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スケアクロウ

作者: 伊藤紙幣

「いいかルーク。傭兵は金で動くもんだ。金のいい方に付け」


「もっとも、こりゃあ俺の流儀だ。ルーク。テメェはテメェの流儀で――」


「テメェに従って生きろ」


「己に問え。思考を止めるな。そして問い抜いた先で、自分を信じろ」



 そんな義理の親爺の言いつけを守り――いや、なりゆきという部分が大多数を占めつつ――彼は弾丸と火薬と銃身で、今にも消え入りそうなか弱い神を守っている。







 今日も退屈な空だ、とルークは尖塔のガラスも張られていない窓の枠を背に、時折あくびを交えながら暇を持て余していた。

 グレーのキャンパスに幼児が黒のインクを塗りこんだような、どうしようもなく街並みが粗野に見える天気。

 こういう日が最高に憂鬱だ。いつにもまして蜂の巣のような街が穴だらけに見え、いまにも無人爆撃機がやってきて灰の中に沈んでしまいそうな様相である。五メートル程度の鐘楼に吹き込む砂埃を含んだ空風に、ありもしない火の粉の匂いが混じるようだった。

 特に足元にある教会。これが破損した物件が軒を連ねる旧市街<アルトシュタット>の中でもいっとうひどい佇まいだ。


 弾痕が刻まれたステンドグラスに、景気のいい大穴がどてっ腹に開いている気前の良さはさすがに教会といったところだが、残念なことに物理的には廃墟にしか見えない代物だ。

 彼の仕事は、それがもっとひどい有様というやつになることを防ぐことだ。


「ルキくーん、お昼ごはんだよ! 降りておいでー」


 ふと、まどろみ始めていたルークの耳に階下から中年女性のよく通る声が届いた。

 抱きかかえていたアサルトライフルの銃底を杖に立ち上がると、吹かしていたタバコを水の溜めてある缶に放り込み、螺旋の石階段を下って行った。


 階段を下りたところで、例の大破した壁の場所に出る。ここを通らなければ本堂に並べられている昼食にありつけなくなる。

 薄ら寒い風に長く当たらないよう、ライフルを担いで足早に瓦礫を蹴りながら進む途中、裏庭の小さな菜園にたたずむ人影が見えた。

 茶色の交じった腰まである長髪は風に良いように弄ばれ、びゅんびゅんとしなりを利かせている。小さな肩をじっと縮めて手と手を結んでいる。祈りの篭る手を携えて見すえる先にいったいなにがあるのだろうと、視線の先を追って空を見上げたけれど、太陽は分厚い雨雲に姿を隠したままだった。


「アンジェラ」


 見知っている背中だったので、迷うことなく呼んでみる。


「?」


 黒と白の修道服に身を包んだ彼女は少し驚いてこちらを振り返った。

 その顔の左半分には、大きく赤い、皮膚の隆起した火傷の痕がこびりついていた。


「昼メシだろ、みんなが食堂で待ってるんじゃないか」


「!」


 あっ、と両手で口を押さえて目を見開いた。

 食事の前にはみんなで机に座り祈りを捧げるのがこの宗教というやつのルールらしい。ルークはあいにくその手の神様というやつにつくづく縁がないので、めんどくさい儀式が終わるのを待ってから適当にパンのかけらをかっぱらって退室するだけだが、他の連中は彼女が帰ってこないとスプーンもフォークも握れないだろう。

 彼女も察したらしく、パタパタとこちらに駆け寄ってくる。

 そのまま食堂のある棟に走り去っていくかと思ったルークだが、アンジェラはなぜかルークの目の前で足を止めて、何かにはたと気付いたように、ルークの顔を凝視した。


「……んだよ」


「……!」


 そっと、少女が手を伸ばした先にはルークの服の袖口があった。

「いや、だからさ」


「……、」


「一緒には食べないって」


 この女はいつも自分を食卓に着かせようとする。一番〝神の祝福〟なんていうものから遠い自分が卓に着くなんて考えられないし、何より、あまり騒がしい場所が好きじゃない。


「……」


 すると、ぷくぅっと少女は頬を膨らませてほとんど同じ身長のルークを責め立てるように睨みすえる。

 ルークもまた、自分の歳を知らないまでも、少年には違いない。


「何度も言ってるだろ、俺はただの傭兵なんだって。家族でも信徒でもない。義理立てしたって料金は曲がらないし無駄だぞ」


 これでも気を遣って、無償で提供してもらっている食事は、頭と身体が動く最低限の量しかつまみ食いしないようにしている。


 それの何が気に食わないのか、アンジェラはふくれっ面のまま、ぷいっと食堂のある方を向いて足早に歩いていった。


「……変なやつ」


 足場の悪い瓦礫に足をとられて四苦八苦するかよわいシスターの背中を追おうと踏み出そうとしたとき、ふとルークは菜園の空を振り返った。

 不思議なことに、アンジェラが見つめていただろう一点だけ雲が切れ、ずっと遠くの街中のどこかに、一筋の小さな光が差していた。

 天使の梯子――エンジェルラダーというやつだろうか。


「……やっぱり、変なやつ」


 きっと自分にあの光が差すことはないだろう。

 けれど、外から見ていても、鬱屈な空がわずかにでも切れている光景は、まんざら悪い気持ちのするものでもなかった。







 中華連邦政府による国連への反乱を発端とした第三次世界大戦と呼ばれる戦火が起こり、イギリス・中華の激戦区となったスイスの都市チューリッヒもそのご多分に漏れず、ゲリラ戦の舞台となり、等身大のジオラマのような景観になっていた。

