1
◆ ◆ ◆
太陽が頂点を越えて暫くが経過した頃、悪路な森の中をかなりの速度で駆ける一台の馬車の姿があった。三本の剣が交わる紋様が描かれている馬車の周囲には白銀に輝くお揃いの鎧を纏った屈強そうな騎士数人が騎馬に跨り併走している。
昼過ぎとはいえ人気のない森の中を数人の護衛だけで走行するのは普通なら無謀なことである。しかし、それでもこうして目的を持って森を探索しているのだから余程自衛に自信があるのか、または危険だと理解できないただの阿呆なのか。
実をいうと馬車の中にいるのはそのどちらでもなかった。この馬車の主でありこの無謀な行為を行わせている少女――ティファ――は逸る気持ちを隠しきれず碧色の瞳を御者へと向ける。
御者をしていた三十代後半の男性はティファの視線を感じたのか前方を確認しつつ口を開く。
「そう睨みなさんな、姫さん。これでも精一杯急いでいるんですよ」
「……無理を承知なのは分っています。しかし……」
「姫さんの大事な人が危ないっていうのは分りますが、護衛を任された俺としては姫さんの身の方が大事なんですよ」
「……むぅ~」
自身の心配をする言葉をかけられてはティファに反論する余地はなかった。彼女はばつの悪さを感じてむくれてしまう。
そんなご機嫌斜めになったティファを横目で確認しつつ御者の男性は苦笑いを浮かべる。ときどき子供っぽいところがある少女であるが、これでも彼女はこの国の第一王女であり代えの利かない存在なのである。
十四歳と成人まで後一年ほどあることもあり仕方ないとはいえ、微笑ましくもこの国の将来が心配になるのだった。まぁ、そんな彼女だからこそ慕っているのも事実なので、結果、自嘲混じりの曖昧な笑みになってしまったのだが。
しかし、なぜ第一王女であるティファがこのような森に少数の護衛を伴ってやってきたのかというとある人物を探すためであった。
その人物は本来今朝の段階で城に直接呼ばれているはずだった。けれども想定外なことに急遽他に二人も招待することになってしまい、結果一人だけ手違いが起こってしまった。したがって、昼を過ぎた現在も目的の人物が現れることはなく行方は分らないままなのだ。
そのことに責任を感じたティファは色々と立て込み忙しい中予定を繰り上げ、こうして目的の人物の捜索に自ら出向いたのだった。けれども、何時までも捜索することは許可されておらず、早期に城へと帰還しなければならない。
残された時間も僅かしかないが目的の人物が降り立ったであろう場所はもうすぐらしい。
ティファはどうかその人が無事でありますように、と神に祈りを捧げるのだった。
◆ ◆ ◆
とある森に一筋の流星が舞い降りた。その知らせが城に届いたのはティファが召喚を終えてから暫くが経った頃であった。
召喚と言ってはいるがティファが行った召喚は正式な召喚魔法とは異なる。それは残されている古代の文献を頼りに再現された異なる次元にあるとされている世界から力ある者、つまり勇者を召喚するものだった。
勇者召喚には技能の中でも希少なユニークスキルである次元魔法と高レベルの召喚魔法の二つが必要となる。次元魔法とは次元を操る魔法で、召喚魔法は生物や無機物を召喚する魔法である。
現在、召喚魔法の技能を持つ者は数が少ないがいない訳ではない。しかし、次元魔法の技能はユニークスキルというだけあり、ヤマト王国の初代王妃であり初代勇者と共に魔王を滅ぼした一人である召喚士のリーファの死後以降所持している者がいなかった。そんな中、その才能を持って産まれたのがティファであった。
勇者を召喚する。そんな宿命を産まれながらにして背負うことになったティファは、その才能を存分に生かすために血の滲むような努力を積み重ね続けた。そして遂に高レベルの召喚魔法と次元魔法を実用段階へと成長させたのだった。
こうして勇者召喚が行えるまでに至ったティファは、今朝王命により勇者召喚を行うことになった。勇者召喚はヤマト王国の初代国王であるヤマト王以来約500年ぶりである。しかし、その事実を知っているものは極僅かしかいない。
何故なら勇者召喚が行われるということは魔王の復活を意味するからだ。
『魔王』。嘗て起こったとされる第一次対魔戦争の切っ掛けを作り、その際に魔族を率いて人族と亜人族を滅ぼそうとした張本人である。
魔王の侵攻の勢いは留まることはなく窮地に陥った人族が行ったのが勇者召喚であった。
勇者は魔王とそれに属するもの以外の種族を一つにまとめ魔王に対抗した。勇者対魔王。二度目の大きな戦争の結果は勇者側の勝利に終わる。
その後、世界に平和が訪れ勇者ヤマトはヤマト王国の王となり人族の代表となった。一方、数を減らした亜人族は各種族で団結して合集亜国を建国する。魔王の死後、勇者側に付き戦争後も生き残った魔族は嘗て魔族の国があった場所に清魔国を建国することになる。
