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6.蒼の騎士の懊悩(2)



学院自治会が、新しい体制でスタートした。

結果として、役員業務を行う上でレオノーラに足りないのは『身長』と『腕力』だけだと言う事が判明した。高い所の物を取る時と大量の荷物を運ぶ時ばかりは、やはり誰か他の役員が補わなければならなかった。


そして彼女は非常に有能な自治会役員として、着任後間も無く、不動の地位を築きあげた。

レオノーラはその幼い容貌を裏切る才能を直ぐに知らしめた。深い知識と洞察力、資料を作るスピード、他人に判りやすく説明する技術力を兼ね備えており、しかもクロイツが一番疑問視していた精神的な耐力の方も、全く問題無い事もすぐに明らかとなった。


彼女は健やかな自信に溢れ、ただ自分の思ったことを為し、それでいて為す事が皆に利益になるよう配慮をする事も怠らなかった。余りに優秀過ぎるので、周囲の人間が嫉妬を起こす余地もなかった。率直過ぎる物謂いも、こうなるとちょっとした個性としてすんなりと周囲に受け入れられてしまう。

クロイツは自分は本当に浅はかだったと思い知った。貴族としてのプライドと体面、古い常識に固執して、彼女と距離を取っていた自分を恥ずかしく思った。




彼女の発する言葉は示唆に富み、壁にぶつかったかのような課題にも、彼女と議論を重ねればお互いの知識とひらめきの相乗効果で、幾通りもの可能性の扉が現れた。いつの間にかクロイツは、ただ義務と実績作りの為と割り切っていた自治会役員の仕事が、楽しくて仕方が無くなってしまった。

彼はもっと早く彼女と知り合いたかったと、悔やんだ。来年になれば卒業し、仕官試験に合格すれば、騎士団に所属する身である。同じ貴族とは言え、侯爵家の令嬢と額を付き合せて議論に夢中になる時間を、滅多な事では手に入れる事はできないだろう。

クロイツは初めそれを、男女の枠を超えた友情か、知識欲のようなものなのだと受け止めていた。






** ** **







高等部一年次、十四歳の時、クロイツは社交界にデビューした。

以来恵まれた体躯と容姿を持つ黒い癖のある髪の蒼い瞳の少年は、日常に退屈している遊び慣れた令嬢や夫人達の恰好の標的になった。夜会に出れば群がる女性陣にあっという間に囲まれてしまう。父親であるバルツァー侯爵は真面目なクロイツが侍女や身分の低い下級貴族など下手な相手の色香に惑わされてうっかり相手を孕ませるような間違いを起こしてはいけないと慌て、高級娼館に連れて行き女性との付き合い方を教えた。思惑に巻き込まれ侯爵家嫡男に万が一、子供が出来てしまえばお家騒動に繋がりかねない。


しかしそのうち彼は、娼館に通わずとも上手く遊べる相手に困らなくなった。一つ年下のカーほど派手に遊ぶわけでは無かったが、危なげない相手と卒なく後腐れの無い関係を築く作法も会得した。このため、クロイツは自分はもう余裕のある大人の男になったのだと、内心自認していたのだ。


一方でレオノーラと話す時間は、クロイツにとって心の弾む一番楽しみな時間となっていた。しかし自分はどちらかと言うと年上の女性と関係を持つ事が多いし、サイラス王子のような少女趣味ロリコンでは無いから、彼女に対して異性を意識してはいないのだ……と信じていた。事実会議室に二人きりになったとしても、切羽詰まった欲望など湧いてこない。ただいつの間にか矢のように時間が過ぎ去ってしまって、気が付いたら彼女の門限ギリギリの時刻になってしまう……という事を繰り返していた。彼女が乗った馬車を見送りながら『もっと、時間がゆっくり過ぎれば良いのに』と、ふと考えてしまう。彼女と他の男子生徒や、マルグレーブ学院長が話をしている時苛々してしまうのは、自分の楽しみである議論の時間が削られてしまうから。だからつい腹が立ってしまうのだろう、とこの時も彼は信じて疑わなかった。




