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 体の震えが止まらない。

 息が苦しくて、目がチカチカしてくる。

 冷や汗が流れるのを感じるのと、助手の指が右手に触れるのが同時だった。

「巫女様、大丈夫です。ゆっくりゆっくり吐きましょう」

 温和な笑顔で語りかける助手が長老の席との間に跪き、この間と同じように深呼吸をするように促す。

「吐いてー。吸ってー」

 そん声にあわせて呼吸をしていくと、だんだん胸のつかえは軽くなり、息苦しさが薄れていく。

 落ち着くまでずっと助手は長い間そうやって繰り返し、懐中時計に時々目を落とす。

 暫くすると助手の手がすっと手首から離れる。

「もういいですよ」

 にっこりと助手は笑い、それから長老に向き直ると、長老がこくんと首を縦に振る。

 助手が席に着くのを確認すると、シレルが口を開く。

「もうお部屋に戻られたほうがよろしいのではないかと思います。無理をなさる必要はありません」

 厳しい言葉に、責められているような気がしてシレルの顔をうかがうと、その視線は長老に向けられている。

 今まで長老がいる場では殆ど発言する事がなかっただけに、その強い口調に驚く。

 けれど言われた側の長老はあまり気にする素振りもなく、うーんと唸り声を上げるだけで、シレルに返事をしないでいる。

「確かに巫女様のお体に障りがあってはなりません。執事の言うとおりです」

 傭兵が口をへの字に曲げた険しい表情で長老を見る。

「そうじゃのう」

 長老は気のない返事を返すだけで、円卓の上で両手を組んで溜息をつく。

 ふうっと図れた重たい空気は円卓を伝わって、部屋中に充満していく。

 凍りついた部屋の中は、さっきまでと違う意味で息苦しい。

 多分、長老は神官たちの出した答えへの、回答を求めている。

 シレルも傭兵だって、きっと心中は同じだと思う。

 だけど、それを口にしてしまったら。

 声が聴こえないと言ってしまったら。

 そうしたら足元にある全てが崩れてしまうかもしれない。声が聴こえないのなら、私はここにいる必要なんてないんだもの。


 レツ。

 目を閉じて、幾度と泣く聴いた声の持ち主の姿を心に描く。

 笑顔も、拗ねた顔も、真剣な顔も、そしてその声も、ついこの間まで私のものだったのに。今は手の届かないところにある。

 もう一度声が聴きたいと、会いたいと願う事はいけないことなの?

 レツ。会いたいよ。もう一回その声を聴きたいよ。

 あなたの声で、もう一度私の名前を呼んで。

 ずっと求めている。

 目の裏に焼きついたその姿を。耳の奥にこびり付いて離れないその声を。

 レツのことを思い出さない日なんて、一日だって無いよ。本当だよ。

 諦めるわけじゃない。

 ここにいたいって、本当に本当に心の底から思っている。

 レツに会いたい。レツの声を聴きたい。

 水竜の神殿にいなきゃ、それは叶わないことになってしまうのもわかっている。だけど……。

 私、もう嘘を突き通せないよ。

 誠実で優しい神官たちを騙し続けるなんて、出来ない。

 具合が悪い事を心配してくれたり、必要な知識を付けるための手伝いをしてくれたり、とても大切に扱ってもらっている。

 誠意には誠意で返さなくてはいけないと思う。


 ゆっくりと目を開き、顔を上げる。

 この瞬間が巫女として最後だとしても、レツの威厳を損なわないように、背筋を伸ばして奥歯を食いしばって、しっかり前を見よう。

「私の話を聞いてくれますか」

 信じて下さいと言った長老の言葉を信じてみよう。

 ここから追い出される事なんてないと。必ずここにいる神官たちが力になってくれうと。

 そう、信じよう。

「私の知る全てをお話したら、水竜を助ける手助けをしてくれますか」

 最も大切な事は、レツをあの血の海から救い出すことで、私がもう一度レツの声を聴く事じゃない。

 そうだよね、レツ。そうだよね?

