第二話〜離別〜
朝。
「言ってることがわかってるのか!」
怒号。
「もう決めたことです。すいません」
棒読みの言葉。
始業三分前の出来事はこうして始まり、結果俺は剣道部を辞めた。
別に人間関係で悩みがあったわけではなかった。むしろ逆で、それなりの関係にはあったと自負していた。
レギュラーを狙えなくなったわけではない。剣道とはそれをとるためにするものじゃないし、そこまで弱くはなかった。
理由は問われたが、そのときは嘘をついて難関大学を目指すためにと答えた。
確かに、今の成績の下がり具合からすればその選択をしてもおかしくはない。
しかし、今の俺は辞めたところでそんなところに合格できはしない。
とどのつまり、俺は辞めた理由がわからなかった。
その日の授業は、いつの間にか終わっていた。
最近はいつもそうだったが、今日は特に早く終わった気がした。
いつも通りだ。
入試に必要な教科はそれなりに聞くふりをする。
どうでもいい教科は寝る。
体育はさぼってると思われない程度にがんばる。
授業の合間は寝るふりをして、なるべく他人とは話さない。
今のクラスは嫌いなわけではない。
文化祭だって、体育祭だって、それなりに協力はしたし、むしろ居心地いいくらいだった。
でも、今は微妙に違う。
それだけの、感覚。
「どうしたの?守谷くん」
俺がボ〜ッと窓の外を見ていると、隣の席から声が聞こえた。
隣は確か……。
「ああ、宮野さん。いつも通りだけど?」
宮野由佳。
優等生で、いつも順位が一桁っていう真面目さ。
それだけでなく、こうやって誰にでも気さくに話しかける彼女は周りからも人気があった。
メガネが更にインテリを際だて、スラリと伸びた背も加えその姿はまるで「出来るお姉さま」だ。
「そう?何か、力が抜けてるみたいな感じだけど?」
人の異変なんかにも敏感なんだな……この人。
「気のせいだよ」
俺はとりあえず答えた。
これ以上、会話を続けたくもない。
「そっかっ。あ、私、そろそろ部活行くね?」
俺はその言葉に上辺だけの笑顔を添えて手を振って応対した。
宮野は振り返って教室を後にしようとしたそのときだった。
俺はハッとなった。
長い黒髪……。
気のせいだと処理したはずなのに、何故今思い出した?
宮野は、昨日の影のような黒髪をなびかせていた。
「帰るか……」
俺は黒のエナメルバッグを肩にかけ、教室を出ようとした。
「ちょーーーーーーーーーーーーーーっと待ったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
廊下から、叫び声。数秒後、教室の扉が開いた。
剣道部部長、太田隼人はその強靱な肉体で俺の退室を妨げた。
「守谷!何故だ!何故剣道部を辞めた!」
……正直、今一番話が通じない人だ。
「ほら……あれだよ……大学のためっつ〜かさ……」
「嘘だ!お前は勉強についてはそれなりの奴だった!」
……ああ、もう、面倒だ。
「ぶ、部長?もう部活……始まってるよね?急がないと……」
「それは清島に任せたからいい!それよりお前だ!」
清島とは副部長のことで、普段は無口だけどその寡黙さがむしろいい奴。楽だしな、あいつといると。
「と、とにかく!俺はもう、無理なんだよ!」
俺はそう言い捨てると、太田の脇の隙間をくぐり抜けて逃げ出した。
「待て!逃げるな!話をしろ!」
太田は予想通り追ってきた。
俺に追いつけると思うなよ?
俺は、確かに剣道は強くなかった。でも、剣道部内で一番足が速かったんだ!
けど、俺は何で逃げてるんだろう。
何で、今走ってるんだろう。
理由もなしに、駆け抜けることしか、俺には出来なかった。
いや、出来ないんだろう……。