9.そして大団円
結果として、ミッションは大成功だった。
俺達の火消し活動の効果というより『蒼の騎士』こと令嬢達の硬派系アイドル、クロイツ=バルツァー少尉が終始レオナにくっついてデレデレしっぱなしだったからだ。
少尉、浮かれ過ぎです。
惜しむらくは『火消し』の方は上手く広がらず、何故か『アンガーマン侯爵令嬢が家族愛しか抱いていないのに、コリントの次男坊が婚約者を気取っていて、二人の恋の邪魔をしていた』という説が実しやかに広まってしまったことだ。
俺は暫く『横恋慕野郎』という不名誉な烙印を押され、事情を知った友人どもにからかわれた。アドラー少尉に「骨は拾ってやる」と例のニヤニヤ顔で言われた。嬉しくない。
取り巻きを引き連れたクラリッサ嬢の、歌劇のワンシーンのような謎の意地悪攻撃の訳は、アドラー少尉によって説明された。レオナとバルツァー少尉にはオフレコで。
アドラー少尉とバルツァー少尉は、幼少の頃からお互いの屋敷を行きする、所謂幼馴染だったらしい。二人はアーベル王子を囲む茶会にご友人候補として招待される常連メンバーだったので、かなり長い付き合いなのだそう。
道理で遠慮が無さ過ぎると思った。俺とレオナみたいな関係らしい。
当然妹のクラリッサ嬢もバルツァー少尉と幼い頃から面識があり、実兄と正反対の真面目で女性に誠実に接する青い目の貴公子に、幼い彼女はすぐ夢中になってしまった。
末っ子で甘やかされたクラリッサ嬢は大層、我儘だったけれど、バルツァー少尉の言う事は良く聞いたので、アドラー少尉は自分の自由欲しさに彼によくお守りを押し付けたそうだ。その結果クラリッサ嬢はバルツァー少尉に恋心を、バルツァー少尉はクラリッサ嬢に妹に対するような家族愛を、抱くようになった。
しかしクラリッサ嬢は優しいバルツァー少尉が、自分を妹としか見てないって事に気付かなかった。
バルツァー少尉が社交界デビューした後、クラリッサ嬢は自分が女性として見られていなかった事実にやっと気が付いた。少尉が年上のお姉さま方と交流するようになって、彼女達に対して語る言葉や仕草が自分に対するものと全く違うという事を認識したからだ。昨年やっと社交界にデビューできる事になり、今度こそ少尉に自分を女性として扱ってもらおうと意気込んでいたが、バルツァー少尉の彼女に接する態度に変化は無かった。それでも彼女が強請れば『大事な妹分』として、最初のダンスの相手をしてくれ、我儘も笑って優しくいなしてくれた。クラリッサ嬢は自分に優しい少尉を諦めきれず、少尉が今まで付き合ってきたと噂される艶っぽい女性を真似て装うようになり、彼の目を盗んで取巻きを引き連れバルツァー少尉に近づく女性を威嚇して回ったそうだ。王家の血を引く公爵令嬢に楯突いたりその行いを彼女を大事にしているバルツァー少尉に忠言したりする者も無く、少尉はその事実に未だに気付いていないらしい。
「ほんと、クロイツって鈍感だよねぇ」
「アドラー少尉は、お気付きだったのでしょう?何故バルツァー少尉に云わなかったのですか?」
えへらっとアドラー少尉は、楽しそうに笑った。
「えー、だって面白いでしょ。苛められた娘って大抵、美人なのに大人しい良い娘ばかりでさあ。その娘を慰めればてっとり早く心を許してくれて、すぐ仲良くなれるしね。……傷心を慰めるっていうは、良い位置取りなのだよ。暫く仲良くしてその娘が立ち直ったら、それを理由に身を引けば、恨まれずにすんなり別れられるしね」
にっこりと彼は、それはそれは美しく色っぽく、微笑んだ。
わー、鬼畜だ。ここに本物の『悪魔』がいる……!
