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歴史物や時代劇創作集

相良喜兵衛 長刀を咎められる

作者: 開運満足 
掲載日:2026/09/29

武士は大小の二本差しというイメージができる始まりの物語です。


 まだ若い相良喜兵衛が、国元より初めてお供をして江戸の藩邸に上(のぼ)って来ていたときの話である。江戸は寛永年間のことだ。


 幕府は、三代将軍家光の時代に武家諸法度を定め、武士の帯刀を「大小二本差し」に固定した。

 武士といえば「大小二本差し」という、身分秩序を表す象徴となる出来事の始まりである。刀の標準寸法(定寸)を設定し、打刀は定寸で二尺三寸五分前後とした。

 その結果、大太刀や長巻は武士の正装から外れ、以後、三尺前後となる長刀などは制度的に排除されることとなる。事実上の長刀禁止である。


 以後、江戸の街で長刀を差すことは「武士は大小二本差し」という原則から外れる身分秩序の逸脱であり、幕府の統治理念への反逆的行為とみなされた。


 相良喜兵衛は、誇り高き佐賀鍋島藩の武士である。

 上背があり、薙刀直しの長刀を使いこなす武芸自慢で、見栄えも良いので、藩侯である鍋島信濃守勝茂の馬回り役を務め、その信頼も厚い。

 だが、江(・)戸(・)城(・)下(・)で(・)は(・)幕府の帯刀規格に従う義務があるため、長刀をそのまま差すことは幕府への反逆的意思表示と見做されかねないのである。


 「喜兵衛よ、初の江戸入りじゃ、晴れがましいであろう。

 だが、その刀、そのままでは江戸は歩けぬぞ。

 直ぐに磨上(すりあ)げてもらうが良い」

 と藩侯からも改めてお声を戴いている。


 喜兵衛は、藩侯にいとまを請い、赤坂の中屋敷の長屋に退いた夜、上役の馬廻組頭からも、翌朝直ぐに佩刀改めのために芝三田にある上屋敷を訪れるよう命令された。




 芝三田の高台にある鍋島藩上屋敷の表門前の白砂には、朝靄を通した鈍い光があたっている。その門柱の黒漆は湿気を吸い木目も露(あらわ)に重厚さを醸し出している。

 江戸の朝露をたらふく含んでいる白砂は、嘉兵衛が歩を進めるたびに、ジッ、ジッ、ジッと音をたてる。


 門番が名乗りを聞く

 「誰が、何用で参るのであるか?」


 喜兵衛が名乗る

 「お馬回り相良喜兵衛、初の江戸勤めで赤坂の中屋敷より佩刀改めに参った」


 門番が屋敷内に声を張り上げる

 「相良喜兵衛殿、江戸初勤にて佩刀改めにございます!」


 門内にいる番の者が帳面に氏名と用件を書きつける。


 喜兵衛は、腰に差している自慢の三尺物の長刀を左手で愛おしそうに擦りながら門を入って行く。


 『西国諸藩でキリシタン狩りが盛んになり、道中の浪人も増えている。途中の京都洛中ではキリシタン処刑が行われ、浪人狩りがあった様子を目撃したばかりだ。佐賀から江戸までの道中は油断ならなかった。用心のため長刀を携えてきてよかったと思っていたのに、これが磨上(すりあ)がるまで、暫く佩けぬこととなるとは・・・殿にも口ずっぱく言われて・・・かねて承知していたとはいえ・・・心細いものよ』



