第4話 そんな必殺技があるんなら、最初に使って欲しいよね
夕里菜が声をあげるのと、あーちゃんが飛び出すのは、ほとんど同時だった。
矢のようだった。
もの凄いスピードで地面を走り抜けていく。
その間に、あーちゃんの姿が変わっていった。
ドーベルマンのようだったあーちゃんは、あっという間に毛並みのいい、人の背丈の倍以上はある、巨大な狼となった。
ジャンプして、空中でアリサを受け止めると、襟を咥えて、着地した。
漿石竜が、頭蓋骨の暗い眼窩から、赤く灯る双眸で、こちらを見つめていた。
また、威嚇するつもりなのか、大きく顎を開いた。
「や、ヤバい……!」
「アリサ! もう、間に合いません」
アリサが、あーちゃんの首にしがみついた。
背中に飛び乗る。
あーちゃんが、途中で郁歌を口に咥えて、走り抜けていく。
アリサが、こちらを振り返った。
「夕里菜ちゃん! 逃げて!」
——え……逃げて?
どういう意味だろう。
戸惑ったが、アリサの言うことに従ったほうがいいのだろう。
あーちゃんを追いかけるようにして、走りはじめた。
『助力のために、此方へと来たれ、「ファーネルディースの白き壁」よ! 長命がために、誓いを受け入れよ』
郁歌が唱えると、夕里菜の体の周りに、白い膜のようなものが生じた。
体が、ふわりと浮き上がるような感覚に包まれる。
「鞘です! 夕里菜さん、鞘を掴んでくださいませ!」
郁歌の声に、反射的に夕里菜は小剣を手にした。
鞘の中程を鷲づかみにする。
「そのまま、思い切って飛び込んで! 戦技が利いているから、大丈夫です!」
夕里菜は横目で、漿石竜を見た。
大きく、開かれた顎のなかで、火花が散り、いくつもの星のような煌めきが見えた。
胸騒ぎのようなものを覚えた。
危険だ、と体が夕里菜に訴えかけている。
頭を真っ白にして、夕里菜は大きく、飛んだ。
受け身も何もなく、地面を蹴る。
と同時に、轟音がした。
地面が震え、何も聞こえなくなる。
夕里菜の背中——その、すぐそばを、暗黒の奔流が走り抜けていった。
風圧が、覆い被さってくる。
と同時に、体がぐるぐると回転した。
目眩を引き越し、悲鳴をあげた。
どのくらい、そうやって回っていたのだろう。
数秒なのだろうが、すり鉢状の底を一方から一方の端まで、転がり続けていたような感覚だ。
ようやく、回転が止まった。
瞬きをして、それから、起き上がってみた。
体を動かしてみるが、痛みはどこにもなかった。
あれだけ、激しく地面に叩きつけられ、肌のあちこちを擦られたはずなのに、まったく傷もない。
郁歌がかけてくれた魔法と防具、指輪や剣の鞘のお陰なのだろうか。
周囲を見渡す。
そして、夕里菜は漿石竜の足元からまっすぐ、硬い岩盤の上を抉られたように、溝のようなものが彫られていることに、気づいた。
たぶん——あれが、漿石竜の攻撃だったのだろう。
ふたりに言われ、逃げていなかったら、夕里菜はもう、この世界から消え去っていたのかもしれない。
あーちゃんが、夕里菜のところまで、駆けてきた。
アリサと郁歌が、夕里菜の側に立つ。
「いい加減、決めるよ」
「アリサにお任せしますわ」
アリサが、頷く。
数歩、前に出て、槍を大きく、振りかぶった。
槍の柄の端が地面にくっつきそうになるぐらい、背中を反らした。
「これで——終わりっ!」
槍の先端が、赤く輝き出す。
『砕け散れっ! 星火の凱旋!』
アリサが叫ぶのと同時に、槍を投げつけた。
真紅に光る軌跡を暗い空間に刻みつけながら、槍が宙を飛翔していく。
槍が投げつけられた——というよりも、意思を持って、空を駆けているみたいだった。
