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侍女ですが、お給料が100倍になりました。お仕えする悪役令嬢さまが婚約破棄された瞬間ですけど

作者: 藍沢 理

 謁見の間は、静まり返っていた。あたしはヒリつく空気に呑まれないように耐えつつ、お仕えするコーデリア様の三歩背後で跪いていた。


 大理石の床に膝をついたコーデリア様の金髪が、ガス灯の明かりを受けて光っている。


 正面に立つ第二王子、エドワード殿下の声が冷たく響く。


「コーデリア・アッシュフォード。君は私を束縛し、監視し、交友を制限した。その証拠に、君の使用人が証言している」


 殿下が手を上げると、側近が一通の手紙を掲げた。


「さらに、この手紙を見よ。『聖女リリアナをアッシュフォード邸に招待し、事故に見せかけて排除せよ』とある。コーデリア、これは君の筆跡で書かれたものだ。他にも、聖女リリアナへの嫌がらせは数知れず。これ以上、君との婚約を続けることはできない」


 はあ? 叫びそうになるのを、あたしは必死で堪えた。コーデリア様が殿下を束縛? 監視? 冗談じゃない。あいつはコーデリア様を放置しすぎて、屋敷の使用人たちから「冷たい婚約者だ」って陰口叩かれていたくらいなのに!

 手紙はちょっと分からないけど、彼女がそんなもの書くはずがない。


 あたしの歯ぎしりが聞こえたのか、前で跪くコーデリア様から小声が聞こえてきた。


「マリー、落ち着いて。わたくしは大丈夫」

「そんな……」


 コーデリア様は耐えている。あたしも我慢しなければ。


 聖女リリアナが、涙を浮かべて進み出た。栗色の髪を揺らし、琥珀色の瞳を潤ませて。


「エドワード様、もういいんです。コーデリア様はきっと、私とエドワード様が仲良くしているのが、お辛かったのだと思いますわ」


 うわぁ、完璧な被害者ムーブ。あたしは歯を食いしばった。リリアナ・ブライト。この国に突然現れた「予言の聖女」だ。でも、あたしは知っている。この女が「迷い人」の可能性があるって。


 殿下が改めて宣告する。


「コーデリア・アッシュフォード。君との婚約は、ここに破棄する」


 謁見の間がどよめくと、アッシュフォード公爵――コーデリア様の父上が、玉座の脇から進み出た。


「殿下、お待ちください! 娘は決して――」

「控えよ、オーギュスト・アッシュフォード」


 国王陛下の低い声が、公爵様の言葉を遮った。


「アッシュフォード家の東方交易に関する不正の件、調査が必要だと聞いているが?」


 公爵様の顔が、さっと青ざめた。弱みを握られているのだろうか。あたしは12年間この家にいて、公爵様が誠実な方だと知っている。東方交易の商人たちからの評判もいいし、使用人への給料の支払いも怠ったことは無い。彼は不正をするような方ではない。


 今ここで反論すれば家が潰される。だからだろう。公爵様の拳は震えていた。


「……申し訳ございません」


 絞り出すような声で、公爵様は頭を下げた。その横顔に浮かんでいるのは――亡くなった奥方様の面影だろうか。娘を守れないことへの、憤怒と無力感だろうか。


 コーデリア様は、ずっと俯いたままだった。金髪が顔を隠していて、表情は見えない。でも、あたしには分かる。彼女は泣いていない。


 殿下が踵を返そうとした、その瞬間だった。あたしの手元に、何かが現れた。羊皮紙の巻物? 視界に飛び込んできたそれを、あたしは思わず掴んでいた。周囲は誰も気づいていない。


 開いてみると、そこには流麗な文字で契約書らしきものが記されていた。


◆◇◆◇


真実顕現の契約


契約者 マリー


任務

主人、コーデリア・アッシュフォードの冤罪を証明せよ。


期限

三十日以内


成功報酬

1、月給百倍

2、真実を見抜く魔眼の付与

3、望む地位と名誉


失敗の代償 三十一日目に即死


この契約は、先代公爵夫人エレノア・アッシュフォードが遺した守護魔法により、主人が最も信頼を寄せる者に対して自動的に発効しています。


◆◇◆◇


 は? 月給百倍って、あたしの給料、月80銀貨だよ? それが8000銀貨、つまり80金貨になるってこと? いやいや、一人暮らし食っちゃ寝食っちゃ寝で、十年は暮らせる額じゃん!


