婚約破棄されたので、私無しじゃ生きて行けなくしてあげました。
つい最近の話、ドゥーク・アイム公爵と言う大貴族が殺害されるという、大事件が起きた。
公爵が殺されると言うのは、このご時世にはよくある事だが、大事件と言えば大事件、なんせ貴族の最高位のお方が殺されたんだから。
ただ犯人は直ぐに捕まった。マイン夫人と言う、なんとドゥーク公爵の妻だったのだ。
「緊張してるか?」
「あぁ…はいそれなりに、おかげさまでね」
私の隣に居るずっしりとした筋肉質の男は妙に馴れ馴れしい奴で有名なロイ検察官だ。
そして、別にこの人のおかげさまではない、強いと言えば、ここに勤務している私以外の全員の所為である。
「しかも、今回は私の初仕事なんですから」
話を戻そう、先程述べた公爵殺人事件の犯人をマイン夫人と言うのだが、そう、そのマイン夫人の取り調べを、何故か、入って一か月も間もない私、ルーシー検察官、とついでにロイ検察官が務めることになった。
この様な大事件が絡む面倒な仕事を、前任達は下へ下へと押し付けとうとう私まで回ってきたのです!
生憎私はここに勤めたばかりで押し付ける相手が居ない。
我が栄光なる帝国はこんなものだったのかと、絶句通り越して絶望。
「で、どんな事件内容で、マイン夫人はどんな人かとかちゃんと聞いたか?」
と、この気まずい空気をまるで気まずくないかのようにロイは口を開く。
「えぁはい、アイム様は薬で殺害されて、でマイン夫人は兎に角やばい人だとか、前の印象ではとてもお淑やかな人でしたけれど…」
「………」
聞いただけで満足したのかロイは無視をする。
相変わらず相槌は無し、まぁいつものことだから受け流す。
ふと、ロイを見ると、ロイは真っ直ぐ目の前の扉の方を見つめていた。するとドアを叩く音がし、ドアノブが開かれる。
「そろそろか…」
どうやら今回は無視された訳ではなかった。
「こっちに、座れ」
と言うと扉から出てきたマイン夫人は目前の椅子に静かに座った。そして私は手に持ったペンを弄りながらマイン夫人を観察する。
純白の髪に透明な肌、服は仕方ないが外見だけでもお淑やかで噂に聞く狂人とは掛け離れている。
ただ見ていると心臓の辺りがキュッとするが、本能的にだろうか、何時も一緒にいると発狂しそう。
(あと、処刑確定なのにやけに落ち着いてるな…)
目を瞑りながら鼻呼吸、まるで静止画のようだ。
「しかも可愛いし…あっ、じゃあ始めよう、マイン夫、」
「ドゥーク様はちゃんと供養されましたか?」
マイン夫人は急に私の話を遮るように言う。おそらく故意的にではなく、ずっと気になっていた事を話すように。
「あの、ごめんなさい、もう婚約破棄されたもので、私はドゥーク様の妻でも何者でも無いのですが、私が処刑されたら私の遺体はどうか…」
言っていることは分かるが、経緯を知ってるからか意味が分からない。
するとロイが腕組みをしながら、
「それは私達が決める事ではない、あと妻か他人か以前に、貴方はドゥーク様を殺害した訳で、隣に供養される権利は、」
「権利はあります、私は彼を愛しているので、あと彼は自殺したので」
「あはは…」
思わず苦笑してしまった。なるほどこれがマイン夫人が狂人だと言われる所以か。こんなのが初仕事なんて本当に勘弁してほしい。
「では話します、先程申したドゥーク様に婚約破棄された所から」
そしてマイン夫人は、この取り調べの主導権を完全に握り、まるで仲睦まじい夫婦のような、幸せのような、痴話話を始めた。
ー
「…婚約破棄させてください」
「………はぁ、」
「お…願いします、お願いします、お願いしますお願いします」
ドゥーク公爵の屋敷内では少し、おかしな光景が広がっていた。
それはこの屋敷の亭主であるドゥークが妻に頭を下げていると言うのもある。そして、屋敷内にはこの空間の二人だけ、護衛は愚か執事すら、この二人以外の人間はいない。
「でも、貴方がそう言うなら、受け止めます」
ドゥークの体は、小刻みに震えている。それは恐怖から引き起こされる震えであり、マインが投与した薬の副作用でもある。
「ほ、本当か?!本当に、本当なのか…?」
マインが使った薬は、服用させた人を惚れさせたり、依存させたりできる媚薬である。