「園芸部を作ります」とレオノーラが宣言したとき、彼女に唯一足りない腕力が必要だろうと直ぐに賛同を示した。その上でカーにも声を掛けたが、断られた。


「私は予定が詰まっていて、早朝も放課後も参加するのは難しいです。どうしても人手が必要な時は言って下さい。その時は他の奴らにも声を掛けますので」


放課後も早朝も使う『予定』というのは、女性絡みだろうとすぐ理解した。クロイツは(仕方ない、最初は二人でも良いか)と割り切って頷くと、カーがニヤニヤしてウインクした。


「二人の邪魔はしませんので、楽しんでください」


令嬢たちが目の当たりにすれば眩暈を起こしそうな綺麗なウインクだが、クロイツにとっては気持ち悪いだけだった。


「何でも、色事に解釈するな。お前とは違う。レオノーラみたいなお子様に、変な気起こす訳ないだろう」


と諌めると、カーは眉を上げて意外そうな表情を作った。


「へえ……?……クロイツって……」

「何だ」

「ひょっとして……自分がどんな顔してレオノーラとしゃべっているのか、気付いて無いの?」


学院内限定で使っている、カーの慇懃無礼な敬語が外れた。


「は?……どんな顔だっていうんだ」


カーは、ニヤリと笑っていった。


「『好き好き、大好き』って、あまーい表情!俺や役員の奴らがレオノーラに話し掛けたら、仕事だって言うのに今にも仕留めそうな殺気を放って睨んでさ。下手したら、学院長にも嫉妬しちゃうんだから。男の嫉妬は見苦しいよ」


クロイツは体中の血が、頭に集まったのを感じた。


「はあ?……俺がいつそんな顔……」


彼がカーの肩に掴みかかると、カーは垂れ目がちな目尻を更に下げて、肩を竦めた。そしてゆっくりと、クロイツの手を自分の肩から外した。


「自覚無かったんだね、へー。……レオノーラに、夜会の『クロイツ先輩』の貴公子っぷり教えたら、面白いだろうなー」

「!!」


今度はクロイツの顔から、一瞬で血の気が引いた。


「冗談ですよ!そんなこの世の終わりみたいな顔、しないで下さい。美男子が台無しです。……ではごきげんよう、また明日」


カーは慇懃無礼に、夜会で淑女に対して行うような優雅な貴族の礼を披露して、去って行った。クロイツはショックの余り―――返事も出来ず暫くその場から動くことが出来なかった。







その日の放課後。

レオノーラは園芸部の活動許可を取り、薬草園の予定地である裏庭で造園計画の青図を拡げていた。小さな背中越しにその設計図を覗き込みながら、クロイツはカーの言葉を思い出して少しそわそわしていた。そんなクロイツの胸の内など知らない彼女は、計画と照らし合わせながら、裏庭を検分する事に集中している。


「ここは、温室で……こちらは高山植物を植えようと思っています」


青図には、薬草の名前が区画ごとに記されていた。


「ムンクシュット、キクータウェローサ、毒デウツィア……」


レオノーラが読み上げる恐ろしい毒草の名前に、背中がヒヤリとする。覗き込んだ青図に、見慣れた花の名を見つけて首をかしげた。

その気配に気付いたレオノーラが、不意に振り返った。見上げる深い緑色の瞳に何故なぜかギクリとしてしまう。


「スズラン……お好きですか?」

「あの小さいリングベルのような白い花か?領地視察で群生地を見た事がある。深い森の中でひっそりと育っている可愛らしい花だったな。まるで……」


何かとんでもなく甘い台詞を口走りそうになり、クロイツは(これではまるでカーだ!)と自分を、薄気味悪く感じて口をつぐんだ。


その時。


「あ……!」


上を向いて歩いていたため土の不陸に足を取られたレオノーラの体が傾ぎ、ポスンと彼女の頭と肩がクロイツの胸に飛び込んできた。その瞬間、彼の心臓がギュッと縮まり、ドクンと大量の血液が体中を駆け巡るのを感じた。


「だ、大丈夫か……」

「あ、はい。大丈夫です」


クロイツはレオノーラの肩に触れ、その体を起こそうとした。




(なんて、細い……)