空間を揺らし、槍は一直線ではなく、複雑に回転したり、垂直に上昇したり、または、地面にくっつきそうなぐらい、低空を飛翔していった。
——槍が、歌声をあげている……。
郁歌の歌とは、まったく違う歌だ。
槍が咆哮し、悦びの声をあげている。
そして、槍は高く、伸び上がると、穂先を下に向けて、一気に漿石竜に迫った。
あっという間だった。
槍は漿石竜の頭蓋骨を、完全に粉砕した。
頭部を破壊されると、漿石竜は、ばらばらに分解されていった。
骨や石などの繋ぎ目が解かれ、雨のように、地面に降り落ちる。
音を響かせながら、岩盤の上で跳ね、転がっていく。
槍が、勝ちどきをあげているのだろう。
今度は、さっきよりも、大きな”歌声”のようなもので、周囲が充たされていった。
槍は、とても夕里菜の目では追えないスピードで赤い残像を残しながら、空中を駆け、そして、アリサの手のなかに収まった。
凄まじい、戦いぶりだ。
魔剣や妖刀があるのなら、アリサのそれは、魔槍と呼ぶべきなのではないだろうか。
「お見事。というか、これまでの、私たちの苦戦が虚しく感じるほどの、圧倒的な戦いぶりですわね」
アリサが、苦笑した。
「まぁね。この『血盟の絆』は気まぐれだからね。それに、切り札って、最後まで切らないものじゃない」
郁歌はそれ以上、何も言わずに、夕里菜を呼び寄せた。
あーちゃんは、さっきまではライオンほどの大きな姿になっていたのだが、今は最初に出会った頃と同じ、トイプードルとなり、アリサの頭にちょこん、と乗っている。
アリサと郁歌と並び、夕里菜は漿石竜が横たわっていた辺りを、眺めた。
石と骨、爪や牙などが散乱していたが、眺めているうちに、だんだんと黒く染まり、地面へと飲み込まれていった。
地面が液状化して、沈んでいくようだった。
そして、最後に桜色の球状のものが、残された。
それだけは、地面に飲み込まれず、薄く輝きながら、浮かんでいた。
「さぁ、夕里菜ちゃん……」
アリサに促されて、夕里菜はその球状のものへと、近づいていった。
大きさは、握り拳くらいだった。
透き通っていて、宝石みたい……。
真珠のようにも、見える。
「これが……招魂殻……」
夕里菜が手を差し出すと、掌のなかに収まった。
肌触りは、すべすべとしていて、ほんのりと暖かい。
体温よりも、わずかに高いくらいだろう。
「よかった……夕里菜ちゃん。それじゃ、またね」
「また、お目にかかりましょう」
——え……。
振り返ろうとするが、既に夕里菜は自分が声を発することが出来なくなっていることに、気づいた。
視野が揺らぎ、アリサや郁歌が闇のなかに溶け込んでいってしまう。
肌感覚も喪失し、意識が遠のいていった。
眠気が増す……。
夕里菜は、息をゆっくりと、吐き出した。
——あぁ、これで、夢から覚めることが出来るのだろうか……。
思いながら、夕里菜はそっと、目を閉ざした。
「はじまりの賛美歌」第4話、如何だったでしょうか。
アストラル・フィールド篇は、この話で終了となります。
まぁ、戻ってきてからがまた、長いのですけどね。
このあとの展開ですが、メディシアン世界へと転移してきた夕里菜が、アリアンフロッドとしての第一歩を歩み始める物語となります。
アリサと郁歌との再会も考えておりますが、どうなるのでしょうか。
夕里菜は、果たしてアリサたちの小隊の一員となるのか。また、これからどんな仲間たちと知り合い、冒険をしていくことになるのか……まだまだ、【烙印の傷跡】の物語は、はじまったばかりです。
私自身も、彼女たちのこれからに、どきどきしているところです。
評価などはご随意に。
読者のあなたが、また私の小説を読みたい、と思っていただけるだけで、充分なご褒美と思います。
では、機会がありましたら、また。