 リマト川はかつての清流を失い、スイス国立博物館、連邦工科大学、中央駅、果ては大聖堂に至るまでことごとく迫撃砲をたんまりと食らって残骸と化していた。

 絶世と呼ばれるまでだった水景とともに秩序は崩落し、復興も思うようには進まず、石色の風景が空の下に広がっている。

 そんな荒野の一歩手前となった爛れた街でも、住むものが住めば都ともなる。

 特に硝煙と体臭の区別がつかないような人間ならなおさらだ。


「……なんでまだ直ってねえの。一週間前だよな? 調整に出したの」


「あァ? ナマ抜かしてんじゃあねえぞクソガキぃ。いっぺん外に出てこの店の看板見直して来やがれ。RFR(アルファー)の修理なんざ専門外だ。こちとら説明書とにらめっこしながらでやっとなんだよ。ちったぁ気長に待ちやがれ」


「おぉ? 俺の聞き間違いか。たしか一週間前には『お任せくだせぇ。二日もかからねえですぜ』とか言ってた気がすんの。気のせいか」


「馬ッ鹿おめえ、リップサービスってんだ、そういうの。あと俺が言ったのは三日もかからねえっつったんだ、三日」


「あーー、そいつは失礼。だがそういうのは世間じゃあリップサービスっていわねえ。簡潔に言うと詐欺だってことは教えといてやるぜ。ミスター・ヘッジホッグ」


「リオドンだ。リオドンでいい。超銃整備士(スーパーガンスミス)、リオドン・ヘッジホッグの名前をロクに知らんねえとはテメエもモグリだな」


 モグリも何も、この街に流れ着いたのはつい一週間ほど前のことだ。地理については仕事柄だいたい把握してはいるが、地図にも載ってない個人経営の小さな銃器屋など分からない。ここを見つけたのは散歩の途中の偶然によるものだ。


「めんどくせえ。とりあえず早めに頼むわ」


「おお、そうよ。とりあえず〝本業〟の商品の方は大方取り寄せてやってるぜ。整備の方もな」


「早く言ってくれ。見せて」


「焦るんじゃねえよチェリーボウイ」


 にやついた口元にこびりつく黴のような無精ひげをさすりながら、老年を経た隻眼の男は要求された物品を足元から持ち上げカウンターの上に並べていった。


「M79グレネードランチャー、UZI短機関銃、それとさっきオーバーホールしたばっかり出来立てホヤホヤのAK(47)だ。弾はどうする?」


「40ミリ擲弾三十とマシンガンの弾三百、マガジン五つ。あと手榴弾を十ほど」


「あいよ。戦争でもおっぱじめる気か? それとも、博物館でも開くのかい? 今時こんな骨董品どもじゃあボケっと突っ立ってる対弾装甲兵ひとりこかせねえやな」


「別に。戦争したいわけじゃない。古いのも関係ない、扱い慣れた面子だからだ」


「へへん。それじゃあいっそこれを機にSIGの新型にでも乗り換えてみねえか? ガキ特待価格で安くしとくぜ」


「スイス製は好きじゃないんだ。小奇麗過ぎる」

 

 喋りつつ、商品をひとつひとつ確認して手際よくバッグに詰め込んでいく。

 鴉羽色の短い総髪の下、垢抜けない少年の顔には無数の古傷が見て取れる。採れたての栗のようであっただろうブラウンの瞳は煙草の排煙に当てられすぎた外壁のようにくすみ、冷えた目つきには薄氷の刃のごとき鋭い気配がある。


 ふと、老齢のガンスミスであるリオドンは、ルークの黒いパーカーの下、デニムを止めている革のベルトにホルダーと古びた拳銃が下がっていることに気付いた。


「トッチャンよう、それは整備しなくていいのかい」


「いい。これだけは誰にも触らせないようにしてる」


「無二の戦友ってとこかい。いかすじゃねえの」


「形見なんだ。今日のとこはAKとマシンガンと弾だけ持って帰るよ。じゃあまた。三日したらまた来るよ」


 懐をまさぐり、机に置いた手のひらからいくらかの貨幣をこぼすと、固い鉄板入りのブーツで木の床を蹴りながら、階段を下りていく。


「おいおいおいおい、待てコラ。舐めてんのか坊主。こんなはした金で――」


 言下、リオドンはそれがスイスの通貨(フラン)ではないことに気付いた。

 色こそくすんだ真鍮ではあるものの、ところどころ剥がれかかった(きず)から垣間見えるのは、紛れもなく金の輝きだ。

 それが六枚。

 即ち金貨六枚。経済社会全体が危ういこのご時勢、ドル紙幣よりも確固とした価値を持った一握りの〝財産〟たりえる希少金属が、リオドンの手の中にあった。


「……何者なんだ。あいつ」


 さておき、手の中で小さな金塊を転がしつつ、せめて三日以内にはRFRシステムの説明書を読みきってやろうと思うリオドンだった。






 路地を抜けてバーンホフ通りに出る。

 まばらに道行く人、すれ違う人間たちの足取りは重い。チューリッヒのメインストリートには未だ撤去しきれていない瓦礫(がれき)がところどころ散乱している。

 中華連邦からの爆撃の雨に晒されたチューリッヒの中でも、世界有数の信頼を寄せていた銀行が集中しているこの区画(エリア)は特に損害がひどい。経済の中心だった場所は瓦礫の海に代わり、残骸は交通を遮って、復興を滞らせる一因となっている。

 道路脇に目を振れば、毛布に埋もれる遺体とも傷病者(しょうびょうしゃ)とも見分けがつかない者たちの群れ。


 まるで一昔前の中東の風景だ。 もっとも、まがりなりにも彼の故郷である本物の中東は今や核の炎で焼き尽くされ、原型すら危ういという話だ。


 教会へ続く小さな通りに差しかかったとき、やたらと身なりのいいスーツを着込んだ連中が教会から出てきて車に乗り込み、反転してルークの脇を通り過ぎて行った。

 こんな場所になんの用だろうか。不審に思いつつ、前に向き直ると、門前にシスターと神父が一人ずつ立っていた。


「おっ、ルキじゃないか。今帰ったのか、ちょうどよかった」


 こちらに気付き、声をかけてきたのは神父の方だった。この教会を取り仕切るドミニク神父と、その横に立つのはフィーネという年長のシスターで、どちらとも中年といえる容貌だ。