 嘘をついてしがみ付いて、声が聴こえるフリをしながら毎日礼拝をする為にここにいるわけじゃないんだよね。

 私が水竜の巫女としてやるべきことは、そんな事じゃないよね。

 だから、今本当にやらなきゃいけない事と向き合うよ。

「全てとは?」

 長老の目つきが鋭くなり、口調からも柔らかさは消え去る。

 その眼差しから目を逸らさずに、長老を見据える。

「私の知る全てです。皆さんにお話していなかった様々な事を。私の身の上におきた出来事。水竜の本当の姿」

 しばらくの間をおいて、部屋中をぐるっと見回す。

 神官たちは真剣な表情で、目が合っても決して逸らそうとはしない。

 大丈夫。

 きっと、ここにいる神官たちが助けてくれる。

「そして私自身の事」

 付け足した一言で、長老には全てが伝わったのかもしれない。

 ゆっくりと頷き、目尻を下げる。

「巫女様が話しやすいことからで結構ですぞ」

「はい」

 咄嗟に返事をしたものの、なんから話そうかは全く決めていない。

 どのように説明するのがわかりやすいのか考える。

 それに信じるとは決めたものの、心の中の不安や疑念が消え去ることはない。

 本当に、レツの声が聴こえなくても、私はここにいていいんだろうか。

「水竜の声を聴く者こそ巫女。そうですよね」

 長老に問いかけると、長老はゆっくりと頷く。

「巫女様のおっしゃるとおりじゃ」

 柔らかいけれど力の篭った声に、断罪されているような気がしてくる。

 でもそれは自分の受けるべき罰なのだから、甘んじて受けるしかない。

 今まで大切に扱ってくれていた人たちを騙し続けていたのだから。

「巫女様が巫女であらせられることに、何ら変わりはありませぬ」

 長老の言わんとする事がわからない。

 水竜の声を聴く者が巫女なのに、水竜の声が聴こえなくても巫女なの?

 さっぱりわからない。

「水竜様が次の巫女をお選びになり、その方が巫女におなりになる瞬間まで、貴方様こそが水竜の巫女なのです」

 熊が控えめな声で長老の言葉に付け足す。

「どんな時でも、その原則が覆る事はありません」

 熊の真っ直ぐな目が、ここにいても良いんだと言っているような気がする。

 本当に、本当にいいの?