他国から違法に取り寄せた薬で、一度服用させたら当人は相手を溺愛し、副作用と共に効果は永遠に作用する。
「やった!やった!やった!やったぞ!ははは!」
しかし、ドゥークは婚約破棄を求めてきた。
「これは、新しい薬が必要ね、これよりうんと強力な、」
「あぁぁあぁぁあぁぁ!!!」
ささやかな希望はあっさりと喪失、たったの二言で、ドゥークの束の間の喜びから、発狂するほどの絶望に引き落とされた。
「ごめんなさい、あなたの喜んでる顔が見たくて」
両手を頬に当てながら、マインは顔を赤らめて言う。
狂人なら、ドゥークの喜びから絶望に引き落とされる瞬間を見て楽しむだろう、しかしマインは、ただ喜んでるところが見たかったのだ。あくまで素で、ドゥークを弄んでいるのだ。
故に狂人と言う人では無く、マインは常人とは感性がまるで違う、人間の皮を被った人外だった。
「そんな、泣く事ないのに、何が不満なんです?」
脅しにも見えるドゥークへの問いかけも、あくまで素だった。何が不満なのか、自分の行いの全てに疑問を呈さなかった。
部屋に閉じ込めている理由も、常人からすると、とても曖昧で意味がわからない、何故なら閉じ込めている理由は特にないから。
しいと言えば、極度の被害妄想とそれから引き起こされる幻覚。キチガイ以前に、マインは前が見えていない。
そして、この行動もそうだった。
「ほらほら、良い子ですねぇー」
そう言い、何故かマインは泣き崩れているドゥークの頭を撫でる。
「……は?」
は?となるのも仕方ない、誰しもいきなり猫撫で声でかつ猫扱いされたらはともなる。
「ほら、初めて同じ寝室で寝た時、赤子の様に扱って欲しいって言ってたじゃ無い?少しは落ち着いて貰えたかしら?」
「…は?なん、それ…」
「ふふっ、良かったわ、喜んでもらえて。あなたのこんなのに付き合って居られるのは私だけなの。愛しているからよ?貴方もそうなら、愛しの妻の前で、そんな下品に泣くのはやめなさい」
ここまで耐えてきたドゥークの強い精神が完全に壊れた瞬間だった。
私は何故彼女と婚約をしてしまったのだろうか、何故パーティに呼び出して、大勢の人の前でプロポーズしてしまったのだろうか。と、後悔するのはもう遅い。ドゥークはマインが気狂いだと言うことに気づくのが遅すぎた。
ドゥークは発狂し腕を枕にして床に倒れ込む。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「さって、あの薬どこに隠してたかしら、探さないとっ」
マインはそう呟き、自分が引き起こした人の発狂に何も動じず、ドゥーク公爵を閉じ込める牢屋の鍵を閉めた。
ー
「………そして、その日は時間も遅かったし、薬を探してから寝ましたの」
マインの話を聞いた一同は騒然としている。書記の手は止まり、ロイと私は唖然とし、口はポカンと開いていた。
「つまり、その日寝て次の日起きたら自殺してたと言うこと…ですか?」
あまりの物に、私は敬語は使わず威圧的に接しなければいけない事を忘れていた。
「いいえ、それはまだ…」
首を横に張って否定されるが信じがたい、ここで終わりじゃ無いと言う事は、これより酷いことをマインはしていることになる。
それにマインはこの一連の出来事を、まるで夫との楽しい団欒のように話すのだ。本人がこんな調子じゃあ更に酷いことを仕出かすだろう。
「じゃあこの短期間でどうやって自殺に追いやった?食べ物を与えなかったのか?拷問か?」
私より優秀なロイは机を叩き、高圧的に問いただす。
「いえいえいえ、そんな非人道的な…」
そして、焦燥して手を横にふるマインに私は眉をひくつかせた。
(なんで、お前が言うんだよ…)
ここまで来ると、私の脳裏にはこんな文字が浮かび上がっている「メンヘラのフリすんのやめてくんね?」それほどまでに私はマインに対し人間としての違和感を感じていた。
「じゃあ、早く続、」
「あの、少しいいですか?」
マインはまた私の言葉を遮ってきた。そして、厳重な身体調査の中どうやって持ってきたのか、ポケットから葉巻のような物を取り出す。
「葉巻か?悪いが時間が惜しい、閉まってくれ。てゆうかなんで今それを」