俺は、身震いした。
「それに、その頃からクロイツはレオノーラの事意識しまくっていたからね。彼は自分では気付いて無いだろうけどマザコンだから、強くて個性的な女性しか愛せないのだよ。可愛いクラリッサには気の毒だけど、あの子が何人他の令嬢を牽制したって順番は廻って来ないのさ」
俺は元女騎士という背の高い美女を思い浮かべた。夜会では『侯爵夫人』然としていたけど……もしかして中味は相当変わったお方なのだろうか。その所為でバルツァー少尉は、レオナみたいな変わった奴しか愛せないのだろうか。チビで体力面では非力だが―――確かに心臓が鋼でできている強い女である事は間違いない。
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王宮に許可をいただき行った二人の婚約式は、その二か月後簡素に催された。普通は準備に一年以上掛け、披露宴と一緒に盛大に開催するところを、親類縁者を集めた簡素な婚約式だけを早急に行いその三か月後、盛大な披露宴を行うというアクロバットのような裏技を使って手続きを短縮したのだ。バルツァー家、アンガーマン家両家の当主と嫡男は、フル稼働で準備を進めた。
武のバルツァー家と文のアンガーマン家―――ともに実力派の二大派閥の初めての繋がりは王宮の勢力地図が丸々書き換わる、傍から見れば十分に政略結婚と言えるものだった。
当の本人達に、そう言った動機はほとんど関係無かったのだけれど。
婚約式には、隣国カクタスのサイラス王子から祝福の手紙と共に沢山の祝いの品が届いた。どうやら男らしく諦めてくれるらしい。結果として、レオナの婚約は間に合ったのだ。
サイラス王子がレオナと結婚を希望するのは政治的な理由によるものなのか、はたまた彼の個人的嗜好が単にロリコンなのかと穿った見方をしてしまったが、どうやら後者が真実らしい。
というか男性の比率が多く逞しい大きな体の民ばかりのカクタスでは、小柄で折れそうな如何にも柔らかいといった容姿が珍しく、非常にもてはやされるようなのだ。レオナの容姿は、カクタスではオリエンタルで大変魅力的に映るらしい。つまりカクタスで見た目の幼女趣味は主流。市民権を持った嗜好なのだ。ちなみにカクタスでは、そういう意味でヌイグルミのような愛玩用の小型犬が人気との事。もちろん厳つい見た目の闘犬は、一般的に軍用や番犬として多数飼育されているそうだが。
王子はバルツァー少尉があの後努力して彼女を手に入れる事に成功したのだと誤解してくれたようだ。バルツァー少尉のダダ漏れの気持ちに、彼もやはり以前から気が付いており、手紙で二人を祝福してくれた。本当に率直で気持ちの良い方だと感心してしまった。
表向きレオナは農業に詳しい研究者とされているが、王国の為に薬草や毒草の知識をマルグレーブ学院長の下、密かに編纂するという任務を与えられていた。その事実は、他国は元より国内の大多数にも引き続き隠し続けなければならない。今回はほぼ杞憂であり結局彼女の国外流出は未遂に終わったが、事実が広まるとその身柄と知識が危険に晒されるからだ。レオナはいわば、王国の秘密の『危険物情報金庫』と言えるのだから。
後で判明したことだが、婚約者はいるものの一夫多妻制が常識のサイラス王子は、遊学中にも盛んにレオナにアプローチしていたらしい。しかしおそらく殆どは彼の世話役を任ぜられていたバルツァー少尉の手で悉く潰されたのだ。当時あまりシュバルツの言語に明るく無かったサイラス王子に対して、彼は情報を操作し制限していたのでは無いか?―――その時直接彼がレオナに求婚しなかったのは、今思うと不自然だ。割と素直な性質の王子に対して、レオナに求婚を迫る事を断念せざるを得ないように彼が暗躍したのではないか?