「でも水竜の声が聴こえないのに」

 言ってしまってから、そのことを事実だと告白してしまった事に気付く。

 さらっと口にしてしまって、でも取り返しがつかなくて、どうしようと周りを見回すけれど誰一人としてそのことを追求しようとはしない。

「眠っておられるのですから、声が聴こえないのは当たり前のことだと自分は思いますが」

 助手が優しげな声で言うと、すっと視線を熊に投げる。

 二人は視線で何やらやりとりをし、熊がそっと溜息をつく。

   その様子に傭兵が咳払いをして咎めるような顔をする。

「でもあれは、眠っているというのでしょうか」

 ふいに口から出た言葉に、熊が首をかしげる。

「どういう意味でしょう。血の海の中で眠っていたと、巫女様は仰せになりましたが」

 いぶかしむ熊に同調するかのように、うむうむと長老が首を縦に振る。

 確かにレツの本質は眠っていたけれど、頬に傷を付けたあの黒い巨大な影は。

「水竜の本質と本当の水竜の話って、しましたっけ」

「本質と本当のとは?」

 長老が机の上に身を乗り出す。

 もう覚悟は決めたのだから、全部話そう。

「血まみれの血の海で眠っていたのは、本質のレ……いえ水竜で、人間の少年のような姿をしていて、私の手では触れることは出来ません」

 触れたら、永遠の呪縛から解き放ってあげられるのに。

「本当の水竜はもう一つの奥殿にくさしで繋がれている巨大な何かで、この傷をつけた爪を持っています」

「何かとは」

 カカシの問いかけに、以前カカシが教えてくれた事を思い出す。

 蛇のような蜥蜴のような姿をしているけれど、巨大すぎて全容はわからない。

「前に教えてくれた通りです。大きすぎて姿の全容がわからなくて、本当はどんな姿かたちをしているのかわからないんです」

「なるほど。巫女様はまさに人ならざるモノである水竜様のお姿をご覧になられたのですね。水竜様は精神と肉体の二つの分かれ存在していると解釈してもよろしいでしょうか」

 噛み砕いて言うカカシの言葉に頷き返す。

 精神の部分が本質で、肉体の部分が本当のレツってことよね。

 そっか、そういう言い方をすればいいのね。

「それで合っていると思います」

「では巫女様。もう一つの奥殿とは何の事ですか」

「あれ? 奥殿って二つあるんじゃないんですか」

 カカシが思いっきり嫌そうに眉間に皺を刻んで首を傾げ、他の神官たちもあっけに取られたような顔をしている。

 ゴホンゴホンと大きな音を立てて長老が咳払いをすると、他の神官たちも咳払いをして真顔に戻る。

「巫女様。神殿には前殿と奥殿の二つがあるとお教えしましたが、奥殿が二つなんぞとは爺はお教えした覚えはありませぬぞ」

 思いっきり眉を寄せてしかめっ面で長老が言うのを、なんだか他人事のように聞き流す。

「でも奥殿は二つあるんです。光り輝く白い柱と壁に覆われている奥殿と、薄暗くて陽の光も射さない土臭い洞穴のような奥殿と」

 長老の眉間の皺が更に深くなる。

「そこに、本当の水竜が鎖につながれています。でも、どんな構造で二つの奥殿が繋がっているのか、私にはわかりません」

 レツが血の海で眠っている時、巨大な扉を押したりしてみても、もう一つの奥殿へはいけなかった。

 それに扉の向こうにあるのは本当だったら奥殿の周囲を囲む池があるはず。

 だから、もしも扉を開けられたとしても、もう一つの奥殿に辿りついたとは言えない。

 一体どんな仕掛けがあるんだろう。

 そんなことを考えていると、長老は頭を抱え込んでしまい、神官たちは互いに顔を見合わせて何やらボソボソと話している。

 上手く伝わらなかったのかな。何だか今言った事、信じて貰えていないみたい。

 どうしよう。何か変なこと言っちゃったかな。何て言えば、私の見た二つの奥殿のことをわかってもらえるんだろう。

「一度信じると決めたのですから、巫女様のおっしゃる全てを受け入れるべきでは」

 シレルの涼やかな声がざわつく部屋の中に響く。

 目が合うと、その声の主はにこりともせずに頷くだけで、シレルらしいなって思う。

 でもシレルの言葉がすごく嬉しい。

 何があっても信じていると言外に伝わってきて、嬉しくって頬が緩む。

「ありがとうございます」