「頼んでた商売道具を取りに。今のは?」


「そうそう、ルキくん! 朗報なのよ、朗報!」


 カトリックの修道服に身を包んだフィーネは嬉しそうにルークに言う。

 ここにきて『ルキ』と愛称を付けたのは彼女だ。前の〝職場〟でも同じあだ名で通っていたが、そのニックネームは好きではない。

 新兵(ルーキー)と聞き間違えられ、よく馬鹿にされたからだ。


「朗報?」


「ああ、さっきの人たち。ミュンヘニア・コンサルタント、というらしいが……どうもユニセフに加入している団体のひとつだそうだ。孤児を預かっている場所を良くしようという活動をやっていて、この教会の修繕をさせて欲しいと訪問してきてくれた」


「素敵な話よねえ。やはりまだ主は私たちをお見捨てではなかったのです」

 アーメン(Amen)、と手を合わせて嬉しそうに祈るシスターをよそに、ルークは呆れたようにため息をこぼした。


「それって本当に信用できるのか……?」


「ん、なんだって?」


「いや、なんでも。ともかく中に入ろう。荷物が重くて疲れた」


「ああ。紅茶でも淹れよう。お疲れ様、ルキくん」


 決して労われるべきではないだろう荷物を背負いながらドミニクの背中に続いて門をくぐった。



 門を入ると庭先でおのおの遊んでいた子供たちがこちらを見て一斉に立ち上がった。


「わぁー、ルキだ!」


「ルキ! あそぼ、あそぼっ!」


「うわっ!」


 四人の子供が一気に詰めかけ、足や腕に絡みつき、思わずのけぞる。


「やめろ、離せって、あそばねえよ!」


「えー、ケチー」


「ケチー! ルキのケチー!」


「チビー! チビー!」


「誰がチビだコラァ! てめえらのがチビだろうがチビども!」


「わぁ、怒ったー! 逃げろー!」


「撃たれるぞー、ドカーーン!」


「たいひー、たいひだー!」


 満面の笑顔で、子供たちは蜘蛛の子が散るようにあちこちへ逃げていく。肩で息をするルークは追う気力もなく、肩からずり落ちかけたリュックをかけなおした。


「いやぁ、それにしてもルキくんて本当に……」


「子供に好かれる才能、あるわよねえ」


「まぁ、まだ子供だしな」


「それがやっぱり一番大きいのかしら」


 ルークが責めるような血相で振り返ると、二人はこちらから視線を外し、気まずそうに咳を払いつつ肩を小さくした。







「リヒト川沿岸にひとつ〝ナワバリ〟を貰えると、パパ・ルキアーノからお達しが出た」

 シュタイン・アム・ラインの街にあるリンドブルム博物館の近くを行く路地の中に、人知れず地下へと降りる階段があった。


 複数の見張りとドアを潜り抜けた先、酒と豪勢な食い物が並んだテーブルのある部屋に、何人もの淫売婦を侍らせる一人の男の姿があった。


「ん~、ミスター・トウェイン。それってすごいのぉ?」


「ハハ、すごいことさ! そうだなぁ……おつむの足りない君たちにも分かるように言うと……これから毎日アヘン・パーティが開ける生活、というのに一歩近づいたという感じだ」


「なにそれぇ、とっても素敵じゃない! ますます好きになってしまいますわぁ」


 白髪交じりのひげ面に、若い厚化粧の女が何度も口づけする。でへ、でへ、とトウェイン・ミュンヘンは頬を赤くしてにやけた。


「失礼します。ボス・トウェイン」


 ドアを開け放って入ってきたのは、中背の白人の二人だった。

 やたらと身なりのいいスーツを着込み、上着の死角になるベルトにはSIGザウアーが釣り下がっている。


「教会の件からただいま帰りました。ご用命どおり、ユニセフを名乗って半壊した建物を修繕させてほしいと伝えました」


「おうおう。ご苦労。だが報告は不要だ。下がっていいぞ、ホーカー」


「はい」


「なぁ、ボス、なんでこんな回りくどい仕事すんだよぉ」


 ホーカーと呼ばれた男の隣、わずかに背の低い金髪坊主の男は肩をすくめた。


「教会をかっさらって海運で運ぶ武器や麻薬の一時貯蔵庫にすんだろ? だったらさっさと尼や坊主ぶっ殺して奪ったほうが手っ取り早いって。ウチにはモードレッドの旦那も居ることだしよぉ、さっさと――」