少しでも力を入れれば、砕けてしまいそうな細い肩に、クロイツは唖然とした。


「クロイツ様、あの……もう大丈夫です」

「あ、そ……そうだな」


常に無いほど焦ってしまい、クロイツは上手く話せない。彼の胸には動揺が広がった。手を離すと、改めてお礼を云われる。

今度はしっかりと足元を確かめながら、思い出したように彼女が話題を戻した。


「そうそう、ご存知ですか?スズランはとても可愛らしい花なのですけれど……花や根を誤って食すると、胸の発作を起こして、死んでしまう事があるのですよ。気を付けて下さいね」


レオノーラはにっこりとそれは楽しそうに、微笑んだ。




「怖いでしょう?」

「それは、恐ろしいな……」




クロイツはこの時、既に自分は手遅れなのだと悟ったのだ。







** ** **







自分の本心を自覚して以来、クロイツは、以前のようにレオノーラに気安く触れたり、平常心で話しかけたりする事が出来なくなってしまった。


つまり、これはクロイツの『初恋』だったのだ。


初心うぶな童貞のように、レオノーラの前では挙動不審になってしまう。しかし彼女との接点を失ってしまう事は身を引き千切られるように辛いため、卒業し無事騎士団に仕官した後も、何とか時間を捻出して『手伝い』と称して薬草園に通い続けた。例え以前のように上手く話せなくても、作業に従事しているから不自然では無いし、顔を見られるだけでも幸せだった。




様々なタイプの女性から好意を浴びるように受けて来たクロイツは、レオノーラが明らかに自分の事を男性として意識していない事を、十二分に理解していた。

バルツァー侯爵家嫡男の自分に持ち込まれる縁談も、増えつつある。その内、立場上断る事が出来ない案件も出てくるだろう。

それまででも良い。レオノーラに会いたい。できれば、その後も趣味の範疇としてこのささやかな営みを続ける事は叶わないだろうか?

現実から目を逸らしてただ朝の爽やかな空気の中、彼女と微笑んで挨拶を交わし、作業をしながら同じ空間に居られるという幸福が、クロイツの唯一の救いだった。一層、彼女との距離を縮める行動を起こせなくなった。この関係を壊したくない……。




―――そして唐突に今、逃げていた現実を突き付けられたのだ。







** ** **







「……コリントとはいつ頃、婚姻式を行う予定なんだ?」




終に、クロイツは吐き出すように早口で尋ねた。口に出してしまってから、思わず目を瞑り、天を仰いだ。


(いっそ早くトドメを刺して欲しい)


ずっと聞いていたいと願った柔らかな声を、この身から引き剥がしたい。そんな相反した衝動に駆られ、自棄になって尋ねた。


しかし、レオノーラの回答は、意外なほどボンヤリとしたものだった。




「……さあ?」




間の抜けた応えに、思わず目をぱちくりと瞬く。そして我が耳を疑いながら、クロイツは彼女の顔を恐る恐る見下ろした。


「……こ、婚約しているのだよな?」


驚きの余り、声が震えてしまう。

レオノーラは小首を傾げて、真面目に唸っていた。


「うーん。そうですね……問題が解決しなければ、やはりしなければならなくなるのでしょうね。でもおそらく実際、結婚まで至る事は無いと思います。第一、相手がそーとー嫌がっていますから」

「ど、どういう事なのだ?」


カーが言っていた話と随分違っている。クロイツは、動揺して思わずどもってしまった。

レオノーラは、形の良いつるんとした眉間に自分の人差し指を押し当てて、声を潜めた。


「あ、これはトップシークレットなのでした……」

「だ……誰にも漏らさないと約束する……教えてくれ、なぜ、今婚約している相手と結婚する事にならない、などと言うのか……」


クロイツは蜘蛛の糸に縋るような気持ちでレオノーラに尋ねた。


その時、バタバタと人の気配が近づいて来た。




「こんな所にいたっ!レオノーラ!何で……勝手に……離れたんだ!!」




戻ってきた使用人を追い越す勢いで走って来たのは、マクシミリアンだった。広い公爵家を、消えたレオノーラを探し回った為、肩で息をして、すっかりヨレヨレになっていた。


「噂をすれば……」

「噂?何を呑気に話してたんだ?……あっ!バルツァー少尉?!」


マクシミリアンは慌てた。なぜか同じように騎士服をヨレヨレにしたクロイツが、疲れた様子でベンチに座り込み、両手を組み合わせて肩を落としていた。クロイツの双眸もマクシミリアンを捉えていたが、そこに戸惑いの色はあるものの、先ほど浴びた射殺すような敵意や冷たさは感じられない。このためマクシミリアンは二人の傍に駆け寄る事ができた。先ほどのように凄まじい殺気を纏っていたクロイツのままだったら、彼は近づかずにレオノーラに「こっちに来い!」と手招きしていただろう。


