7.蒼の騎士と薔薇の騎士
アドラー公爵家の休憩室の一室に案内された三人は、それぞれ椅子に腰を下ろした。カーの指示で侍女がカートに乗せた飲み物を運んで来る。ワインを進められたが、マクシミリアンは丁寧にお断りをしてレオノーラと同じお茶を貰った。彼女の冷えた体を温めるために用意されたお茶のスパイシーな香りは、彼の心にも平穏をもたらす効果があった。
クロイツにじろりと睨まれて、カーは肩を竦めた。
「サイラス王子が、レオノーラを所望している件への対応策さ」
「サイラス王子の?先ほどの求婚は、彼の思い付きに聞こえたが……事前にわかっていたことなのか?」
カーは詳細を語り出した。
「はっきり公式な申し出があった、という訳では無いよ。先だってアーベル王子がカクタスに闘技場の視察にいらっしゃっただろう?その時、学院の卒業生の進路が話題に出た時、レオノーラの話題にえらく食いついたそうだ。いつ頃成人するのかとか未婚なのかとか……そういった事に特に興味を示していたらしい。アーベル王子は聡明な方だから『詳しい事は確認しないとわからない』と言って誤魔化したのだが、その後もこちらにまた視察に来たいとおっしゃって、シュバルツ王国の貴族が他国に嫁ぐ際の手続きについても尋ねられたそうだ」
クロイツは眉間に皺を寄せて、思案気に顎を触った。
レオノーラはもう終わった事だと言うように表情を変えず、お茶を飲んでいた。
マクシミリアンはレオノーラ本人が悩む様子を見せず、クロイツばかりが苦悩している様子を見て申し訳なくなってしまった。
「しかしサイラス王子には、遊学時には既に婚約者がいたし、確か二年ほど前にご成婚されたと伺っているが……?」
カーは肩を竦めて諸手を上げる、気障な仕草を示した。
「カクタスは一夫多妻制が基本だからな。あまりそういった倫理観は、彼に当てはまらないのではないか?それに後で調べて分かったのだが、カクタスでは夫が二人目の妻を迎える場合、慣習として二年ほど間を開けるのが先妻への礼儀となるらしい。おそらく、サイラス王子はカクタス流では誠実な部類の男なんだろうね。……とにかくアーベル王子のご機転で、何とかその場は深い話に到らないよう納めていただいたそうだ。しかし王宮でも議論されたのだが、やはりレオノーラが万が一我が国を離れて隣国に嫁いでしまう事態は回避せねばならないからな。陛下もそれを大変憂慮されていて―――で、こちらに視察に来られる機会を狙って、幼馴染で従兄にあたるコリント家の次男坊がちょうど独身なので婚約者として紹介しようという運びになったのさ。幼い頃から約束している事として口裏を合わせてね」
カーは一度言葉を区切って、マクシミリアンを見てにっこり微笑んだ。
「では、この婚約は王命なのか……」
クロイツの声音は一層重いものになった。カーは気の毒そうに、微かに微笑んで幼馴染の騎士を見やった。
「正直、サイラス王子が率直な方で助かったよ。アーベル王子に打診される前に、直接レオノーラに交渉するような真似をされなかったから、こちらで小細工する余地もあったのさ。侯爵家にとっては利益の少ない婚姻だが、マクシミリアンという微妙な位置関係の独身男性がレオノーラの近くに居て、我が国にとってはラッキーだったというしかない。先ほどの様子だと、婚約者の紹介だけで人の良いサイラス殿下は諦めてくれたようだが、後ろに付いているカクタス陣営の考えはどうかわからない。あの様子だと、ただレオノーラを好いて言い寄っているように見えるけれど、この子の価値を知って後ろの連中が嗾けているのだとしたら、厄介だからね」
カーを見ていたクロイツの視線が、不意にマクシミリアンに移った。
「……君には、他に約束した相手がいるのか?だから婚約しても結婚するとは限らないと、レオノーラは言ったのではないか?」
クロイツの探るような眼差しに晒され、マクシミリアンは緊張を覚えた。
「いえ、特に婚姻を約束した相手はいません……姉達に扱き使われて出会いもありませんし……というか、レオノーラ?俺がいつお前と結婚するの、嫌だって言ったよ。そして、それを勝手に人に言うなよ」
クロイツの強い視線から目を逸らし、マクシミリアンは従妹を睨んだ。