「……ハック。手前、俺に意見する気か」


「いやいやいや! 意見じゃあねえけど……乱恥気騒ぎが好きなボスにしちゃあやり方が回りくどいと思っただけですよお。なんか理由があるんで?」


「分かっちゃあいねえなあ、ハック、まるで分かっちゃあいねえ」


 トウェインが軽く指を掲げると、傍らのランジェリー姿の女が高い葉巻を手渡し、くわえたそれに火をつけた。


 一息吸い込み、んふーーと満喫すると、


「馬鹿野郎が。尼や坊主に乱暴したらバチが当たるって学校で習わなかったか? 間抜けが」


 えっ、と。ホーカーとハックは少しの間、意味を理解しかねたように眉をひそめる。


「あ、ええと、ああ、ああっ! なるほど! さすがボス!」


「ボス……それってただの迷し……」


「ああーーっととと、じゃ、じゃあ俺らこれで。次の手はずも滞りなくやっときますぜ!」


「おう、おう、向こうに悟られる前に頼むぜぇ。トウェイン・ファミリーの躍進の第一歩だからよ。シクんじゃねーぞ」


 傍らのハックの腕を引き、ホーカーは急いで部屋の外まで出た。

 後ろ手にドアを閉めてふぅとため息をつく。


「なぁ、ホーカーよぉ……」


「イヤイヤイヤ。浅はかなこと言うもんじゃねえぞハック。ボスのことだ、なんかのトンチの利いた比喩だろうぜ」


「本当かよ」


「……たぶん」







「トウェイン・ファミリーはマフィアといっても、二十から三十人規模で構成される小さな組織で、主に麻薬や小火器の横流などのダーティワークで財を成した小悪党、まだ本拠地のシュタイン・アム・ラインですら揉め事を起こしたことのない非武闘派集団だ。

 何か揉め事を起こすとすると、問題になるのはそのバックにいるルキアーノ・ファミリーだろう。ここのボスのルキアーノ・アンドレーノという男とトウェイン・ミュンヘンは義兄弟関係にある。先のスイスの戦場で中尉として死にかけていたトウェインをルキアーノが手足として拾ったんだ、スイス軍に取り入る事業の一環としてな。

 ルキアーノはフランス国防軍の対外治安総局(DGSE)――つまりスパイ機関の一部門に長年関わっていた男で、今でも軍部や特定の政治家とパイプを持っている。これらが動き出せば個人ごときアリ以下の扱いで踏みつぶされる」


 教会からリマト川を渡り、旧ベイヤー時計博物館の建物を通り過ぎた奥にある路地で、瓦礫に腰掛けながらルキは口元を手で覆い、何かを考え込みつつ話を聞いていた。

 情報屋のロシア人は流暢な英語で続ける。


「教会の件に関しては、間違いなくリマトの河を使った輸送の資材搬入の拠点を接収しようとしている、というのが確証を持てる筋からの噂だな。まぁ、地元のコミュニティもそこまで問題視してはいないようだし、介入はないだろう。どこかのタイミングで住民を追っ払って教会の体を持ったコカイン倉庫の出来上がり、を狙ってるんだろう」


「……なるほど」


 紫煙を吐く少年の横の闇は饒舌だった。決して人前には姿を見せない敏腕の情報屋と噂の人間と接触できたのは、移住してきて数月の中で一番の幸運だっただろう。

 深く思案していたルークの横で、闇が小さく嗤った。


「あぁ……興味があったんで君についても少し調べさせてもらったよ。ルーク・ロックヴィル――〝元少年兵〟くん」


「あんたにも興味とかあるんだな」


「そりゃまあ人間だし。そしたら、出てくるわ出てくるわ、君の面白い逸話。中東解放戦線レジスタンス『暁の紅団』とか言ううさんくさい武装集団(ちんそうだん)で少年兵としての訓練を受けて七歳で戦場に立ったとか。解体と同時に伝説の傭兵とかいううさんくさいおっさんに拾われて色んな戦場を回ったとか。今時そんな話、B級映画でだってなかなか無いよ」


「映画なんて見たことない」


 一言だけ言い捨てて、ルークは路地裏の闇に背を向けた。

 虚ろの太陽が照らす残骸の街へと消えていく小さな背中を見ながら、影は嗤う。


「……まさかブラボー・カワァードに教え子が居たとはな。はてさて、どんな地獄を見てきたんだか」








 帰路につき、ルークの頭の中ではどうすべきかの問いが循環していた。

 まずもって、相手をするにしろしないにしろ、後ろにいる存在とやらが大きすぎる。悪目立ちするような方法での撃退はどう考えても悪手だ。かといって専守に回れば後手になる。


 となれば。


交渉(ネゴ)か……」


 ため息まじりに情報屋からもらった紙片をパーカーのポケットから取り出して広げる。 大まかに記された地図にはシュタイン・アム・ラインの簡単な街の構造と「この辺!」と記された小さな赤マルが書き込まれている。本当にあってるのかこれ。


 ふと前に向き直ると、なにやら路上の露店からたくさんの果物を詰め込んだ紙袋を抱えた修道服の女が出てきた。

 重さのせいか足取りがおぼつかない。ふらふらとよろめき今にも倒れそうだ。

 相変わらず小柄な背中。華奢な肩。見覚えがあった。


「無理すんな。なんで一人なんだ?」


「……!」


 後ろから声をかけると、アンジェラがびっくりした顔でこちらを見る。と同時に、一瞬で「助かった!」と言わんばかりの笑顔になり、こちらに紙袋を放り投げてきた。


「ふぉぉぉぉ……!」


 反射的に受け止めて思わず唸る。

 重い。そりゃそうだ。いくら体力があろうと体格はアンジェラと同じルークだ。

 重いものは、重い。


「♪」


 それに構わず、るんるんと教会の方へ向けて歩き出す。思いのほか図々しい一面があることを知っていたはずのルークはなぜ安易に声をかけてしまったのか、と後悔した。


「な、なんでこんなにフルーツばっかり……」


 アンジェラは得意げな顔で露店のほうを指差した。


『本日特売 フルーツ袋に詰め放題 一袋8CHF(スイスフラン)


 なるほど金に窮している教会の一員として見上げた図太さだ。果たしてシスターがそんなにごうつくで良いのかとも疑問だが。ルークの不審など露知らずといった感じで修道女はすたすたと歩いていく。


 こうして前を行く彼女について歩いていると、出会った日のことを思い出す。正確には〝拾われた日〟というべきだろうか。


 前の仕事で神経質な依頼人(クライアント)に買われ、契約が満期になった瞬間に仕事内容の口封じとして殺されそうになったとき、生ゴミの掃き溜めと一緒に腐り果てそうだった路地裏から自分を拾ったのは、小さな教会のシスターの手だった。