 門内に入ると、横にずっと伸びた表長屋の瓦は朝露を含んで、チラチラチラと光を鈍く返している。

 長屋の前には槍持ち数人が静かに立っている。その槍の先端にも朝日が当たっているのが見える。


 槍持ちの一人が嘉兵衛の刀の長さを一瞥して言う

 「江戸勤め、よろしくお励みくだされませ。まず初勤は佩刀改めからでございますな」


 「・・・」

 腰のものから離れる不安で思わず物思いに耽っていた喜兵衛は、ぎこちなく会釈だけを返す。



 鍋島藩は外様大名であり、それも武威の高さを自慢する大藩。それだけに、一藩士に至るまで武張った所があり、江戸での振る舞いは常に幕府から注視されていた。


 それを充分過ぎるほど意識していた鍋島藩は、江戸藩邸での藩士の装備を厳格に管理している。藩侯も重ね重ね江戸の法度に従うよう、きつく申し伝えている。



 「相良殿、初の江戸勤め、よく参られた」


 玄関番所に入ると番所の用人が、喜兵衛に近づいて来て言う。


 「これは、江戸の定寸には合わぬなぁ。

 本日にでも本阿弥家(ほんあみけ)に持参したほうがよろしかろう。

 ともかく、まずは検査の間まで、そのままお進みくだされ」


 佩刀検査の間は、白木の柱と畳の匂いが混じる静かな部屋である。


 喜兵衛は薙刀直しの三尺物を差したままで正座をする。


 目の前の机に座っていた検査役が、座ったままで机を横に置き直し「それでは失礼いたします」と、これも座ったままの喜兵衛が鞘ごと腰から外した両刀を両手に持った布に包み込むように受け取り、一度目の上まで差し上げてから、喜兵衛の右前に正座し直す。これで先程の机は検査役の右隣になった。

 検査役は、布の上に置いた両刀を正面にして、脇差を喜兵衛の右前に柄頭が左になるように静かに置き直し、まず正面に置いた太刀を抜いた。太刀の刀身の長さから順番に調べるのだ。


 喜兵衛は、佩刀改めの間、無腰のまま畏まって正座を続けている。


 『自分の佩刀を他人が目の前で抜いて、改めているのを見るのは奇妙だ。腰の後ろや首筋がむず痒くなる。切腹の場で介錯される時に、そのような気分になるものだろうか。佩刀ではなく、まるで自分自身が裸に剥かれているようだ』


 佩刀改めでは、検査役から、刀身の長さが江戸ご府内の定寸に合致していないこと、拵えに一部汚損の有ること、柄巻が汗で緩んでいること、鞘の塗りに少々剥離があること、目釘に緩みはなくしっかり止められていることを告げられる。喜兵衛が驚いたことには、刀の差し方、角度や位置までも指導されたことだ。


 「お国風と色々異なりまするが、これも藩の格を幕府や諸侯の前で高めるため。

 藩の格式や武士の礼儀がどうのこうのとかは、殿のお側に使える相良殿には釈迦

 に説法やもしれませぬが、役目により細々(こまごま)と申し上げた次第でございます。

 どうか、ご宥免(ゆうめん)くださりませ」


 検査役は、刀帳という名の刀剣台帳に、相良喜兵衛の名前と共に、その大小の刀の刀工名、長さ、刃文・地鉄の特徴、銘の有無、拵えの種類等を記録した刀帳を用人に渡しながら、最後にそう言った。


 佩刀改め用人が刀帳を見て静かに諭すように喜兵衛に言う。

 「相良喜兵衛、貴殿の佩刀は年数を経ているわりに、よく手入れされておる。

 しかし、将軍家お膝元の定寸に合っておらぬ。その寸法では江戸では歩けぬぞ。

 江戸詰めの者は率先して藩の格式を支え、調(ととの)えねばならぬ。

 今日中に本阿弥(ほんあみ)に持参し改めを受けよ」


 「畏まりました。これからすぐに参ることといたします」

 『やれやれ、ご用人様も殿とそっくり同じことを仰せになる。藩の格式、藩の格式というが、藩侯もご用人方も、常々、お国の兵(つわもの)の手柄話や、その独特のやり様をさんざん自慢して、誇りに思っているではないか、幕府や他藩を真似るだけで、ここまで御家の栄光を繋いで来たわけではなかろうに・・・。さてさて、江戸とは難儀なところだ』