「いえ」

 そっけない一言だけを口にして頭を下げると、シレルは長老の方へ目をうつす。

 つられて長老の方を向くと「そうじゃなあ」と呟いて苦笑いする。

「カカシ。奥殿の設計図ならびに記録書より、近日中に奥殿の真の構造を調べよ。わしらの知らない事実があるのかもしれんのう」

「かしこまりました」

 カカシが一礼するのを見ていると、傭兵が抑え目の声で口を挟む。

「では本題に戻りますが、眠っているのは精神だけで、肉体は起きているということですね」

「はい。多分、ですけれど。普段奥殿には、これは柱のある方の奥殿なんですけれど、本当の水竜はそこにいないはずなのに、普通に出てきていたし」

 上手い言い回しが見つからない。何を伝えたいのか、頭の中が混乱してくる。

 そもそも、どうやって本当のレツがあの場所に現れたんだろう。鎖で繋がれていて、もう一つの奥殿から出られないはずなのに。

 色んな事がわからない。わからないから、何を話したらいいのかわからない。

「ごめんなさい、上手く言えなくて」

「いえ、お気になさらず」

 傭兵が間髪いれずに答える。

「巫女様が本当の水竜が起きていると認識されたのは、奥殿に行かれた日の事で、今はどうか不明と捉えてよろしいのでしょうか」

 腕組みをした熊に問いかけられて頷く。

「もしあれだったら、今から奥殿に行って調べてきましょうか」

 そのほうが色々な疑問も氷解するだろうし、いいかもしれない。

 そうだ。雪もまだそんなに積もっていないし、奥殿に行ってみたらいいんじゃないのかしら。

 まだ血の海はあるのか。

 レツはどうなっているのか。

 色んな事をこの目で確認する事が出来るんだもの。

 もしかしたら何らかの手立てを打てるかもしれない。

 声だって、聴こえるようになるかもしれない。

 はやる気持ちを抑えられなくて、椅子から腰を浮かす。

「いやいやいや」

「本気でおっしゃっているのですか」

「まず座りましょう」

「ご冗談を」

「大丈夫ですから」

「そこまでなさらなくとも」

 口々に言う神官たちの勢いに負けて椅子に座りなおすと、それまで殆ど存在を消していたかのような片目がぶっと噴き出す。

「すみません」

 そう言いつつ口元を押さえるけれど、押し殺したような笑みが止まらない。

 その様子に唖然としていると、傭兵がギロリと片目を睨む。

「御前で失礼だろう」

「いえ。本当に申し訳ないと思っていますよ。噂には聞いていましたが、まさかここまでとは」

 瞳に涙を浮かべながら片目が言うのを、長老が眉をひそめてみている。

 まるで、後で小言を言ってやると言わんばかりの顔で。

 傭兵も溜息をつき、バリバリ頭を掻いてイライラとした表情をしている。

 どうしよう。

 奥殿に行くなんて言わなければ良かった。

 恥ずかしい気持ちと、この事態を収拾しなくてはという焦りで、頭の中がぐちゃぐちゃ。

 咄嗟にシレルの方を向くと、シレルがわかりましたと言わんばかりに小さく頷く。

「水竜様の現状等はカカシの報告を待って、また話し合うのがよろしいのではないでしょうか」

 長老へシレルが進言すると、場がシンと静まり返る。

 空気が変わって、またピンと張り詰める。

 長老がぐるりと室内を見回す。その威圧感に神官たちの背筋がピンと伸びたみたい。


 しばらく間をおいた後、助手が言いにくそうな表情で「あの」と手を上げる。

「自分は水竜様うんぬんよりも、巫女様の御身に一体どのような事が起こったのかの方が気になります」

 そうよね。ある日突然倒れて瀕死になったり、かと思いきや走り回ったり。

 常識的に考えて、おかしいと思わないはずはないものね。

「一体何があったのか、お聞かせいただけますか」

「はい。上手く説明できる自信はありませんが」

 それでも良いですかと続けようとしたら、にっこりと助手が笑うので、続きは飲み込んで本題に入る事にする。

 いつも助手は安心させるように優しく笑ってくれるから、心の中の負担が軽くなる。

「あの日。最初に私が倒れた日、水竜が私の体に乗り移り、祭宮と話をしました。乗り移られた瞬間から私の意識は途切れ途切れで、二人がどんな会話をしたのかはわかりません」