「……気が進まないのは事実でしょ?『もしかすると仕方なく結婚する事になってしまうかも』ってお父様が言ったら、この世の終わりみたいな顔して。あの後、お父様と二人で話していたけど、どうせ、しっかり抗議していたのでしょう?」
レオノーラは剣呑に目を細めて、マクシミリアンを見た。
「いや、それはそうだけど……、最近はもう諦めが着いて来たというか……いてっ!……お前だって、嫌そうな顔していただろ……」
マクシミリアンの足がまたしても、ぐりっと踏みつけられた。レオノーラは拡がったドレスの下で、上手に二人の騎士に見えないように足を踏んだ。
「例え自分の気が進まなかったとしても、何故か相手に嫌がられると腹が立つのですよね。……人の心理って不思議ですね?」
抑揚の無い声で澄ましてレオノーラは言った。その様子を見て、クスリとカーは笑った。
「だから、僕が替わろうか?って言ったんだよ。……レオノーラ、僕も独身だし、学院時代に密かに付き合っていたってコトにして、結婚しない?」
「カー様と?はあ……」
レオノーラは、目をぱちくりさせた。
「駄目だ!!」
「それは、駄目!!」
二方向から抗議の声が上がって、ますますレオノーラは目をぱちぱちと瞬かせた。抗議の声がハモってしまった二人は、互いに顔を見合わせる。クロイツは再びレオノーラを真剣に見つめて、言い募った。
「カーの遊び癖は婚約したって、結婚したって治らん。きっと婚約した方が婚姻目当ての令嬢が捌けて遊びやすい、くらいに考えているのだろう。愛情は無いぞ」
「ヒドイなあ」
クロイツの暴言に、カーは哀れっぽく眉尻を下げて見せた。
「レオノーラに他の女性と寵を争って戦うなんて芸当、無理だよ。いくらなんでも家族をそんな目に合わせるのなら、俺が我慢したほうがマシだ」
マクシミリアンはるか格上の身分にあたる公爵家子息に不敬な事を口走ってしまい、慌ててあっと口を塞いだ。カーは微笑んだままレオノーラに目を移した。
レオノーラは呆れたように溜息をついて、マクシミリアンを窘めた。
「そんな事考えて、結婚するって言ってくれたの?嬉しいけど、カー様は意外と真面目な方だと思いますよ……それに、私、腕力は無いけど、イザとなったら色んな薬処方できるから自分で何とかできるわよ。『知恵と勇気』があるから大丈夫!心配ご無用よ!」
真面目な顔で握り拳を作り、レオノーラはマクシミリアンに頷いて見せた。カーは(一応褒められたようだな)と感じたが、彼女の『知恵と勇気』の効果を想像して少し身震いした。
「クロイツ様も、心配してくれて有難うございます。私もなるべく、シュバルツ王国や学院を離れたく無いと願ってはいるのですが……何分得意分野ではないので、父上や陛下にお任せしているのです。ですので、どちらに転んでも与えられた環境で何とか工夫しようと思っています。『後は野となれ、山となれ』です!」
―――ですので、クロイツ様もご心配無く!
と、レオノーラはクロイツに向かって、ガッツポーズをして見せた。
マクシミリアンは、
(何か困った事があったら、最終的に毒とか薬でなんとかしようって考えてるのかな)
とぼんやり考えて、カーと同様にぶるりと震えた。やっぱり、レオノーラと結婚するのは嫌だ……と彼は思った。『後は野となれ、山となれ』という台詞のところでは、野原や山々に死体が累々と転がっている様を想像してしまい、彼はその光景を振り払うように頭を左右に強く振った。
「私には、サイラス殿下が私を所望されている、というのは未だに殿下の行き過ぎたご冗談でただの杞憂ではないかという気がするのですが……本当に陛下や皆様のお手を煩わして、申し訳なく思っています」
レオノーラは、少し声を落として言った。
クロイツは力強く頷いたり、しゅんと萎れたりするレオノーラを、複雑な表情を浮かべて見つめていた。が、やがてスッと立ち上がり―――レオノーラの腰掛ける椅子の横に立った。
「クロイツ様……?」
レオノーラが不思議そうに彼を見上げた。クロイツは決意したように、キュッと眉根を寄せるとレオノーラの手を取り、跪いた。
マクシミリアンはギョッとし、カーはニヤニヤしながら、面白そうに少し眉を上げた。
「レオノーラ、私と結婚してください」
「えっ」
