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高校生の私が中学生になった理由(わけ)  作者: 一色 舞
第三章 幸せとは?
16/27

5

 恭介に背中を押された私は、今日、夏の陸上短距離大会に出場していた。


 天気は快晴、熱すぎる日差しを受けて、念入りにストレッチを行う。最後に大きく深呼吸をして、グラウンドを見渡す。

 さあっと吹く風はまるで熱風で、競技者と観客の熱気を煽っているかのようだ。




「おやつー! 頑張れー!!」

「ひまり、ファイト!」

「ひまりちゃんしっかり~!」


 私がスタートラインにつくと、飛んでくる声援。

 恭介はもちろんだけど、お母さんと、おばさんまでもが見に来てくれていた。どうやら恭介が、私の最後の大会になるかもしれない……と、おばさんに言ってしまったようで。

 それならばと、豪華なお弁当を作って応援に来てくれたのだ。声援はちょっと恥ずかしいけれど、すごく嬉しい。


 いつもよりドキドキしている私の心臓は、けれどどこか落ち着いている……と思う。

 私はパアンというスタートの合図を聞き、ダッシュで駆けだす。ほかの選手よりも一歩でも前を走れるように、最後に悔いを残さないように。

 前かがみの姿勢を徐々にまっすぐ伸ばし、フォームを正して走る。


「はっ、はっ……」


 体感時間はとても長いのに、五十メートル走なんて見てる方からしたら一瞬だ。

 地に足をつくより早く、もう片方の足で蹴り上げて走る。

 聞こえるのは自分の呼吸と、風を切る音と、私への声援。


 ワアアアアァァァァ!!


 ゴールと同時に、大きな歓声が耳に届く。


「はぁはぁ、は……っ」


 走れた。


「タイム、タイムは……?」


 公開された自分のタイムに目を向けると――自己ベスト。


「――っ!」


 思わず口元を押さえて、息を呑む。そしてそのままガッツポーズをして、恭介たちの方を振り返って大きく手を振る。

 恭介が私の背中を押してくれなかったら、きっと今の私はいなかったから。


「すげぇ、銀メダルだおやつ!!」

「え……っ」


 私以上に嬉しそうに、恭介が叫んだ。

 自分のタイムを見はしたが、順位までは確認していなかった。すぐにモニターを見ると、確かに私の名前の横に2という文字があった。


「すごい、前のときは銅メダルだったのに!」


 歓喜が私の体を駆け抜ける。

 未来は帰ることができるんだ、大粒の涙を流しながら、私は銀メダルを受け取るのだろう。




 ◇ ◇ ◇



 さかのぼること数日前――。

 私は、怒られることを承知で大会に出たいと顧問のやっすんこと安村先生に頭を下げた。


「ごめんなさい先生、やっぱり大会に出たいです!!」

「…………」


 もう無理だと言われるかもしれない。

 でも、精一杯走ろうと決めたのだから、自分にできることはすべてしようと思った。もう参加する子が誰かも聞いている。もし私が出ることになったら、きっとその中から誰か一人が外されてしまう。

 そのことは本当に申し訳ないと思っている。土下座で謝って、どうにか枠を譲ってくださいと懇願しようと思っている。


 でも、きっとこれは私にとって本当の意味で最後の大会になる。

 私がいつ未来に戻るかはわからないけれど、そのときは走ることすら忘れてしまった体なのだということを考える。


「お願いします……大会に出たい、走りたいです」


 私は必死に頭を下げて、先生にお願いする。


 ごめんね。

 私のせいで大会に出られなくなったら、申し訳ないけど来年頑張って……!


「自分勝手だということは承知しています! でも! どうしても私は、最後にもう一度思いっきり走りたいんです!」


 ――全力で!

