜の約束、それをいつまでも果たせるように。