レオノーラは唐突な求婚に驚いて、クロイツの青い瞳を見つめた。
「え?え?……えーと……」
そして我に返ると珍しく落ち着かない様子で、彼女は視線をキョロキョロ彷徨わせた。マクシミリアンは滅多に見られない彼女の様子に「ホントに専門外なんだな」とポソリと呟いた。
一方のクロイツはこれまでの挙動不審が嘘のように落ち着いていて、熱心にレオノーラを見つめて力強くその小さな手を握りしめていた。いつもと立場が逆転している、とマクシミリアンは何だか冷静に観察してしまった。
「誰と結婚しても良いなら、私と結婚して下さい。陛下もアンガーマン侯爵も説得して見せます」
「あ、あの……」
「お願いします、『はい』と言って下さい」
レオノーラは顔を真っ赤にして目を白黒させていたが、やがてゴクリと唾を呑み込んで言った。
「あ、あの……、クロイツ様は年上好きで、とてもお綺麗な恋人がいらっしゃるって伺っていたモノですから、驚いてしまって……その方は、どうなさるおつもりですか?」
クロイツは驚いてポカンとした。
「えっ……そ、そんな女性はいませんが……」
レオノーラはきょとん、と首を傾げてクロイツを見つめた。
「でも以前学院で、クロイツ様がどなたか男子生徒と『恋人とするなら女性は年上が良い』って話しているのを聞いてしまったので、全く私は範囲外だと―――クロイツ様はあくまで後輩として親切にしてくださっているのだと、理解しております。それに、カー様からクロイツ様には『背が高くてグラマーで、色っぽい年上の恋人がいる』のだと伺っていたので……てっきりクロイツ様は身分違いか何か、障害のある恋をされていて、婚約に踏み切れない事情がおありなのだなぁ……と想像しておりまして……もうその方とは、お別れされたのですか……?」
あくまで心配そうに、彼を見るレオノーラ。
クロイツの顔色は蒼白になったり真っ赤になったりと、目まぐるしく変わった。
マクシミリアンは、クロイツの毎朝薬草園に通うといった地道な、そして地味なアプローチの意味に、レオノーラが気が付かなかった訳を理解した
なるほど、レオノーラは夜会でのクロイツの活躍を知っていたのだ、間接的に。
(バルツァー少尉の事を、ただの面倒見の良い先輩だとすっかり思い込んでいたのか)
マクシミリアンはクロイツを残念なものを見るように眺めた。これほどの美男子で能力もあり地位も約束されているクロイツが、モテない筈は無い。良心的に受け取るとすればレオノーラに出会う前、若しくはレオノーラに惚れる前には、年上の綺麗な恋人がいたのかもしれない。
しかし『(今は)そんな女性はいない』という言葉を、マクシミリアンは信用した。誠実に薬草園に通い続け、しどろもどろに真っ赤になってレオノーラと話すクロイツの言葉に嘘は無いのだろうと想像できたからだ。
(……先輩!わかります!社交界デビューの頃は、綺麗なお姉さんに翻弄されたいですよね!男の夢ですもん!)
マクシミリアンは頷きながら、クロイツを生温かい目で見守った。しかし一言も発せず石になったクロイツを、不思議そうに見下ろしていたレオノーラが―――如何にも良い事を思いついた!と言うように顔を輝かせたかと思うと、追い打ちを掛けるように、こう言ったのだ。
「あ!わかりました!!クロイツ様!恋人を側室に迎えたいのですね?それで、身分の合う私が正室であれば都合が良いと……正直に言って下されば良かったのに!……あービックリしました。こういう雰囲気に慣れて無いので、思わずドキドキしちゃいましたー。大事な先輩の頼みなのですから、勿論協力は惜しみませんよ!不得意分野ですが、お手伝いさせてください。私の婚約偽装問題も片付くし、クロイツ様のお屋敷からなら学院にも近いですし、一石二鳥どころか一石三鳥ですね!!」
ビシッと言い切って満足したレオノーラは、跪いたまま石というより彫像になってしまったクロイツの青い瞳を覗き込んで、力強く両手で彼の手を握りしめた。
一拍おいて、クロイツがふっと顔を伏せた。そしてその肩がふるふると震え出した。
(あ、壊れる)
マクシミリアンがそう感じた時、まるでピシッと音がして部屋の空気にヒビが入ったような錯覚を覚えた。
