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神社に戻り、缶詰タイプの餌を空ける。
とたん漂う香りに、どうかユキちゃんが反応してくれますようにと祈る。さすがにお社の下、奥まで潜り込むことはできないからね。
「ユキちゃん、ご飯だよ~」
「なんだ、もう名前を付けてるのか?」
「あ! えっと、うん、そう! ほら、白い子猫だし……!」
「ふぅん……」
わりと安易な名前だったので、私はそのまま恭介に伝える。「それにほら、雪が降ってるから」ピッタリじゃない? そう言うと納得したように恭介も頷いた。
よし、恭介問題はオールオッケー!
あとはユキちゃんをどうにか無事に保護すれば安心だ。夜間開いている動物病院だってちゃんと覚えてるし、必要なものも今コンビニで揃えたから。
「ずっと近くにいたら、近づいてこないんじゃないか?」
「あ、そうか……」
私が餌の前で待機していると、確かにユキちゃんが餌を食べに来にくいよね。恭介と二人でいったん離れることにして、お社の端から餌を見守ることにした。
「くるかなぁ、食べてくれるかなぁ……」
「静かにしてないと出で来れないぞ」
「あ、そうだね……」
早く食べて! そう声をあげたら恭介に怒られた。
野良猫だから、人間への警戒心が強いんだろう。でも、早くユキちゃんを保護して抱っこしてあげたい! だから早くと、私の心がせぐ。
もちろん慌てたらいけないことはわかっているけど、目の前にユキちゃんがいるのだから仕方がない。今も辛い思いをしながらお社の下にいるかと思うと、ひどく焦る。
「とはいえ、あんまり出てこないと子猫の体力が心配だな」
「……うん」
恭介の声を聞きながらも、私の視線は猫缶から離れることはない。早く出て来いと祈るも、お社の下でユキちゃんが動く気配はない。
けれどめげずに見つめ続けていると、小さく砂利を踏む音が耳に届く。
「なぁ、おやつ」
「うん? ……あ、なんか影が動いた!」
「お前は――誰だ?」
――え?
ユキちゃんが来たかも!
なんて喜んだ頭は一瞬でフリーズして、何度か目をぱちぱちする。
……誰だ?
「やだなぁ、恭介。誰も何も、菓子ひまりだよ。恭介の幼馴染、忘れちゃったの?」
突然の記憶喪失? なんて告げてみるけど、恭介の瞳は今までみたことがないくらい真剣みを帯びていた。
私に誰だと問われても、菓子ひまりという答え以外を返すことはできない。
例え未来からきたとしても、私が私であることに変わりはないから。
「まぁ、確かにおやつがおやつじゃないっていうのは変な話だよな」
「そうだよ……」
「だから最初は、何かを隠してるんだと思った。……いや、きっとそれは違わないんだろうけど、なんていうか……いつものおやつとは違う」
「…………」
恭介の言葉を聞いて、なるほどねと理解する。
今の私は、ひどく不自然なんだ。
恭介が大好きだということは変わらない。
今までの私は、恭介と一緒に生きる未来を描いていた。でも、今の私は……恭介が一人でも幸せに生きてくれる未来だけを描いている。
それが裏目に出てしまうことが多いけれど、恭介にはそれが異質だったんだろう。
――でも、なんて言えばいい?
頭ではそう考えたけれど、私の行動は思考と同じようには動かなかった。
「私は〝おやつ〟じゃなくて、恭介に名前で呼ばれてる〝ひまり〟だよ」
「……?」
私がそう告げると、恭介はいったい何のことかわからない顔をしている。
「おやつもひまりも、お前だろ?」
いったいその違いは何だと、恭介が言う。
もっともだけど、私にとってこの違いは何よりも大事な証だった。私が恭介の特別、っていう。
「私はね、未来からきたんだ」
「……は?」
私の言葉に、恭介がぽかんと口を開ける。
そうだよね、そういう反応になっちゃうよね。その様子がなんだか可愛くて、私は思わずわらってしまう。いけないとは思いつつも、可愛いのだから仕方がない。
もう恭介をだますのは止めてしまおう。
だって、私と恭介の二人が苦しいんじゃ――なにもいいことがないから。
「未来って、いつの?」
「高校二年生」
「……だから、か」
「え?」
妙に納得した顔になり、恭介は「なるほどな」と頷いた。
「学校に行こうとしたのに、一回違う方にいっただろ? その日から、なんかおやつに違和感があった」
「!」
初日からばれてた……っ!?
恭介の言葉を聞き、私はがくりと肩を落とす。だってまさか、最近じゃなくてそんな前から怪しまれてたとは思わなかったから。
私の様子を見て、「やっぱり」と笑う。
「それにさっき、白い猫だからユキって言った。あんな暗いお社の下、しかも汚れてる猫がどうして白だってわかったんだ? 元々おやつが知ってたからとしか、思えない」
「……その通り」
「でもさ、納得できないことはある」
「?」
……未来から来たって、信じてくれた?
まさかこうも簡単に受け入れられるとは思いつつも、少し厳しくなった恭介の目つきに焦る。なんだか少し、怒ってる……?
とはいえ、私だって気付いたら過去にいた。もし今のおやつじゃないと――そう怒られるのは、なんだか嫌だ。
「なに? 私だって、こようと思って過去に来たわけじゃないよ」
「たった数年で未来から過去にこれるようになるとは、俺だって思ってない」
「……それもそっか」
じゃあ一体何なんだと、私は恭介へ問う。
「そんなの、おやつの俺への態度に決まってるだろ。なんで俺を避けたりしたんだ? 未来の俺は、おやつに冷たくされるような酷いことを……したのか?」
「あ……っ」
私を悪いと責めるわけじゃなく、自分がいけなかったのかと――恭介が眉を下げる。
その考えは、まったく思い浮かばなかった。恭介に悪いところなんて、ひとつもない。むしろ、悪いのは病気になってしまった私だ。
……これは、なんて言ったらいいんだろう。
もしここで私がイエスと告げたのならば――恭介は、いったいどんな反応をするだろう。私から離れてくれるだろうか? なんて考えが脳裏をよぎる。
――ああ、でも駄目だ。
数年後に私が死んでしまったら、恭介は察しがいいから私の嘘に気付いちゃうだろう。そしてひどく後悔して、自分のことを責めてしまうかもしれない。
うん、それは駄目だね、許容できない。
「未来の恭介はねぇ……私の、彼氏だったんだよ」
「え……」
静かにそう告げると、恭介の驚いた声。
手で口元を抑えながら、「まじで?」と顔を赤くしたのがわかった。でもすぐに、「なら……」と言葉を続ける。
「どうして、俺を避けるようなことしたんだ? やっぱ、嫌いになった?」
付き合う未来を変えたかったのか? と、ズバリ確信をついてくる。
「半分だけ正解」
「……半分?」
「うん」
頷くと、恭介は考え込むようにして、しかしすぐに口を開く。
「何があった?」
「え」
「うぬぼれだけど、俺は自分がおやつに嫌われるとは思えない。だから、何かよくないことがあって、おやつは自分から俺を遠ざけようとした。……違うか?」
「…………」
まさかこの一瞬で、そこまで予想されてしまうとは思いもしなかった。苦笑する私を見て、恭介は「やっぱりか」と言った。
「だっておやつ、俺のことを嫌ってるようには見えなかったから。そう考えると、逆に――そう、俺を助けようとしてくれてるのかなって。どうだ、正解か?」
「うん……」
完璧すぎるほどの、正解だよ。
「私は病気になって、あと数年で死ぬんだよ」
「――ッ!?」
そう告げた私の声は、ひどく落ち着いていた。