 そんなことより、失敗したら即死ってマジかよ!?


 振り幅大きすぎて、心が即死しかけた。落ち着けあたし。


 次の一文に目が留まった。先代公爵夫人エレノア様。コーデリア様のお母様だ。あたしが奉公に来た時には、もう亡くなっていた。


 でも、彼女はいつも優しく語ってくれた。母はとても強くて、優しい人だったと。

 その方が、娘を守るために残した魔法。その魔法が、あたしを選んだ。コーデリア様が、あたしを一番、信頼してくれてるってこと?


 呪いじゃね? いや、飴もある。これは母親の愛、だと言い聞かせる。


 12年前のことが脳裏をよぎる。孤児院から奉公に出された初日、不慣れで高価な花瓶を割ってしまった。執事長が「鞭打ちだ」と怒鳴る中、当時10歳のコーデリア様が「わたくしが割りました」と嘘をついて、あたしを庇ってくれた。


 彼女はバツとして、一週間も部屋に閉じ込められた。


 その後彼女は「気にしないで。あなたは悪くないもの」と言ってくれた。あたしはあのときから、コーデリア様専属の侍女になった。


 決めた。やってやる。絶対にコーデリア様の無実を証明する。


 決意した瞬間羊皮紙が光り、あたしの手の中で消えた。同時に、右目に違和感があって、すぐに消えた。

 つまりこれが、真実を見抜く魔眼、ね。



 謁見の間を退出した後、あたしはコーデリア様に付き添って控室へと向かった。廊下には誰もいない。ガス灯の明かりだけが、静かに揺れていた。彼女は、ずっと無言だった。


 控室に入り、扉が閉まった瞬間、コーデリア様が震える声で言った。


「……マリー。わたくしは、何も……していないのよ」

「存じ上げております。コーデリア様は何も悪いことなどしていません。あたしが一番よく知っています」


 彼女の碧眼が、涙で濡れていた。でも、溢れることはない。ぎゅっと唇を噛んで堪えていた。


「でも、誰も信じてくれない。父上でさえ……」

「あたしは信じています。それに、これから真実を証明しますから」

「……え?」


 コーデリア様は驚いて顔を上げた。あたしは、契約書のことを説明していく。先代公爵夫人様の守護魔法のこと。あたしに課せられた任務のこと。彼女は最初、信じられないという顔をしていたが、やがてゆっくりと頷いた。


「母が……そんな魔法を。ありがとう、マリー。でも、危険なことはしないで。あなたに何かあったら、わたくしは――」

「大丈夫です。コーデリア様のためなら、あたしは何だってできます」


 あたしは、12年前のあの日から、ずっとそう決めていたのだから。



 翌日、あたしは厨房を訪れていた。アッシュフォード家の料理長、ジャン・デュポン。40代で少し小太りの男性。白いコック帽を被り、エプロンをつけて、野菜を刻んでいた。ジャンさんは、あたしを見ると手を止めた。


「よう、マリー。昨日のこと、聞いたぜ。コーデリア様、災難だったな」

「ジャンさん、ちょっといい? 『転生者』同士で、相談したいことがあるの。あたしたちみたいな、この世界で言う『迷い人』ってやつのことでさ」


 あたしは周囲を確認してから、声を潜めた。ジャンさんの目が、わずかに見開かれる。


「……おいおい、何でそれを」

「前に、日本語ポロリしてたじゃん? 『メイドカフェ』とか『コスプレ』とかこの世界にない言葉をさ」

「参った。それ以上言うな。黙れ。というか、お前も転生者だったのか。まあいい。で、相談ってのは?」

「聖女リリアナも『迷い人』だと思うの」


 ジャンさんの目がスッと細まった。


「根拠は?」

「前に話したとき、予言が当たりすぎる、と思ったの。でも、少し質問の仕方を変えたら、途端に答えられなくなった。なんというか、決まった台本しか知らないみたいに」


 ジャンさんは、腕を組んで考え込む。


「……乙女ゲームの知識、じゃねえか? 異世界転生もののパターンでよくあるんだが『この世界は、前世でプレイしたゲームの世界だった』ってやつ。もしそうなら、リリアナはゲームのストーリーを『予言』と称して語ってるだけ、ってことになる」