クロイツは立ち上がり室の壁まで大股で近づくと、交差した状態で飾られた剣を二つガっと掴み引き剥がした。かと思うとスゴイ速さでカーの前まで戻り、一方の剣を彼の足元に投げ付けて、スラリと手元の剣を抜いた。
流れるような美しい構えにマクシミリアンは一瞬見惚れたが、ハッと気が付いてクロイツに駆け寄った。身分も遙か格上の恐れ多い偉大な先輩だが、ここで刃傷沙汰を起こされる事態は何としても防がねば。
クロイツに抱き着かんばかりに、剣を握る利き手を掴んだ。握ったクロイツの手は高熱に浮かされているかのように熱く、物凄い力でマクシミリアンを振り払おうとするので、全力で抑えなければならなかった。
そのままチラリとカーを振り返ると、剣を拾って右に左に持ち替えたりしながら、面白そうにニヤニヤしているので、頭が沸騰しそうになった。
(あっちも相当イカれてる!勘弁してくれよ~)
マクシミリアンは絶望的な気持ちになった。蒼白になって、目の前のクロイツを必死で説得する。
「バルツァー少尉っ……どうか、どうか……落ち着いて下さいっ!ここで何か起こったら、更にややこしい事になってしまいます……!」
「離せ、叩き切らなければ解らない奴だ。刃の錆にしてやる……」
その言葉に触れただけで叩き潰されそうな、殺気を込めた声でクロイツは呻いた。
「マクシミリアン!そいつ離していいよ~、最近運動不足だから、ちょうど良いかも」
カーは剣を構えて腰を低くし、膝でリズムを取り始めた。
「バルツァー少尉!結婚認めます!!レオノーラと結婚してくださいっ、俺が侯爵説得しますからっ……!!」
マクシミリアンは必死で怒鳴った。
「だから、剣をおさめて下さい!」
クロイツの殺気が少し弱まった。
マクシミリアンは、その隙を見逃さなかった。レオノーラの方を見て、同意を促すようにコクコクと頷きながら一気に捲し立てた。
「なっレオノーラ、良いよな!こーんなカッコ良くて素敵な旦那様、探したって見つからないぞ~。働き者だし身分も申し分ないし、趣味も合うしなっ!お前まさか規格外の令嬢の癖に、バルツァー少尉を断るなんて馬鹿な真似、しないよな?」
レオノーラはマクシミリアンの権幕に押されて、コクコクと頷いた。それを見たクロイツの力が……僅かに弱まった。マクシミリアンはあと一押しとばかり、声に力を込めた。
「バルツァー少尉に『恋人』がいるってのは、アドラー少尉の冗談だ。冗談言って同級生の女の子をからかうなんて、年頃の男なら皆やってることだよ!ちょっと面白かったから、からかったんだよ。ね!アドラー少尉、そうですよね!」
マクシミリアンがカーを振り返って、強めの口調で言い募った。カーは同意とも見えなくも無いニヤニヤ笑いで、沈黙していた。しかし剣先を下ろし、構えを解いてくれたのを視認し―――マクシミリアンは心底ホッと胸を撫で下ろした。
「それに男同士で『年上の綺麗なお姉さんが良いよな~』っていうのは、合言葉みたいなもんでさ。男子の妄想の定番キャラなんだよ。だから、一応話合わせているだけってコトが多いんだよ?実際の好みじゃなくても、ノリで言っちゃう事ってあるんだ。だから、さっきのはお前の全くの誤解なんだ!そうですよね、バルツァー少尉!」
だいぶん失礼な事を言われている筈なのに、マクシミリアンの勢いと必死さに怯んで、クロイツはコクリと頷いた。
レオノーラは呆けた顔で聞いていたが、ハッと我に返って呟くように言った。
「誤解?……だったのですか?」
コクコク!クロイツとマクシミリアンは、揃って勢い良く頷いた。
レオノーラは真っ赤になって両頬を包んだ。
「あら、恥ずかしい……ホントに私、こういった事に疎くて申し訳ありません。そうなのですね。……すいません、クロイツ様、誤解したまま勝手に捲し立ててしまって……」
クロイツは、剣を下げて力を抜いた。
マクシミリアンがホッとして少し後退ると、流れるようにクロイツは剣を鞘に戻した。
「いや、私も済まなかった……見苦しいところを、お見せしてしまった」
照れる二人の間で、すっかり疲れてしまったマクシミリアンは、投げ遣りに言ってこの場を締めた。
「では、侯爵には先ず私からお話しますので……宜しいでしょうか?バルツァー少尉。宜しいですね、アドラー少尉?……レオノーラは何も言うな。俺に全て任せとけ」