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ユキちゃんを拾った神社は、私がここへやってくるきっかけとなった神社。家から歩いて十分の距離を、全力疾走で向かう。
息が切れることなんてどうでもよくて、私は自分のことにかまわず必死に走る。
降り始めた雪を見て、頭に浮かぶのは最悪の事態ばかり。
――もし、凍えていたらどうしよう。
震えて衰弱していたら、ほかの大きな野良猫や動物に襲われてたら? 私がちゃんと拾いに行けばよかったのに、馬鹿だ……。
「は、はっはぁ……っ! ユキちゃん……!」
神社の前まで来て、石造りの階段を登り切る。
降る雪が少しずつ積もり始めていて、少し滑りそうになる。霜の降りた地面を踏みして、私は呼吸を整えながら念のためお社の周囲を見回した。
ベンチがあって、お社があって――って、またお賽銭がない! 慌てて出てきたため、財布もスマホも持たずに家を出てきてしまった。
今の自分は冷静な判断ができていない、そう思うけれど――はやる気持ちが抑えられるわけではない。
「ぱっと見はいないから、やっぱりあそこにいるのかな……」
ユキちゃんを見つけてから急いで取りに戻ればいいかと考えて、お社の裏手に回る。
前に見つけたときは、雪をしのぐようにお社の下にいた。小さなにゃあという鳴き声がしたのに、今はそれが聞こえなくて不安になる。
お願いだから、私にユキちゃんの存在を確かめさせて。
――もしかして、もういない?
誰かほかの人がユキちゃんを助けてくれた? いや、この神社はまったくと言っていいほど人が来ない。私以外の誰かが助けたということは、正直考えにくい。
「だったらまだ、お社の下にいるはずだ」
服が汚れるのなんて厭わずに、地面に這いつくばってお社の下を覗き込む。蜘蛛の巣が張っていて、埃がすごい。こんなところに動物がいるのだろうかと不安になりながらも、必死で目を凝らす。
でも、暗くて思うように奥まで見ることが出来ない。
地面の雪が私のジャージを濡らしていき、重くなる。汚さなければ、このジャージにユキちゃんを包んで運べたのにと思ったけど……もう遅い。
「ああ、スマホがあればライトで照らせたのに……っ!」
忘れてきてしまったことがもどかしい。
見当たらないユキちゃんに焦りながら、私は「にゃー」と猫の鳴きまねをしてみる。少しでも反応してくれたら、見つけられるはずだ。そう思いながら、必死に猫の気配を探す。
「ユキちゃん、ユキちゃーん!」
『……っ!』
「あっ!! ユキちゃん……!!」
少し奥まった場所で、黒い影が動いた。大きさから考えても、ユキちゃんに間違いないはずだ。もう一度名前を呼ぼうとして、ハッとする。
そうだ、ユキちゃんという名前は私と恭介がつけた名前だから……今は自分のことをユキと認識していないんだ。とはいえ、もうあの子の名前はユキで決定だから呼び続けるしかない。
私はお社の下に潜り込むようにして、手を伸ばす。
「おいで、ユキちゃん……!」
怖かったのか、小さな体がびくりと震えて一歩後ろに後ずさる。しまった、おびえさせてしまった! そう思ったときには時遅く、ユキちゃんはお社のかなり奥までもぐってしまった。
ああ、どうしよう……! 子猫の捕まえ方なんてわからないよ。詰んでしまっただろうかと思っていると、今度は背後から砂利を踏む音が私の耳に届く。
「……っ!?」
嫌な汗が、一気に噴き出た。
こんなところ、誰もこないと思ってた。まさか変質者? それだとしたらかなりまずいし、野良犬の類だったとしても同様だ。大きい犬は、ちょっと怖い。
「…………」
せめて私がいることがばれませんように! そう願って息をひそめてみるけれど、足音はちょうど私の真後ろに来たところでぴたりと止まった。
やーばーいーぞー!
前に進むことも出来ないし、後ろを振り向くのも怖い。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、背後の気配はなんとも言えない声をかけてきた。
「おやつ、お前何してるんだ? 宝探しか?」
「……きょ、きょうすけ!?」
こんな古ぼけた神社にお宝はないんじゃないかと笑いながら、恭介がこちらを見ながら立っていた。
「なんだ、恭介か……。変質者が出たのかと思ってすっごく怖かったんだから」
「そう思うなら、こんな時間に一人で出歩くんじゃない」
女だという自覚をもっともてと、恭介が起こる。
「……ごめん、考えなしだった。でも、どうして恭介はここにいるの? 私、スマホも何もかも家に置いてきちゃったのに」
「おやつが出ていくの、ちょうど見てたんだよ」
「ならもっと早く声かけてよ……」
こんな絶妙なタイミングで声をかけてこなくてもいいじゃんと、私は恭介に文句を言う。それか、無言で近づかずに私の名前を呼んでくれればまだ安心できたのに。
私が土を払いながら立ちあがると、恭介がビニール傘に入れてくれた。
「んで、こんなところで何してたんだ?」
「ええと、弱った子猫がお社の下にいるんだよ」
「まじか……」
そう伝えると、恭介が私にビニール傘を押し付けた。すぐしゃがみ込み、スマホのライトで奥の方を照らした。
「どこだ……?」
「もう少し右、そう……あ、いたっ!!」
「確かに結構弱ってるけど、警戒してんな。おやつが無理やり捕まえようとして、びびってんだろうな」
「う……っ」
恭介の正論に肩を落としつつ、「どうしよう?」と問いかける。
「とりあえず、あと数時間もすれば雪が酷くなるって予報が出てたから、このままだと凍え死ぬぞ。コンビニで食べ物かって、それで出てくるように仕向けるか」
「うん、うん……! ありがとう、恭介がいてくれてよかった」
どうにかユキちゃん保護することができそうで、私はほっと息をつく。しかしすぐに、恭介がこんと私の頭に触れる。
「まだわかんないから、喜ぶのは保護したあと。いくぞ」
「う、うん!」
コンビニでは、常温の水、高い猫の餌、タオルなどを購入した。
お財布を忘れてしまったので後で半分出すねと伝えて、せめて荷物を持とうとしたら温かいレモンティーを渡されてしまう。
「おやつはこっち」
「え……」
「自覚してないんだろうけど、体かなり冷えてる。ほら」
そう言って、恭介の手が私の指先を優しく包む。
じんわりとした熱が伝わってきて、自分の指がひどく冷えていたということがわかった。このままだと凍傷するかもしれないぞと、恭介が苦笑する。
「猫の保護もだけど、まずはおやつの保護だな」
「わ、私は保護対象なの!?」
恭介よりも年上なのに! そう言うと、はぁと大きくため息をつかれてしまう。
「俺、別におやつのこと年上だと思ってないから」
「え、ちょ、それどういう意味! 聞き捨てならないんだけど!」
私は恭介を弟のように……は、確かに思っていないけど。
年上だからもっとしっかりしてリードしなければ! くらいにはちゃんと思っているのに。もっと甘えていいんだよ? そう言うと、「はいはい」と流された。
「とりあえず、神社に戻ぞ。保護するなら、早めがいいだろ」
「うん!」
私たちはコンビニを後にして、再び神社へと向かった。