「ほえー、そんなことあるんですね。この世界はゲームにそっくりだから、ゲームにないことは答えられないってこと? ん? ジャンさん、なんでこの世界が乙女ゲームとそっくりだって知ってるの?」

「……論点そこじゃねえだろ?」


 目をそらすジャンさん。回り込んで目を見ようとすると、身体ごと背を向けられた。


「ジャンさんジャンさん、でもさ、それだけじゃ証拠にならないですよね?」


 話を戻すと、彼ははこちらに向き直った。


「そうだな。『迷い人』ってだけじゃ罪にはならねえ。問題は、その知識を使って人を陥れたってことだ。証拠や証人集めをしないとだな」


 あたしは、昨日の謁見の間で証言していた使用人の顔を思い出していた。アッシュフォード家の下働き、トマス。20代の男で、いつも金に困っていた。


「トマスが『コーデリア様から、殿下を監視しろと命じられた』って証言してたけど、あれは嘘よ。だって、コーデリア様がトマスと直接話したことなんて、一度もないもん。下働きへの指示は、全部執事長か侍女頭を通す。それが公爵家の決まりでしょ?」

「知らねえよ。俺は料理長だし。んー、じゃあトマスを問い詰めるか?」

「うん。でも、一人じゃ逃げられるかもしれないから、ジャンさんも来て?」

「お前さぁ……まあいいか。フレンチの包丁捌きってのは、脅しにも使えるからな」


 冗談めかして言うジャンさんだったが、目は笑っていなかった。



 その夜、あたしとジャンさんは、使用人棟の裏でトマスを待ち伏せていた。蒸気の排気音が、遠くから聞こえてくる。この王都には、蒸気機関車が走っている。産業革命後の文明だ。


 やがてトマスが現れた。あたしが角から飛び出すと、トマスは一瞬驚いた顔をした。


「マリーか。驚かすなよ」


 トマスはあたしのしかめっ面を見て、おそらく察した。


「……何の用だ」

「トマス、あんたの昨日の証言、嘘だよね」


 単刀直入に聞くと、トマスの顔が引きつった。


「何を言ってる。俺は真実を――」

「コーデリア様は、あんたと直接話したことなんて一度もないでしょ? 下働きへの指示は、全部執事長か侍女頭を通すのが決まり。それなのに、『コーデリア様から直接命じられた』って証言するのは、おかしいよね?」

「……」


 トマスは言葉に詰まった。あたしの右目――真実を見抜く魔眼が、トマスを見つめる。すると、視界に文字が浮かんだ。


【嘘をついている】

【金貨10枚で買収された】

【依頼主、第二王子エドワード】


 なるほど、こういう風に見えるのか。


「へぇ……エドワード殿下から金貨10枚で買収されたんだって? あんたの年収超えてんねぇ」

「な、なんで……」

「知ってんのよ。で、どうする? このまま嘘を突き通すなら、あたしは王宮の監査官に訴え出る。買収の証拠は、あんたの部屋を捜せば出てくるんじゃない? 金貨10枚なんて大金、下働きが持ってるはずないもんね」


 トマスは震え始めていた。後ろからジャンさんがゆっくりと歩み出てくる。


「よお、トマス。俺からも一つアドバイスだ。嘘がバレて王家を敵に回すのと、今ここで真実を話して司法取引するのと、どっちが得だと思う? あ、王家を敵に回すって事は『死』を意味するからな?」


 トマスは、崩れるように膝をついた。


「わ、分かった……全部、話す……」


 トマスの証言は、明快だった。第二王子エドワードの側近が、トマスに接触してきた。「コーデリア・アッシュフォードが、殿下を監視していたと証言しろ。金貨10枚を払う」と。トマスは金に困っていたから、断れなかった。