 そいつは聞くところによると、戦時に目の前で両親が地雷を踏んでバラバラになるところを目の当たりにし、同じ爆弾で右耳の鼓膜と顔の右半分に火傷を負って孤児になったとのことだ。

 別に不憫とは思わない。そんなやつ、こんな時代、いくらでもいる。

だが。


「なんで」


「?」


「なんで、そんな顔で笑えるんだ。お前」


 両足が吹っ飛んだやつも、片腕がなくなったやつもごまんと見てきた。そういうやつの笑顔には、いくら装っても必ずどこかに小さな〝(かげ)り〟が出る。

 どんなに隠そうとしても隠し切れない影が出来る。

 それがこいつからは感じられない。敬虔(けいけん)宗教徒(クリスチャン)の為せる業、というやつのなのだろうか。


「??」


 アンジェラは意味が分からない、といった風にほほえみながら首を傾げてみせる。

 右の聴力と一緒に言葉も失ったと聞いている。ショックによるものなのか、身体に異常を来したか。どちらにしろ医者に診せる金など、ましてや治す余裕など今の教会にはないそうだ。


「……なんでもねえよ。それより、さすがに半分くらい持ってくんない? マジで」


「……♪」


 ルークの要望を無視してアンジェラは前に向き直り、るんるんと歩き始める。

 跳ねるように風に靡くブラウンの髪が前を往く。


「ちくしょうめ……」


 自分は信仰なんてものにつくづく縁がない。最初に戦闘術を仕込まれた反政府組織という環境で、手近な殺人の練習として無抵抗な宗教徒を殺したりした。

 神に(かしず)き、助けを()う無防備な人間にナイフを突き立てたり、頭を拳銃で吹き飛ばしたり。


 目の前の敵をどうにかするのに、実在もしない何かに手を合わせるより、手に持った四キログラムの突撃銃(アサルトライフル)の方がよほどいい仕事をしたからだ。

 今更、死神崇拝から改宗したところで加護なんて受けようもないし、受けたくもない。

 けれど――ささやかながら、人の顔から翳りを無くすだけの、救われた気になる教えというやつもあってもいいかもしれない、と思った。


 ミュンスターの橋に差し掛かったとき、ルークは首筋に寒気を感じて意識を前に向けた。

 大きな紙袋を盾に、横から覗き見ると、どう見ても時代錯誤なテンガロンハットに茶色にくすんだ色の外套を着込んだ長身の男が対面から橋を渡ってくる。

 色の濃いスモークのサングラスに、煙草を口にくわえた中年の男。

 放っている雰囲気が鋭いのは、場違いなウエスタン衣装だからという理由だけではないと、ルークは直感で理解した。


 ――殺し屋


 何を目的に歩いているか分からないが、そこまで猛烈な殺気じみたものは感じない。

 淀みない足取りで橋にかかるアンジェラとテンガロン。

 着々と近づき、そしてルークとのすれ違い際のことだった。


「よう、少年兵」


 瞬間、ルークは紙袋を捨て、腰から拳銃を抜いてテンガロンに向けていた。

 橋に落ちて転がるフルーツの音に気付き、アンジェラは振り返って、目を見開き口を押さえた。


「……なかなかの抜きの早さだ。が、俺がやる気だったら二回と半分死んでるぜ」


 見ると、外套の下、右手にはリボルバーの銃口がこちらを向いている。

 早撃ちの達人だったなら、確かに今頃頭が蜂の巣だっただろう。そうしなかったのは敵意がなかったからだ。


「ルーク・ロックヴィルとやら。ひとつだけ忠告しに来た。我が陣営に関する余計な詮索はやめてもらおう」


「……見に覚えがない。あんた誰だ」


「要求できる立場か、よく考えてみることだ。ともかくトウェイン・ファミリーに関する諜報はやめろ。さもなくばそこの女の〝穴〟が増えることになる」


 やることもいうこともカウボーイか、と心中で毒づきながら銃を取り下げる。

 テンガロンの男も指先でリボルバーを弄び、ホルダーに戻した。


「いい子だ。手前が大人しくしていれば今回の件は穏便に事が進む。文字通り清教徒革命というわけだ」


「何が狙いだ?」


「ベイヤーの情報屋と接触しておいてそのセリフはねえだろう。ともかく、俺の今のクライアント殿は教徒に関しては紳士だ。乱暴な扱いはしねえからよ」


「信用できないね。すくなくとも安穏じゃない、アンタを寄越してるこの段階で」


「わざわざ警告を寄越してやってると考えてくれねえか?」


「何様気分だ。それにどうせ――」


 どうせ、教会の連中も立ち退くくらいなら心中を考えるだろう。どのみち、衝突は不可避だ。


「……はー。まったく、安穏じゃないのはどっちだね」


 肩を竦め、テンガロンは吐き捨てると、背中を向けて歩を戻した。


「覚悟しておけよ少年兵。下手な戦場より地獄を見ることになるかもしれんぞ」


「てめえこそなカウボーイ。次に会うときはもう少し発散してきてくれ。色々と」


 テンガロンはぐは、ぐは、ぐは、と変わった哄笑を上げながら、肩越しに手をひらひらさせて街角へと消えていった。

 ルークはホルダーに拳銃を戻し、振り返ると、へたり込んだアンジェラに手を差し伸べた。


「悪い。立てるか?」


「……、……、」


 震えながら頷くアンジェラを立たせると、手早く紙袋とこぼれたフルーツを拾って歩き直していく。

 ふと見上げる空は、まだ分厚い曇りだ。


「なぁ……もし、だぞ。もし……あの教会から出て、別の場所でみんなと暮らすってことになったら。お前、どうだ?」


