第81話
「あ……ここは」
泣きながらがむしゃらに走ったレティシアはいつの間にか近くの公園まで来ていたことに気がついた。
秋も深まり日が落ちる時間が早まったからか、すっかり辺りは暗くなり人影も殆なく、街灯の明かりが辺りを照らしている。
レティシアが走る足を止め、ふと見上げた木は紅葉し葉が落ちかけている桜の木だった。
「この木は前にお姉ちゃんから聞いた桜の木だ……。
団長さんからこの桜が満開の時に告白されたって言ってたっけ、お姉ちゃん…いいなぁ……。
どうして私は許されないのだろう、もうすぐ成人するのに…ロベルトさんはあんなに素敵な人なのになんで結婚を反対するの?」
頭の中でまた先程のアルセニオの言葉を思い出し涙が溢れてくる。手で顔を覆ったレティシアの嗚咽だけが静かな公園に響いている。
「レティ!」
大きな声がしたかと思うと、華奢なレティシアの身体を背後から包み込むようにロベルトが抱きついてきた。
「レティ、やっと追いついた」
「…ロベルト、さん」
「あぁ、こんなに身体が冷えてしまって…。心配しました、レティが無事で良かった」
ロベルトはすかさず上着を脱いでレティシアを包み込むと、その上から再度ぎゅっと抱き締めた。
掛けられた上着から香るロベルトの香りに安心したのかレティシアの心は少し落ち着きを取り戻した。
「…ごめんなさい…心配かけて」
「レティ…」
ロベルトは自分の胸の中で俯き、謝るレティシアを軽々と抱き上げて近くのベンチに座った。
膝の上にレティシアを乗せたロベルトは、再びレティシアを抱き締める。
「すみません、私がもっとしっかりした男であればアルセニオ様に反対などされなかったのに…私では大切な娘を預けるには頼りなく見えたのでしょう。
もっと自分に力があれば…反対などされなかったのに、レティを悲しませる事になってしまった」
「そんなことない!ロベルトさんは素敵な人です!!
魔法だって剣だって心だって凄く強い!優しいし誠実だし、私には勿体ないくらいな人なの。お父さんが認めてくれないなら駆け落ちしてもいいほどに素敵な人なの」
「ありがとうレティ。レティがそう思ってくれて嬉しいです。レティの為にも自分の為にもアルセニオ様を全力で説得しなければいけませんね、だから駆け落ちなんてしなくて大丈夫ですよ。駆け落ちしたらレティの大好きなヴァレンティナ様やソフィアさんに会えなくなってしまいますよ、レティはそれでもいいのですか?」
「嫌……。ごめんなさい、お母さんやお姉ちゃんに会えなくなるのは嫌……お父さんも…
でも…ロベルトさんと一緒にいたいよっ!。」
レティシアの感情が溢れ出し、再び大きな瞳からポロポロと涙を流すとロベルトがレティシアの涙を掬い取るようにキスをする。
「泣かないでレティ。大丈夫、絶対にアルセニオ様を説得してみせます。愛するレティと結ばれるならどんな事も乗り越えます、だから帰ってもう一度アルセニオ様と話をしましょう」
「…うん」
ロベルトは愛おしそうにレティを見つめ、剣で鍛えた節くれ立つ指がそっとレティシアの顎を持ち上げると柔らかな唇にキスを落とした。
「んっ…」
「レティ、愛してます」
何度も角度を変えて長くキスを繰り返すロベルトはレティシアがギブアップと言って背中を叩くまで止まらなかった。
「残念ですがしかたないですね、時間も無いので今日はこれで止めておきましょう」と言ってやっとロベルトのキスから開放されたレティシアだった。
すっかりレティシアの涙は収まり、二人はベンチから立ち上がり、指を絡めて手を繋ぐと【まんぷく亭】へと足を向けた。
レティシアとロベルトが【まんぷく亭】に着くが、レティシアは中々扉を開けられないでいた。
ロベルトはそんなレティシアを励ます様に頭を優しく撫でた。
レティシアが【まんぷく亭】の扉を戸惑いながら開けると、ヴァレンティナとソフィアとルイスが目に入った。
レティシアは小さな声で「…ただいま」と呟いた。
レティシアの姿を見るなりヴァレンティナとソフィアが駆け寄ってきてレティシアをきつく抱き締めてきた。
「心配したのよ、レティ」
「レティちゃん、無事で良かったわ」