 なぜ、刀を求めるにしても、研ぐにしても、刀屋ではなく本阿弥家を頼りにするかという疑問について、ここで述べて置かねばならないだろう。

 寛(・)永(・)期(・)の(・)江(・)戸(・)に(・)は(・)刀(・)剣(・)商(・)人(・)が(・)存(・)在(・)し(・)な(・)い(・)というのが大きな理由である。


 当時、刀剣の流通はまだ武家制度の内部にあり、それぞれの藩の地元では藩御用達の刀工房に、江戸に出府の折は、室町時代から幕府や大名に仕え刀剣研磨と鑑定を専門とする本阿弥家(ほんあみけ)に、注文するのが主流だったのである。


 安土桃山時代に、本阿弥家(ほんあみけ)だけに発行を許された刀剣の鑑定結果が書かれた文書のことを「折紙」というが、その「折紙」という刀剣の証明書を発行する資格と能力を持つ、刀剣に関する権威、それが本阿弥家である。


 もちろん、少ないながらも江戸には、徳川家御用の康継や、後に虎徹で有名になるが、この時期はまだ知る人ぞ知るぐらいの存在にすぎない長曽祢興里などの御用刀工の工房はある。だから、伝(・)手(・)が(・)あ(・)れ(・)ば(・)、それらの工房に直接注文することも出来た。


 要するに「店で買う」というより 「家に注文する」時代 であり、彼らに依頼するにしても本阿弥家に相談して紹介してもらうというのが、この頃の「普通」だったのである。


 ちなみに、刀剣商、いわゆる刀屋と称する店舗が町人文化として成立するのは元禄から享保(1680〜1730年)にかけての話である。




 閑話休題、そういうわけで、上屋敷を出た相良喜兵衛は京橋の本阿弥家に向かったのである。


 とはいえ「無腰で歩く」のは武士として、どうしても出来ない。

 薙刀直しの長刀を腰に差したまま喜兵衛は歩いていく。


 愛刀を手放さなければならない不安で、思わず物思いに耽る喜兵衛の姿勢は自然と俯き加減で、とぼとぼと歩を進めるたびに三尺物を収めた鞘が石畳に触れそうになる。その石畳は朝の光を浴びて僅かに白く湯気を立てている。


 『佩刀を「短いものに変える」場合は、茎(なかご)を切り縮める磨上(すりあ)げで刀身を短くしなきゃならん。江(・)戸(・)で(・)の鍋島家御用は京橋にある本阿弥(ほんあみ)家ということだ。必要があれば、本阿弥家からさらに江戸市中の研ぎ師や刀剣改作職人に依頼することもあると聞いてはいる。しかし、どのくらいの日数を要するのだろうか。その間、殿の外出にお供出来なくなっては困るぞ』


 江戸の京橋に向かう先々ですれ違う町人たちは「大太刀を持った大柄な田舎侍」が、難しそうな顔なのか、不機嫌な顔なのか、よく分からぬが、決して上機嫌ではない顔をして、歩いてやって来るのを目にすると、慌てて道を譲ろうとして、大きく迂回する。

 喜兵衛は彼らに気が付かないようである。

 彼らにしたら、無礼打ちも恐ろしいし、辻斬りに至っては、最近、度々禁止令が出ているくらいだ。あっちこっちで町奴と侍奴が衝突し、やたら武張った田舎侍と冷めに冷めた都会民との間で文化摩擦が起こり、町民が巻き込まれることなど日常茶飯であったころの江戸なのである。