「……! っ!」


 即答だった。アンジェラはそれだけはイヤだ、といわんばかりに首を振るった。


「――だよな」


 ルークは掌の思い切り開き、そして思い切り握った。









「また厄介なやつを敵に回したねえ。はい、じゃあこれ」


 翌日にもう一度情報屋を訪ねたルークに、闇は腕を差し出して顔写真つきの書類を手渡した。


「通称、殺し屋『モードレッド』。ドイツ南部戦線の時に、要人暗殺で名を売ったヒットマンだ。やり口は一貫して自分の腕に任せた狙撃、早撃ちだな」


「一流のスナイパーか……」


「んまぁ見てのとおりレトロな野郎でな。ともかく銃の腕が半端ない。早撃ちも正確無比、挙句、観測手を付けずに手動風速計を使って1キロ単位の長距離狙撃をこなしやがる。あの近世に作られたみたいな、カラカラ回る小さい金属の風車みたいなやつな。化け物かっての」


「で、いつ襲撃してくる予定なんだ?」


「へえ。察しがいいね」


「あいつの挙動見れば分かる。ボスがどうのという前に、めんどくさい途中経過を省こうとするタイプだ。何より――人殺しを楽しんでる」


「いいだろう、君からは相応の金額をもらってるしね。明後日だ。連中、君の存在を警戒して今頃は弾丸(タマ)集めに勤しんでる」


「そうか。じゃあ」


 寄りかかっていた壁から肩を離し、少年は路地の出口に歩く。


「〝right now , this moment(今、これから)〟だね」


「おおっ、怖い。それもブラボーの訓えかい?」


「僕の流儀だ。傭兵は様式なんて気にしない。撃たれる前に撃つ、それだけだよ」


「お節介を焼かせてもらうが、ルキアーノ・ファミリーについてはどうする? 彼の耳に入れば頭の上に爆弾落とされて終わりかもしれんぞ」


「僕の頭の上に降るなら、僕が教会を離れれば済む話だ。今更恨みのひとつやふたつ引き受けたってどうでもいいんだ。あんたも僕のこと調べてたなら、なんて呼ばれてるか分かってるだろう?」


「……厄介事払いの案山子(スケアクロウ)か」


 モノクロの街に溶け込んでいくルークの姿を黙って見送り、影はぽつんと呟いた。







 尖塔の小部屋に戻り、装備を確認していく。

 サブマシンガン、擲弾筒、アサルトライフルと地図、それぞれの弾を確認したところで、一番必要なものがないことに気付いた。


RFR(アルファー)……」


 迂闊だった。あれが無ければ、単騎戦闘で一団を相手取るのに、弾丸を食らうリスクが飛躍的に高まってしまう。


 今からリオドンの店に行って回収――いや、あれからちょうど三日経っている。これは勘だが、おそらく修理は済んでいないだろう。

 前の戦闘で調子を悪くしてから自分でも少しいじってみたものの、精密機械の調整など自分に出来るものではない。


 無理を言ってガンスミスに預けたが、やはり少し労力を払ってでもその手の専門家を探したほうがよかっただろうか。

 後悔しても仕方が無い。問題は今、どうするかだ。


「無しだろうが、行くしかない。今日しか――」


 その時だった。後ろで聞こえた物音に気付き、振り返ると、出口のドアの影にアンジェラが一切れのパンの入ったバケットを片手に佇んでいた。

 アンジェラの目は、机に並べられた武器の数々に釘付けられている。


「……!!」


 何をしようとしているかに気付いたかのように、アンジェラは口を結び、ルークに向かって首をぶんぶんと振った。


「お前には関係ない。それに襲撃されてからじゃあ遅いんだ。僕しか戦えるやつなんて居ないんだから」


「……っ」


 淡々と述べるルークに、さらに強く首を振るうアンジェラ。目には涙が浮かんでいる。


「……僕は人殺しのプロとして雇われたんだ。仕事をしなくちゃいけない。たとえ死んでもあんたらを守――」


 瞬間。榴弾の弾ける轟音と地響きが、教会を揺らした。


「ッ! グレネードか!?」


 揺れに足をとられそうになるアンジェラに駆け寄り、ルークは肩を抱いた。


「大丈夫か!?」


「……ぁ……ァ!!」


 見るからにだいじょうぶではない。目が揺らぎ、現実に焦点が合っていない。

 過去を、地雷で両親を失った瞬間を思い出しているのか?


「ここにいろっ! 部屋から出るな!!」


 机の上からUZI短機関銃と弾倉三つをつかみ、螺旋階段を転げ落ちるように駆け下りた先。

 見覚えの無い真新しい壁面の風穴が煙を吹いていた。


「よォしよし。対戦車擲弾(パンツァーファウスト)、次弾装填で待機。――聞こえるかァ!? ルーク・ロックヴィル!!」


「……! あの野郎か」


 煙に紛れ、急いで本堂の方へと滑り込む。案の定、食堂まで来ると、散らかった食卓テーブルの下で神父とシスター、そして子供六人が息を殺して怯えていた。


「ルキ、か!? なんだ、なんだ一体、いきなり!」


「なんてことない、野党の襲撃みたいなもんだよ。ドミニク神父、みんなを聖堂の懺悔室に避難させるんだ」


「ひ、避難って――わぁぁぁ、ルキ後ろ!!」


 振り向き際、廊下のまっすぐ先を探っていた黒服と目が合った。

 相手が拳銃の先を向けるより早く、マシンガンのトリガーを引き、横一線に薙ぎ払う。 銃声と銃火が六発ほど閃き、黒服の大柄な男が血とか細い悲鳴を吹いてその場に倒れこむ。跳ねる薬莢の甲高い音に続いて、きゃああ、と子供たちが悲鳴を上げた。