「レオノーラ、黙って離れるな。心配するじゃないか」

「あ、そうですね。ごめんなさい……クロイツ様の容体が気になって、お薬を処方しようかと思ったのです。声を掛けようと後を追ったのですが、コンパスが違い過ぎてなかなか追いつけなくて……」

「ここで、追いついたのか」

「はい。心臓が痛いと苦しまれていらっしゃったので、牛黄を処方しようと思ったのですが、痛みが引いたようなのでそちらの方にお水をお願いしたのです」


マクシミリアンはクロイツが痛めているのは、直接的な意味の心臓では無い、と容易に想像できたが口には出さなかった。二人の遣り取りを大人しく聞いていたクロイツがスッと立ち上がって使用人に下がるよう指示を出した。


「コリント。レオノーラから今伺ったのだが、婚約しておきながら君にレオノーラと結婚する意志は無いというのは、本当か?」


クロイツはマクシミリアンより、頭一つ分大きい。鋼のように鍛えられた体躯は対峙するだけで彼に威圧感を与えた。しかし、マクシミリアンとて伊達に日々剣技の鬼である祖父に鍛えられている訳では無い。威圧感を振り払い、クロイツには答えずレオノーラを睨んだ。


「レオノーラ、何と言ったんだ」

「マックスが私と実際結婚するかどうかはわからない、という事だけです。具体的には何も」

「彼女は『トップシークレット』だと」

「……」


マクシミリアンは、ここで打明けてしまうべきか迷った。何しろ陛下の勅命なのだから、アンガーマン侯爵の了承を経ずに部外者に秘密を漏らすのは憚られた。しかしレオノーラはまるで罪悪感を覚えていないように、飄々としている。


「クロイツ様は信用できる方ですよ?」

「『信用できない』とは言ってない。そういう問題じゃ、ないだろ」




「そうだよ、せっかく『ドッキリ』を仕掛けたのに、仕掛け人がばらしたら意味無いでしょう?」




宵闇に歌うような、第四者の声がするりと割り込んできて、その場の主導権を握った。


「アドラー少尉」

「カー様」


振り向くと、一服の耽美な絵画のような御仁が、東屋に近づいて来るところだった。


「カー、お前も絡んでいるのか。一体これは、どういう事だ?」


正気に戻ったクロイツは精悍な顔を顰め、威風堂々としたオーラを纏っていた。落ち着いた物謂いに本来はこんなに威厳のある人物なのだな……と不敬にもマクシミリアンは心の中で嘆息した。何せマクシミリアンが最初に間近に見たのは、少女のようなレオノーラに話しかけられて真っ赤になって挙動不審な様子を見せる、妙な色の作業服を着た大きな男だったのだから。


「聞きたい?」

「言え」

「どうしようか?伯父上に、口止めされているからなあ」


カーはクロイツの圧力など露とも感じていないように、楽しそうに話を逸らした。

彼の伯父上とは、つまり『国王陛下』だ。

クロイツもそれに気付き息を呑んだが、引き下がらなかった。射殺すようにカーを見据えて、地を這うような低い声で断言した。


「他言はしない」


カーはニヤニヤと楽しそうに、クロイツを見ている。


マクシミリアンは、カーもやはり見た目通りの軟派な人物では無いのだと、実感した。クロイツが放つ恐ろしい殺気に、涼しい顔で焦らすような真似をしている。身分が上だとしても、本能的な恐怖心を柳に風と受け流せる様子は只者では無い。


「寒いから、移動しない?……お姫様が凍えちゃうよ?」


マクシミリアンはハッとして上着を脱ごうとしたが、クロイツの方が早かった。しかし体格差があり過ぎて、騎士服の上着を纏ったレオノーラは、まるで外套を羽織ったように足元まですっぽり覆われてしまったのだった。



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