「あの、許可は取ってます。すいませんこれが無いと、まともに話せる気がしません」
すると、マインはポッケからマッチも取り出し、口に咥えた葉巻に火をつける。
実にシュールだ。この人だけは絶対にタバコを吸わないだろう、って外見のマインが私の親指より大きな葉巻を加えている。違和感があるのは中身だけではなかった。
それにしてもずいぶん大きな葉巻だ。本当にタバコなのか、もしかしたら私達が吸ってはいけない物質も入ってるかもしれない。
「それ、なんですか?ずいぶん大きな葉巻ですけど」
「ただの葉巻です、本当に。彼が自殺してから、これが無いと落ち着かなくて、あっても今にでも発狂してそうで…」
「……じゃあ、早く話してください、続きを」
ー
部屋は牢屋という役割の割に綺麗に整えられていた。
売ると、庶民なら三世帯は養える価値の壺に、有名な画家の絵画を入れている売ると三世帯は養える額縁に、ただの絨毯。
目眩がするほど黄金に包まれた部屋は、全てマイン夫人の的外れな配慮によるものだ。
しかし、もうこんな部屋はマインとドゥークの二人には必要なかった。今や二人は、屋敷の中庭で優雅に紅茶とお菓子を嗜んでいる。
「どれもお菓子で有名な国から取り寄せたもので、貴重な砂糖もたぁ〜っぷり、美味しいですか?」
「、あ、」
口をポカンと開けながらドゥークは返事では無くただ、あ、と言う言葉を発する。
しかし、その反応にマインは大喜びした。
「そうですか、ふふっ、やっぱりそうですね」
そして、皿に並べてあるお菓子を手に取り、ドゥークの開いた口に入れる。そうしたら、口を開きながらお菓子噛み、また飲み込んでくれる。
「やっぱり、最初からあの薬にしておけば良かったわ」
ドゥークが幸せそうに見えたマインは手を頬に当て、微笑みながら呟く。
一度服用させると、永遠に服用させられた相手のことしか見れなくなる薬。効果は同じだが強力さはこちらのほうが上、それに比例して副作用の効果もどんと変わってくる。
副作用は自我の喪失だった。喜びも悲しみも感じない筈だが、人間の本能なのか涙が出ている。それに、物事が考えれなくなったドゥークはまるで赤子のように扱われていた。
「庭もいいですが、たまには屋敷で過ごしましょう。雲行きも怪しいですし、」
ただ、薬の副作用はこんなものじゃなかった。それから同じ様な日々が三日間繰り返され、ドゥークには新たな副作用が出てきた。
「こら、駄目ですよ包丁なんか持って、全身が血だらけじゃないですか」
マインはそう言ってドゥークが握っている包丁を取り上げた。
全身の血は自分で自分を刺した傷だ。非力なドゥークは浅い傷だが、体に何箇所も包丁で刺した傷がある。
「そろそろですか、可哀想に」
それは副作用による、刺し傷を上回る全身の痛みのせいだった。包丁はその痛みを上書きする為のもので、それ以前の掻き跡や殴り後もありドゥークの全身はボロボロだった。
喜びも悲しみも感じない体だが、痛みは感じたようで。ドゥークは瞳に涙を浮かべた。
「本当、可哀想に」
痛みで悶絶しているドゥークを見てマインは涙を浮かべた。しかし、自分が薬をもった事には何も感じずあくまでマインは可哀想な夫を思う被害者である。
「何か少しでも貴方のために、出来ることは…」
そしてマインはなにを思ったのか、ノコギリを取り出してきた。
「少しでも全身の痛みを減らしてあげましょう、そうしたら今日は久しぶりに屋敷の外へ出ましょう!」
マインは笑った、幸せそうに。
ー
「そうして気付いたら彼は死んでいたので、私はきちんと山へ埋葬しに行きました」
私は気分が悪かった。隣のロイもそうだった。とにかくマインが不気味で暫くの沈黙が続いた。
「そうだ私買ったのは薬じゃ無くてレシピの方で、それがすごく簡単に作れて、その時少しお金がなかったのでレシピごと売り捌いてしまったのです。まずいでしょうか?」
私とロイ検察官はハッとした。それが本当ならどうなる、もし出店で簡単に手に入ってしまったらどうなるだろう。それを遊び感覚で使う若者、悪用する大人。
「ロイ!!」
「わかってる、早く伝えなくては」
私達は身に染みて、理解した。今回マインはどれだけの罪を犯したか、最早厄災。
罪の意識のない罪人が、一番罪だ。