「いいから早く! 後ろは引き受ける!」


 男の手からこぼれた拳銃を手に取り、唸りを上げて倒れている男の頭に二発を撃ち込みながらルークが言う。


「わ、分かった! ほら、みんな!」


 ルークが一番後ろにつき、シスターと子供たちが奥の廊下へと小走りに移動していく。 あと少しで聖堂という通路で、銃声が響いた。


「うわああああああ!!」


「慌てるな! 素人の撃った弾なんて簡単に当たらない!」


 聖堂に駆け込んでいく全員から離れ、横の一室の入り口に隠れてしゃがみこみ、ルークは後ろをのぞき込んだ。


「それで隠れてるつもりならお笑いだっ!」


 先ほど拾った拳銃を構え、こちらの様子を窺っている黒服に向けて撃ち込む。


「がッ……」


 手ごたえがあった。頭から血を流し、倒れこむ。


「くそっ、何人居るんだ。それが分からないことには……」


「ルゥーーク!! 大した腕だな! さすがブラボーの弟子だ!!」


 廊下の向こうからモードレッドの声が響く。すかさずポケットから手榴弾を取り出してピンを抜き、そちらの方向へ投げやった。


「カウボーイ、やっぱりお前か。何しに来た!」


「何しにって冷てぇこと言うじゃねえか。てめぇがうちに乗り込んでくるって垂れ込みがあったから挨拶に来てやったのよ」


「なんだって……、情報屋だな!?」


「何もあそこの客がてめえ一人なわけじゃあねえさ。むしろうちとの方が付き合いは古株でねェ。お前さんの行動は筒抜けにして欲しいって先約を入れておいたわけよ」



 言下、ゴゥン、と腹の底を揺さぶるような爆震と一瞬の閃光が起こった。


「おいおい何しやがるあぶねえ。男なら銃一本で勝負しやがれってんだ!」


「こっちのセリフだ! あいさつもなしに壁に大穴こさえやがって、クソ!」


「なぁに、しゃんと直してやるよ。テメエらを皆殺しにしてからゆっくりとなぁ! おい、ファイアファイア!」


 手榴弾を投げ込んだ地点を見ると、パンツァーファウストを構えた黒服が一人と、横にはリボルバーを構えたテンガロンが見えた。


 瞬間、首を引っ込める。すぐ横の壁面に派手にリボルバーの弾が当たる。


「くッ、やべっ!!」


 倉庫になっている部屋の奥にある窓ガラスに振り返り、思い切り突進する。

 ルークがガラスを破って中庭に飛び出すのと、部屋の入り口に着弾した擲弾が爆炎を放って炸裂するのはほぼ同時だった。


「うぁ……痛……ッ!!」


 左肩に飛散したガラスが数片突き刺さっている。

 抜く暇も無く、あちこちから短機関銃の火線がこちらに向かって来襲してくる。


「ぬぁぁぁぁあああああああ!!!!」


 覚悟を決め、中庭の対角になる窓めがけて芝生の上を駆け抜ける。

 いくつもの弾丸が草と土を跳ね上げてルークの姿を追尾するも、ついに捉えることはできず、ルークは窓へと飛び込んだ。

 部屋の中、神父の書斎に粉々になったガラス片が散らばる。


「ハァ……ハァ、最低でも、あと、六」


 火を噴いていた数が四。モードレットとパンツァーを撃ってきた男を合わせると全部で六人だ。

 どうあっても倒さなければ。しかし、手持ちのマシンガンだけで倒せるだろうか。


「……やってやるさ」


 肩に刺さった一番大きな破片を抜き、血の尾を引くそれを床へと投げつけた。


「……状況は?」


「四人がやられました! 野郎、すばしっこい!」


「まぁ、概ね予想どおりだぜ。〝保険〟はかけてある。もうすぐ武器庫が到着するぜい」


 にぃ、とモードレッドは煙草に火を点けながら、白い歯をむき出しに笑った。


 銃撃戦は泥沼になっていた。

 あれから二人は倒した。しかしなかなかこちらに隙を見せない。

 弾切れを狙っているのだろうか。このままではじりじりと追いやられる。


 その時。


 手榴弾でもない、何かもっと大きなものが壁に激突するような音を立てて、巨大な物体が壁をぶち抜き、中庭に滑り込んできた。

 トラックだ。中型である。


「ぬぁあぁははは。ちぃとはしゃぎすぎたかあ?」


 聞き覚えのある声に、慎重に窓枠から運転席を見ると。


「……リオドン!? なんでここに!」


「おお?? おおおお? クソガキじゃあねえか! 何してんだこんなとこで」


「そりゃあこっちのセリ……っ」


 こちらに向いているスコープの反射に気付いて慌てて身を隠す。弾丸が頭元で数十発跳ねた。


「よぉ、武器商。遅かったじゃあねえか」


 モードレッドの声がした。次いで、リオドン。


「んん? ああ……おい、旦那よぉ。なんだってあのガキがここに居るんだ?」


「野郎は教会警護に雇われた傭兵なのさ。知り合いか?」


「ああ、最近ちょくちょくとウチに出入りしてるやつさ」


「なるほど……コンテナを開けておいてくれ。

 ――ルゥーク!