 やがて、砥石に水を浸しては、刃を研ぐ、ピチャピチャ、シャーシャーという間断なき響きが、耳に入って来て喜兵衛は顔を上げる。

 白砂の敷かれた門前に、朝日が眩しく照りつけている。その温かい陽の匂いの中に、紛れもない砥石と鉄の匂いが混じっているようだ。


 「ここが、京橋の本阿弥家のようだな」


 喜兵衛は、案内されるがままに鑑定の間に入り、鑑定師が両手で差し出した布に腰のものを乗せるようにして預ける。


 『外出時に二度も無腰になるのは、奇妙な感覚だ。自分の腰の一部が欠けてしまったかのようだ』


 鑑定師は、刀身を抜き、光の角度を変えながら地鉄を透かし見、鈍い光を返す刃文の連なりを確認すると、茎(なかご)を返し、銘を確認する。


 「……肥前国忠吉(ひぜんのくにただよし)」


 長さを測り、江戸の定寸と照合する。


 ため息をついてから言う、

 「大変良き刀でございます、刃文といい、匂(におい)や沸(にえ)も味わい深く、見事なもので御座います、が――三尺は長うございます。江戸城下では差すべき長さではござりませぬ」


 鑑定師が本阿弥家の番頭の方を見る。

 視線を察した番頭が鑑定師に近づき一言二言相談をする。


 鑑定師が喜兵衛に言う

 「これほどになりますと磨上(すりあ)げでは、なかなか定寸になりませぬ。そのうえ、極上の大業物。磨上げなど、もったいのうございます」


 番頭がさらに付け加える

 「相良様は、鍋島信濃守様ご家中でお馬回り役をお勤めとのこと。信濃守様のご格式も高く敬意を集めていらしゃいます。この見事な大業物、お国に持ち帰ってご主君のお側でお佩きになればこそ、その居場所を得て、お映えになることと存じ上げます。この際、将軍様お膝元でのお佩物(はきもの)については、大小共に新しく調(こしらえ)なされてはいかがでございましょう。私どもの方で、近在の刀匠にご紹介できます。おなじ肥前打ちの忠吉殿のお弟子などいかがでしょうか」


 喜兵衛にとって、費用はかかるものの、この言葉は渡りに船で有り難かった。

 さっそく、了解し、忠吉の弟子という刀鍛冶に紹介文を書いて渡してもらうことにして、詳細の注文は藩の中屋敷にて後日ということになった。


 用事が片付いて、愛刀と一緒に居られると、気が晴れた相良喜兵衛は「この刀あってこそ、相良喜兵衛は元のままの鍋島藩馬回り相良喜兵衛でいられるのだ」と、意気揚々と藩邸へと戻って行ったのである。


 ただ、その相良喜兵衛の腰には、今朝来た時と同じように薙刀直しの三尺物の長刀が差されたままであった。




 幕府の目付に出会ったのは、今朝そこを出立した上屋敷のすぐ前である。


 乗馬した目付が、徒士二名、同心二名と馬の轡(くつわ)取りを連れていた。


 目付

 「ご法度(はっと)違反じゃ、その佩刀、江戸の形にあらずと見た。大小を計ってみよ」

 そう言いながら、目付が馬を降りる。


 大小を計ってみよとの声に徒士二名と同心二名が前に出て、喜兵衛を取り囲む。

 徒士二人は佩刀を凝視し、その長さを目視しようとし、同心は懐から帳面と筆を出し、記帳の準備をする。

 徒士の一人は喜兵衛の佩刀の鞘を手で押さえようと前に出る。刀を抜かれないためである。


 『鍋島侍として、このような時の覚悟は、とっくにできておるわ。見るがよい』


 そこで、喜兵衛は素早く片膝を地に落として、鞘にも柄にも触らせない。徒士と目付を睨みつけ、声を張り上げて言う。


 「某(それがし)は、相良喜兵衛と申し、当屋敷の鍋島信濃守の家来である・・・」


 喜兵衛は馬回り役。世が世なら主君の親衛隊で幌武者の役目も務めようかという武士(もののふ)。

 その声は、戦場の喧騒や剣戟の最中(さなか)でも敵味方に響き渡るような大声である。上屋敷内の長屋ではその声を聴き付け、すぐさま門前に駆けつけた者がいて、直ぐに藩侯の勝茂公にも事態が伝わったという。