こうしてスカイフォール大陸は三つの勢力によって統治されることになり、今現在も平和が保たれている。しかし、再び魔王が復活したことが大々的に知れ渡ってしまうと世界に混乱が起こってしまう恐れがあった。
そこで神託の技能を持ち魔王の復活をいち早く知ることとなったヤマト王国の上層部は、万が一に備えて人知れず勇者召喚を決行し魔王の復活に備えることにしたのだった。
王命に従いティファは二つの魔法を巧みに使い、まずは次元に穴を開けその穴が塞がる前に召喚魔法で特定の条件を満たす者を召喚することに成功する。こうして召喚された勇者は予定よりも二人多く合計三人。そのうちの二人は無事城に降り立ったのだが、最後の一人はティファの魔力が急に乱れたため途中で行方が掴めなくなってしまった。
魔王復活の神託を直接受け、三人の勇者を召喚することを託されたティファは自分の失敗と不甲斐なさを責めた。そんなときに先程の知らせが届き、それを偶然聞いてしまった彼女は責任は自分にあると主張し何とか許可を貰うと捜索に赴いたのだった。
馬車の中で揺られること暫くが経過し、漸く目的の場所と思われるところに到達した。御者の指示によって馬は速度を緩めるとゆっくりと動きを止める。止まったことを確認した御者の男性はティファへと声をかける。
「話によると恐らくこの辺でしょうね。着きましたよ、姫さん」
「ええ、ありがとう」
御者に礼を言うとティファはすぐさま馬車を降りる。そしてそのまま流星が降り立ったであろう跡地へと駆け出した。
金色の髪を風に靡かせ颯爽と駆ける主を慌てて追いかける護衛たちであったが、軽装のティファに重装備な護衛たちが追いつけるはずもない。次第に彼女の姿が見えなくなってしまった。
「どなたか、直ぐに来てください!」
途端に響くティファの焦った声に護衛たちの周囲に緊張感が漂う。刹那に目配せをすると数人が剣の柄に手をかけ、周囲を警戒しながら先行する。
「どうなさいました!」
息を切らさず駆け寄った護衛の目に映ったのは大きく抉れた大地とその中心でティファが何者かを抱えている光景であった。あまりに非現実的な光景に思わず息を呑む。
「何をしているのです。早くこの方に治療を!」
「あっ、はい!」
ティファに急かされ彼女の傍に寄る。彼女の腕の中には意識を失っている男性の姿があった。何者か分らないがティファの要請なので急いで聖魔法で治癒を行った。
聖魔法の癒しの光に包まれている男性の様子をティファは心配そうに見詰める。
「彼の怪我の具合はどうですか? 私が見たところ異常はなさそうだけど……」
「これといった大きな外傷も見当たりませんので恐らく気絶しているだけかと」
そう言われてみると彼の表情は先程よりも良くなったように思えた。見たことのない服装の上からでは分り辛いが外傷も恐らくなさそうなのでティファは一先ず安堵し張り詰めていた息を吐く。
「しかし、この男性は一体……」
聖魔法をかけていた護衛が意識のない男性へと疑念の目を向ける。低級な魔物しかいない森の中とはいえ剣も持たず、しかも魔法を行使するために必要な魔導術式の込められた得物も所持していない。そして何故か流星の跡地で意識を失っている。
こうして人族である彼が自衛の手段もない状態で気絶しているなど本来ありえない光景だった。仮に彼が魔族や亜人族だったとしても無警戒過ぎる上に目的も意図も不明なのである。
したがって大事な主を護衛する身としては彼を疑うなというほうが無理な話であった。
そんな護衛の雰囲気を感じ取ったのかティファは安心するような声音で告げる。
「安心してください。彼は怪しい者ではありませんよ」
「しかしっ!」
「大丈夫です。何故なら彼は異国の服装に黒の瞳と黒の髪を持つ者で、初代ヤマト王と同じ異世界のニホンジン、つまり……勇者様なのですから」
ティファは悪戯な表情を浮かべながら勇者の黒髪を優しく撫でた。勇者を癒すかのように優しく、そして愛おしそうに丁寧に。
「勇、者」
一方、勇者を捜索しているとは露ほども知らなかった護衛たちは目を見開いた。幾ら王女の命令とはいえ自分たちに勇者の捜索をさせているとは思わなかったのだ。そしてすぐさま気がつく。国家機密をこの悪戯小娘は意図的に漏らしたのだと。勇者の身を自分と対等、もしくはそれ以上にして守らせるために。
こうして護衛の彼らはやられたと頭を抱えることになる。あぁ、また面倒ごとだと。
◆ ◆ ◆
勇者の回収を終えたティファたちは早急に城へと戻ることにした。いつ魔物や盗賊に襲われるか分らないのだ。急ごしらえな一団なため護衛が少なく、急いで駆けつけたため疲労も積み重なっている。加えて勇者の意識は戻らず戦闘になれば足手まといになりかねない。そんな事情があり森を引き返しているのだった。