「ありがとう。でもお母さん、ちゃんとピピをつけてたでしょ」
「あら、気がついていたのね」
レティシアがいうピピとはヴァレンティナの従魔である、鳥型の魔獣だ。
レティシアが家から飛び出した瞬間から後を追っていたのだ。
ヴァレンティナは女性として、この場は恋人であるロベルトが追いかけたほうが丸く収まるだろうと考えてはいたが、やはり母としては心配だったので従魔に様子を見守らせていたのだ。
「ロベルトさん、レティちゃんを連れて帰ってくれてありがとうございました。冷えたでしょう、暖かいお茶入れるから二人とも座って待ってて」
「いえ…ですが」
何でもないように皆がスルーしているが、ロベルトの目の先には頬に赤い紅葉を咲かせ、冷たい地べたに正座をしているアルセニオの姿があり、どう反応すれば良いのか分からず狼狽えた。
「あぁ、アレにはお灸を据えただけだから気にしなくて良いのよ」
「は、はい」
にっこりと笑うヴァレンティナの姿を見たロベルトは、絶対にこの人だけは怒らせてはいけないと本能的に感じ取った。
ヴァレンティナの言う通り大人しく席に座ろうとレティシアを促し、足を進めようとした。
すると微動だにしていなかったアルセニオが急に勢いよく頭を床に擦り付けてロベルトとレティシアに向かって頭を下げた。
その姿にロベルトとレティシアは目を見開き固まる。
「レティちゃん、ロベルト君、この度は心の狭い私の嫉妬から君達を傷付けた事申し訳ございませんでした」
「お父さん?」
「全て私が悪いんだ、急に二人の愛娘が嫁に行くと聞いて寂しくてロベルト君にあんな事を言ってしまった。レティちゃんやロベルト君を傷つけることを考えもせずに、軽率に口にしてしまったことを取り消す事は出来ないが、本当に申し訳ないと思っています」
アルセニオがずっと頭を冷たい床に付いてる事に、見るに耐えきれなかったレティシアがアルセニオの前に膝まづく。
「お父さん頭上げて、もう分かったから…。お父さんの気持ちわからないで嫌いだなんて言ってごめんなさい、大好きだよお父さん」
「レティちゃん…」
「お父さん、おでこ真っ赤になってる!ほら立って!一緒にお茶飲もう」
レティシアが立ち上がり、手を差し出しアルセニオを立たせようとするが「ぁ゙うっ」と叫び声と共に前にバタンと倒れてしまった。
「「お父さん!?」」
「あっ…足が…痺れて立てない…」
「また足痺れちゃったんだ…」
レティシアとソフィアも幼い頃からヴァレンティナに叱られるときは正座をさせられたが足を痺れることはなかった、だがアルセニオだけはヴァレンティナに叱られるときに正座をさせられてはよく足を痺れさせていた。
だから長い間正座をすると足が痺れることは知っているが痺れる感覚は知らない姉妹だった。
姉妹の隣でルイスとロベルトは、正座したことがなく足が痺れる事を知らなかった為、アルセニオを不思議そうに見ていた。
お茶を持ってきたヴァレンティナが冷めた目でアルセニオを見て一言言い放った。
「アルセニオ情けないわね!たった1時間位で足を痺れさせて立てないなんて」
「いやはやなんとも…面目ない」
横になり床に転がっているアルセニオを見てレティシアはアルセニオの足を突いてみる。
「えぃ!」
「レティちゃん!やっ、止めてお願いだから」
足を突かれたアルセニオは足に走る強烈な痺れに、身体をのた打ち回せた。
「ねぇお母さん、痺れるってどんな感じ?」
「そうねぇ」
アルセニオが痛がっている姿を見て、ルイスとロベルトはひそひそと周りに聞こえないように声を潜め会話をしていた。
「なあロベルト、あのような正座?という形で座ると足が痺れるようだが、足が痺れるとはどんな感じなんだろう?」
「そうですね、見るかぎり麻痺毒にかかった者の姿に似ていますが」
「それは…痛いだろうな…」
「痛いでしょうね…。団長、私達は彼女達を怒らせるとああなる可能性があるということですね」
「そうだな、肝に銘じておこう」
「はい」
将来夫になる二人は、ヴァレンティナだけでなくその血をひいている二人の姉妹も怒らせてはいけない対象だと密かに思うのだった。




