千年を超えて
クルースンの主な航法は、出発時とは違うものになっていた。フィールド航法、空間そのものを引き延ばし、新しい空間を湧き出させる、その航法が飛躍的に発達していた。出発時には数光分、せいぜい数光時が限界だったものが、いまや原理上は10万光年、つまり銀河系を一回のFTLで横切れるほどに。もう、マルチバースのどれかの宇宙を犠牲にする必要もない。
いくつかの惑星に施設を残してきた。たった1,000年にしては期待以上の成果だろう。
それはたまたまだった。1,000年の間に、アルファ・ケンタウリ星系から電磁波が、それもコード化された電磁波が発信されていることに気づいた。アルファ・ケンタウリで一仕事したあと、ついでに地球にも足を伸ばしてみることになった。
「ヘリオ・スフィアに入りました。末端衝撃波面通過」
艦橋でクルーの一人が報告する。
「思わぬ帰還になったな、開発者」
艦長の目の前のディスプレイに一人の顔が映し出される。だが、その顔はあまり晴れやかなものではない。
「自分に会うのが怖いのか?」
艦長が訊ねる。
「…いや、そうじゃない。そんなことは問題じゃない」
「なら、その浮かない顔は何だ?」
「いいから、放送や通信が行なわれているか観測してみろ」
艦長の命令を待つまでもなく、開発者の言葉を聞いたクルーがコンソールを操作する。
「その痕跡はありません。太陽の… 太陽風が観測できますが」
艦長はディスプレイに映る顔に目をやる。
「開発者、気づいていたのか」
ディスプレイの中の顔がうなずく。
「あぁ。100個ほど、私のプロセスをコピーして観測してみた。太陽風は荒々しいが、それだけだ」
艦長が眉をひそめ、声のトーンも落とし、尋ねる。
「エンコードが変わっているんじゃないのか?」
「いや、そういう問題じゃないことは君だって知っているはずだ。どうやって私たちが知性化の対象となる種族を見つけようとしていたか」
ともかく地球に近づかなければ。艦長はそう示した。
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月軌道に沿って地球を一周する。
「どういうことだ。エンコードされた電磁波も観測できない。それに… それに夜の側は真っ暗だ」
艦長は呆然とディスプレイを睨みつける。
ディスプレイの片隅では開発者が艦長を見ている。
「つまり、そういうことだ」
「いや、技術を失ったか、技術の維持が難しくなっただけかもしれない」
「なら、少しばかり細胞でも取ってみろ。個体を取ると面倒になりかねないからな」
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分析されたDNAには、人間を人間たらしめていたはずのジーンが失われていた。あるいは汚染か。あるいは、制御コードがその部分を不活性化していた。
「何があった」
艦長が力なくつぶやく。
「何もないさ。人間があるように進化しただけだ」
「これが進化か!?」
「あぁ、進化だ。人間にはもともと知性などなかったんだ。ミームの積み重ねに過ぎないものを人間は知性だと勘違いしていたんだ。私たちはミームの積み重ねが産んだ偶然だったんだよ。数百個体でも、この船に冷凍しておけばよかったな」
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私たちがやることはたった一つ。いつかは遠く離れる月に、墓標を刻もう。
「人類の子ら、人類の裔を見る。願わくば彼らに幸あらんことを」
横から開発者が口をはさむ。
「彼らはもう幸せだよ。知性があると思っていたころに比べればはるかにね」