「あれ? もしかして、聖女様が、手紙を書いたの?」

「ああ。俺が殿下の側近から聞いた話だと、聖女様は『ショドーが得意』らしくて、筆跡を真似るのが上手いんだと」


 ショドー。おそらく書道。日本の文化だ。やっぱり、リリアナは転生者の可能性が高い。


「分かったわ、トマス。あんたは明日、王宮の監査官のところに行って、全部正直に話してきて。そうすれば、罪は軽くなるはず」


 トマスは、何度も頷いた。



 翌日、あたしは王宮へと向かった。目的地は、王宮監査局。ここは、王家や貴族の不正を調査する独立機関だ。局長のベルナール・フォンテーヌ子爵は、公正で知られている。あたしは受付で名前を告げた。


「アッシュフォード公爵家の侍女、マリーと申します。第二王子殿下の婚約破棄に関する不正を告発したく参りました」


 受付の職員は驚いた顔をしたが、すぐに奥へと案内してくれた。局長室に通されると、50代の厳格そうな男性が座っていた。


「ベルナール・フォンテーヌ子爵です。で、告発とは?」


 あたしは、トマスの証言、偽造された手紙、等を話した。そのあと、聖女リリアナが「迷い人」であり、予言は元から知っている知識に基づくものだと話した。


 ベルナール子爵は「迷い人だと?」と言いながら、真剣な顔で聞いていた。


「なるほどな。……ただ、これは王家が絡む案件だ。慎重に調査する必要がある」

「承知しています。ですが、トマスは今日、ここに来て証言するはずです。それに、あたしには真実を見抜く魔眼があります。これは、先代公爵夫人エレノア様が遺した守護魔法によるものです」

「ほう……見せてもらえるか?」

「はい。では、子爵様、何か嘘をついてみてください」


 ベルナール子爵は、少し考えてから言った。


「私の好物は、魚料理だ」


 あたしの右目に、文字が浮かんだ。


【嘘をついている】

【本当の好物は肉料理】


「子爵様の本当の好物は、肉料理ですね」


 ベルナール子爵は少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。


「……それくらいなら、事前調査でも分かる。もう少し、試させてもらおう」


 子爵は立ち上がって書棚から一冊の本を取り出した。


「この本の中から、私が今思い浮かべているページ番号を当ててみろ」

「それは無理です。あたしの魔眼は『嘘』を見抜くもので、心を読むものではありません」

「なるほど。では、こうしよう」


 子爵は紙に何かを書き、裏返して机に置いた。


「私はこの紙に数字を三つ書いた。では質問する。『書いた数字は、すべて偶数である』」


 あたしの右目に文字が浮かぶ。


【嘘をついている】

【奇数が一つ含まれている】


「奇数が一つ、含まれていますね」


 子爵が紙を表にすると「2、7、4」と書かれていた。子爵の目つきが変わる。


「……もう一度だ。『私には、娘が二人いる』」


【嘘をついている】

【実際は三人。うち一人は庶子。全て女子】


 一瞬、躊躇した。これは……言っていいのか?


「子爵様には、お嬢様が……三人、いらっしゃいます」


 子爵の顔が強張った。しばらく沈黙が続いた後、彼は深く息をついた。


「……誰にも言っていない。正妻の子は二人だが、若い頃の庶子が一人いて、今は辺境で暮らしている。お前の魔眼は……本物だ」


 子爵は席に座り直し、あたしをじっと見つめた。


「だが、それでもまだ不十分だ。トマスの証言、物証、筆跡鑑定……すべてを総合的に判断する必要がある。魔眼だけを根拠に王家を追及することはできん。分かるな?」

「はい。もちろんです」

「だが、調査は開始する。お前の話に一定の信憑性があることは認めよう。トマスの証言を取り、手紙の鑑定も行う。ただし……」


 子爵は厳しい目でこちらを見た。


「もし、これが茶番だったら――貴様も公爵家も、ただでは済まんぞ」

「わかっております」


 あたしは深く頭を下げた。



 ベルナール・フォンテーヌは、書類の山を前に溜息をついた。監査局長として30年。数々の不正を暴いてきたが、今回ほど複雑な案件は初めてだ。


 第二王子が絡んでいる。それも、婚約破棄という王家の威信に関わる問題だ。一歩間違えば、自分の首が飛ぶだけでは済まない。


 だが、あの侍女、マリーの魔眼は本物だった。ベルナールは、庶子の存在まで見抜かれた時、背筋が凍る思いをした。先代公爵夫人が遺した守護魔法――そんなものが実在するとは。