クロイツ=バルツァー少尉は、誠実で公平な人物だと、思う。
しかし付き合いが深くなるにつれ信頼が深まるのと同時に、彼は単に『高潔で真面目な人物』では無いのだという事が解ってくる。俺は彼がある程度計算して、少々荒っぽい根回しをするのを躊躇しない人間なのだと了解し始めていた。また、そうでないと時期侯爵家当主という役割を担えないし、王族を警護する近衛騎士は務まらないかもしれない。
そして今では、夜会でバルツァー少尉に熱を上げるご令嬢に対するクラリッサ嬢とアドラー少尉の行動も、もしかすると把握して放置していたのでは……と俺は疑い始めている
自分を慕う令嬢避けに、クラリッサ嬢をずっと放置していたとしたら。
レオナはいつも夜会に出席しない。ほぼ毎日レオナと接していたバルツァー少尉はそれを知っていた。だからクラリッサ嬢が自分の愛するレオナを、今まで直接害する恐れは無かった。つまり彼女の行動を制限しなくても、バルツァー少尉に実質的な被害は無い。彼に焦がれた末クラリッサ嬢に意地悪をされて心を痛める可哀想な令嬢が増えていくが、そのフォローは彼女の実の兄であるアドラー少尉がしっかり対応していた。アドラー少尉にとっては、ただの役得だったのかもしれないけれど。
それに実際クラリッサ嬢が嫌味を言いに近づいて来たあの夜も、レオナの安全は確保されていたのだ。バルツァー少尉が傍に居られない時でも俺が常に横に控えて居たし、アドラー少尉もすぐ現れた。最後にはバルツァー少尉が彼女に引導を渡した。そしてそもそもクラリッサ嬢も、取り巻きの令嬢も少尉の恋人だったという事実は無いのだ。
もしもバルツァー少尉の過去の恋人が、レオナに害を為すような女性だったとしたらあの夜会には立ち入れなかっただろう。―――何せ夜会をプロデュースしていたのは当のバルツァー少尉だったのだから。
そうボンヤリと考えながら、本日盛大に催された婚約披露宴の喧騒の中で、お祝いを述べる人々の輪に見え隠れするバルツァー少尉とレオナを見る。相変わらずレオナは馬鹿の一つ覚えみたいにニッコリと小首を傾げているし、少尉のとろけそうなデレデレっぷりは目に余る。少々変わり者と噂される愛らしい令嬢と彼女に寄り添う立派な騎士は、初めから誂えた一対のように見える。内情を詳しく知らない参加者にはレオナの破天荒振りも少尉の残念っ振りも、目に入らないだろう。
俺はそっと溜息を吐いた。
結果として縁談の仲人役に終始した特殊任務を解かれ、俺は再び鬼姉達のパシリ……もといエスコートに忙しい。そう、どちらにしても俺に自由は無いのだ。
姉達の命を受けて、特別に入手したアンガーマン侯爵秘蔵の白ワインを両手に持って振り返ると、浮かない顔のクラリッサ嬢と行き逢った。
「あ」
と彼女は小さく声を上げて、優雅にドレスの裾を摘まんで淑女の礼を取る。俺は、失礼に当たるかなと思いつつ、白ワインが零れないように簡単に会釈をした。
彼女はすっかり別人になっていた。
見た目がまるきり違うのだ。以前夜会で攻撃された時は色気むんむんの年上美女!といった露出の多い派手な衣装で、洗練されてはいるものの化粧も妖艶と言ったほうが当て嵌るような濃いものだった。ゴージャスで俺なんか一生お近づきになれないだろうな、という雰囲気だったのに。
一転して今日の彼女は、年相応の瑞々しくも愛らしい装いで、若干近寄り易い雰囲気を醸し出している。といっても、物凄いスタイルの良いハイクラスの艶やかな美女である事には変わりないのだが。
薄桃色の清楚なドレスは、薄い透き通るような生地を何枚も重ねたもの。可愛らしいパールと白い花が品よく散りばめられ、腰に巻いた大きなリボンが彼女を等身大のお人形のように演出している。纏め髪から一束肩に落とされた銀髪は少し緩やかにウエーブを描いていて、シャンデリアの光を受けてキラキラと輝いていた。ふんわりと優しげに下がる眉、バラ色の頬と桜貝のような唇。
うわー女神!超絶、好み!
俺の本能は、思わず称賛の声を上げていた。
彼女は今にも消えてしまいそうに儚げで、俺は眩暈を覚えた。比喩では無く。
そういえば彼女は俺より一つ年下なのだった、と改めて思い出した。
「今日のドレス、お似合いですね」
(以前お会いした時の装いより、ずっと)と、思わずまた余計な本音が漏れてしまいそうになって、苦笑してしまう。彼女は皮肉な様子で片眉を上げ、溜息を吐いた。
「……今までのドレスが似合ってないのは、わかっているわ。本当はあまり好きな恰好じゃなかったし」
あれ?声に出ていた?呑み込んだ後半の台詞に応える彼女に、俺は少々慌てた。それと同時に少し不安になる。また彼女が泣き出すかのように見える錯覚を覚えたからだ。
「これ、アンガーマン侯爵秘蔵のワインです。ご一緒にどうですか?」
彼女をこのまま放って置きたく無くて、つい口から出ていた。
