一人の希望、一人の絶望
当てがあるわけじゃない。
ただそれでも土砂降りの山道を歩き続ける。
小さく、軽くなった母親と重くのしかかる絶望を背負いながら。
そこは、人間界と魔界の境目。
魔界だからと言って何かが変わるわけではない。
人間ではなく魔人が住んでいるだけ。
そんな人間界と魔界の境目に穴を掘る。この小さな人間が入れるだけの。
丁寧に、これ以上傷がつかないように、慎重に置く。
魔法で石板を作れば母の墓の完成だ。
それにすがるように2人そろって座り込む。
「何で、死んだのかな……」
「……」
「これからどうしようか」
「……」
ソフィアの問いにレインは答えられない。
この止む気配の無い土砂降りの雨に打たれ続ける。
レインは考える。これからどう生きていけばいいのか。
急に道を示してくれる人がいなくなったのだ。
頼れる人だっていない。
「一回家に帰ろうよ。それから先の事はまた考えよう」
立ち上がって彼女はレインに手を差し伸べる。
その瞳の雨はやんでいた。
時間が経ち、頭が冷えたという事もあるが弟がまた昔のようになるのが嫌で気丈に振る舞う。
(強いなぁ)
見上げたソフィアはいつもより強く輝いて見えて、レインは目を細める。
そんな時だ、雨が泥を穿つ音の奥でガラガラと音が鳴る。
座っていたレインはソフィアよりも先に気づいた。地面が揺れていることに。
少し時間が経つとそれは姿を現す。
豪華絢爛な装飾が施された多数の馬車。
「なんだろう?」
ソフィアが不審がる。
馬車に何かあるわけではない。それが魔界から出てきたことに違和感を感じたからだ。
真ん中の馬車が二人の目の前に来た時ピタリと止まる。
そして一際輝きを放っている馬車から3人が下りてくる。
一言で表すなら姫と護衛。レインの目にはそう映った。
その女性はスカートを軽く摘み上げて頭を下げる。
「初めまして、わたくしアクリス・イリアスと申します。ここで何をしているかうかがってもよろしくて?」
彼女の言動でレインは自分の予想が正しいと思えた。
その動き、言葉遣いはどこからどう見ても上流階級のものだった。
そんな彼女の言葉に二人は顔を見合わせる。
ここで何をしていたのかと言われても何もしていないというのが答えで。
ただ絶望に体を浸してただけなのだ。
「別に何も……」
ソフィアは守るようにギュッとレインを抱きしめる。
雨にさらされてずっと冷たい体だったがエマにされたときと同じくらい暖かくそして冷たかった。
「そういうあなたたちは何してたんですか」
彼女がそう言うと護衛の一人が剣に手を置く。言動には気を付けろという意味で。
だがすぐに手を下ろした。
アクリスが手で制したという事もあったがそれ以上にレインからの殺気。
戦場に出たことがあるからこそより敏感に感じ取った、本気で殺すという意思を、そして圧倒的なまでの力の差を。
「わたくしたちは魔界に用があって出向いていたのです。あまり詳しいことは言えませんが」
アクリスは手で口を隠してウフフ、と上品に笑う。
人間が魔界に入ることはかなり珍しいことだ。魔界にいるのは魔人が大多数を占める。
魔物はというと人間界のダンジョンまたは魔素の濃い森などに生まれ、人間に狩られる。
だが魔人は違う。その強さは魔物の比ではなく人間なんて簡単に殺せてしまう。
そんな化け物の住処に人間が出入りしていた。
ただ二人は知らなかった。教えられていなかった。エマにとって魔界というのは脅威にならなかったから。
「それで、あなた方はこれからどうするのですか」
彼女は一度そのできたばかりの石板に目を向けてから話す。
何となく察していたのだ。何があったか。
現実はそれよりもずっと重たく非常なものだったが。
「「……」」
二人は顔を見合わせる。
答えはない。考えていないわけではない。
小さな世界に生きた二人だが選択肢は持っていた。
学校の話を父から聞いた。騎士団の話を母から聞いた。
ただそれでも考えたくはなかった。違う、目が離せないのだ。この起きてしまった事実から。
そんな二人に彼女は手を差し伸べる。
「ならわたくしたちの所に来ませんか」
彼女にも何か考えがあるわけではない。
ただ、それでも見過ごせなかったのだ。それが彼女の夢だから。
「私の夢は人間も魔人も、貴族も平民も平等に生きれる国を作りたい。それでもついてきたいというのならこの手を取ってください」
彼女は無意識のうちに素の一人称を出す。
それは、前世での光景。
意味もなく貴族だの平民だのと言われ、終いには殺されてしまったこと。
「俺は行くよ」
レインは即答する。
ここに居る全員が驚きを隠せないでいた。
(もしこれでリーナの様に死ぬ人がいなくなるのなら、俺は――)
死人を生き返らせることは不可能だ。
だからその前に救う。それこそがエマの言っていたこと。
そして、不可能だと思ったことでもある。
「なら決まりですね。あなたはどうしますか」
ソフィアに目を向ける。
彼女はまだ迷っていた。ただでさえ心の整理がついていないのに人間も魔人も平等と来た。
つまりは魔人との共存だ。「ありえない」と心の中でつぶやいた。
母を殺した者たちと共存なんてありえないと思った。
だがそんなことは顔に出さず笑顔を顔に張り付けたまま答える。
「私も……行きます」
その答えを聞いてアクリスは笑顔になる。
これから馬車に乗って彼女の家まで帰ることになった。
まだこの時は、レインもソフィア自身も気づいていない。
砂が風で飛ばされるように、心が少しづつ欠けていくのを。
少しづつ、それでも着実に。