「いゃぁーーーっ! だれか助けてぇーーー!」
森を引き返して半ばを過ぎた頃、突然女性の悲鳴が森中に響き渡った。懸命に叫ぶ女性の声に危機を感じ御者は視線をティファに向ける。このまま進むのか助けに行くのかを問うために。
「どうするんですか、姫さん」
「…………助けにいきましょう」
暫く俯き思案するティファであったが決心が決まると勢いよく首を上げ告げた。民を想い、民のために自分の命すらかけてしまう。そんな優しくも気高い心を持つ彼女がそう言うのは当然のことであり、長年の経験から既に分っていた護衛たちは揃って笑みを浮かべる。
御者もその中の一人であり確認を込めてもう一度問う。自分の命と我々の命をかける覚悟はあるのかと。
「本当にいいんですか?」
「ええ。みなさんも付いて来てくれますよね?」
ティファの問いにみんなが頷く。ティファはそれを満足げに眺める。
誰一人欠けることなく助けに行くことをティファは確信していた。自分は彼らや民のために命をかけるし、彼らも民のため、そしてティファ自身のために命をかけてくれることを深く理解している。そこには確かな信頼があるのだった。
それにティファは命をかけても命を失わせるつもりはなかった。何故なら彼女はヤマト王国において魔道の頂点を極めし者の一人であるから。
「では、参りましょうか」
まるで散歩に行くかのような軽い号令に周りは苦笑いを漏らすのだった。
悲鳴が聞こえた場所に近づくとそこには尻餅をついて地面に倒れこんでいる二十代半ばくらいに見える女性と十代前半くらいに見える小柄な少女の姿があった。
女性の方は酷く怯えているようでティファたちが助けにきたことにすら気がついていない様子だ。一方、少女の方はそんな彼女の様子に戸惑っているのかこれ以上警戒されないように動きを止めてただ佇んでいた。
不意にティファの視線が少女に向う。肩まで伸ばしている頭髪と同じ色である栗色の瞳が彼女を射止め視線が交差した。
一瞬少女の表情が強張るのだったが直ぐに元の無表情へと変化する。思うところがあり口を開こうとするティファであったがそれは遮られ機会が失われる。
「ぁ」
「これは一体どうゆう状況なんだ?」
いまいち状況が掴めず護衛の一人が思わず漏らした。その声を拾い漸く気がついたのか女性が護衛の、それも一番がたいが良い男性の下に這い寄る。
「助けてください、騎士さま!」
「落ち着いてください。我々は何からあなたを助ければいいのですか」
縋り付く女性を落ち着かせようと肩を押さえ正面から声をかける。お陰で少しは落ち着いたのか女性はおずおずと片手を挙げ後ろに位置する少女を指差した。恐らくあの少女から助けてということなのだろう。
「あの少女が? どう見たって無害そうですが……」
「そうですね。そちらの貴方、少しお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「はい」
女性としては少し低めだが綺麗なアルト声が少女の口から発せられる。思わず聞き入ってしまいそうになるティファだったが直ぐに気持ちを入れ替える。そして確信を付く質問を投げかけた。
「ところで貴方は何者ですか? そして貴方のような小さな女の子が一人で森の中で一体何をしていたのか説明して頂けますか?」
「や……まと………………に…………し……」
少女は小さく何かを呟いた後、ティファを見据えて答える。
「私はただの魔王と申します。不躾で申し訳ないのですがここはどちらでしょうか?」
魔王。嘗て世界を恐怖に陥れた悪しき存在。それが神託通り復活しこうして目の前にいた。
少女から発せられた魔王という不釣合いな言葉に辺りは嘗てない緊張感に包まれる。護衛は女性を後ろに下げ少女への警戒を最大限まで高めると剣の柄に手をかてた。ティファはいつでも魔法を行使できるように魔力を両手に込めながら返答するために口を開く。
「……ここはヤマト王国の領内にある森の中ですよ、魔王さん」
殺気立つティファたちとは裏腹にまるで何の問題もないかのように自然体で佇む魔王を名乗る少女。次第には首を傾げ致命的な隙を見せている。
そんな少女の態度にティファは自然と冷や汗が流れ落ちるのを感じた。これほどまでの殺気の中で無表情でいられる少女の異質さに一層畏怖の気持ちが高まる。
そんな気持ちを隠すようにティファは仮初の仮面を被り気迫の篭った目で睨みつける。対照に少女は表情を微量に変化させ不敵に笑んだ。
こうして少女との出会いを切っ掛けに勘違いが始まるのだった。
ティファ「キッ!(魔王なんかに屈したりしません)」
魔王?「にこっ(綺麗な人ですねぇ)」
護衛「くっ(なんだこのプレッシャーは)」
女性「ぉほ(筋肉わっほ~い♪)」
既に勘違いで混沌になっていた。