 ベルナールは調査報告書に目を通していく。トマスの証言は詳細で、裏付けも取れている。第二王子の側近から金貨10枚を受け取り、コーデリア・アッシュフォード公爵令嬢を監視していたと偽証したこと。他にも買収された使用人が三名、同様の自白をしている。


 手紙の筆跡鑑定も興味深い結果だった。一見、コーデリア嬢の筆跡に似ているが、専門家に言わせれば「巧妙な模倣」だという。特に、ハネの角度と、インクの濃淡に不自然な箇所がある。


 決定的だったのは、聖女リリアナの部屋から発見された下書きだ。何枚もの羊皮紙に、コーデリア嬢の筆跡を真似た練習の跡がある。これは言い逃れできない。


 それでもまだ足りない。ベルナールは慎重だった。聖女という立場の人間を告発するには、完璧な証拠が必要だ。


 侍女のマリーは言っていた。聖女は前世の記憶を持つ「迷い人」だと。彼女はその知識を「予言」として語っている可能性があると。それを確かめなければならない。


 ベルナールは、部下に命じた。


「リリアナ・ブライトを呼べ。尋問する」


 数日後、監査局の尋問室に、聖女リリアナが現れた。栗色の髪を整え、琥珀色の瞳に涙を浮かべている。見たところ、被害者を演じているようだ。


「子爵様、なぜ私を呼ばれたのですか。私は何も悪いことなど……」

「座りなさい」


 ベルナールの声は冷たかった。リリアナは、わずかに表情を強張らせながら椅子に座る。ベルナールは手元の書類を開いた。


「聖女リリアナ様。あなたは、これまで数々の『予言』をされてきましたね」

「はい。神のお告げによるものです」

「では、いくつか新たな『予言』をお願いしたい。あなたの能力が本物かどうか、確かめさせていただく」


 リリアナは、自信たっぷりに微笑んだ。


「もちろんですわ。私に分かることなら、何でも」


 ベルナールは、最初の質問を投げかけた。


「三ヶ月前、西方の港町リヴァプールで、原因不明の疫病が発生しました。国王陛下の命により、医師団が派遣されましたが、今も原因は特定されていません。聖女様、この疫病の原因と、今後の展開を予言していただけますか」


 リヴァプール。辺境の小さな港町で、疫病の情報は監査局にしか届いていない。もし本当に神のお告げがあるなら、答えられるはずだ。


 リリアナの顔色が、わずかに変わった。


「それは……その……神のお告げが、まだ……」


 答えられないようだ。ベルナールは内心で冷笑した。


「では、二つ目。東方の砂漠地帯で、新たな魔石鉱脈が発見されたという報告があります。採掘権を巡って、ヴォルフ家、ブラン家、エクレール家の三つの貴族家が争っています。この争いの行方を、予言していただけますか」

「え、えっと……魔石鉱脈……」


 リリアナは明らかに動揺しているようだった。ベルナールは容赦なく続けた。


「三つ目。先月、王立図書館で古文書の盗難事件がありました。盗まれたのは『魔法創成期の記録』という歴史書です。犯人は誰で、目的は何ですか」

「わ、私は……そのような些細なことまでは……」

「些細?」


 ベルナールの声が鋭くなる。


「王立図書館の盗難は、国家の重大事です。それとも、神のお告げは『些細なこと』には関心がないのですか」


 リリアナが唇を噛む。その表情には、もはや聖女の慈愛など欠片も見えない。


「では、最後に一つ。聖女様は以前、『三ヶ月後に北方で大規模な魔物の襲撃がある』と予言されましたね」

「は、はい……」

「ですが、北方駐留軍の最新報告によれば、魔物の活動は例年よりむしろ少ない。これは、どういうことでしょう」

「それは……時期がずれただけで……」

「ずれた? では、正確にはいつですか」

「わ、分かりません! 神のお告げは、時に曖昧なもので……」


 リリアナの声が裏返る。ベルナールはじっと彼女を見つめて続けた。


「おかしいですね。これまでの『予言』は、すべて日時まで正確でした。第二王子との出会いは『春の舞踏会の三日前、王宮の薔薇園で』。ヴィクトリア伯爵令嬢の婚約は『夏至祭の翌日』。すべて、一日の狂いもなく的中している。なぜ、それらは正確に当てられたのに、今回は『不確か』なのですか」