俺の人生初のナンパだった。
姉達のお使いという使命は投げ出して、白ワインを一つ差し出し、空いている椅子に彼女を誘導した。クラリッサ嬢は大人しく付いて来た。俺は初のナンパ成功体験だというのに、彼女の意気消沈した姿に全く浮かれる気分にはならなかった。
「今日はお友達と一緒じゃないのですね」
「お友達?……ああ。彼女達はお兄様目当てなの、お友達でも何でもないわ。第一、この披露宴に招待されていないでしょうし」
といって、また溜息を吐く。
俺は何とか彼女に気を取り直してもらいたくて、話題を探した。
「夜会でお会いしたときの衣装もお似合いでしたよ。今日の装いも素敵ですが……」
「お上手ね。でもあなた私のコト、年増だと勘違いしていたでしょう?お兄様より年上だと」
落ち込む彼女をフォローしたつもりが、余計な事まで思い出させてしまった。
俺は自分の率直過ぎる態度を、ちょっと恨めしく思う。だから姉達に『脳筋』と揶揄されるのだ。クラリッサ嬢は「別に責めてないわ」と苦笑して、自分のドレスを見下ろしてその薄い生地を繊細な指先で摘まみ上げた。
「最近思い出したのだけど、私、大人っぽい装いより淡いピンクとか小さな花のモチーフとかリボンとか……可愛らしい物が大好きなの。でも子供っぽく見られたくないから、背伸びしていたのよ」
と、愛しそうにスカートに散らばった白い花やパールを、ちょん、と撫でる。
俺はかろうじて『誰に、子供っぽく見られたくなかったのか』と言う野暮な事は尋ねなかった。彼女が女性として見て欲しいと願う相手は、十分に承知していたから。
「あなたは、彼女の事が好きでは無かったの?あんなに可愛らしい方が傍にいて、異性として意識したことは無いのかしら?」
クラリッサ嬢は人々の輪の中で、バルツァー少尉に寄り添い挨拶をこなすレオナに目を遣り、俺に問いかけた。その問いは本来、俺に向けられたモノでは無い。そう、本能的に悟ったけれど俺はそのままその問いに正直に応えた。
「好きですよ。大事な家族として。異性としては意識したことは無いですけれど」
「……そう……」
彼女は俯いた。ぽつり、と呟く言葉が悲しそうで。
俺の言葉に、バルツァー少尉の彼女に対する気持ちを重ねているのだろうか?従兄妹同士の俺達と血縁では無い彼らでは、立ち位置は違うと思う。だけど、簡単に分析して断じる事は憚られた。何を言っても傷付けそうで、上手い慰めが思いつかず言葉を継げずにいると、俯く彼女の膝に頼り無く置かれた白い手が、少し震えていた。衝動的にその手を取りたい欲望に駆られたが、理性で押しとどめた。
「……私はそんな風に思えなかったわ……」
彼女の肩が揺れた。そうして膝の上に何かの雫が、ぽつりぽつりと落ちる。
あ、泣いた……。
俺はごくりと生唾を呑み込んだ。
アドラー少尉より俺のほうが、よっぽど鬼畜かもしれない。だって、この時、俺は彼女の涙を見て気付いてしまった。
俺はずっと、彼女を泣かせたかったのだ。
夜会の時も、さっきも。
泣きそうだと思ったのは『泣けばいいのに』そう、俺が思っていたからだった。
泣けば楽になるのに。いっぱい泣かせて……そうしたら、俺が励ましてやるのに。
俺は彼女が泣き止み、自分の体裁を何とか整え終えるまで、傍らでじっとしていた。その心中にあるのは同情や優しさでは無かった。
ただ、萌えていたのである。
声を殺して無く美しい少女の様子に、ひたすら至福と満足感を覚えていたのである。アドラー少尉やバルツァー少尉を密かに変態だと思っていたが、どうやら俺も『変態連盟』の栄えある正会員になってしまったらしい。そんな自分に気付いたら、下手な励ましの言葉を紡ぐことは憚られた。
だけど、せめて。彼女の涙が止まるまで、傍にいてあげたい。俺は一抹の疚しさを抱えながらも、彼女の横でじっと気配を消して寄り添っていた。
「……この間はごめんなさい。意地悪な事を言って……本当は彼女に直接謝罪した方が良いのだと思うけれど……幸せな二人の目の前にこれ以上立つ勇気がなくて。伝えていただけるかしら?」
「もう、お祝いの気持ちは十分伝わっていると思いますが……伝えておきます」
請け負うと、薄く微笑んで、彼女は去って行った。
実をいうと、あの時レオナに女性らしい細やかな悪意は伝わって無かったかもしれない。そう伝えれば今の彼女の『救い』になるのかもしれないけれど、可哀想で言えなかった。
彼女は愛のために戦ったのだ。その方法は、決して褒められたものでは無かったけれど。それなのに、その拳が相手に掠りもしなかったなどと聞かされたらと思うと……残酷すぎる。
こうしてバルツァー侯爵家嫡男、クロイツ=バルツァーとアンガーマン侯爵家長女、レオノーラ=アンガーマンの婚約披露宴は華やかに、滞りなく幕を閉じたのだった。