 またまた残念だったな!!  手前のお友達全員、俺様の古いお友達だったって話だ! 皮肉だねえ!」


 がはっ、がはっ、がはっ、と気色悪い哄笑を挙げるモードレットの後ろで、コンテナが徐々に開き出す。


 部下が中身の確認をしに後ろに付く。

 しかし。

 それは途中で止まり、なんと逆に閉まりだした。


「あァ? なんだ。どうなってんだ――ごァ!?」


 その時、黒服の頭を弾丸が撃ちぬいた。

 一体何が起こった? 自分は何もしていないはずだ、とルークは窓からもう一度覗き込む。

 運転席から身を乗り出したリオドンが握った拳銃が、モードレッドの部下を撃ったのだ。


「どういうつもりだてめえ!!」


「ああ、確かにおめえさんとは長い付き合いだ。だがなぁ……」


 言い終わるより早く、リオドンは再びエンジンを吹かしてトラックを動かした。

 急旋回し、ルークから見て盾になるようにトラックの車体を横に置く。


「わりぃなぁモードレットの旦那! 俺の信条はなぁ、ツケばっかこさえるケチくせえ後払い常連の古株なんぞより、前払い現金一括おつり不要とびきりご一見上客の味方なんだわ!」


 運転席から白髪の交じる壮年のオヤジがニィとタール汚れした歯を見せ、こちらに笑いかける。今だけは、どんな天使の微笑みよりも心強い助けのようにルークには感じられた。


「例のブツの修理なら終わってるぜェ! あと、中の好きなもん持ってきな! 料金はまた金貨でヨロシク!」


「現金なおっさんだ。アレがあるなら、ナイフだけでいい」


「ちぃっ、ふざけんなあのクソオヤジめ! クソガキまとめてぶっ殺してやる!! おい、軽機関銃(ネゲヴ)と弾、ありったけ集めろ! 掃射だ掃射!!」


 残りの黒服四人は指示を受け、後方に置いてあったライトマシンガンと弾を抱え、じりじりとトラックに詰め寄っていく。

 内、一人が先行する。何の物音もしなくなったトラックの裏手に回り、マシンガンを部屋の窓の中に向けた、その時。

 飛び出したルークがナイフで喉元を引き裂き、呆気にとられた黒服に、さらに顎元からナイフを突き上げた。


「ごぁぁ……がひっ……」


 血を噴出しながら倒れる男の軽機関銃を奪い、反対側に控えていた黒服と正面から相対する。

 うろたえた男の心臓に機関銃で三発ほど穴を空けると、そのままトラックの側面から中庭に躍り出た。


「あぶり出したぞ!! 蜂の巣にしろ!!」


 モードレッドも加わり、三人が中庭を走るルークの小さい身体めがけて分速あたり八百五十発のNato弾を撃ち込む。

 バラバラに引き裂かれて終わるはずだった――が、一発たりともルークの身体を捉えることはなかった。


「んなッ!? この距離で当たらねえ!? そんな馬鹿な!!」


「野郎ッ!! RFR(アルファー)だ! RFRをつけてやがる!」


 再び別の窓枠を突き破って部屋に入って行ったルークの腰周りに装着されていたものをモードレッドは見落とさなかった。


 RFR――リパルジョン・フォース・レジスターと呼ばれる、最新機械化兵装だ。


 第三次世界大戦後期にロシアで作られ、米軍にも正式採用された代物で、価格はワンセット3万ドルは下らない超特注の装備である。


 腰にベルトを介して結び付けられた一本の筒状の大型シリンダーの中に組み込まれたコイルの中に高圧電流を流し、重斥力波を身体の周りに発生させ、金属弾頭の弾丸の軌道を磁力によって狂わせる。

 最大出力の状態なら対戦車ライフルレベルの運動エネルギーと出力を持つ弾以外はほぼ非命中に至らしめることができるが、電力消費が激しくバッテリー一本では最大状態を九十秒も保てない上、こちらの弾丸も折れ曲がるため、デメリットも大きい。


しかし一気に距離を詰めるのには最適のツールだ。


「くそっ、どこへ行きやがった!? ――のわっ!!」


 横の廊下からの接近に気付かなかった黒服のこめかみに投げられたナイフが突き刺さる。

 転げた男からアーミーナイフを走り際に回収しつつ、左手にカランビット・ナイフを構えてその先に居るモードレッドに肉薄する。


「この……けだもの野郎がぁ!」


 機関銃を連射するも、ルークに向かって放たれた弾丸はあらぬ方向に捻じ曲げられ、床や壁や天井に着弾する。


 そして交錯。一瞬だった。

 すれ違い際にカランビットで喉元を引き裂く。モードレッドは声にならない悲鳴を血と一緒に口から噴きながら、膝をつき、地面に伏した。







「いやぁ……はは、これまたたんまり穴が空いちゃったもんだねえ」


 数日後、仮の修理にかかりはじめたドミニク神父は、惨憺とした光景になった教会の全貌を眺めながら言った。


「……ごめん」


「ああ、君のせいじゃあないさ。むしろ君が守ってくれなかったら、私たちはここから追い出されていたんだろう? ならば感謝を。どれだけ穴が増えても、後にも先にも私たちの家はここだけだからね」


 そう言って笑うドミニクに、ルークも釣られて少しだけ口元を崩した。






 あのあと、車で教会までやってきたトウェインという小太りな男は出会いがしらいきなり土下座をしてきた。


「ももも申し訳、申し訳ねえ!! やっぱり教会なんて恐ろしいもんに狙いをつけたのが間違いだッた!! バチが当たったんだ! どうか許してくれ!!」


 呆気にとられるルークにとって、その提げられた頭と、後ろのほうで肩を竦ませる黒服の男二人という構図がやたら印象に残った。


 金槌を打ちつける作業に疲れたルークはふと裏庭に足を運んだ。

 そこには、あの茶色の髪を腰まで伸ばした彼女の姿があった。


「アンジェラ」


 呼びかけると、彼女は気付き、翳りのない笑顔で振り返る。


 人の笑顔を取り戻してくれる神所を守る案山子というのも、そこそこやりがいのある仕事だ。


 ほんの少しだけそう思うルークの頭上には、久方ぶりに晴れ渡るスイスの蒼穹が広がっていた。

たばこは20歳になってから

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