「そ、それは……」


 リリアナは言葉に詰まったところで、ベルナールは畳みかける。


「答えましょうか。あなたが『予言』できたのは、すべて王都の貴族社会で起きる、目立つ出来事だけだ。辺境の町の疫病、砂漠の鉱脈争い、図書館の盗難……そういった『地味な』出来事は、まったく予言できない。これは、予言者としてあまりにも不自然です」


 ベルナールは窓外へ目をやる。蒸気機関車が、遠くを走っている。産業革命後のこの国は、急速に変化している。その変化の中で、こんな茶番が演じられていたのか。


「あなたは『迷い人』ですね」


 リリアナが息を呑む音が聞こえたところで、ベルナールが振り返った。


「前世の記憶を持つ者。『迷い人』と呼ばれる存在。それ自体は罪ではない。教会の記録にも、過去に何人も『迷い人』がいたと書かれています。ですが、あなたは、その知識を使って人を陥れた。コーデリア・アッシュフォード公爵令嬢を、です」

「ち、違います! 私は……」

「違わない」


 ベルナールは、リリアナの部屋から押収した下書きの束を、机に叩きつけた。


「これは何ですか。コーデリア嬢の筆跡を練習した跡でしょう。それに、あなたが『書道が得意』だと自慢していたという証言もあります。『書道』。この国にはない、異世界の文化ですね」


 リリアナは口を開こうとして、また閉じた。蒼白な顔で、ただ俯いている。


 ベルナールがため息をつく。30年間、数々の不正を見てきたが、これほど悪質な案件は初めてだ。聖女という立場を利用し、王子を操り、無実の令嬢を陥れる。そのすべてが、利己的な陰謀だった。


「リリアナ・ブライト。あなたを、詐欺罪および名誉毀損罪で告発します。国王陛下に、正式な報告書を提出します」


 ベルナールは、部下に命じて、リリアナを退室させた。一人になった尋問室で、彼は深く息をついた。


 これで調査は完了だ。あとは、国王陛下の裁定を待つだけ。


 ベルナールは再び、窓の外へ目を向けた。王宮の尖塔が、夕日を浴びて赤く染まっている。正義は時に遅れて訪れる。だが、必ず訪れる。それが彼の信念だった。



 謁見の間に、あたしたちを含めた関係者全員が召集された。国王陛下の前に、今度はエドワード殿下とリリアナが跪いている。コーデリア様は、あたしと共に、証人席に立っていた。


 ベルナール子爵が、調査報告書を読み上げる。


「陛下。調査の結果、コーデリア・アッシュフォード公爵令嬢に対する告発は、すべて虚偽であることが判明いたしました。証人は買収され、手紙は偽造され、聖女リリアナ・ブライトの予言は、信憑性に欠けるものでした」


 謁見の間がざわめいた。国王陛下は、険しい顔でエドワードを見下ろす。


「エドワード。どういうことだ? ベルナール子爵が王家に対して物申すなど、よっぽどのことだぞ」

「父上、俺は……その……」

「陛下。すべて、私の責任です。私が、エドワード様を誘惑してしまって……」


 リリアナが涙を流しながら申し出てきた。また被害者ムーブ……マジで鬱陶しいなぁ。

 でも今度は通用しない。あたしも発言しよう。


「陛下、一つよろしいでしょうか」

「お前は……公爵家の侍女か。何だ」

「聖女リリアナ様はいわゆる『迷い人』です。彼女が『予言』と称していたものは、前世で得た『この世界』の知識を語っていただけです」


 謁見の間が静まり返った。リリアナの顔色がさっと変わる。


「な、何を……」

「証拠があります。リリアナ様。あなたは『書道』という言葉をご存じですよね。この世界にはない、日本という国の文化です。それに、リリアナ様は以前『スマホ』という言葉を口にしていました。この世界にはない異世界の道具です」


