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「……ん?」
神社のお賽銭箱に背中を預けながら、私は違和感を覚える。いや、違和感というか、痺れという違和感が体からなくなっている……というのが正しい表現だろうか。
立ち上がれなくて座り込んでいたのに、私の足はすんなりと立ち上がってしまった。
え、どういうこと?
目を閉じて唸るように考えるけれど、答えは出そうにない。
「いつもは、こんなすぐ体が動くことはないんだけど……」
たっぷり数十分は動けなくなって、そこからやっと少しずつ少しずつ動くことができるようになるのに。
とりあえず背伸びをして、ふと気づく。
「あれ? なんで私、セーラー服を着てるんだろう?」
くるりと一回転すると、スカートがふわりと舞う。
これは、中学のときの制服だ。
それに、髪が今より少し長い。
「…………?」
どうなっているのだろうと、自分の手を見つめて……開いたり閉じたりしてみる。うん、やっぱり体は問題なく動くみたいだ。
足も同様で、体の違和感は自分の髪が少し伸びてるくらい。
「って、これが一番不可解だよ……!」
髪が短くなったのであれば、切れてしまったのかでいいけれど、伸びていたとなれば話は別だ。ウィッグでもつけない限り、人間の髪はそうそう伸びたように見せることはできないのだから。
念のため髪を引っ張ってみるけれど、やはり地毛だ。
別に居眠りをしていたわけではないし、もちろん自分で着替えたわけでもない。意識がはっきりしていたはずなのに、自分の服が変わっているなんて不可解にもほどがある。
首を傾げつつも、鏡を――荷物を持っていないから、今の自分を確認することもできない。とりあえず家に帰るのがいいかと思い、私は神社を後にすることにした。
◇ ◇ ◇
歩き始めてすぐに、何かがおかしいということに気付く。
思わず立ち止まって、何度も瞬きを繰り返す。
「あっれぇ……? こんなとこ、自販機なかったし……あっちはコンビニがあるのになくなってる」
どういうことだ?
なんだか狐に化かされているような気分になりながらも、とても長い夢を見ていたんじゃないかと思う。
「ゆめだった?」
うとうと神社で昼寝をしてしまった中学生の自分。大好きな恭介と付き合うことができるようになって、高校生として楽しく生活している夢。
まあ、最後は脳腫瘍ですと医者に余命宣告をされてバッドエンドだけれど。
「でも、その割に記憶はしっかりしてるんだけどな~」
とりあえず家に帰ると、玄関の前でおろおろしているお母さんがいた。
私を見つけると、「あっ!」と声を出して駆け寄ってきた。もしかして何かあっただろうかときょとんとしていると、「このお馬鹿!」と怒られる。
「え?」
まったく心当たりがなくて、思わず後ずさる。
そういえば私が病気になって以降、お母さんはあまり怒らなくなった……かもしれない。いや、間違いなく私への接し方が変わっていた。
まさか、このタイミングでそれに気付くなんて。
「もう、ひまり! 中学生がこんな時間に出かけるんじゃありません! 部屋にいないから、心配したじゃないの。もう」
「あ、そっか……ごめんなさい?」
高校生だった私は、そんなに厳しく言われたことがなかったのでうっかりしていた。夜遅くにコンビニへ行くこともあったし……お母さんもついでに飲み物を私に頼んでいたりしたのに。
「まったくもう……さっさとお風呂に入って、宿題しちゃいなさい。明日は学校で家庭科の授業があるから、早めに行くって言ってたでしょう?」
「え、そうだっけ……?」
「そうよ! なあに、ぼけたの?」
呆れたようにお母さんがカラカラと笑って、家へ入っていく。
私もそれに続いて、家に入る。
今の記憶と違う、ちょっとだけ古い家具の配置。
私の記憶とは裏腹に、この体とこの世界は、私が中学生の時を生きているらしい。
やっぱり高校生の私は、中学生の私が見た夢?
それとも、高校生の私が過去にきてしまった?
「……わかんないなぁ」
そして一番最悪なことは、明日の授業内容も、昨日の授業内容もまったく思い出せないということ。高校の記憶だったら鮮明だけど、中学の記憶はすでにおぼろげだ。
リビングのカレンダーを見てみると、日付が二年前。……の、七月。
「あ、もしかして今が夢っていう可能性もある」
でも、やけに現実がリアルすぎて、そうだとは思えなかった。
だから私は最初、無意識のうちにその可能性を排除していたんだ。とりあえず、お風呂に入って宿題をしてしまおう。
それでゆっくり眠れば、きっと目が覚めるはずだ。
◇ ◇ ◇
私は朝になり目が覚めて、家庭科で使う材料を持って中学に登校しなければいけないという現実を突きつけられた。
「え、本当にどうなってるんだろう? 脳の病気だったから、変な夢でも見せられてるんだろうか……」
「おやつ、おはよ」
「恭介、え、どうしたのその格好!?」
「? いつも通りだけど……」
セーラー服を着て玄関を出ると、学ランを着てもさっとした恭介が立っていた。
そして私のことを、名前ではなく〝おやつ〟と呼ぶ。
なんでそんなダサい感じになりつつ、私に対してよそよそしさが増してるの? 思わず眉を下げるが、すぐその原因を思い浮かべた。
「あ、そうか!」
「おやつ?」
「うぅん、なんでもない……」
私が中学三年生だから、恭介は中学二年生だ。
つまり、私たちはまだ付き合っていない。
高校生になってから髪を切り、眼鏡をコンタクトにした恭介。現在は中学生だから、まだダサいままというのも納得できる。中二の恭介はこうだった。
恭介は、俗にいう高校デビューで大成功しているタイプ。
それから……私を名前で呼んでくれるようになったのは、恭介と付き合い始めてからだ。
おやつとあだ名で呼ばれるのはなんだかもやっとするけれど、仕方ない。
私が恭介と過ごしてきた日々は、今ここにないんだ。
「……なんか、今日のおやつ変だぞ?」
大丈夫かと、恭介が私の顔を覗き込んできてドキリとする。
今まで気にしたことがなかったけど、私たちの距離感ってだいぶ近かったんだ。これで付き合ってなかったんだから、今思うと笑っちゃうね。
「大丈夫。ちょっとぼんやりしちゃっただけだよ、たぶん」
気にしないでと言いながら、私は学校へ向かって歩き出す。
しかしすぐに、困惑した恭介の声が私を引き留める。
「たぶん……って、おやつどこ行くんだ?」
「え?」
「中学はこっちだろ」
「!」
無意識に高校へ行こうとしてしまったらしく、恭介が怪訝な目で私を見る。中学はちょうど駅と反対方向だから、電車で行く高校とは全然道が違う。
「…………やっぱり、過去なんだ」
「おやつ?」
ぽつりと呟いた私の言葉に、恭介が首を傾げた。
無意識に体が高校の方へ行こうとしたんだから、きっと本来の私はやっぱり高校生なんだ。
じゃあ、どうして過去にきた?
私はあの神社の小さなお社で、神様にいったい何を願った?
〝私が死んだあとも、恭介が幸せでいられますように〟
そうか。
つまり私は、恭介を幸せにするためにここへきたんだ。
イコール、幸せはなんだろう。
恭介は私の彼氏だったんだから、彼女である私が死ぬことはきっと不幸だ。つまり、私と付き合ったままだと恭介は不幸のどん底に落とされてしまうはず……。
なら、私が恭介に別れたいって言ったのだからそれを実現すればいいんだ。
――恭介と、恋人同士にならなければいい。
そうしたらきっと、私たちの関係は一番うまくいくんだと思う。