「水竜様が、のりうつる?」

 いぶかしげな声を上げたのは長老。

「はい。水竜の意識が憑依するという言い方が正しいかもしれません」

「憑依」

 カカシがボソリと呟き、何かを思い出すかのように視線を宙に向ける。

 カカシの知識の中の何かと符合する部分があったのかもしれない。

「水竜から聴いたことなのですが、誰にでも憑依できるわけではないそうです。それと、憑依したことによって、された巫女の体力は著しく損なわれるそうです」

「だから、お倒れになられたと」

「はい。水竜が憑依を行うことにより、体力を消耗し、その結果巫女の生命力を食べるからだそうです」

 助手の表情から穏やかな笑みが消えていく。

「成程。そういうカラクリでしたか。では、一切祭宮様は関係ないと」

「はい。そうです」

 助手は両肘を机に立てて頬杖を付き、指の爪をパチパチと鳴らしだす。

 何かを考えるようにしながら視線を動かしつつ、爪を鳴らし続ける。

 あまりお行儀の良いものではないと思うけれど、誰もそれを止めようとはしないし、口を挟もうともしない。

「では我々が手の施しようが無いと思っていたのに、数時間のうちに回復なされたのは」

 パチパトという音を立てながら、助手が問いかける。

「それも水竜のお力です。巫女は水竜の一部のようなものだから、回復させる事が出来ると言っていました」

「そうですか」

 パチンと一つ大きな音を立てて助手が言うと、長老が感嘆の声を漏らす。

「水竜様の御力は偉大としか言いようがありませぬなあ」

 うんうんと同調するかのように神官たちが頷く中、カカシだけが神妙な顔をしている。

 どうしたって言うんだろう。

 けれど、カカシは口を開く気配もない。

「水竜様は巫女様の生命力を食らうと?」

 熊が念を押すように聞くので、短く「はい」と答える。

「通常時は礼拝を通じてでしょうか。大祭などの祭事の際でしょうか。それとも巫女様が奥殿へ行かれた時にでしょうか」

「それはちょっとわからないです。食べられているという意識は持ったことがないので」

「判れば祭事の重要度などを測る指標になるかと思いましたが、残念です」

 肩を落とす熊に慌てて声を掛ける。

「今度、聴いてみますね」

 あんまりにもがっかりしているから、機会があればレツに聴いてみようかなって思う。

 私にはあんまり重要ではないけれど、熊にとってはものすごく大切な事なのかもしれないから。


 大分軽く説明したけれど、大体おおまかにレツのことや私の事が伝わったみたいで良かった。

 言いたいこと全部、思っている全てが伝わったわけじゃないかもしれないけれど、レツの事を助ける方法を探す一助にはなったかな。

 ご神託から推測したように、レツが様々な要因で血に酔い眠りについているのだとしたら、私たちは起こす事が出来るのだろうか。

 人ならざるモノ。

 そして今は意志の疎通をする術も失われている。

 常識では計り知れないような何かを起こさない限り、レツを起こす事なんて出来ないかもしれない。

 本当に、私たちは神を眠りから起こすなんていう奇跡を成し遂げる事ができるのかな。

「巫女様」

 心ここにあらずの状態から、助手の声で現実に引き戻される。

「水竜様のような奇跡は起こせませんが、お体が少しでもお辛い時には、自分をお呼び下さい。必ず巫女様をお助け致します」

「ありがとうございます」

 真摯な瞳で訴える姿に、じーんと胸が熱くなり、心の底からお礼をする。

 丁寧に頭を下げて、ゆっくりと顔を上げると、助手は困ったように苦笑いをして口元を手で覆う。

「どうか自分ごときに頭を下げないで下さい。貴女様はこの神殿で最も尊いお方なのですから」

 そんな。別に大したことしていないのに、今は水竜の声すら聴こえない、形だけの巫女でしかないのに。

 本当に助手の気持ちが嬉しかったし、何よりも二度も苦しい時に助けてもらっている。

 その事を伝えると、助手は恐縮しきった顔を伏せてしまう。

「自分は、自分の仕事をしたまでです」

 それっきり助手は俯いて黙り込んでしまい、長老がパンパンと手を鳴らす。

 部屋に響き渡すその音に、神官たちは顔を上げ、真剣な視線を長老に向ける。

「各々、それぞれの役割を果たし、巫女様を、ひいては水竜様をお助けすべく全力を尽くすように」

「はい」

 綺麗に揃った返事をする。

「わしは巫女様を支え、迷える時には道を指し示せるように致しましょうぞ」と長老。

「御身を外的からお守りするのが自分の役目。お命、決して危険には晒しませぬ」と傭兵。

「祭事の中に、何か解決のヒントがあるかもしれません。一度精査いたします」と熊。

「先程も申し上げましたが、何かお辛い事がございましたが、ぜひ自分に」と助手。

「朱の行方、逐一ご報告致します」と片目。

「巫女様に毎日快適にお過ごし頂ける様に努力いたします」とシレル。

 一人ひとり頭を下げていき、最後にカカシを見ると、相変わらず怖い顔をしている。

 何も言わず、無言で一点を見据えている。

 どうしたんだろう。何かひっかかる事があるのかな。

「報告せよ。そなた、思うところがあるのじゃろう」

 長老が指示を出すと、やっとカカシの視線が動いて、何故か私のほうを見ている。

 じっと、真っ直ぐに。食い入るように。

「もう何があっても、水竜様を憑依させたりしないと、お約束下さい」

「どうしたんじゃ、いきなり」

 少し面食らったかのような声で長老が聞くけれど、カカシの表情は相変わらず険しい。

「正確な数は資料を見直さなくてはわかりませんが、水竜様に憑依され命を落とした巫女が何人かいるはずです。どうか巫女様。そういった例もございますし、ご無理はなさらないで下さい」

「ありがとうございます」

 すごく心配してくれているんだとわかり、その気持ちへの感謝を伝える。

 嬉しかったから自然と笑みが零れるけれど、でもそれは嬉しいだけじゃなくて自嘲も含まれる。

「でも私にはもう、あんな事は出来ません。次にやったら確実に死の淵へと行く事になります。だから、もう出来ません」

 体はもう以前のようには戻らない。ずっと死ぬまで病弱という文字から逃げる事は出来ない。

 そんな状態でもう一度レツを憑依させたら、多分その場で死ぬに違いない。

 それでもカカシの表情は険しいまま変わらない。

「巫女様はそうはおっしゃられても、必要とあらばその命、水竜様の為に投げ出す事も厭わない方です。ですから、決してなさらないとお約束下さい」

 カカシの訴えかけるような瞳と言葉に気圧される。

「わかりました」

 それしか言えない。

 レツはもうしないって言っていたからとか、体がもたないからやらないなんて言い訳、カカシは聞いてくれない。

 もしも憑依させることが唯一レツを救い出す方法だと言われたら、きっと私は迷わずその手段をとるだろう。

 その事を、カカシには気付かれていたのかもしれない。

「巫女様、爺からもお願い申し上げまする、。決して一人で抱え込まないで下され。そのお命、どうぞ大事になさって下され」

 切望するかのような姿に、黙って深く頷き返す。

「迷った時には、必ず相談します」

 そう言うと長老の頬が緩み、笑みが広がる。

 カカシもほっとしたような表情で、溜息をつく。


 私はレツを失って、一人でどうしようもないと足掻いていたけれど、本当はずっと一人じゃなかった。

 ずっとずっと果ての無い暗雲垂れ込める雪空の下に一人で佇んでいたような気になっていたけれど、少し目を凝らして歩いてみたら、温かな手がそこにあった。

 何一つ問題は解決していないけれど、今は不安じゃない。

 きっと、大丈夫。

 私はもう一度、レツの声を聴くことが出来るわ。

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