 あたしはリリアナの失言をすべて記憶していた。12年間、侍女として鍛えた記憶力は伊達じゃない。


 国王陛下は厳しい声で問いただす。


「リリアナ・ブライト。貴様は異世界転生者であることを認めるか。ベルナール子爵、および侍女マリーの証言を認めるか」


 リリアナは、観念したように頷いた。


「……はい」


 エドワード殿下も観念したのか、あっさりと自白した。リリアナと共謀して、コーデリア様を陥れたこと。アッシュフォード公爵家の弱みをでっち上げて、公爵様を黙らせたこと。


 すべて、リリアナと結婚するための、クソみたいな陰謀だった。


 国王陛下の裁定は迅速だった。


「エドワード・ヴァレンティア。貴様の王位継承権を剥奪し、辺境の領地に幽閉する。リリアナ・ブライト。聖女の称号を剥奪し、国外追放とする。コーデリア・アッシュフォード。君への誤解を解き、謹んで謝罪する。賠償金として、金貨10万枚、これで勘弁してくれぬか……」


 うわぁ、金貨十万枚。なんて考えていると、エドワード殿下が崩れ落ちた。

 リリアナは、信じられないという顔で、あたしを睨んでいた。


 もう遅い。元聖女にツバでも吐き付けたいところだけど、死体蹴りは趣味じゃ無い。


 あたしのゲスな考えをよそに、コーデリア様は公爵家令嬢として深く一礼した。


「ありがとうございます、陛下」


 そして彼女は、あたしの方を向いて微笑んだ。その笑顔は、12年前のあの日と同じだった。



 謁見の間を出た後、あたしの手元に再び羊皮紙が現れた。


◆◇◆◇


任務完了


報酬を付与します。


月給百倍 80金貨

真実を見抜く魔眼は永続します

監査局顧問への推薦状が発行されます


おめでとうございます。


◆◇◆◇


 月給百倍って、マジだったの? どこから出るの? あ、金貨10万枚が公爵家に入るんだ。あと、推薦状ってどこから出るの? 監査局の顧問って、貴族じゃなくてもなれるの? あー、なるほど。もしかしてもしかして、ベルナール・フォンテーヌ子爵が推薦状を書くのかな?


 捕らぬ狸の皮算用……目いっぱいやってしまった。煩悩まみれのあたしに、思わず吹き出す。


 そんなあたしを、コーデリア様が不思議そうな顔で見つめていた。


「どうしたの、マリー?」

「いえ、なんでも。ただ、これからも、ずっとコーデリア様のそばにいられるなーって思って」

「当然よ。あなたは、わたくしの大切で、かけがえのない友人なのだから」


 彼女の言葉に、思わず涙がこぼれた。


 12年前、あたしを庇ってくれたあの日から、ずっとこの人を守りたいと思っていた。


 今日、その想いが、ちゃんと形になった。


 実務をこなしたのは、ベルナール・フォンテーヌ子爵だけど、そこはいいじゃん?


「コーデリア様、これからもよろしくお願いします!」

「ええ、マリー。これからもずっと一緒よ」


 王宮の廊下に、ガス灯の明かりが揺れていた。蒸気機関の音が、遠くから聞こえてくる。産業革命後の世界で、あたしたちは新しい一歩を踏み出す。


 あ、でもどうしよう。侍女を続けながら、監査局の顧問なんてできるのかな? まいっか。考えるのはあと! いまは幸せを感じるとき!




(了)

お読みいただいてありがとうございます!

面白かった└( 'Д')┘ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛

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― 新着の感想 ―
真実を見抜く目が永続使用って凄いボーナスじゃないですか…!!これだけで一財産狙えそう。でもそれをお嬢様のために使うのがいいな〜〜!! 子爵の庶子の令嬢どんなふうに暮らしてるのか、ちょっと気になりますね…
正義は時に遅れて訪れる。だが、必ず訪れる。 うわぁーカッコいいー! 全然違うとこで引っかかりました。 ベルナール子爵でスピンオフ…お願いしたいです。 →父の急逝で、わたくしが公爵になりました ~王太子…
失敗=即死ってエグいな。ペナルティがエグ過ぎるから契約しな〜いにならないでよかったね。ママン。 しかしママンが早逝したのって、この真実の魔眼とか強力な守護魔法行使したせいなくない?
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