第2話 魔王、世界の半分やるから結婚しよう
生まれてから十と二を数えた頃だった。
その頃には、俺も人なりにはこの世界について知ってしまった。
優しく手を引いてくれた彼女と、自分は、相容れない存在なのだということを。
そういう宿命なんだと。
「あなたは、賢人なんだよ」
彼女からそう告げられた時、俺は驚かなかった。いろんな本を読んでいた俺からすれば、それくらい知りたくなくてもわかってしまった。
ただ、彼女からその事実を告げられたことが、何故か哀しかった。
「私達は、違うの」
同じだ、そう言いたかった。けれどあの頃の俺は、彼女ほど魔法も使えなかったし、彼女ほど力もなかった。だから、自分が彼女とは違うと自覚する他なかった。
「でもね、レオ。私は……」
彼女が俺に、優しすぎる目を向けたのを覚えている。けれど、俺はその時、その後の言葉を彼女に言わせてはいけないと思った。
「ねえ、なんのことかわかんないよ」
分かっていながら、俺は何も知らないフリをした。
「うん、そうだよね……ごめん」
「いいよ。それよりも夜ご飯できてるんじゃない? いい匂いがする」
「そうだね、うん。行こうか」
今でも、あれでよかったと。
俺は思っている。
それは俺が、まだガキだった頃の、けれど少しづつ世界を知り始めた頃の、くだらない話。
そして、俺は今となっても宿命を受け入れることができなかった。
――『勇者が魔王を倒す』なんて言う、残酷な宿命を。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「何が…………いつでもいいよ、だよ」
自分がこんなに激高するタイプだと、思ってもみなかった。けれど、確かに俺は今、目の前の少女に対して、怒りを感じていた。
「俺がお前をって、それ、本気で言ってんのかよ」
魔王が勇者を倒すという宿命――しかし、俺はそんな宿命なんて果たす気はさらさらない。しかも、その倒す相手がフィリーなら余計に。
「ごめんレオ」
「――だからさ、人違いだって……言ってんだろ」
さっきから言動がめちゃくちゃだ。一人の少女を前にしただけでこれとは、勇者の名が泣くな。
「俺は、もう行く。追ってくるんじゃねーぞ」
そうして、俺は全てを見なかったことにするかの如く、ポケットに手を突っ込むと少女に背を向けた。
「行っちゃった……」
私は、彼の背中を追いかけようとして。けれど足が立ち止まってしまった。
追いかけていいのか、分からなかった。
まさか彼が、私のことを覚えていてくれてるなんて思ってなかったから。
まさか彼が、私の為に勇者としての使命を投げ出すなんて、思ってなかったから。
だから、私は困惑していた。
だけど、それでも、五年ぶりの彼との再会をこんな風に終わらせたくない。だって私は彼のことが――レオのことが――
いつの間にか、私は彼の去った方へ、走り出していた。
お世話役のエルゼを置いて…………
ただ、レオをどう探せばいいのか。
もうかれこれ三十分は街を駆けまわっているが、レオらしき人影は見当たらない。それに、街も女神祭とかいう祭りで人が多くて、いたとしても見つけられないだろう。
「会いたいよ、もう一度だけ合って、話したいよ」
気づけば、目から涙があふれていた。
そこで改めて気づく。私はどれだけレオとの再会を待ち望んでいたのか。
なら絶対に、もう一度レオを見つけなくちゃいけない、いけないから。だから必ずもう一度会おう。そして話そう。大丈夫、私ならできる、絶対に。だって……
カーン!
路地裏に捨てられていた空き缶が、宙を舞った後、地面を転がる。
俺はその空き缶を見ながら、壁を叩きつけた。手がジリジリと痛む。
「クソッ――!」
話したいことが、たくさん会った。
なにより、会えたことが、嬉しかった。
「だったら、なんで逃げちまったんだよ、俺は」
ただ、フィリーに絶望して欲しくなかった。
俺が、こんな惨めな奴になってるって、思われたくなかった。
「俺は、フィリーに、嫌われたくなかったんだ」
――――やっぱり、ここにいたね。
その時だった。彼女の声が聞こえたのは。
まさか、そんなわけないと思った。だけど、俺が顔を上げると、確かに……そこにはよく見た彼女の姿があった。まるで――暗い路地裏を照らす満月のような、フィリーの姿が。
「なんで、見つけられるんだよ……」
「私がかくれんぼで、レオを見つけられなかったこと、あった?」
「そういえば、なかったな」
確かに、なかった。かくれんぼで俺はフィリーに見つからなかった覚えがないし、森で迷子になった時だって、見つけ出してくれた。
「まさか、魔法でも使ったわけじゃないよな?」
「使わないよ、だってこの国で魔法を使ったらバレちゃうから。私が魔人だってこと」
「だったらどうやって……」
俺がそう尋ねると、フィリーは当たり前だ、といわんばかりに――けれど少し照れ臭そうに笑顔を浮かべた。
「へへ、愛だよ」
フィリーと俺のとの距離が縮まる。そして、フィリーが俺の胸に顔をうずめて、俺を抱きしめた。
「また会えて、声を聞けて、良かった」
俺も会いたかった、ずっと会いたかった。
そう言いたいのに、喉がひりひりと焼けて声が出ない。
代わりに、フィリーをぎゅっと抱き返す。
「レオ、私、本当に覚悟できてるから――だから私のこと、殺してもいいよ」
俺が逃げ続けてきたその宿命、フィリーはきっとその宿命を受け入れたのだろう。紛れもない、俺の為に。
簡単なことじゃない、誰よりも俺がそれを分かってるから、だから俺も覚悟を決めなくちゃいけない。
「フィリー……いや」
俺は、フィリーのそのアメジストのような瞳をじっと見つめて言う。
「魔王、世界の半分やるから結婚しよう」