 喜兵衛はさらに淀みなく声を張り上げる。


 「佐賀よりご用向きの為、昨夜、江戸表に参着したばかり。江戸府内のご法度の事、主人、信濃守より常々厳しく申し付けられておりまするゆえ、長き大小の禁ぜられたること、重々承わっておりまする・・・」

 

 「しかし、江戸までの道中は、物騒この上なきところもありと、そう聞き及び、某は若輩者の身でもあり初めての旅でもござりましたがゆえに、寸伸びの大小を腰に帯びて出府して参りました」


 鍋島勝茂公は、門前の騒動の報告を聞くと「喜兵衛ほどの男だ、御家に恥をかかせることはあるまいよ」と仰せられたが、心配であったのだろう、側の者を見に行かせられた。

 すると、既に上屋敷表門は屋敷中の上下の者が犇(ひし)めきあっており、その多くが、いざという時には打って出ようと支度まで充分であったという。


 喜兵衛は落ち着いた姿を目付衆に見せながらも、なお大声で言葉を続ける。


 「さすれば、江戸においては、ご法どおりの大小を差さねばならぬと、今朝ほど、大小を拵えるために町方へ出向き、ただいま帰着いたしたところであります・・・・」


 「そういう次第ではありますが、お目付け様より、こうしてお咎めを受けましたからには、某の命は逃れられない定めと覚悟を決めました・・・」


 「ただ、ご法度の事を、主人から重々申し渡されて、某も承知しているということ。それを記録にお残し下さりませ」


 喜兵衛は、そう言い終わると、刀に手をかけ、お目付け一行に「返答や如何に」と闘志をむき出しに身構えた。


 目付は、同心に目配せする。

 同心は先程から書き付けていた帳面を見せる。


 帳面には喜兵衛が大声で述べた陳述が書き留められている。その内容は幕府幕閣への報告となるばかりではなく、鍋島藩邸への通達としても用いられるのである。

 目付は徒士二人と一緒に、同心の帳面に書き込まれた事実に過不足が無いことを慎重に確認する。


 やがて目付は馬に乗り、徒士と同心は馬の後ろに身を置く、

 「さすれば、お構いなしとする」

 目付はそう高々と告げると、何事もなかったかの如く粛々と去って行く。



 後日、相良喜兵衛は、鍋島勝茂公のご前に召し出され、

 「喜兵衛、先日の幕府目付への応対、見事であった。鍋島藩士として、一武士として、意地と体面を損なわず、御家の恥ともならず、幕府の面目も保つ良い対応であった。褒めて遣わす・・・」

 と肌付きの羽織を頂戴したという。



 相良喜兵衛 長刀を咎められる (了)

葉隠に「相良喜兵衛 長刀を咎められる」として書かれているのを小説化しました。


ちなみに、この佩刀改めの幕府目付には、職務質問の権限こそありますが、他家の藩士を捕まえる権限はなく、強く注意する程度のことしかできません。その当時の人なら、当然そのことは知っていたに違いありません。

目付は違反を見つけても、本人に強く佩刀を改めよと命令した後に、藩邸と本阿弥家へ文書化した佩刀改め命令を出すことぐらいのことしかできないのです。その場合、藩は幕府にどう処分、処置をしたか説明を求められます。この事件では現場のみで処置が片付いてお互いに良かったと思います。


もちろん、幕府目付相手に、抜刀してしまうようなことがあれば、その場での処分もあり得ますし、鍋島藩も幕府に対する敵対行為として重大な罰を受けるでしょう。


なお、本阿弥添え番という形で本阿弥家専門に使い番をする者が藩邸に居て、江戸初勤の藩士の案内や取次をしているのですが、煩わしいので書いていません。実際には相良喜兵衛の横に付いて歩いていたと思います。



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― 新着の感想 ―
本阿弥家は、こういう理由で江戸初期に隆盛したんですね。 そして喜兵衛の戦国武士としての気持ちと、江戸の侍としてのあり方……難しいところですね。 他にもこういう武士はいっぱいいたんだろうな、と思いました…
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