 そう叫ぶと、安村先生は「まったく……」と言いながらため息をつく。薄くなった頭をかきながら、「どうしてもっと早く言わないんだ」と私に問いかける。


「この大会は、部員全員で臨むんだ。誰かが好き勝手できるようなものじゃない。それはわかってるのか? 菓子」

「重々承知しています……」


 個人戦ではあるけれど、高校から何人出れる……という枠の制限はあるのだ。私の勝手で、部員全員に迷惑が掛かるということを安村先生は怒っている。

 それでも、それでもどうしても……最後に、走りたかった。

 だから私はぐっと涙を耐え、こうして安村先生に頭を下げる。

 じっと地面を見つめて、先生の返事を震えながら待つ。すぐに聞こえたのは、「まったく」というあきれた声と、やれやれといったため息。


「お前ならそう言うだろうと思って、枠は一つ空けてある」

「え……?」


 思ってもいなかった言葉を聞き、私ばっと顔を上げる。

 すぐに安村先生は笑い、私の頭をぐりぐり撫でてまた下げさせる。再び私の目が地面を捉えると、言葉が続けられた。


「何か思い詰めていることくらいは、見ていてわかる。これでも、長年教師をしているからな」

「先生……」


 私の頭に優しく手を置いて、微笑んだ。

 一人で頑張らないといけないと思っていたのに、辛いことを気付いてくれる人は案外近くにいたりするんだね。そう思うと、少しだけ肩の力を抜くことができた。


「ありがとう、先生。なんだか、大会も頑張れそうです」

「メダルを期待してるさ。……で、理由はやっぱり言えないのか?」

「それは……ごめんなさい。なんていうか、私自身もふわふわしてるんです。誰かに話したら、この幸せが壊れちゃいそうで」


 私がそう口にすると、先生が「幸せ?」と反芻する。


「今、幸せなんですよ」

「…………」


 私は独り言のように、呟く。


「走ることができて、お母さんとお父さんが笑顔でいてくれて、それになにより……恭介と付き合ってない」


 最後の言葉は、自分でもおかしくて思わず笑ってしまう。

 恭介と付き合ってないことが幸せなんて、あるわけないのに。


 安村先生は何かを考えながら、言葉を探してくれている。そしてゆっくり、口を開く。


「そうだなぁ……。菓子は頑張っているから、俺が下手に何かを言うのもよくない気がする。きっと、たくさんたくさん悩んで、決めたんだろう?」

「…………」


 穏やかなその声に、私は無言で頷いた。

 励ましも、引きとめも、今は何を言われるのも嫌だったのかもしれない。そんな私のことを、先生はきっと長年の教師の勘か何かで察してくれたんだろう。


「でもな、これだけは言わせてくれ」

「?」

「疲れてるときは、ちゃんと声に出して言っていいんだ。夜は寝て、ご飯も食べる。それだけで随分、楽になる。誰かのために頑張るのは、いいことだ。胸をはっていい。だがな、それは自分をないがしろにしていい理由じゃない」


 自分のこともちゃんと大切にするんだ、先生はそう言った。


「でも、それはもう心配してないんだ」

「え? どうしてですか?」

「そんなの、菓子が大会に出るって自分から言ったからだ。自分を大切にしようと思ったから、菓子は大会に出たいと思ったんだろう?」

「…………はい」


 恭介に言われたからというのもあるけれど、走りたいと強く思ったのは私。

 先生って、すごいんだなぁ。思った以上に生徒のことを見ていてくれているんだと、少し涙が出そうになった。




 ◇ ◇ ◇



「へっへへー! 銀メダル、です!」


 私は自慢げに、首からかけたメダルを恭介に見せた。


「おめでとう、おやつ! 銅メダルは何回かあったけど、銀は初めてじゃん! ケーキでお祝いだな」

「うん」


 すぐに喜んでくれて、「明日は一緒に出掛けよう」と笑う。私もすぐに頷いて、どこのケーキ屋さんがいいかな……なんて、頭の中でセレクトを始める。


 そして家に帰ってから、距離を取ることをすっかり忘れて返事をした自分に絶望した。

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